金曜ロードショーで3週連続ジブリだし、
去年ハウルのスレ立てた主がまたジブリの話がしたいスレ。
千と千尋、ポニョ、ラピュタのほかにもジブリ全般と、
youtubeで配信中の名探偵ホームズとか電王劇場版とか、
今期アニメだと鬼滅とかエルメロイⅡ世とか進撃とか。
漫画アニメゲームラノベ、児童文学、小説、
民俗学神話学仏教哲学に陰陽に魔術にオカルトにスピリチュアル。
ぜんぶごっちゃにして、神秘や根源や空や0とはどんなものか言葉にして遊ぼうかと。
みんな気軽にバルスしてってね。
前スレ
http://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/comicnews/1533929590
引用元: ・金ローだしジブリを解説したい。千と千尋、ポニョ、ラピュタ
【宮崎駿監督への恩返し、「ヤメロ祭」開催】
ラピュタが放映される時に起こる「バルス祭」ですが、
「改憲反対」「沖縄基地反対」「安倍やめろ」も訴えて「ヤメロ祭」にしましょう。
安倍政権と戦っている監督やジブリが掲げる「改憲反対」
去年沖縄基地反対の代表になった監督を応援して「沖縄基地反対」
そして元凶の「安倍やめろ」
高畑さんが亡くなり宮崎さんは反安倍の仲間を失ってしまった今こそ
監督やジブリを応援する時です。
こんにちはありがとうございます。
こういうコメが掲示板の醍醐味よw
また性懲りもなく解説という言葉を使ったけど、やることはこじつけ、屁理屈、解釈だ。
「理屈と湿布はどこにでもくっつく」
「それを言うなら理屈と膏薬は、ですよ。」
氷菓DVD買ったわ。京アニではあれが一番好きだ。
でも通してみると後半が暗いな~。前半の薔薇色演出が好き。
冒頭のフジモトからもう解る人にはタロットだと解るんだろうな~。
光る袋、道化、ピエロっていう絵だからな。無番、愚者だ。
光る袋の中身は色々な解釈があるだろうけど、あらゆる可能性とか、命の種、というのがある。
フジモトは「農場の仕事」と言ってるけど、なにをしてるんだろうね~。
エサやり?品質管理?品種改良?あるいは治療とかだろうか。
なにか精製したエッセンスのようなもの、井戸に貯めてるようなものを集まった生き物に与えてる。
薬なのかな、フジモトもあれを飲むと魔力が増すみたいな感じだし。
「いい出来だ」とか「君たちには強すぎる」とか言ってたな~。
滋養強壮に良い、みたいなことだろうか・・・。
命の水、酒。
エリクサー、金丹、変若水、ソーマ、アムリタ、ネクタル。
どこの神話にもそういう万能の霊薬があるよな~。
単純に序盤での「名前を忘れたら帰り道がわからなくなる」→「忘れてないから帰り道がわかる」って事だと思う
ていうか千尋は最初から勘がいいというか。
直観力やひらめきがあるよね。
割と宮崎駿アニメ主人公には標準搭載されてるスキル。すぐピーンとくる人ばっかww
千尋にはトンネルの先へ行くとヤバいことも、
お店の食べ物を勝手に食べたらヤバいことも、
オクサレサマの訴えも竜がハクことも
ニガダンゴの効能と使い所も、
それから豚の中に両親がいないことも。
なんとなーくわかっちゃう子なんだよな。
ドジでトロいモヤシっ子だが、
最初からニブくはない。
つーか勘くらい鋭くないと、すぐ詰むわあんな状況w
人間だったことすら忘れ果ててブタと化した親を連れて帰れるかどうかはまた別の課題だな。
10歳の千尋が一人で現世に帰ってもなかなか人生ハードモード…。
そこはやはり湯バーバの試しを越えないといけない。
川という拠り所がないからハクはこの世に帰ってこれないんであって。
物質の依りどころ、依代、御神体があって、信心をもって祀るなら呼べるはずだ。
カスガサマやオシラサマはそうやって行き来する神様だ。カスガサマの御神体はあのお面だろう。
一番簡単なのはホームセンターで神棚買ってきて家の然るべきところに設置。
小学生の千尋に用意できる御神体は…、なんだろうな。竜の姿のもの。木彫かフィギュアか、千尋が絵で描いてもいけるんでないかな。縁あるし。
それで開眼供養をする。入魂の儀式だ。
お坊さんを呼ばなくてもいい、千尋が呼べばハクは来るだろうw
それで水とか米とか酒とか供えて、
中高生になったらまたホムセンで木材買って庭に社を建てたらいいww
大事なのは気持ちだww
仏像の開眼供養もFateのサーヴァントの召喚も、本質はあまり変わらないんだよな。
異界のもの、あの世のもの、精神体であり肉体のないものに、仮の器を用意して、名とか縁を辿って呼ぶ。入ってもらう。そんだけ。
自分達だってそうだ。
この肉体はいずれ朽ちる仮の器で、死んだら三途の川を渡って彼岸へ行くという。
信じるとか信じないとかじゃなくて、そんなもんだろうなっていう実感があるわ最近w
そして彼岸の姿、精神体すら仮の宿だ。
魂の果てしない旅にも終着はある。永劫回帰っていうかね。
ゼロになる体が耳を澄ませる、ってスゲー歌詞だよなー。
よく解る気がする。
右脳的なもの左脳的なもの、肉体と精神、ちょうど釣り合って和するとき、静まり返ってゼロになるって感じがする。
ピンとくるとか、インスピレーションはそういう時訪れる。
生きている不思議死んでゆく不思議、花も風も街もみんな同じ。
神様さえ忘れられれば去る。
有限の世界に不変はない。
全て移り変わる。生成発展し崩壊し回帰する。
崩壊や死をゆらぎとして内包すれば、ひとつ大きな環では寿命が伸びる。でもその果てしなく増大するフラクタルもいつか尽きる。
宇宙にすら限界と寿命がある。
無限や神秘や空や混元はその先だ。有限の全てを内包している。
読ませてもらったけど、よく見ていて面白く読めた
自分も解釈好きなんで他の人のを読むのは楽しい
ちなみに>>8の
>ゼロになる体が耳を澄ませる、
は、「ゼロになる」というのは「人が死ぬ」ことの比喩だよ
つまりそれが耳を澄ませるというのは、
たとえば死んだ人の布団を真ん中において自然とみんなが静かになり、
シーンとした場面であたかも死者が私達の耳を澄ませているような状況を指すと思われる
ありがとうございます。
あー、そっか、なんか死にゆく人とのお別れの歌っぽくもありますね。涙そうそうみたいな?
そうだ、それで自分も初見ではハクとはこれで悲しいお別れでビターエンドなのかと思ったことを思い出しました。
物語の解釈を変えたことで、歌の解釈も自分のなかではだいぶ変わったんだな。
しかし、ゼロになる。なら死ぬでも意味わかるけど、
ゼロになる体、満たされてゆけ。
と言われると、死んでるの比喩なのかそれは?と思うところな気もします。
そこから違う意味を見出していってもいいと思いました。
「解釈好き」とお見受けしたので、良ければ以下のスレに遊びに来てみて下さい
スレ主さんはいなくなった廃墟ですが、一応私はまだ見てますw
せっかくなので私が解釈した>>290-296を見て頂ければと
ありがとうございます。
ははぁ~。面白いですね~。
そう読み解かれるとそうだろうなという気がするw
それもひとつの完成度の高い解釈かと思います。
この曲単体で聴くならそれでいいんだけど、
でもこれは千と千尋の神隠しの主題歌でもある。
あの物語のエンディングでそういう意味の曲をかけたら、お別れする死者がハクってことになる。
それはなんかどうも違うんじゃないかって気がするんだなぁ。
曲の中でひとつの世界が完成してるのも確かにそうなんだけど、
その世界を千と千尋の物語が包んでるから、
解釈のパーツを千と千尋の物語から拾ってきてもいいと思う。
ま、それをやると解釈の幅が収集つかなくなるけどもww
自分は、千尋の内面に起きている変化の歌、意識の成長の歌だと感じるんだな。特に後半。
結構、色々読んで見るとボリュームあるスレですよねw
今日は寝ますが、
もしなんか解釈したいときはここに書き込んでもらえればたぶん見ますですw
一応FLASH版ですが、もはや廃墟で何でもありですので、
書き込みを永遠に募集中です
「もしかしたら、こういうスレ好きじゃないかな~」という雰囲気を感じたものでw
違ったらすみません。
それでは。
マルクルもそれ二回言うんだけど。
海で拾った魚ポニョのバケツに水道水を入れるそうすけの行動を非難する向きもあるけど。
まぁ、海水魚を水道水に突っ込んだら普通は塩分濃度とカルキで死ぬだろうが。
そもそも海に淡水魚の金魚はいないわけで。
更に言うと、ポニョは元人間のフジモトの娘なのでハーフだし。人魚だし。
そうすけの血を舐めて、「個体の先天的劣等因子がDNAの汚染で覚醒」してるので、無問題なんだと思われる。
王蟲の抜け殻の上で、目の殻を被って寝転がるナウシカに似た図像だな~。
ああいう透明なドームが、コックピットみたいで駿的ロマンなんだろうか。
フジモトが唯一の男性で赤毛と思ったけど、
名探偵ホームズもまぁオレンジ色っちゃそーだよなー。
その場合交流してる異種は視聴者だろうか?
犬なのに二足歩行で名探偵なわけだし。
もののけ姫ではヤックルやシシ神が赤毛ヒロインだけど、
ケモナーなのはホームズの頃からだよな。
ケモナーでロリコンでミリオタかー・・・性癖のデパートやww
アニメ監督てのは業が深いほど引き出しが増えるのだろうかww
イカは美味しいもんなー。オープニングにもイカやクジラが描かれる。
イカはやたら眼が良くて体を光らせて信号を送る。
フジモトも光るイカを見てライトで信号を返してたけど。
グランマンマーレ「会いに行くわ」
フジモト「了解、航海の無事を祈る」とかそういうやりとりだろうか。
ポニョの両親も、そうすけの両親も、イカやライト、光の明滅信号で通信するんだね。
無線、音波は結局通じなかったなーそういや。
所ジョージがブリュンヒルデと言うだけでもうなんかおかしくてダメww
フジモトがブリュンヒルデ()に食べさせようとしてる緑色のやつは、ニガダンゴみたいなもんだろうか。デトックスの薬。
フジモトの命の水はたぶん万能の霊薬だ。
ヨシエさんやトキさん達の足を治したのもあの薬だろうな。
ニガダンゴ以上のアイテムだ。
薬師、錬金術師、魔術師、悪い魔法使いとして、結構有能だよなーフジモト。
グランマンマーレとカップリングできるだけある。
でも所詮道化だから、人の時代を終わらせるなんてことはできないww
フジモトの部屋の、井戸の部屋のドアには1907と書いてあって、部屋の中の瓶にも1950とか1871とあって、これは西暦かなーと思うけど。
ドアの上にPANGEAとあるのは、これはパンゲア大陸、プレートテクトニクスで別れる前の太古のひとつの大陸のことか。
人類が生まれるずっと前、海の時代に時を戻そうというなら、そんなことも書くかもなあ。
水を操作するタロットの節制の場面でもあるけど。
天気の子でたくさんの晴れ女が空の魚になったというイメージと重なってゾクっとしたww
水の魚、てのはポニョと天気の子と、海獣の子供でも共通するイメージなんだよな。
魚座の時代から水瓶座の時代へ、というスピなネタではないかと思うけど。
なんか岬の上に灯篭があるなぁ。
海神様か何か祀ってあって、なにかの干渉を受けて落ちたんだろーか。どうでもいいけど。
赤ちゃんのごはんが母乳なことは知らなかったんだな。
だからお母さんがスープを飲んだら「赤ちゃんのー!」となる。
お魚は卵で生まれるからな。
哺乳類の赤ちゃんは母乳飲んで抱っこされて育つ。
人間になるならそれは知っておかないとね~。
その次のトンネルとか津波とか結構不穏で怖い雰囲気だよなー。
しかし流石に記事3つも書いたらもうネタがないな…。
https://inspiration.hateblo.jp/archive/category/崖の上のポニョ
でもフジモトを選ぶかトキさんを選ぶかの意味は、やっぱり大事だよな。
あそこでフジモトを選ぶと、人の時代は終わるんだろう。人類滅亡ルートに入る。
審判の天使グランマンマーレは美しいな~。あの波打つ髪ステキだ…。
灯台の家の明かりを「耕一の分も食べちゃお」でリサが全部つけて、
グランマンマーレが「おやすみなさい子供たち」の一撫でで全部消すという対比も意味ありげ。
前半は光で通信して、
無線やラジオ、音は通じないってのもなんだろうなぁ。
ポニョは宮崎駿作品のなかで最もスケールがでかい話だよな。
トトロや千と千尋のようにあの世とちょっと行き来するってんじゃなくて、
命の水の井戸が溢れて、世界がほころびて、海が、あの世の蓋が開いて、なだれ込んでくる。
世界のルールが混沌とする。
そして、新世界の在り方が決まる。
決めるのは、そうすけだ。
リサのような人が育ててる、繊細で優れた子供。レインボーチルドレンとかだ。
呼んでいる胸のどこか奥で いつも心躍る夢を見たい
悲しみは数えきれないけれど その向こうできっとあなたに会える
繰り返すあやまちのそのたび 人はただ青い空の青さを知る
果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける
さよならのときの静かな胸 ゼロになるからだが耳を澄ませる
生きている不思議死んでいく不思議 花も風も街もみんなおなじ
呼んでいる胸のどこか奥で いつも何度でも夢を描こう
かなしみの数を言い尽くすより 同じくちびるでそっとうたおう
閉じていく思い出のそのなかにいつも忘れたくないささやきを聞く
こなごなに砕かれた鏡の上にも 新しい景色が映される
はじまりの朝の静かな窓 ゼロになるからだ充たされてゆけ
海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
千と千尋からひとつテーマを抽出すると「外でなく、内に求めよ」ってことがあるんでないかと思う。
千尋もハクも、湯バーバに名をとられるけども。
湯バーバから、名前を取り戻したりしないじゃん?
名前はただ、思い出すんだよね。
湯バーバという他者から取り返すんじゃなくて、自分の中に見つける。
そういうことだと思うわけ。そこが優れてて本質的だと思うわけだ。
名、というのは、最も基本的で力ある魔法のひとつだ。
存在を観測し、確定する。創造の魔法だ。
ある存在から名を奪う、ってのはどういうことか。
それは言葉通りだとすれば存在の剥奪に等しい、ほぼ不可能の大魔術だ。
名を解呪する、解き放つ、のほうがまだ解る。
が、それもソフィ、魔女以上の天使のわざ、魔法以上の奇跡だ。
衰えた魔女湯バーバには無理。
湯バーバのあれ、契約書から字がふわ~っと浮いて握るとか、
「今からお前は千だよ、わかったら返事をするんだ千!」
っていうのは、暗示だ。
対象の認識を妨害する催眠暗示。認識の阻害と洗脳だ。
それと名前の追加。
それなら話は簡単だ。
忘れてるだけ、忘れさせられてるだけだから、思い出すことができる。
それだけでいい。自分だけでいい。湯バーバとの関係性をどうこうしなくていい。
呼んでいる胸のどこか奥で、
主語は誰か、誰が呼ぶのか。それは自分自身の内なる声だ。ってことになるというか。
で、この歌で他者を示すのは、
その向こうであなたに会える
ってところで、それがあるからあなたって誰だろう、死に別れてしまった人かな、とか思うんだけど。
そこはもっと意味を広く解釈していいと思うんだよね~。
かなしみやあやまち、過ぎたことを思うのをやめて、
今を生きるとき、過去(陰)と未来(陽)のあいだ、今、ゼロ、をちゃんと感じて生きていれば、
いつか、会うべき時に会うべき人に会えるでしょう、みたいな。
それは恋人か、伴侶か、子供か、ビジネスパートナーか、もちろん死に別れた人でもいいわけだ。
神の住まう川を潰してマンションを建てたとか、名のある川をゴミまみれにしたとか、
クソみたいなあやまち、環境破壊、人類の悪行、業、それすらも湯屋での不思議な縁につながったわけで。
こなごなに砕かれた鏡の上にも 新しい景色が映される
ほんと、ハクも名のある川の主も、祟り神にならず再生、復活してくれたのは尊い物語だと思う。
そういうとこにも、もののけ姫でタタリ神になり神殺しされたものたちへの救済がある。
ナゴノカミや乙事主やモロやシシ神の非業を、竜たちが昇華している。
誰も死んでないし悲しみもあやまちもそんなでもない物語の千と千尋で、
こういう重めの歌詞を採用してるのは、もののけ姫からテーマがつながってるからかもな~。
やっぱ駿も心情的に、神殺しのやりっぱなしはできなかったのかと思う。
千と千尋は、心情的に軽やかな物語だ。
疲れやケガレを湯屋で癒してさっぱりして、ノスタルジックな海原電車で異界の遠くへと旅をする。
それは清めと葬送でもある。
千尋が連れて行ったのは坊ネズミとハエドリとカオナシだけど、
最初からずっと千尋は、前作の神々も連れていたんだろうね。イメージ的に。
6つ目の駅、人影がすべて降りてしまうほど遠くまで行くのはそれでかもな~。
神々が去るのは、きっとそのくらい遠いところだ。お見送りだ。
そっか~。それで主題歌がいつも何度でもなんだな。
いのちの名前も、主題歌でいいような曲なんだけど、
もののけ姫からの流れを考えると、いつも何度でものほうがいいなあ。
花も風も街も神々も、死んでいく不思議。
神殺し、環境の開発と破壊、ど~しようもない人の業。
あやまちとかなしみ、黄泉へ赴き、その清めと葬送をする。
過去とさよならができて、ゼロになれると解釈してもいいということになってもうたww
意外と中盤が重い歌詞な理由はそれでいいけど、
最初と頭の解釈は「外でなく内に求めよ」でいく。
果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける
はじまりの朝の静かな窓 ゼロになるからだ充たされてゆけ
海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
えーとね、
魔女宅のやさしさに包まれたならもすごく良い歌なんだけど、
優しい気持ちで目覚めた朝は、とか
カーテンを開いて、とか似たイメージの歌詞だ。
駿の作品にはどれもトンネルの表現がでてくるけど。
カーテンを開いて、とか、窓、というのもそうなんだな。
ある世界と世界の、接点。ゲート。扉。そういうものだ。どこでもドアみたいなもん。
この世→トンネル→あの世。 とか。
人里→トンネル→森。とか。
外の世界→トンネル→内面の世界。とか。
物質の世界→トンネル→精神の世界。とか。
歌では、窓の外の世界は、朝の光のような世界だ。静かで優しい。
果てしなく続く道の先とか、海の彼方とか、
人は、求めるものは遠くにあると思いがちだ。
静けさや優しさ、ひかり、魂のやすらぎ、本当の幸い、愛、そういうもの。
本当の名や、自分自身の中心、内なる神、そういうもの。
それは、遠いと思えば遠ざかるものだ。
そう思ってしまえば、そうなる。どこまで追い求めても掴めないものということになる。
外にあると思えば、どこまでもが果てなく外だ。
宇宙のすべてを手中にしてもまだ外がある。厖大過ぎるというものだ。人のキャパでは処理落ちする。
内に求めるほうが早いし、本質的だ。そこにも結局同じものがある。
ゼロとか、無限とか、空とか、神秘とか、混元とか。そういうものだ。
それは、どこまでも静かで優しいひかり。朝靄のイメージに似ていると自分も思う。
そこへ至るには、窓をあければいいだけなんだよな。
比喩にするしかないんだけどそういう感じだ。
この有限の世界のすべて→窓→無限・ゼロ・空
そんな感じなんだよ。からだとこころをゼロにして耳を澄ませば、
それは、そこにある。いつでもそこにあった。そーゆ―感じがする。
まあ、個人的な妄想ない証明があるとすれば、
この頭のスッキリ感といつまでも駄文を書き続けられるインスピだけなんだがww
しかしまあ、個人に内在する真実てのはそんなもんでないかな。
外へ証明できるもんでもない。ただ詩やうたや、物語やアートになって訪れるだけだ。
とか言うよね。音が近い、意味が近い。
もののけ姫では、矢を射かけるわ爆破するわ鉄砲撃つわで、
そりゃー
神も鏡もこなごなに砕けようというものだ…。
こなごなに砕かれた鏡の上にも、新しい景色が映される。
神殺しのもののけ姫のあとだから、千と千尋は清めと葬送の場面がある物語になったんだよな。
元気そうで良かった
気付いたらハウルスレが落ちててしばらく探してたよー
久々にポニョを見たら、昔に見た時と違ってとても楽しめた
たぶんハウルスレで考察してたから見方が変わってきたんだと思う
あとはあの頃より多少は大人になったからか…どっちもかw
ありがとう
ありがとうございます。お久しぶりです。
やっぱ金ローで毎年ジブリいいと思うなぁ。
人の認識や心が変われば、物語に新しい意味を見ることができるもの。
ジブリ作品は特にメタファーの凝縮みたいなとこあるから、なおさらだ。
詩のように多様な解釈の余地がある。
またかよとか変わり映えしないとか芸がないとか言ってる人は、
ウン年前から成長しない己の頭の方をこそ嘆くべきwww
人間、年取ると俳句とか詩吟とか、そーゆー趣味に目覚めたりするけど、
人生の酸いも甘いも噛み分けてこそ、意味が沁みてくることってあるわけで。
まあ子供でもトトロとか夢中で見るけど。
大人になってもカーテンを開いて奇跡を起こしていける、ひかりを抱ける。
そんな気がしてくる金曜ロードショーでジブリ。
ラピュタも録画スタンバイしてるし、またぼちぼち書くんで、4スレ目もよろしくオナシャス!
てーと夏目友人帳ってのがあるな。
あやかしと勝負して負かして、友人帳に名を連ねさせて友人ていうか子分にする。
そんなんだったっけ。
夏目のばーちゃんレイコさんは湯バーバと同じだなwww
あれのあやかし達は名前を返してもらいにくる、というか契約の破棄を求めてくる。
あー。千尋も契約書は湯バーバが持ってたな。
名を忘れさせるのは暗示だが、
雇用契約の破棄ていうはまた別の話なんだろう。
名を忘れると帰り道がわからなくなるという。
自分が何者か忘れたら、来たところ帰るところもわからなくなるんだろう。
そうやって、退路を絶って、行く宛のない弱い立場にさせてから雇用契約をするんだな。ブラック企業だぜぇ…。給料出てんのかねぇ…。
嫁に頼る実家がないとわかって威張りだすモラハラ夫みたいな。どんな例えだw
橋の上で「時間を稼ぐ」でフーッと吹いたら手からウロコがキラキラ~とか、
壁ドンからのダッシュで町、味噌蔵冷凍庫畜舎、橋、庭までの一連の流れほんとカッコイイ。惚れるしかない。
庭へのくぐり戸を素早くくぐって閉める動きが何故かツボで何回も見てしまうwww
千尋があの階段降りてくとことか、カマジイの影が何重にもゆらゆらしてるとことか、
ほんと目が離せない面白さ。
解釈とかでない動きの魅せ方がほんとすごいよな…。すごいとしか言えないから書くネタにならんのだがw
素晴らしい作品をつくる人は、その人柄も素晴らしいだろうと思っていた時期が自分にもありました。
でも、そうじゃないんだな。みんなただの人間だし、天才ほどアンバランスだったりするものだ。
ジブリの天才監督も、私人としては偏屈親父だ。
パヨクでパヤオとか呼ばれてるし、息子の子育てにもかなり問題がある。
お釈迦様だって、シッダルタ王子時代には妻とイチャイチャしたから子供だってできたんだろーに、
その子供にラーフラ(障害)とかいう、悪魔くんか光宙かというレジェンドクラスの超DQNネームをつけて、
妻子も王族の責務も放り出して出奔する。トンズラもいいとこだ。
彼らの作品や教えは何世紀も色褪せない優れたインスピレーションの結晶、人類の宝だけど、
彼らとリアルでお付き合いしたいとは思わない。
周囲の人達は振り回されて大変だったろーなと思う。
SKY-HIも役を降りれば、ただの日高光啓くんだと思うな。
救世主やアーティストてのは彼が創りだしたペルソナ、仮面なんだ。
ピリアだってパソコンを閉じたリアルでは鬱々とした理屈ぽいオタクだしー。
ちょっと例えのスケールの振り幅があり過ぎるがwww
でもまぁ逆に言えば、
自分のことを、なーんの取り柄もないグズグズした凡人だとか思ってる誰かでも、
求めるものがあって、その道を行く時の自分を役として創りあげるなら、
その時だけは、素晴らしい何者かになって、素晴らしい何かを創造していい。できる。
それが 役 という魔法だ。
新たな役を創造してもいいし、
制服を着る既存の役に入って、職業倫理を通じて道を求めてもいい。
親とかも役だ、子の前では模範となるような理想を演じていい。
そしてそのハイヤーな役、ペルソナと、
私人としての素の自分、
昼の顔と、夜の顔。陽の姿と陰の姿があるといい。
だからまー、あんまり偶像に理想を投影しないほうがイイヨっていう。
みんな愚かで愛しい、ただの人間なんだよ。
サイコホラー感と蝶的な美しさの演出がいい…。アニメ最高や…。
声付きだと漫画より心情がわかるなー。
ニコニコしてるけどほんとはおこなんだよね。
最新刊のショックが癒される…。
累も鬼の中では好きなほう。デザインがいい。
累、糸、絆、かぁ。
係累、縁、そういう名前だ。で蜘蛛で糸。
鬼滅は言葉が選びぬかれてる感あるよなー。
ヒノカミとか。ヒ、日と霊。炎とは違うとか。
ヒノカミ神楽と水の呼吸、両方使える炭治郎の名前にも火とさんずい、火と水の両方がある。
滅の字にも火と水の両方がある。
気が滅入るからだ。
白人と文明による熱帯雨林の大規模な開発に、
呪術師クマリは精霊を使役する呪術、呪いで復讐をする。
対抗ではない、復讐だ。最初から勝ち目はない。
アバターの負け戦版だ。
アバターでは、聖樹エイワのネットワークと動物達と先住民の総力を挙げて、
資源を掘り起こしに来たインベーダー、地球人を撃退するが、
地球上で、先住民が侵略者を追い返せた例は稀だ。
神々や精霊と共に生きる古い民は、みんな駆逐された。
自ら神殺しを行い、環境を開発した民族だけが、今繁栄を謳歌している。
魔女クマリの呪いは先遣の兵には効くけど、
後方で采配している将や長には届かない。
白人の文明に寝返った呪術師パブロ、
パブロてのがもうスペイン系の名前だが、
「ここは森ではなくなる」
「どの道も行きつく先は同じ」
熱帯雨林は焼き払われ、換金価値の高い作物や牛の牧場になる。
そんな話だ。
気が滅入る。どうしようもない。
繰り返すあやまちのその度 人はただ青い空の青さを知る だ。
いつも何度でもで歌われる過ちてのは、こういう事のことだろう。
森という森を焼き尽くすまで、神殺しは終わらないのだろうか。
今ごろ湯屋は拠り所を失った神々で満員御礼か?
いやアマゾンの神々は湯屋には行かないだろうけど。
なにか祈りや清めや葬送、弔い(クアルプ)が必要になるだろう。
こなごなに砕かれた鏡の上にも 新しい景色が映される
鏡が砕けるのは何か運命か確定事項みたいな事で、どうしようもないことなのかなぁ。
悲しいやら滅入るやらヘビーやらで、やめてほしいぜ…。
まぁ、いつでも救えるのはまず、自分の世界だけだ。
そこから始めよう。
今日もレッツクリーニング。
リンクドホライズンの進撃の凱旋公演きてるやん。
おおミュトスさん嬉しーありがとー!
おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
またしょーこりもなくスレたてました。
いい加減そろそろ優しくなりたい、
自他を越えた5次元へ至りたい4スレ目。
ぼちぼちよろしくオナシャス。
天デ部で、ロブスターとかウニとかベニクラゲとか、寿命がない生き物のネタをやって、
「老化というのは種が生き延びるための戦略のひとつ」
老化と死が、世代交代と多様性になると説明する。それは祝福だと言う。
宝石の国では、宝石達や月人は不老不死だ。
月人達は生に倦みきって、無を望む。
宝石達はメンタルをやられていく。
えーと宝石の国では、地球が6回滅びかけて、
にんげんだったものが肉と骨と魂の3つにわかれた。
肉がクラゲ人みたいなアドミラビリス族で
魂が月人達で、骨が宝石達。
老化や世代交代のあるアドミラビリス族は、
地球そのものが食糧難のため種として存続が困難。
月人は精神体みたいなもんで食事不要で、
宝石達は光合成でいい。
月人と宝石、感情や文化をもつ高度な知性体の彼らは長過ぎる時間の中でメンヘラ化していく。
月人は果てない時間に飽きる。
宝石達は過ちや喪失を忘れられない。記憶に押しつぶされる。
宝石の国を見てると死は祝福というのもあながちだな~という気がしてくるww
死ねないのもなかなか大変そうだ。
宝石達なんか砕けても繋げば再生するせいで「なにごとも諦められない」心情的に死者とお別れすることができない。
パーツが揃わなきゃ再生できないのに、それが死ですらない。
にんげんのように精神と肉体と魂の三位一体でなく、
体そのものが存在そのものだ。
死者の魂がなんとかという思想をもてない。
220年バラバラのまま埋められてほっとかれたのに、死んでない。
繋げは再生する。そして「どうかご慈悲を、もう疲れ果てました。」と言うところから、
バラバラにされて埋められてる間も、
なにがしか意識があって、なにごとか考え続けていたものと思われる。なかなかに惨い。
誰もいない何もできない、
いつ終わるとも知れない暗闇の中で、
思うことをやめることもできないとは…。
そうなると、死や無は、慈悲で祝福ということになろうというものだ。
ロブスターやクラゲやウニだったら平気なんだろうけどね~。
複雑な知性体じゃないから。
新米天使に老化の意味をデザイン部のみんなが教えてくれる。
「僕・・・、先日初めて老化しない生き物を見て、それはすごく良いことのようで、
僕はずっと生き物には老化が定められてるんだと思ってました」
で、ロブスターやウニには老化がなく、200年とかいつまででも生きてる例を紹介する。
サメとかも約400年生きてる個体がいるってニュースでやってたな。ニシオンデンザメ。
507歳のアイスランド貝とかもニュースで見たことがある。
で、老化する種と、老化しない種と、どっちが生存に有利かシミュレートしてくれる。
老化しない種は幼い小さい個体から天敵に食べられて、
大きな成体ばかりになると遺伝的多様性がなくなり、病気や環境の変化に適応できない。
交配して世代交代することで多様性が得られる。
新米天使は「不老は絶滅を呼ぶんですね・・・」で納得する。
新米天使に老化の意味をデザイン部のみんなが教えてくれる。
「僕・・・、先日初めて老化しない生き物を見て、それはすごく良いことのようで、
僕はずっと生き物には老化が定められてるんだと思ってました」
で、ロブスターやウニには老化がなく、200年とかいつまででも生きてる例を紹介する。
サメとかも約400年生きてる個体がいるってニュースでやってたな。ニシオンデンザメ。
507歳のアイスランド貝とかもニュースで見たことがある。
で、老化する種と、老化しない種と、どっちが生存に有利かシミュレートしてくれる。
老化しない種は幼い小さい個体から天敵に食べられて、
大きな成体ばかりになると遺伝的多様性がなくなり、病気や環境の変化に適応できない。
交配して世代交代することで多様性が得られる。
新米天使は「不老は絶滅を呼ぶんですね・・・」で納得する。
成体が弱ると、幼体に戻る。
作りが単純で変態能力があるところから、
通常の細胞を未分化の幹細胞に変化させられるとかなんとか。
それぞれ、個体の命は長くても種として数が増えすぎないようになってるとか。
それで、天デ部は動物の話が主なんだけど、植物だったらもっと長生きもあるあるだ。
千年単位もいける。縄文杉も4000年とかいけるし、世界最高で推定4600歳のメタセコイアがあるらしい。
なんとなく、シンプルなものほど長生きもできるという法則がありそうだ。
石や水にはもう寿命はない。まあ、生き物でもないけどw
宝石がもし生き物になれば不老不死かもってのはそういうイメージではある。
月人の正体が明かされてからずっと思ってたんだけど、
あいつら見た目は仏教の天人風のありがたそーな姿なのに、中身が意識低い系過ぎるww
月の為政者「この国の決定には、皆が感情的に理解できる低俗な理由と、目新しい息抜きが同時に必要だ。」
愚民ってことですね解りますwwwwずーっと頭の中がゴシップでいっぱいwww
なんぼワイドショーが好きでも、そればっかり何百年単位じゃ飽きも倦みもする。当然だ。
飽きて無になりたい、というならなればいい。それだけなのに、
月人達のやることは、大昔に作りだしたそのための装置、金剛先生を起動させようとすることだけだ。
金剛地蔵菩薩が起動すれば、月人たちは再生不可能まで分解されて無になることができるという。
つまり、他力本願だ。自助努力というものがない。
「誰の祈りも得られなかったクズの成れの果て」とか自虐してるけど、そういうところだぞ。
月人は魂の変容体で、祈ることで魂は分解され、無と安寧へ至ることができるらしい。
つまり成仏できない彼岸へ行けない、浮遊霊みたいなもんなんだね。
にんげんという種族がいなくなった世界は、輪廻の輪が失われた世界だ。
月人たちは浮遊霊のまま、人間に転生して功徳を積むこともない。
肉体をもって成長する機会が著しく失われているっていうかね。
成仏すること、解脱することは、他者や菩薩や神様におんぶにだっこでできるよーなことではない。
そこんとこの根本的な心得違いってやつには、気が付く以外にはない、と思うね。
月人たちは、金剛さえどーにかすれば救われるはずなんだと、
宝石達を浚って砕くとか外道な策を弄してウダウダしてる時間で、
自分達の祈りの力を目覚めさせるべく、なんかの努力をすべきだ。
本とか読め。ゴシップを断て。機械いじりも置いといて、
誰かのせいにするのをやめて、自分を見つめて、
執着を手放せ。内省とか瞑想とかしろ。
そしてみんなで心を合わせて祈ればいいはずだ。
それで望み通り、安寧と無、消滅と回帰へ至ることができるはずだ。
飢えないし長寿だし病気もないし、月人に浚われる以外の死因がない。死を知らない。
最年長のイエローダイヤモンドが3500歳とかで、作中でも何百年か経ってるけど。
なんていうのかな~。最新刊でイエローが重度鬱状態になる。
過去の変形が止まらないとか、自責や孤独に耐えられないということだけど。
なんていうのか、その辺が宝石達の寿命の尽きるところのような気もする。
石の体の限界はまだ先があるかもしれないけど、
感情や記憶や思考、精神や人格の限界としてはなぁ~。
もし、自分たちの肉体に永遠、不老不死が与えられたとして、と考えてみてもなー。
過去を悔いるよーな精神構造、意識の次元の段階では、数百年と保たないと思う。
植物のような長寿に耐えるには、植物のような心がいるんだよなあ。植物は二次元だけど。
シンプルに、ただあるがままに、偉大な心でないと、縄文杉のような4000年とかの時に耐えられない。
神様ってのも、高位高次元なほどそういう感じになる。
シシ神は一言も話さないし、名のある川の主も「善き哉」の一言だけだ。
ぺらぺら喋りだすような、移ろいやすい心を持ってない。
次元の低位と高位は、フィーリングが似てくる。それはどちらも無と安寧、空や0に近いからだ。
高位の神様は水や石、海や山のような心を持っている、と言ってもいいかもしれない。
宝石達は個性豊かでみんなどこかしらメンヘラの素質があるけどww
そういう心、静かな木石のような心をあらためて得るよう努めれば、宝石の心と体の尽きるまで生きられるかもな。
フォスの願いや幸せはよくわからんけど、とにかく彼は疑問を持ち願いを持ち作中で変化し続けた。
宝石の身体を何度も欠損し、金属や貝や他の宝石の頭や月の人工水晶を継ぎ接ぎしてきた。
フォスひとりで七宝が揃うという考察があるけど、そうだろうな。
アドミラビリスと月人、肉と魂を得て、かつて分かたれたにんげんの要素を揃えたわけでもある。
そして他者を受け容れ、同化し、変化することは、
なにも食べず、触れ合うこともなく、交配して子を産むこともない、
すごく独立してるというか自己完結してる生態の宝石達のなかでは、ひときわ特異だ。
同じく世代交代もなく倦んで停滞したままの月人達と比べても特異。
あ、カンゴームは自分の中の他者を削ぎ落とすことで変化したな。それも対照的だ。
バッドエンドフラグが乱立する宝石の国をハッピーエンドにできるテーマがあるとすれば、
諸行無常、生々流転、「変化することを受け入れること」でないかな・・・。
宝石達は、死ぬということ、諦めるということを知るほかない。
月人達は、自分でやるしかないってことに、気がつくしかない。
石であってもいずれは尽きる。摩耗して砂になる。
散り散りになった意識と心は、星に還っていくんだみたいな、
宝石という種族にもそういう死と安らぎの思想が必要だと思う。
・・・・あああアンタークにはもう会えないんだなやっぱりな。アンターク・・・。
っていうか、そんなテーマではやはりハッピーな感じにはならんかもー。
でも、一回でいいから誰か月人達にキレてほしいww自分でやれお前ら!ってなww
この星は六度流星が訪れ 六度欠けて 六個の月を生み 痩せ衰え
陸がひとつの浜辺しかなくなったとき すべての生物は 海へ逃げ
っていう設定こわいよなwwそんな未来いやだww
まあ、星の寿命すらいつかは尽きるものではあるが。
衰えて多様な生命種を維持できなくなった星は、
光だけで維持できる、ローコストな石の知生体を生み出す。
っていうのがなんかSFロマンでイイ。
オートモービルのカラーリング、ホームズで見たのとそっくりやw
選ばれたものにしか似合わない白スーツがセンスある着こなしw
ドーラ趣味いいなぁ~
ラピュタ楽しいwwwわくわくするww
結晶の力がキツイんだな。
耳が良すぎると、騒音に耐え難くなる。
長所となりえぬ短所はなく、
短所になりえぬ長所はない。
なまじ良いアンテナがあると、
ちょっと強く電波を送られたら、たちまちめいっぱい受信してしまう。
感覚の鋭さというのは、時として傷つきやすさになる。
長の器とは言い難い乱心キャラや。
天気の子の退職金が五万てのがオマージュって話があったな。
ていうか五十歳なのかー。
シータをパズーに渡してええ奴やってなってからの
ロボォォォ!
悲しい!
火に包まれる要塞からの、
青空での曲芸飛行という切り替えの良さよ。
まったくいつまでたっても子供なんだから…、とドーラが愚痴るけど、
それ多分ドーラさんの魔女なパゥワーのせいです…。
CGにも超作画にも慣れてるけど、それでもすげぇ。
雲の中に雷の竜がいるけど、
なんか天気の子に似てる描写だな。
超自然の具現て感じ
滅びた超科学都市を自然が呑み込んでるのを、肯定的に表現してる。
ロムスカ パロ ウル ラピュタかぁ。
ウルが王、トゥエルが真の。トゥルー、true、かな。
パロは、パロディみたいな語感だ。福王か、偽の王か、そんな感じを受ける。
立体映像だ。そんで落とし穴だ。
うーん。これは父性と対決して勝利したとは言えないな…。
猿もびっくりの握力膂力w
シータの啖呵かっけー
植物もなー。
あのドームの中は自動で空調ありますとかでなんとかなるかなぁ。
良く見てなんか気がついたら書くわww
キキと一緒のカラーリングだ。
炭鉱の町の回もあったし。
カラーリングにセンスはあるけど、
息子に白スーツを着せる母。七五三かよっていうなんていうの。
ルイ、シャルル、アンリ、息子達は自分で服を選んではいないね。
地底の町。地の底に降りる。
そして空へ、天空の城かあ。
対比があるなあ~。
一族の秘密の名前だろ…?
特務の調査力ってもシータ以外にそれを知ってそうな亡くなってるし、
何かに書いておくってこともない気がするけど。
まぁ、いっか。
ムスカの一族は当主がみんな
ロ◯◯◯ パロ ウル ラピュタ
という法則でついてて、
シータの一族はみんな
ル◯◯◯ トエル ウル ラピュタ
ってことなら記録があっておかしくない。自己解決。
はいモウロク、耄碌ってことですねww
名探偵ホームズの、海底の財宝という回で海底の財宝をサルベージする大佐という人(犬?)と、海軍の艦隊司令官が登場する。
大佐と司令官は双子だ。そっくりというか同一人物的、
声も同じ永井一郎だ。モウロ将軍もそう。
ホームズ見てるとき、お、駿が父性なキャラを描けるのか?と思って見てたけど、
全然だったねw
部下はみんなモブ。忠義キャラはいない。
大佐も司令官も慕われるような人物ではない。
采配も「撃てー撃ちまくれー!」てなもんだ。
で、部下はほっといて財宝に執着する。
つまり、長であること、下の者との関係性の描写が、まるごとない。
カリスマで従えているとか、慕われているとか、抑圧してるとか、なんでもいいのに、なんもない。
ドーラと息子の関係性は色々読み取れる描写、小ネタがいっぱいなのにw
モウロ将軍の部下たちは、我先に突撃して金目のものを集める。
規律もクソもない、およそ軍隊じゃねーよそんなもん。
だって早いもん勝ちで獲っても懐に入るわけなくね?
出来高払いの傭兵じゃない、軍隊てことは国の正規部隊で、
色んな保障がある代わりに国の看板やメンツを背負ってるわけでもある。
作戦行動中に私的な利益が得られるわけないと、そういうもんだと思うけどな~。
装備は行き届いて金かかってそうだし。
なら規律もな、あんまり乱れてちゃちぐはぐなんだ。
ほんとはねw
目玉焼きにはクレイジーソルトと醤油を少々派。
小さい青いりんごは売ってないからなー。
ムスカって元々目が弱い?
サングラスは視線を隠す意味もあるけど、保護もあるのかなぁ。
なんかああいう目の色が薄いキャラって駿作品では珍しいような。
ロードエルメロイ二世でこんな語りが。
その未熟さこそが覇道の兆しだと言ってくれた相手がいた。
「彼方にこそ栄えあり自分の手に収まらない埒外を目指しているからこそ足掻いているのだと。いずれ否が応でも自分の進む道を見出してしまう」
これフォスがそんな感じだな。
ひときわ脆く、不器用で何の仕事も満足にできない子。役立たずのフォス。で、減らず口と度胸だけはある。
僕にしかできないすごいことがしたい。
フォスの願いはこんな感じではないだろうか。
何にもできなかったはずの最年少のフォスが、その願いの大きさだけで数々のスキルを得て波乱を呼ぶ。
何千年も変わらなかった月人と宝石達の関係を劇的に変えてしまう。
パラメーターのアンバランスさが、得ていくものの大きさになる。
天才ほど変人でもあり、
足りないから、求めていける…。わけではあるが。
変化は常に好ましいものとは限らない。
フォスなー、ちょっとなんていうか、
芯の強さが足りないよな。場当たり的にしか行動しない。
末っ子気質とはそういうものだろうか…。
あの小動物たちも七百年ラピュタが竜の巣のなか、風の壁のなかにいたから、
外へ出られなかったということでもあるな。
ずっとあそこで繁殖し世代交代してきた。
閉じた系だったラピュタが、封印を解かれたことで雲が晴れ、開いた系になった。
ヒタキならすぐ脱出すればワンチャン。
いや、ナワバリがあるからなw卵もあるし。
天気の子で気象の学者が、空には空の、まだ未知の生態系があると言ってた。
レーダーに空の魚や雲の竜が写ったのか。
空には空の世界があって、ラピュタの小動物達はそこであらたな形質を獲得していけるチャンスを得たわけでもある。
適応は困難かもしれないが、小動物は世代交代のサイクルも早いからな。
ドームの空調が生きていれば、安全な巣を確保しながら、環境に適応して進化する時間を稼げる。
うーん…。無理がある…。
でもまあファンタジーなんだから、そういう解釈でもいいじゃないw
バルスされたのは下部だけ説とか、
あのロボはエラーしてた説とか。
機械、ロボの製造にもエラーやイレギュラーはあって、
命令系統から外れてたからバルスも効かなかったというのは、好きな説だ。
イレギュラー、異分子は新たな可能性でもある。
低酸素だけなら、ハダカデバネズミとか地底の生き物が適応してる。
寒さは脂肪と毛皮でなんとかできる。
水と食料か。ならラピュタは結構広いけど。
植物には森林限界が…、いやそれならそもそも天空の城が森になるのはなんでだ。
にわか知識ではどうもならんなw
シンプルなものを美味しく食べるには、素材をちょっといいものにするに限る。
国産小麦に天然酵母とか使ってそうなイイ感じのパン屋で買った4枚切りのパン、
卵も平飼い鶏のやつにした。
ここまで来たらサラダ油などではなく、
鉄のフライパンをしっかり温めてから、オリーブオイルだ。
蓋をして弱めの火で五分で完璧。
クレソル振って黄身をつついて醤油をたらす。
それでパーフェクトにウマイ。
マヨネーズなど必要ない。
パンも卵も4回分はある。しあわせ~。
気持ち迅り過ぎたww
そうねぇ。ヤメロ祭りねぇ。
それはいわば、
ムスカをバズーカで撃って阻止しようとするような行為ではないかなぁ。
シータはムスカと戦わない。
ムスカが悪用しようとするラピュタそのものをバルスする。
必要なのは熱狂に参加することではない。
誰かと争うことではない。
自分の本当にやるべきことは何かってことだ。
アジテーターにノせられて活動を始めると、
辞め時が分かんなくなると思うなぁ。
闘争のための闘争になる。
薬害エイズ問題に関わった小林よしのりのエッセイが面白い。
小林よしのりは、薬害エイズ問題で、既得権益を貪る腐敗した権力者に憤った。
その不正を看破した漫画を描いた。
なにしろ小林よしのりの漫画は熱量とか勢いがあるw
訴える力が強い。当時は若いファンも多かった。
たちまち正義の心に燃えるフォロワーが集まった。
そして活動は拡大し、薬害エイズ問題は裁判で一応の決着を見た。
でも、そこからだ。
集まってきたフォロワー達が活動を辞めないんだと。
いつまでも正義の行使、団結の興奮を味わいたがって、
いつまでも問題を再燃させ、敵を倒し続けたがる。
小林よしのりは、自分で火をつけたフォロワー達の面倒をみてられなくなって、
青年よ!日常に帰れ!と改めて漫画を書いた。
でも結局、そこから活動家になってしまった青年も多かったらしい。
活動家ってのは、いつでも次に噛み付く相手を探してるようなところがある。
いくつもの活動を兼任してる。
どこのデモでもプラカード持ってる人がいる。
そうなるともう、抗い、戦い、打倒するという手段のほうが目的になってしまってる。
戦うのなら自分の理由で戦わないと、辞め時がわからなくなる。
こないだ完結した天竺熱風録より
「戦火とはまことに御し難き炎です。おこすことは容易く、鎮めることは難しい。」
実際、将の器、ドンパチを起こす器の人間てのは、
もうほんとに最初から、どこが落しどころか、どこが手の打ちどころか、
分水嶺は、引き際は、どこなのか。
全体の成り行き、戦後処理の方をずーっと考えてないと務まらない。
熱狂が味わいたいだけなら、激しいスポーツをやるか、祭りで神輿でも担ぐほうが、ずっと健康なリビドーの解放の仕方だ。
そういう荒事の経験がある人ほど、退くべき時の勘も持ってるしね。
祭りも反対も活動も、慣れない人がいきなりやると、どハマりしてアブナイww
ただの喧嘩が殺し合いになるまで収まらなくなる。
ラピュタで鉱山の親方とドーラ一家が殴り合いの乱闘になるけど、
荒事に慣れた男達は、致命傷にならない殴り加減というものを知っている。
口喧嘩もしたことないモヤシほど、いきなりキレて刃物を持ち出したりする。加減を知らない。
ネット弁慶諸兄は掲示板に罵詈雑言を書きなぐるくらいでスッキリして、
エスカレートしてプラカード持ちに行ったりすんなよw
内に求めることと、外に向かっていくこと、両方いるわけではあるか。
一国の王子が、どこまでも内なる完成を目指したところ、一族郎党が国を失った例があるな。
シッダルタ王子が出家した結果、シャカ族は国を追われることになった、と言えないこともないわけで。
共同体を維持しようとするならば、どこかにとるべきバランス、越えちゃいけないラインはあるなあ。
しかし支配者や扇動者に従うのであれば、捨て駒にされても文句は言えないからな。
自分が何を許せないのか、自分の命を使う時と場所は、自分だけで決めないと、バルスは力ある言葉にはならないだろう。
これはもう少し考えよう。
まあ、そう見れんこともないな。
陽菜、帆高、凪 の名前から考えていくと、
陽はもう天照大神だ。「二人とも弟です」という発言がある、長女だ。
凪、が海に関係する名前なのでスサノオかと思うけど、
スサノオは最初は海を治めるよう言いつけられた神であり、
海は潮の温度差から風を生むところなので、
スサノオは台風や暴風雨、風の神でもある。
凪、というのは風がない状態のことだ。イマイチ感。
帆高、のほうが海と風のイメージだ。海で帆を張って、風をつかまえる。
帆高がスサノオなら、あとはツクヨミが凪ということになる。
河合隼雄の中空構造論なら、対立する二柱の神の間に、なにもしない神がいる。
アマテラスとスサノオという対比なら、その時ツクヨミはなにもしない神だ。
凪センパイは、まあ確かに奥寺ミキのポジションかもな。
「俺ガキだからさ」で力のなさを自覚してる。
帆高が凪をセンパイと呼ぶのもなぁ。
兄がツクヨミで、末子がスサノオなわけだからww敬称がいりますねww
で?この符合から何が見えてくるのかは、
これから考えりゅwww
力でどうこうは当てはまらないだろう。それこそ今の日本のやっていることは力で
押さえつけようとムスカのように過去の権力にすがる行為。
だからこそ、宮崎駿監督は沖縄基地反対に立ち上がって代表になった。
改憲反対、基地反対、安倍やめろと声を上げるのはすでに宮崎監督、高畑監督などジブリが
今も続けている戦いで本当のジブリファンならこれを応援するべきだし、ジブリ作品を理解
してるファンなら監督たちやジブリが応援する共産党などと共闘できるはず。
おお、ありがとうございます。
コレ系でレス来たの初めてじゃね。
ごめん、ちゃんと話す気がある人なら、
こっちもちゃんと話すわ。
いつから政治団体になったしw
まー思想的には元々な。パヨクでパヤオとか言われとるよな。
人は誰も完璧ではない。向き不向きがある。
天才監督が政治に向いてるとは限らないし、
偉大な思想家は共同体の長としてはダメな人だった。
個人を偶像化して、旗印に掲げるのはやめたほうがいい。
神輿に乗せられたほうも、神輿を担ぐほうも、ろくなことにならん。
ジャンヌ・ダルクがなんで愛する民衆の手によって火炙りにされたかという話だ。
民衆は偶像に理想を期待する。どこまでも期待は膨らんで、
ただの人間を英雄だ聖女だ革命家だととんでもない存在に仕立て上げる。
そしてその人が、奇跡を起こすべくもないただの人間に過ぎないと分かったら、裏切られたと攻撃しはじめる。
宮崎駿の思想に感銘を受けて、闘争を始めるのはいいと思う。それも若さだ。
でも、宮崎駿が明日、手の平クルーして全く違う事を言いはじめたら、あなたはどうするの?
君子は豹変す。宮崎駿は実在の人物だ、物言わぬ偶像ではない。そして個人の思想は自由だ。
明日、左から右へ宗旨替えしても、そのこと自体を裁くことなどできない。
騙された裏切られたと騒いでジブリアニメを焚書でもするか?
それともその時はまた、自分にとってちょうどいい主義を主張する誰かのところへ集って、
誰かの名前のもとに闘うのかな?
自分だけの闘う理由を、自分の心に見出さないと、
自分の命を使うべき場所を見極められない。
闘う理由は、自分の言葉で語れるようになってくれ。
まぁ、今すぐじゃなくても、いつかは。
そういう自立した人間が、改めて集ってなにかするなら、
既存の機構への反対運動でなくて、
なーんか新しいシステムを立ち上げて共同体を導くってことになるんでないかなぁ。なんとなく。
これは面白いテーマなので考えていきたい。
熱量にくらくらして義憤に駆られてたよ。
でだ。
安倍も基地も改憲も、ムスカだ。
問題の枝葉であって、根ではない。
ムスカを倒してもラピュタがある限り、何度でもそういう人達があらわれる。
「ラピュタは甦るさ!」だ。
何が、バルスすべきラピュタなのか。
小林よしのりの百科事典かってくらい厚くて熱い漫画、戦争論にゃ書いてあるよ。
WGIP ウォーギルトインフォメーションプログラムだ。
これがまぁ、それらの問題の根だ。
どうして日本が主権国家としてあるべき振る舞いができないのか。
どうしてこうも能力の低い政治家ばかりなのか。
端を発しているのは、敗戦後の洗脳政策からだ。
あ、ラピュタは代々女系の王なんだね。
で副王に男を置くのか。パロってそういう名前なんだな。
シータとムスカは、
クシャナとクロトワ、エボシとゴンザ、みたいな感じだといい関係性のキャラなんだろうね。
まあ駿には男の王は描けないわなwそれは父権そのものだw
古代の王国、邪馬台国、ヤマトでは日巫女を女王にして弟が国を補佐したという。
その後継を男にしたところ、また争いがやまず、イヨという巫女を王にしたとか。
ラピュタも、女王を象徴にして政治は男性がするって形をとることでうまくいってたのかもな。
日巫女や天照大神、女性を頂点におく緩やかなヒエラルキーは日本では馴染み深い。
古代社会にはそういう母系、女系の在り方も多い。
平安時代くらいまでは日本も婿取りの母系社会だし、
戦国や江戸でも家系図を女系の視点から見ると面白いらしい。
エンディング見てると、ラピュタ光ってるんだよね。
特に建物部分。うっすら白く光ってる。
てことは空調とか生きてるのかもなぁ〜。
そしたら動植物もある程度大丈夫かもなぁ。
天空のガラパゴス、ラピュタになりそうww
借り物の言葉というのはいつまでもは続かない。
なんでもいいから書いていれば本音がポロッと出てきたりするものだ。
煽りの呼吸ではないつもりだがww
長男以外も全員一回は煽りカスモード入るよね鬼滅ってw
やっぱ帆高の雛型っぽいな。
スサノオは出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地へ行きそこに留まった。とあるw
須賀wwのところに身を寄せたとwwはいww
で、
スサノオはイザナギが鼻を濯いだ時に生まれた神だ。
鼻、息吹から生まれた神なので風の神でもあるわけだが、
同じくスサノオを題材にした荻原規子の空色勾玉でこんなセリフがあったような。
「あの子は父神の息吹から生まれた。
目から生まれた我らより、父神の内面に、心に近いのかもしれない。」
イザナギは、妻イザナミを黄泉から連れ戻すことはできなかった。
振り返ってしまい、千曳の岩で別れてしまった。
その後の禊、濯ぎで生まれた第三子、末っ子のスサノオは、
イザナミに会いたいんだと泣き喚く。
「あの人に会いたいんだ!」と泣き喚くww
で、まあ。
スサノオは会いたい人に会えたかっていうと会えないんだけどな。
イザナギは千曳の岩以降、神話に登場しなかったはず。
スサノオは紆余曲折のあと、根之堅洲国、黄泉まで行くんだけどね。
君の名は、では黄泉から死者を反魂させる。
神話のバッドエンドをグッドエンドに改変してるわけだが。
天気の子でも、帆高は会いたい人に会い、連れ帰ってきている。
スサノオのバッドエンドをグッドエンドにしてる、と言えるかもな。
陽菜をアマテラスと見るかイザナミと見るかはちょっとごっちゃになってる感あるけど。
どちらにしろ、豊葦原中国の神スサノオが、
高天原のアマテラス、黄泉のイザナミを、
その世界を治める神の座から、違う世界に連れて帰ってしまうというのは、大変なことだ。
世界の秩序の破壊だ。
日本の神話では、結局、アマテラスやイザナミ、維持神が世界を越境することはない。
もし、維持神を据え置いて安定した世界から、
安定の象徴である維持神を連れ出したら、
世界は、再び混沌とする他にないな。
創世神話、国生みのやり直しになりそうw
実際、日本神話やギリシャ神話を読んでいくと、
最初の方はダイナミックでスケールでっかくてワクワクするのに、
主神が世界を治めるヒエラルキー構造が出来上がってしまうと、なんか話がせせこましくなってくんだよなー。
最初は、天地とか時間とか生死とか、そういう大きな法則があらわれてきて、
後半は、人間とそんなに変わらない神様や英雄の旅とか試練とかになる。
熱かったマグマが冷えて固まって形をつくるように、
世界はエントロピーが増大して複雑になり動きを失っていく。
創世の神話が、だんだん人間の歴史になっていく。
やる事がなくなるんだよなw
インドの神話とかだと、創世神、維持神、破壊神、
ブラフマン、ヴィシュヌ、シヴァ、とか三神一体構造になってて、
物語が安定してくると破壊して、また新しい循環(サンサーラ)が始められるという思想になってる。
システムとしては、
ヒエラルキーは熱的死を免れ得ない。権力は必ず腐敗する。
循環、環構造、生々流転の方がずっと長く面白い話を続けられるなぁ、と思ったかも。今、書きながら。
死を内包すれば、それは代謝となり、総体の健康寿命は延びるんだったなぁそういえば。
破壊神、トリックスター、スサノオが、
維持神アマテラスやイザナミを違う世界に連れ出すのは、
秩序の破壊だが、
古くなった世界の破壊、硬直した世界の破壊でもある。
新しい世界の循環が始まる。
人柱で晴れるクソシステムを破棄して、
なにか違う世界を、国生み、創世の神話をまた始めていいんだよな。
beチェック
1 :PM7.74飛散中:2019/09/04(水) 10:33:39.34放火殺人犯小宇根俊興痴漢ストーカー下三条町2-9の連続放火魔小宇根が、
板宿町3石井竜也鉄也の家を再三不法侵入し石井鉄也の家を放火ガソリン撒き、放火すると犯行声明を出していたぞ!!
放火殺人犯小宇根が板宿町3石井竜也鉄也の家を放火!!石井の家族全員をケロイドに!!石井の家族全員全身ケロイド黒焦げ無残石井一家全員醜いケロイド黒焦げ焼死体!!小宇根がまた殺人!!快楽殺人!!石井竜也鉄也一家を大放火、全焼させるって書いていたぞ!!
連続放火魔焼殺魔人小宇根殺人犯小宇根が石井竜也宅放火!!全焼 放火殺人犯小宇根が残虐に石井竜也宅にガソリン撒き!!!!放火!!全焼
ダイエット(仮)@2ch掲示板転職@2ch掲示板 架空請求被害・対策・スパム撲滅(仮)@2ch掲示板
2ch証券&アイコン取引所(仮)@2ch掲示板2 :PM7.74飛散中:2019/09/04(水) 10:36:31.12放火殺人犯小宇根俊興痴漢ストーカー下三条町2-9の連続放火魔小宇根が、
板宿町3石井竜也鉄也の家を再三不法侵入し石井鉄也の家を放火ガソリン撒き、放火すると犯行声明を出していたぞ!!
放火殺人犯小宇根が板宿町3石井竜也鉄也の家を放火!!石井の家族全員をケロイドに!!石井の家族全員全身ケロイド黒焦げ無残石井一家全員醜いケロイド黒焦げ焼死体!!小宇根がまた殺人!!快楽殺人!!石井竜也鉄也一家を大放火、全焼させるって書いていたぞ!!
連続放火魔焼殺魔人小宇根殺人犯小宇根が石井竜也宅放火!!全焼 放火殺人犯小宇根が残虐に石井竜也宅にガソリン撒き!!!!放火!!全焼
ダイエット(仮)@2ch掲示板石井鉄也の家を放火ガソリン撒き、放火する小宇根
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石井鉄也の家を放火ガソリン撒き、放火する小宇根俊興焼殺魔人小宇根殺人鬼!!!!!!!!
なんとなーく、
ラピュタのラストで可哀想なロボット達が壊れて落ちていく。
同じものがたくさん落ちていく図像と、
ポニョのラストで妹達が光りながら昇っていく、
同じものがたくさん昇っていく図像が、対になってる気がしたよ。
なんとなくね、宮崎駿は前作の救済を次作に入れることはよくあるけど、
ラピュタとポニョは結構時間差があるからなぁ。
フラップターの羽も羽虫的で、飛行音もブブブって感じだ。
フラップターは繋ぐとヘビケラみたいになる。
パズーの家には鳩がいる。
ネジを巻いて鳥のように羽ばたく小さな飛行機がある。
パズーとシータが乗る凧も鳥のシルエットだ。
飛ぶモチーフが虫なのがドーラ、鳥なのがパズーらしい。
まぁ、虫と鳥、どちらも飛ぶけど鳥のほうが飛行能力が高いな。羽か、翼か。
ナウシカでも、蟲も飛ぶけど、
ナウシカが乗るメーヴェはカモメという意味だ。
ナウシカは、鳥の人だ。曲のタイトルにもある。
とりまそんだけ。
ドーラ「髪を切られるほうがよっぽど辛いさ」
飛行船より髪が大事なのか…。
そりゃまあ、女の命と言うからな。
豊かな髪は生命力、魅力、魔力のアピールであり媒介だ。
しかしこれは赤毛の三つ編みの魔女ドーラの発言なわけで、
豪気なおばさまギャグ以外の意味があるのか?ないのか?
誰も教えてくれないから考えるぜwwこじつけるぜww
キキは短い黒髪に赤いリボンに黒い服。そして魔法を失う魔女だ。
シータは長い黒髪に赤い髪留めに、最初は黒い服だ。
パズーの服を借りて、ドーラの服を借りて、髪も短くなる。
うーん。
シータの外見の変化は、魔力や魔法を失っていってるような感じだなぁ。
キキは、魔女なら髪は長いほうが好ましいはずだが、短い。
シータが魔法を失ったとして、
魔法を失った魔女はどうなるか、
魔法をどう取り戻すか、
というテーマがキキに引き継がれている気がしないでもないな。
茶色系のパズーの服
白いワンピースか寝巻き?
で、ドーラのピンクのズボンと黄色の上着か。
結構着替えてるなー。
外見の変化が無意味ってことはないと思うんだよね。
ナウシカだって服が水色からピンクから、そのもの青き衣を纏いて…、となるわけだし。
ドーラとシータ
ナウシカとクシャナ
で考えるなら、
ナウシカは完全無欠の英雄で聖母だ。
クシャナもクロトワを従え、巨神兵に命令する。
ドーラは、息子達と部下を従えている。
シータは、ムスカを従えることができない。
シータは、園丁ロボットの言葉を「そんな気がするの」で理解できる。
シータは、パズーに守られている。
うーん?あー。
ムスカがシータの三つ編みを撃って切るというのは、
ひょっとして自らの命綱を切るのに等しい行為か。
パロ・ウル、副王、補佐、クロトワのような立ち位置、
シータの魔力、カリスマ、王の器、
シータが玉座の間で、決然とゴンドワに伝わる歌、
「土に根をおろし風と共に生きよう
種と共に冬を越え鳥と共に春をうたおう」
彼女の王国の理念、新しいラピュタ王による国是、憲法を表明した時、
あそこにラストチャンスがあったんだな。
ムスカは、あそこでクロトワになることもワンチャンできた。
シータの理念に感じ入って従うこともできた。
が、ムスカはシータの髪を撃つ。
「跪いて命乞いをしろ」という。
それは、なんつーか生殺与奪というよりは、マウンティングだよな。
精神的に上位に立っていたシータを、自分より下に貶めたいというような言葉だ。
で、髪を切られムスカを従えることができなかったシータも、そこで魔女としては失格というか。
クシャナやエボシに成り得ない。
巫女王と副王、ワンセットでないと国は成立しない。
ラピュタはトルメキアやタタラ場になる道はなく、バルスするしかなくなる。
と。
そんな感じか?要検証~。
リボンのかかった箱から真っ赤なドレスをひらひらさせる。
ムスカは、シータに赤い服を贈っていた。
もしシータが、パズーに出会わなくて、
その赤い服を着て、ムスカとなにかの関係性を築くようなことがあったなら、
どうなったかねぇ…。
ちょっとムスカが青二才過ぎるかなぁ。乱暴で小物過ぎるか?
シータはどの場面でも有能だけど、
人を従えるには優しすぎるし、欲もなさすぎるかもな。
ドーラの部屋の肖像画は確かにシータっぽくもある。髪型が一緒なんだ。
シータは、ドーラと同じことができたかもしれなかった。
男達を従え、組織の長、船長、王、女王になれたかもしれなかった。
しれなかったんだな。
ラピュタに群がった馬鹿どもが、馬鹿過ぎたという話かww
ムスカの人柄次第では、新生ラピュタ王国も有り得たなww
新女王を丁重にお迎えに上がれば良かったものをw
三顧の礼でも尽くしてれば良かったものをww
そうすればパズーの介入もなかったわけでw
まぁそんな物語は見たくないがww
ではパズーは?
と思ったら、アスベルから次郎まで、全作品通して見ると、駿的主人公像もなんとなくあるな。
テーマの変遷というか、成長と葛藤の軌跡が。
前半の全員に共通するのは飛行機械いじりだ。
アスベルは工房都市ペジテの少年、メーヴェを修理できる。
パズーは飛行機を作ってる。鳥に似た小さな飛行機を飛ばす。
カンタも縁側で飛行機のオモチャを作ってる。
トンボもプロペラ付き自転車、エンディングで人力飛行機に乗ってる。
宮崎駿は 飛ぶ ということに格別の想いを抱いてるけど、
飛ぶ力、魔法をもっているのは、いつも女性だ。
男の子達は、魔法でなく機械の力、科学のアプローチで飛ぼうとする。
それは象徴的に符号する感覚だ。
女性性は受け入れるもの、魔法で、
男性性は積み上げていくもの、科学っていうかね。
でも、男の子達がその機械で、一人で颯爽と空を飛べるかっていうとなかなか厳しい。
アスベルも飛行機を失って腐海を迷ってるとこで出会う。ナウシカのメーヴェに乗せてもらう。
パズーも凧にはシータと一緒に乗ってる。
カンタは、サツキが魔女ではない。
トンボはエンディングで飛んでる。側にキキがいるけど。
延々と少年達が作ってた飛ぶ機械の蓄積があって、魔女達に飛ぶ感覚を教えてもらって、
やっとトンボで飛行機が完成したから、
紅の豚でパイロットの物語ができるのかもしれない。
まぁ、それもフィオのフォローが大きいけど。
で、もののけ姫、アシタカでは空は飛ばない。
魔法なし、魔女なしで、どこまでやれるかアシタカは足掻き通す。
するとハク、ハウルでは、飛行機なしで飛ぶことができるようになっている。
魔法を体得している。…が、その代わり、女主人、母性による支配がある。
そうすけでは船だ。
次郎では、また飛行機。
次郎は夢の中で、一人乗りの飛行機に乗って飛ぶんだけど、そびえるモノリスのようなものに砲弾を落とされて、落ちる。
割と、順番に精神的に成長していってるみたいにも見えるんだよなぁ。
アスベルは完璧なナウシカの背を見ている。母を見ている幼児期的だとする。
パズーのあの身体能力の高さは、少年期の万能感そのもののような気がする。
小学校低学年くらいの、なんでもできそうな無敵の気持ちのまま、パズーはなんでもできるというか。
カンタで初恋だとすると、小学校中学年とかだろうか、だんだんと社交性、他者との関係性、友人や異性との関係が重要になってくる。
トンボは友人に囲まれている。
飛行クラブで、みんなで協力して飛行機を作ってるらしい。そういう場面はまだないけど。
ポルコでは、フィオとピッコロ社、女性達によって飛行艇が作られる。
ポルコは、戦争に参加しないアウトローだ。
成人男性としての義務、国民の義務ってやつには参加しない。
…反抗期だな。
アシタカも異邦人だ。共同体の構成員ではないが、でもそれを獲得しようとしてる。出来ることを探している。
家を出て、社会に自分の居場所を探そうとしてる、
とすれば学校を卒業して仕事をはじめるくらいかな。
ハクでブラック企業に勤めてしまって病む。
名前を取り戻して辞表を出す。
ハウルで、母性からの自立だ。
ブラック企業であれば辞めれば後腐れないけど、
毒っぽい親、過保護な親とかになるとそうそう縁が切れないのが難しいところだ。
年齢は人によることになってくるだろうけど、
一人で生活を成り立たせるのに慣れてくる年とするなら二十代後半くらいになってくるかも。
そうすけはなんだろうね。
親を名前で呼ぶ。親と対等まで成長して、ポニョと結ばれる。結婚して新しい家庭の長になるってか?
で、次郎なぁ。
次郎の飛行機を落とすモノリスは父権の象徴だ。
風立ちぬ全編を見ても、父権を越えられたかというと…、うーん。
母性ほど鮮やかには越えてないんだなw
大体いいんだけど、なんかモニョモニョしたところがあるw
次作の主人公はどうなるかなぁ。
順当に行くなら、息子的存在を育ててる父的な感じになると思うけど。
あるいは仲間を率いるリーダー的な感じとかね。
教師キャラや師匠キャラだったらほんとビックリするけどなぁ。どうだろうw
あるいは医者キャラで菜穂子のような人を治す人とかどうだろうw
ちょっと強引だけど、まあ、そう見れないこともないと思った。
ぜひパワハラ無惨様までアニメで見たい。
あれはなかなか衝撃のコストカッターだったからなw
ん?でも女装だけど声優は関俊さんのままか?
それもまた良し…。
話は変わりますが、5月以降の進撃は読まれていますか?普通に読んでもスピ的な方面から読んでもとても面白くて、またピリアさんの解釈をお聞きできたら嬉しいなと思いました。
フィシさんありがとうございます。
ご期待に沿えるかどうかはわかりませんが、ぼちぼちやってみましょう。
進撃は毎回衝撃的過ぎて頭が追いつかねぇww
第1話からのループものなのかっていう伏線も回収して来ましたねー。
しかしそうすると、自由とは、自由意志とはなにか、というテーマが一層ややこしいw
エレンは、生まれた時から変わらない俺は俺だ。という。
父親の、誰からの洗脳も支配も受けていないという。
でも、自由を奪うのは他者だけではない。
ちょうどロードエルメロイ二世でも未来視や過去視の能力者が出てくるんだけど、
彼らもフツーに事件の被害者になる。悲劇を回避できない。
魔眼を持つということは、魔眼とともに生きる宿命を受け容れることだ、とか言う。
優れた能力や見識が人を幸せにするとは限らないんだな。
能力に引き摺られ、生き難いということがある。
能力のほうが主体となり、人の意志や選択の方が後付けになったりする。
過去や未来が見えるから、今を生きられなくなったりする。
それはとても苦しい、不自由な気持ちがするものだと思う。
過ぎて去ったこと、未だ来ないものが、それが見える自分自身が、
今ここにある自由の敵だったりするww
自由っていうのは、
自由で自在な気持ち、心っていうのは、
根源に至るってことは、すべてを越えているってことだ。
無垢の巨人は不完全な巨人化で、食人衝動は知性を回復したい本能で、
巨人化するなら全部の個体で知性を維持できるような事でないとハッピーエンドにならんなぁ、とはまだ思ってる。
無垢の巨人というのも、能力が人を幸せにしない例とも言える。
力が強いとか速いとか再生能力とか、知性さえあるならどれも素晴らしい能力なのに。
岩運んだり硬質化で壁とか色々作ったり、
土木建築に超役立つのは証明済みなのにw
知性さえあれば、巨人化は祝福になる。
自由な意志とはなにか会得していれば、未来視や過去視に振り回されず、それらを使えるだろう。
心と力は、釣り合ってないといけないんだな。
これをされるとパラドックスということにw
でもまぁ、時間というものが線形で不可逆っていう概念を覆してもいい頃合いではあるのかもね。
ハウルの動く城でも「未来で待ってて」は現在から過去へ干渉するコマンドだ。
仮面ライダー電王では、時間とは人の記憶だという。
人々が無意識で共有する記憶だ。
個人を構成単位として、
共同体をひとつの総体として、
その総体が認識している記憶、それが時間だ。
それは確定しているものではなく、思い出し観測するたびに、微妙に変化していく。
エルディア人という民族の記憶も、観測者の観測が干渉になって変化していく。
だからまぁ…。ジークとエレンの旅は、変えられない過去を眺めるだけのものではなく、
眺めてることで、その都度改変が起きてるんだと思うんだなぁ。
大きな力を得る時に、それに見合う大きな心が持ててないと、バランスがとれなくて怪物になってしまう、そんなメタファーだ。
知性巨人の継承者は人間形でも再生能力があるし、
鬼殺隊は呼吸を使うこと、痣が発現することで鬼と近い姿や能力を得ていく。
人と巨人の境は曖昧で、人と鬼の境は曖昧だ。
エルディア人の救済が本気で「みんな生まれてこなきゃ良かった」だと思ってるから、
救済だと思って殺戮ができる。
一方で身内の情に強く拘る。
父親に問題があったからだけど、それも過去への旅のなかでまさかの解消があった。
謝ってもらえたし、許せた。
これは意外だったなー。
ここからジークは変われるだろうか?
残酷な世界を美しいと思えるだろうか?
こうなるとジークに感情移入ができて、エレンのほうが何考えてるのかわかんなくて不気味になるというw
諌山創のストーリーテリングww
しかしフリーダも語ってたけど、
巨人化してしまうから民族ごと滅びよう、
というのはやはり生き物として健全な考え方ではないな~。
色んな人がいるんだから、アルミンやハンジやクサヴァーような知的好奇心が旺盛な人だって一定数あらわれる。
巨人化の秘密を解明しようとか、なんとか制御しようとか、そういう発想が必ず出てくるはずだ。
そこを始祖の洗脳でおさえこんでしまうから、ジークやフリーダような思考停止からの破滅思想になる。
巨人か、滅亡かの極端な二択になる。
過剰な思想統制をすることで多様性が失われて、総体の健やかさが損なわれている。
だから、始祖に対抗する知性巨人がいる、という設定はウマイと思う。一極化を防ぐセーフティだ。
グリシャの葛藤や後悔、内面が明かされたのでその構図は変化した。
グリシャは兄弟の上に立つ父から、一人の対等な人間にシフトした。
ジークは父を理解し、謝ってもらい、許した。
自立かどうかは微妙だけど、コンプレックスはほぼ解消だ。
ジークは父への反発という動機から自由になった。
エレンは父へ命令した。これはまさかの力関係の逆転だ。
これも自立かどうかはまだ微妙だ。だってエレン顔が全然自由って感じしないしw
そうするとなぁ。父より大きな父性存在から自由になろうとするってことになるのかなぁ?
民族の父、共同体の長、始祖ってことか?
その先は、大地の悪魔か、道そのものか。
なにかを倒すことで自由になろうとすると、どこまで行っても終わりがない。
突き詰めると、神の序列を入れ替え続けるマギのシンドバッド状態になって、
あれは漫画的にも非常に画面がつくり辛いことになるからなww
あんまりその展開は見たくないなw
アルミンとかファルコになんとかしてほしいところw
鬼滅の刃のお館様と鬼の始祖の対比はすごいよく練られてるんだよなぁ。
RPGでいう、
勇者を送り出す王様と、倒すべき魔王、
それが同じものの裏表という話だ。
まず、産屋敷輝哉と鬼舞辻無惨は、同じ一族で顔とか瓜二つによく似てるという。
産屋敷輝哉の顔や手は病に蝕まれ痛々しい。
鬼舞辻無惨はすぐ姿を変えるけど、どれも美形で衣装も凝っている。
産屋敷一族は、無惨が悪事を働く因果で、代々当主は三十歳までも生きられないという短命ぶり。
一方で無惨は千年を生き延び、更なる永遠、不変を欲している。
短命と長命の対比があるが、
産屋敷輝哉は、命より連綿と続く「人の想い」というものを永遠だと考えている。
想い、という観点で見ると、
産屋敷輝哉は隊員を「私の子供達」と呼ぶ。
彼より年上の隊員も皆、彼を敬い、膝をつく。
柱合会議の場面を見ても、柱達は庭に並んで膝をつく。お館様は座敷の上だ。
庭だよ…? 大正時代とはいえ、かなり地位の差がある描写だ。
アニメではその後座敷にも上がってたけど。
漫画で、次に代理の妻が柱合会議をする時は、柱達は最初から座敷に通されている。
柱達が産屋敷輝哉を慕うのは、
彼が人の心に響く、その人が一番欲しい言葉をかけてくれる人だからだという。
たとえ逆らわれても、穏やかに相手を納得させることができるカリスマがある。
一方で無惨の部下あしらいは、パワハラに尽きるww
恐怖と分断、常時監視からの気分次第で死刑執行だ。
鬼達は無惨を恐れ従う。
時々イカレててそんな扱いが好きな鬼もいるけどw厭鬼とか玉壺とかww
キャラの相関図があるらしくて、
無惨が上弦の鬼をどう思ってるか書いてある。
無惨は童磨があまり好きでない、のところでウケたんだけど、
それは多分、童磨が感情が欠落、あるいは非常に未熟な奴のせいだ。
童磨には、恐怖がない。
恐怖で支配するという無惨のノウハウが通じない。だから好きじゃないんだろうな。
その為に命を使うことができる。
隊員や、妻や子にも死を命じることができる。
無惨は、徹底的に死の危険を回避する。
臆病とか小物とか言われるほど、姿を変え身を潜めて、その慎重さで千年生き抜いた。
自分の命こそが無惨にとっての至上価値だ。
後は全部蔑ろにして憚らない。人は食料で部下は捨て駒だ。
まぁ、産屋敷輝哉もイカレてはいるんだが…。
鬼滅の刃では、キャラの印象は初回登場時が最悪で、そこからアゲていく手法が御家芸なんだけど、
産屋敷輝哉は逆だったな。
初回登場時が優しいイイ人そうで、退場時にドン引きの覚悟を見せつけてくれた。
だから爆血やヒノカミ神楽で燃えて赤くなるというのがあって、
おおー、と思ったんだけど、
じゃあ、炭とか石炭てどんどんよく燃えると赤から白に発光するよね。炭を作るときの窯の中なんか、真っ白になる。
ヒノカミは、火でもあり日でもある。
なら、炭治郎の刀は、
炭のような黒い刀から、
火のような赤い刀に、
そして太陽のような白光の刀になるんじゃないかな~と思った。
最終決戦あたりで。呼吸が極まったあたりで。
吸血鬼的お約束だからいいんだけど。
そもそも無惨が元人間で、投薬によって鬼の始祖となったわけじゃん。
そして珠世も一人だけとはいえ鬼にすることができてる。
呼吸によって発現する痣は鬼の紋様と似ている。呼吸は鬼に近づく技だ。
鬼と人間はどこか地続きなんだよなぁ。
人ある限り、鬼を根本から滅することはできないとも言える。
無惨を鬼にした、青い彼岸花の薬とは?
それは鬼避けの薬、鬼殺の毒になる藤の花じゃないのかなぁ。
青い、彼岸の、花。あの世の花。
藤の花は紫、青系だ。ふじの花、不死の花。
薬と毒もまた、表裏一体だ。
日の呼吸を、ヒノカミ神楽を極めれば、人は鬼になる?
いや、鬼は、力と心が釣り合わないものの姿だ。
薬によって無理矢理ではなく、
自らの意志と研鑽によって新しい形質を獲得するなら、それは正しい姿のはずだ。怪物ではない。
アカザが何かを越えかけて鬼でない何かに変じようとしたように、
人も痣のリミットを越えられれば、鬼以上、人以上の何かにシフトしたりしねーかなー。
鬼か人か、鬼神か神か、天使か仙人か。新人類か。
いいよもう。ねずこも炭治郎も柱の皆も死なないラストなら人外でも全然オッケー。
鬼舞辻無惨は、死を恐れるから、命に永遠や不変を求めてる。
そういう対比かな…。
まぁ、千年生きられたからっていってもなぁ。
じゃあ、あと五千年生きられたとして、その時まだ生きていたいと思えるかっていうと、
人の精神はそんなには保たないと思うんだが。
エレンのように暗めの無表情になるか、
イエローダイアモンドのように自分が誰かを忘れようとするか、
過ごした時間の長さ、積み重なって消えない記憶は感情を摩耗させるだろうな。
無邪気な人食いが、人並みの心を得るまでの百年を描いたチキタ・グーグーって漫画もあるけど、
無惨や童磨のような人でなしも、人と関われば少しづつ心が育つ。
最初の千年は爬虫類かってくらい共感能力皆無で自己中の鬼や外道でも、
次の千年は犬猫レベルには情や優しさを理解するかも。
その次の千年は、誰かを心から愛することがあるかもしれない。
その次の千年は?愛したものを失う悲しみを知るのかな。
更なる千年は、後悔や孤独に苛まれ、感情が擦り切れるかも。
その先の千年は、カーズのように考えるのをやめるしかなさそう。木石や水のような心になりそう。
一個体の心、個人の精神の限界はそんなもんではないだろうか。
その先の時間は、個より大きな環の生きる単位だ。種とか、神とか、星とか。
無惨は変化は劣化だと言い、不変を好むけど。
自分の心が育つのも劣化としてとどめるのかな。
しかし何も感じない、何も思わない、というのでは反射で生きてる下等生物と同じではないだろうか。
それで生きてる実感が得られるならいいけど、言語や思考を獲得した精神は、それでは満足しないというものだ。
無惨だって太陽の克服という変化を欲している。
もし太陽を克服したら、その次も何かを得ようとせずにはいられないはずだ。
そして、何かを欲し、得続けることさえ、繰り返し続ければいつかは飽き、倦む。
思いつく限りの望みを叶え尽くしてしまえば、あとは退屈しか残らない。
退屈は、死に至る病だw
退屈は人を殺せる。
っていうのは最遊記外伝だったか。
あれも天界は死がなくて寿命長すぎの設定からそういう言葉が出てくるんだよなw
やっぱなぁ。行き過ぎた文明を自然が飲み込むというのは、今ではちょっと新鮮味がないというか。
良く保っても数千年だろう。
更に存在を続けたいなら、どこかの時点で上位存在にシフトするしかない。
他者と共鳴して環になり、種という総体の認識に参加するとか。
天地と共鳴して環になり、宇宙という総体の認識に参加するとか。
しかし、それで幾星霜を永らえたとしても、
種にも星にも神にも宇宙にも、やはり終わりの時はある。
個という総体も、数日から数年のサイクルを繰り返す細胞から成り立っている。
極大と極小で相似する、フラクタルだ。
それが有限の世界の形だ。
どこまで行っても、虚しさがやむことはない。
指向性はアンバランスから生じている。有限は虚だ。
無限は空だ。調和の安らぎがある。
すべては満ち足りて、もはや何も起こらない。
と、そういう感じなんでないかと思うんだが。
話は変わりますが、5月以降の進撃は読まれていますか?普通に読んでもスピ的な方面から読んでもとても面白くて、またピリアさんの解釈をお聞きできたら嬉しいなと思いました。
!?
おお、過去からのコメが…。
エレンやジークのように時を越えてるんだろうかw
進撃は最新話まで見てますよ。
まぁ、過去へ記憶を眺めに行ったはずが、相互に干渉が起きてるってことは、
進撃で言う、道、というものが、時間より上位のシステムということじゃないかな。
エルディア人、民族という総体の意志が、必要ならば時間を行きつ戻りつして、ある結果に至ることを模索してるというかね。
種の意志が、時間という法より上位になる場合、あると思います。
個の意志であっても、時間を超える奇跡に至るのがハウルだったし。
まあ、種が模索する結果というのもそんなに複雑なものではないはずだ。
大概は、生存や拡大を続けよう、崩壊を回避しようとか、そういうシンプルなものなはず。
割と進撃には、始祖とか王とか民族とか、そういう大きな環と、
その構成員がその外圧、宿命から逃れられない苦しみを明確に描いてると思うなぁ。
みんな、何故か分からないけど与えられた役割に苦しみ、それを成そうとか、逃げようとか、葛藤がある。
与えられた役と、大きな環と一体になって心も運勢もフィーバーすることもできるんだけど、そういう晴れやかな英雄顔の人はあんまりいない。
「こういうのは順番だ…、頑張れよ」とハンジに言ってた人がいたけど、そういうことだ。ほんと表情が悲痛なんだよなぁ。
そこにはフィシさん自身のテーマがあったのかもしれない。
ジークとグリシャ、父と子の許しの物語だろうか。
それとも死者のはずのグリシャとコミュニケーションがとれることかな?
人は死んだ後、肉体を失ってからも生者と関わることができるとか?
それともジークとエレンのいる場所かな。
DBの精神と時の部屋のように、外界とは違う時間の流れる世界。
時間の法、宙の法より、空間、精神、宇の法の法が上位だ。
どの辺からでもイケるよなー。深堀りし放題なんだけど最新話辺りw
先日友人に不幸があり、しばらくスレを見ることができませんでした。
お礼が遅くなり申し訳ないのですが、進撃についての解釈本当にありがとうございます…!
過去を眺めるたびに改変が起きているという部分がとても腑に落ちましたし、感情移入がジークの方へ転換しているというのもまさにそう!という感じでした。
心が落ち着いたらもう一度しっかり読ませていただきます。
それと、何日かまったく来ていなかったのになぜか自分のコメントがあって驚いていますw
でもピリアさんの
“それとも死者のはずのグリシャとコミュニケーションがとれることかな?
人は死んだ後、肉体を失ってからも生者と関わることができるとか?”
という言葉が自分にとってとてもタイムリーで、この言葉を頂くためになにか不思議な力が働いたのかも…というような気になってしまいました。
ありがとうございます。
フィシさんありがとうございます。
リアルで喪失の痛みを味わう人にかける言葉がない・・・。
優しくなりたいと言いつつ、相変わらずアニメの解釈しか能がないなあ。
そんな時は、歌かなあ。音と声で、文章だけよりダイレクトに癒しがある。
こないだ平原綾香がゴゴナマ出演だったからなんとなく録ったんだけど、ジュピターは素晴らしかった。
https://youtu.be/-oAG5GiASAk
他にも色々歌ってたけど、出演者のリアクションをみてもあの歌はスペシャルっぽい。涙を堪えられない。
平原綾香ならこれも大好きだけどwオーケストラと千と千尋のふたたび。
千と千尋も葬送の意味がある物語だ。清らかで明るい、お見送りの物語でもある。
50回とか500回とか、まあなんの根拠も求めようのない数字だと思うけど、
しかし個の意識の連続性、個体というレベル、個人という意識で学ぶことが、
まあ5000年分も時間があれば終わりそうっていうのもなんとなく分かる気がするんだよなあ。
逆にもうそういう個とかいう次元の意識じゃないひと達がナントカチルドレンで生まれてくると、
転生回数は一回目とか少ないことになってややこしいけどもw
魂は精神や肉体を持ったり、手放したりして、なにかの経験を積んでいる。
自分とはなにか、という認識の芽生えるところから、
自分を愛するというテーマにとりかかり、
他者とはなにか、という認識を得て、共感を発達させていく。
他者を愛するというテーマをクリアできれば、
自他の境はなくなる。もっと大きな環にシフトする。
この過程を学ぶのに、人生が何回くらい必要そうかなあ、っていう想像だ。
共感ゼロのシリアルキラー槙島聖護や童磨レベルから、
みんなを救いたくて人という存在を越えるアルティメットまどかレベルまで心が成長するのに、
やっぱり色んなパターンの人生が100回くらいはかかりそうな気はするなw
この学びのためには、幼い者も、老成した者も、みんな必要だから、
ごっちゃになって色んな縁で繋がってるわけだ。この世でも、あの世でも。
進撃の皆さんは、
ひとつ大きな環からのアクセスを感じつつ、まだアルまど程には悟れない辺りなんだよなあ。
個を失うことを恐れるレベル、自分と他者が分かたれている。
ここで無理に繋がろうとすると、エゴで精神汚染がおきる。
だから、許せるかどうかだ。個を越えられるかどうか。
知性巨人の継承者達は記憶の継承もあるけど、
あれを洗脳や精神汚染、意識の混濁ではなくて、自分を大きくして受け容れられるかどうか、かもなあ。
そう、自分というものが、関わった人達の想いでできてるとか、
ナチュラルに思える人はかなり次元の意識が高い。
他者を自分の中に受け容れてる感覚がある。
多分、心が大きくなるほど、誰のことも近く愛しく感じる。
どこにいても繋がってるんだと、実感としてわかるようになる。
死んでても、生きてても、そこは大して関係ないと思えるようになる。
鬼滅ではしょっちゅう、亡くなった人がピンチを励ましてくれたり、お迎えに来たりするが、
ああいう世界観を持ってる作者こそが、もう次元の意識が高い人だw
そうでなきゃ炭治郎のような主人公は描けない。
次元の意識の話だけすると、進撃より鬼滅の方が進んでる。
進撃、諌山創も優れたストーリーテラーだけど、個を越える環を肯定的に描けるかどうか、今、物語はそこの葛藤の真っ最中だ。
鬼滅では、個の枠を越えて想いは継がれるというのは、もう前提条件だ。
死にたいわけじゃないけど、死を恐れず、命を使って何かを為すことができる人達がいる。
個以上の環を感じてると、そういうことができる。
まぁ、葛藤のリアルに共感してこそ物語を自分の糧にすることができるので、どちらが優れてるとかいう話ではないけど。
ムスカは目の色が薄くてサングラスをしてる。
「目が、目がぁ~」だ。
やっぱり目が元々弱いんだ。
で、目が弱いから、眼が曇って色眼鏡で覆われてるから、シータの本当の姿が見えない。
シータを自分の王になる人だと見出すことができないんだな。
クロトワやゴンザは目が悪いってことはないw
千年狐と猫が西向きゃもゲットしてて、好みの漫画が大漁で嬉しい。
もともと壊れてた説を推すかなぁ。
ロボットにもエラーはある。
通信機能にエラーがあって、
オフライン状態、スタンドアローン状態だったから、
封印されたラピュタで一機だけ動いてたし、
バルスの命令も受け付けなかったとか。
スマホを機内モードにしても使える機能はあるし、
最近は災害情報とかのアラートがいきなり鳴ってビビるけど、ああいう一斉に送られるメッセージを受け取らずに済む。
そういう感じかなぁ。
他に可能性があるか考えてみる?
うーん…なんだろう。
なるほど、確かに一人だけ最初から動いてたから他とは何かが違うね
バルスの意味は諸説あるけど、「平和」で武装解除の命令かもしれないので、
非武装のロボは稼働し続けてるとか。
ラピュタが木の根で崩壊を免れてなかったら、どうせ諸共に落ちただろうけど…。
武装解除ならドームの王墓部分まで崩壊するのは違う気もするんだけどなー。
あれは平和的武装解除っていうか、非常事態、緊急につき自壊とか自爆とか、そんな感じがするよな…。
そーねー。
エンディングで、定位置で白く光りながら朝と夜を繰り返してるから、
ある程度安定してるんだと思うけどな。
あのまま樹木と鳥と小動物の王国になりそう。
ギアナ高地とかガラパゴス島とか、そういう特異な生態系が築かれそう。
バルスして武装も財宝もなくなったから、不心得者が狙うメリットがないし。
歴史家か生物学者か冒険家しか興味を持たなそうw
飛行機械の発達で、飛行石の結晶だけ獲ってこれたとしても使い方がわからないだろうし。
飛行石の結晶を利用できるような技術レベルに達したなら、また鉱山で掘って結晶化させればいいし?
だからまぁ、ラピュタはずっとあのままなんでないかなぁ。
石の性質として浮いててエネルギー源になってるなら、ガス欠で落ちてきたりもしなさそうなww
機械と融合した人間、サイボーグ、それは駿には描けないヤツやww
ラピュタの続編望む人多いらしいね。
ラピュタ自体が未来少年コナンの続編みたいなもんなんだし、コナン見たらいいと思う。
海に沈んでる未来都市は、海に落ちてったラピュタの超文明成分みたいなもんよ。
駿演出回ばっかりでもないけど、動きとかで駿成分のあるところ分かる。
ナディアも同じ企画書から派生した兄弟作品みたいなもんだ。ナディア見たらいいと思う。
コナンとナディア、テレビシリーズ2本みたら相当ボリュームあるぞwwお腹いっぱいになるww
ピーターパンの大冒険にも青く光る浮き石ってのが出てくるんだよなぁ。
船を浮かせてネバーランドを旅する。
空飛ぶ海賊船や、一人乗りの小舟にワクワクしたものよ。
大友克洋キャラデザで、あれも贅沢な作品だ。
ピーターパンの空中での動きは必見の素晴らしさ。
子供の頃ヘビロテしてた。
なんかあの辺、流行というか、同じ感性を共有してたアニメーターや監督達の時代があるよな。
今でも鑑賞されて、これからも生き残っていくのはのはラピュタだけなのかもしれんけども。
ていうか、今のアニメとテンポが違うからな。ダレて見てられないかもしれない。
今でも褪せないラピュタの方がおかしいんだよなぁ。
演出の粋が詰まってる。
あの辺の時代のエッセンスが凝縮されて結晶してる。
だから続編と言われても出来ないんだと思うわ…。
最近もやってるよな。テレビシリーズをまとめて劇場版にしてから、新作劇場版をつくる手法。
まどマギとか、ガンダムとか。
…ヴァイオレットエヴァーガーデンとか。
エヴァはソレをやり過ぎてる感だが。
攻殻機動隊、電脳化、義体化。
PSYCHO-PASS、シビュラ。ホロによってスキンされた都市。
戦闘妖精雪風。パイロットとAIの高度なシンクロ。
スマホでポチポチ、ネットで情報を取得して発信して、
現代人は、着実に機械で意識を拡張することに馴染んでいってる。
その割に最近はサイバーパンクやSFモノが流行ってないよな。
SAOの世界観くらいか?でもあれも描写は細かいけど、革新的なイメージというものはあんまりない。
異世界転生とか魔法モノが多い。
リアルが科学サイドに偏ってる揺り返しかな…。
科学サイドと魔法サイド、両方から展開する、とあるシリーズは有能な設定やなー。
とあるか、タイプムーンか、竜騎士か、
今までサラッと見てただけのどれかに原作から手をつけようかと思いつつ、どの沼もディープそうで躊躇するww
数十年たっても俺の中でベスト3に入る神曲
フェイトかネオの最期かな…。
ああいうの苦手だ。
ナディアとは言ったけど、庵野監督のああいう感性は好きではないかも。何度もは見たくない。
なんていうの?色んなキャラにそれぞれの役割を演じさせる群像劇は上手いんだけど、
そのキャラクター達がさぁ…、
自分という小さな環を変えられないというか。変化し、心が成長していくキャラクターが描けない、それで苦しむ。
で、小さな環を変えないで大きな環になって変化しようとする。人類補完計画とか言い出す。
小さな環を完成させないまま、大きな環になると、エゴの衝突、人格の混濁、ネガティブの増幅、精神汚染をおこすんだがな…。
そのへん諌山創、進撃の巨人と感性が似てるかもなぁ。
まず、自分を変えろと。自身の内面に向かえと。
「世の中に不満があるのならまず自分を変えろ。」
ゴーストの囁きに耳を澄ませる、そこから始めるといいんだよな。
ドラゴンとのキメラになってしまったファリンをどうにかしようと迷宮探索を続けるライオス達だが、
ライオス「もう妹を置いていかないと決めた。少なくとも彼女が選んだ新しい誰かがあらわれるまでは」
…ん?
そして迷宮の主シスルを愛おしそうに抱きしめて逃げるファリン。
…んん?
ファリンは割と、兄ライオスに似た性格をしている。
兄は魔物好きで、ファリンも植物や虫や犬が好きだ。魔物食にも興味津々。
兄ライオスには、魔物への憧れ、亜人や獣への変身願望がある。まあ、人間が苦手とも言うが。
ファリンにも似た傾向があったとして、
もしドラゴンとのキメラ状態がとても気に入ってる、とか、
迷宮の主、狂乱の魔術師シスルと迷宮でずっと一緒にいたいとか、
そう言いだしたら、どーするんだこれ。
ファリンの心はドラゴンとの同化でどう変わったのか。
シスルの命令を聞く催眠状態っぽくもあるけど、ライオスを呼んだり、犬人コボルトに興味を示したり、
もとの人格が消えたわけではないわけで。
フツー、変身させられて洗脳されて操られてるとなると、
元の人格はそれに抵抗してる、支配と自由意志の拮抗とかを描くのがお約束だが。
どうもそうではなさそうな。
ファリンはどの程度か、自分の心で行動してる。
孤独な幼少期から、何かを愛したいという潜在的な欲求を持っていて、
そこに一見カワイイ少年風のシスルがハマっていたとしたら。
弟のように思いこんで守ってるとしたら。
面倒なことになりそうw
まあ、どの道シスルと迷宮には破綻の時が近そうな気がするが。
最終話はパワハラ会議に期待。あれは柱合会議と対になる場面なはずだ。
っていうけど。
家に伝わる秘密の名前と飛行石を継承してるシータは成人だな。
成人の儀が済んでる。一人で暮らせてるし。
親無し、であって、親無し子、ではないわけだ。シータは子供じゃない。
パズーは親方のもとで働いてるし、父親の想いを追いかけてる。まだ子供だな。
だからどうということもないけど。
まぁ、女の子のほうが成長が早いとか、先に大人になるてのは、よくある話ではある。
まぁ、それはそれとして、
異形になった妹を人に戻す、夜闇の世界から人の世界に連れ戻す。
というのは、ダン飯のファリンでも鬼滅の彌豆子でも見られる、なにか普遍的なパターンだ。
黄泉でイカヅチの神に変じていたイザナミを連れ帰ろうとするイザナギ、
冥府からエウリュディケを連れ帰ろうとするオルフェウスと同じだ。
君の名はも天気の子もそうだったな。
人界と異界なら、異界が陰。
男と女なら、女が陰。
第一子と第二子なら、第二子が陰。
兄と妹なら、妹が陰。
妹というのは、異界に、異形に、馴染みやすい属性だ。
それだけに、連れて帰ろうと思うならタダというわけにはいかない。
なにか一工夫いる。
陰属性のものを陽に転じる工夫だ。
そうでないと無意識は納得しない、説得力にならない、ということになる。
彌豆子、には豆という字がある。
豆は、「鬼は外」のアイテムだ。邪気を払う。
昔の人は、大豆の種になぜそんな意味を見出したのか。
種は蒔けば目を出して木になり実を結ぶ、その生命のサイクルが、設計図が秘められている。
小さな豆粒に、豆の生態になる全てが詰まっている。
種は生命の素だ。
種というのは、眠っている状態だ。
彌豆子もよく眠っている。眠って回復したり、進化したりしている。
で、角や葉の痣をだす。
芽をだして、暗い土の中から日の当たるところへ伸びていく。
太陽を克服する。
豆、種、という名前は、陰を陽に転じさせる意味のある名といえるかもな。
作者は持ってるな~。人に恵まれてる。
ファンブックに載ってた読み切りの主人公では暗過ぎて売れなかっただろうなぁ。
一子相伝の神楽と耳飾りを継承してるから、それももう成人の儀が済んでるよな。
つまり長子っていうか、家長なんだとも思う。
モリアーティ教授とトッドとスマイリーがお金なくてお腹すかせてる描写があるけど、
なんか違和感あって戸惑う。
で、宮崎駿回では、絶対ハラペコは描かなかったと気がついた。
文句いいつつ裏の川で釣った魚を食べてて結構おいしそうだった。
宮崎駿は、ハラペコを描かない。ひもじさを描かない。
どんな作品でも食べてるものはなんだか美味しそうだ。
っていうか食事シーンは必ずある?よな。
アスベルの「味はともかく長靴いっぱい食べたいよ」は空腹の表現ではあるけど、なんかひもじさを感じるわけではないんだよな。
…ていうか、今時のアニメではハラペコの表現自体をあまり見ないな~。
おいしそーに描く飯テロが多い。
名探偵ホームズの時代ではハラペコがなにか共感を呼ぶ描写だったのかなぁ。
あれももう名探偵ホームズと年代同じのやつだしな。
今でも空腹で動けない誰かにアンパンマンが「僕の顔をお食べ」の流れをやってるのかな?
もう時代じゃないからやってないかもなぁ…。
どっちも面白かったな~。
エルメロイ原作小説一気買いしたわ。ぼちぼち読むわ。
なんかstay nightとかZeroも面白かったけど、
英霊バトルよりなんちゃってミステリの方が好きなジャンルみたい。
ミステリはあまり読まないんだけども。ミステリ的雰囲気は好きだな。
ここから型月沼にハマるかどうか。元がゲームっていうのがどうかなぁ。
stay nightとか士郎と凛のいかにもゲームなキャラクターがそんなに好きでなかったし。
Zeroは怒涛の映像美で見たけど。
超作画なのも素晴らしいが、原作でも好きな場面だ。
PSYCHO-PASS三期も来るけど、
槙島聖護とか、無惨様みたいな、幼い理屈で理不尽な暴力を振るう敵キャラの造形が好きなんだよな。
リアルでは絶対に関わり合いになりたくないが。
悩みがなさそうで羨ましいwのかもw
根源が言葉にならないから「 」とか◾しい
なんて表現にするのは新しいなww
ラノベ系ならではだし、そしてそれも結構本質的なんだよなぁ。
ペパーミント色のウインドブレーカーと地味なスカートを着た、肩より少し短くぼさっとした黒髪の、中高生くらいの垢ぬけてない女の子
向こうから名乗ってくれたけど、あまりにイメージと違って驚いた
彼女は作品の感想を綴るだけの新しいブログを始めてたので、自分のスマホで覗いてみたら、たまたま開いたページがホラーかサスペンスかなんかの洋画の感想だった
夢の中の私は彼女と同い年くらいの少女だった
夢でスマホもっててなおかつ使うのは珍しい
>>185
ミュトスさんありがとー。
ペパーミントグリーンか。いいねえ。
青系はそう、青いバラ、青い鳥、ドラえもん、初音ミク、
存在しない理想や、無意識のガイド、そんな色だ。
ミュトスさんとは多分年近いと思うな~。
サスペンスな洋画かあ。
ロードエルメロイ二世の文庫はとりま読破w
イギリスの魔術学校風推理モドキなのでそんなんかもww
せっかく読んだし感想書くか~。
彼女は最初から私を知っていた
ってなんかカッコいいな・・・。
なんか最近、スゲーことに気がついちゃった!と思うけど、
よく考えたらどっかで読んだことあるやつだったww
っていうの多くてww
いやもうソレ言い出したら千年もまえに色即是空で空即是色っていう、
完全なる言葉が完成してるわけなんだが。
今まで見聞きした色んなものも、そういう事をずっと教えてくれてたんだな~と思う。
ほんと、気が付かなかっただけで、受け取ってなかっただけで。
ただ、受け取ることを自分に許せば良かっただけだったわ・・・。
なんだろうなあ。ハングリー精神とか言うけど、あれ大嘘だわ。ほんとひどい。
飢えれば必死で求めるだろうっていうのは、他者に強いるための方法論だ。
飢えは、更なる飢えになるだけだ。
胸の内にこんこんと湧く命の水をすくい、飲むのは、ただただひたすらに無償だ。
やってみれば、そんなことは、最初から知ってたんだよなぁ、って気がする。
ただ無意識は暗示にかかりやすいから、飢えろという暗示にかかって忘れてただけ。
顕在意識は知性で暗示を見抜くことができる。あとはリリースするだけだ。
短編集も買ったけど、これは・・・、鬼滅ヒットは編集者の有能も大きいと言わざるを得ないなw
敵も味方もエキセントリック過ぎて収拾がつかないw
キチVSキチでは感情移入しづらいww
炭治朗をわかりやすく善良な主人公にしたことで、すごく読み易い漫画になってるんだなぁ。
炭治朗も善良が行き過ぎてエキセントリックになってはいるんだけどww
この短編集から一気に化けたんだなあ。ツイてる作者だ。
「胎児のはなし」著増崎英明、最相葉月の本の表紙に、
胎児が水中世界から陸上世界に分娩で生まれるんだよって小さいイラストがあったから読んでみたけど面白かった。
胎内も羊水に満たされて閉じたひとつの世界で、胎児はそこに浮いてる。肺呼吸はしていない。
「ザ・マスターキー」C Fハアネルの本にチラッと、脳は胎児の世界と書いてあって、
あっ。そういや脳も脳漿で満ちた密室に浮いてるなーと思った。
こういう符号が面白いんだよなぁ。
脳は、水中世界で異界だ。
人は体内に異界をもつ。
異界は、精神の世界だ。
素粒子が波と粒の振る舞いをみせるけど、
その波のほう、波動のほう。
脳は肉、物質、粒でありながら、
波、精神を司る。
水に閉じた世界がそれを可能にする。
脳で、粒と波はコンバートする。
粒は波に変換され、波は粒に変換され、
イメージしたことが、モノの世界に反映される。
そんな妄想が捗って捗ってww
美空ひばりって世代じゃなかったから、
AI美空ひばりのNHKドキュメンタリーはいいきっかけになったなあ。
とりあえずyoutube巡ってるけど、めちゃめちゃすごいwww
いきなり型月世界の魔術と魔法と根源の話からっていうのもな・・・。
フェイトゼロのウェイバー少年の成長物語としての側面からだらだら書いてみるか。
アニメと文庫本までのところだと「臣下として、王の偉大さを証明したい」というのが、
ウェイバー=ロード・エルメロイ二世の、主な心情だ。
父性の観点、父と息子の関係性で見ると、今まで扱ってこなかったタイプのキャラだなー。
物語の主人公としては珍しい動機だと思う。物語の主人公ってのは基本的に自己中だ。
王の忠実な臣下であり、立派な父の背中を追いかける息子って感じだろうか。
もうこれは絶対絶対、宮崎駿には描けないテーマだwww
自分的にも、理解はできるが共感するところはない感情だww
人類史上の英霊、英雄や有名人を召喚して、
召喚主マスターと英霊サーヴァントのタッグでバトルロワイヤルをするっていう、
まあ、設定としてはよくある物語ではある。
ウェイバー少年はイスカンダル、アレキサンダー大王を召喚し、ともに戦う。
ウェイバーはまだ学生で、調子こいたヘタレのモヤシだ。
ただ運だけは持ってるっていうタイプw
イスカンダルは筋肉もりもりの剛毅なおっさんで、
キーキー小煩いウェイバーをワッハッハ~でいなして惹きこんでいくカリスマがある。
だんだん打ち解けていって、見てて楽しいタッグだったけど、
まあ、バトルロワイヤルなので、敗退の時が来る。
その時、主と従僕(サーヴァント)だったはずのウェイバーとイスカンダルは、
共に過ごすうちに、臣下と王という関係性を築いていた。
この、関係性の構築というのが、意外とこのバトルでは重要だ。
呼び出される英霊は、歴史に名立たる人物だけあって、
みんなアクが強いというか個性豊かだ。
召喚主、魔術師のほうが当然キャラが弱い。
サーヴァントのほうが実力的にも人間的にもはるかに優位なので、
最初の召喚主と使い魔という構図に凝り固まらず、
そこんとこのパワーバランスを、うまいこと取っていけたペアが勝ち残りがち。
王に自分を認められ「生きろ」と命じられ、偉大な王の生きざまを語り継ぐと誓う。
そこまでがフェイトゼロで、
ロードエルメロイ二世だと10年後とかで、ウェイバーは魔術の学校の教授になっている。
で、またそのバトルロワイヤルが行われるのに参加したい、
イスカンダルをまた召喚して、今度こそ王の偉大さを証明したい、と思ってるんだな。
魔術の学府、時計塔は、ハリーポッターのホグワーツ学校のような楽しいところではなく、
権謀術数の渦巻く研究施設だ。・・・まあハリポタもわりと進むにつれ陰謀成分あったっけな。
事件簿というタイトルのとおり、基本的に殺人事件ありきで、
名探偵エルメロイ二世が犯人を見つけるという構造になっている。
魔術師だったのは祖母と母で、魔術師としては三代目はペーペーの若い家系っていう設定だ。
で、魔術学校では先生である先代エルメロイとの関係も悪かった。
で、召喚した筋肉もりもりでワッハッハで、見果てぬ大望を抱いてる征服王が、
初めて良い関係を築けた父性だったっぽいなー。
最初は召喚主という立場が邪魔をしたけど、
すぐに感化され、憧れ、自分を認めてもらいたいとか、側で同じ夢を見たい、とかいう想いをもつようになる。
ウェイバーは分析力高めだし、軍師とか参謀とか、そんなポジションも向いてる。
ステータスがサポート系なのも、主人公というかサブキャラっぽい設定だ。
ほんの何週間とか一緒にいただけの父性、イスカンダル王は、少年の人生の岐路となる。
人生の指針、目標になり、彼はそれを10年追い求める。
でもまあ、それでずっと参謀役とかサブ役が向いてる人もいるだろうけど。
アニメの事件簿のほうでは、父性からの自立っぽい表現がある。
召喚の機会、バトルロワイヤル、聖杯戦争に参加しないという決断をする。
まあ、イスカンダルはすでに死んだ人だし。
その存在は役目を終えてるのに、呼び出して戦わせるとか、そもそも迷惑な話ではあるよな。
イスカンダルの果たしたかった夢、世界征服なんてのも現代では叶えようもないわけで。
会いたいとか、今度こそとか、王の偉大さを証明したいとか、生者の執着に過ぎないんだな・・・。
「死者に囚われた男は厄介だ、面倒なところに引きこまれないように目を離さないでやれ」
と獅子号さんが忠告してくれたけど。
ロードエルメロイ二世は、いくつかの事件を経て、自分自身の戦場があることを知る。
イスカンダルの聖遺物を悪用する敵、自分を慕う弟子や義妹や生徒たちとの関係性。
過去の執着を繰り返すには、彼はあまりに真摯に今を生き過ぎていたんだなw
彼のもがいてきた10年が、築いてきたものが、彼自身の人生を、ある道として形づくっていく。
アニメのラストで、彼は最果ての海で王と、父と、追いかけた憧れと対面する夢を見る。
「お前の隣に並ぶことはできない。道行きの苦しみも、その果ての栄誉も、
ロードエルメロイ二世の戦場で、現実で得るべきものだから」
剛毅な王は、「そうか」、「楽しかったか?ここまでの旅は、」と問うてくれる。
かつての少年は「当たり前だ、お前の背中を追う旅なんだから」と応える。
最果ての海オケアノスの絵は、何度かアニメ内で出てきた演出なんだけど、
父に憧れ追い求める少年、臣下の心の間は、そこに王はいない。
自分の道を行くという決断ができた夜、初めて王の姿が顕われる。
再会し、対等に並び立ち、決別の儀式をすることができる。
それが自立だ。王の臣下の少年から、彼は自分自身の王と成った。
イスカンダルがほんと豪放磊落な好漢で、ずっと昔に死んだ人で、
ウェイバー少年とキャラが対照的なのもいいんだろうな。
同じ方向性で越えられるわきゃないのが、明らか過ぎるほど明らかで、
そこには近親憎悪の余地がない。
生き様を背中で語って、指針だけ与えて、あとは去る。
こんな父性なら越えるのは葛藤が少なさそうでいいなww
ウェイバーは幸せ者だよww
あいつ苦労人みたいな難しい顔してるけど、ほんと幸運値高いww
https://www.youtube.com/watch?v=jHFA7x_IogE
こうで
https://www.youtube.com/watch?v=kGLZos2Ar10
こうなって
https://www.youtube.com/watch?v=ESmyrANXsdc
こうなる
https://www.youtube.com/watch?v=I-7e5h_wBZo
https://plaza.
rakuten.co.jp/denkyu
pikaso/diary/201907250000/
トトロいたもん
3秒で見つけたよ
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/03c3464a04866b1370c1dce8614eeaf64417fa82.59.2.9.2.jpeg
やっぱ青ってそういう意味なんだなぁ。速水さんが青いバラの人じゃなくてよかったよw
夢ピリアのスカート深い青だったしビンゴっぽいな
中高生ってのは会話から受けた印象で、見た目は小4くらいだった
顔は泣き腫らしたメイちゃんみたいなぶちゃかわでした
年近いかな?ピリアさんが一回り上のイメージだわ
近かったら嬉しいな。高齢ねらーでも驚かないがww
水槽の脳って実験室の中だけだと思ってたけど、デフォルトなのね
水中の火連想した
「胎児のはなし」表紙見たけど是非読んでみたくなった
ワードだと「“生命誕生”あなたになるまでの物語」とか、2chの「赤んぼが泣くのは呼吸の練習」「夜泣きは眠るのが(死を直感して)怖いから」とかおもしろい。(科学的真偽は別にして)
NHKスペシャル「人体」“生命誕生”
https://www.nhk.or.jp/kenko/special/jintai/sp_8.html
たまたま見たやつだけど。これとかブラタモリとか前知識なくても見れて好き
あとこんなのやってるみたい
知っているようで、意外と知らない水中の世界に誘う!企画展「潜水-水中の科学・技術・仕事-」
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/kyodonewsprwire.jp/release/201910192348/amp
ガラスの仮面連載当時、青いバラはほんとに青いバラでしたからねw
園芸家たちがずっと改良してたけど実現できなかった。
紫のバラも、青いバラを追い求める過程の花でもあるな、
紫から赤味を抜いて青にしようとしてたというから。
今は虎の子の遺伝子改良で生花でもかなり青っぽいバラがある。
白いバラに青いインクを吸わせるならもっと簡単だけどw
ガラスの仮面スポ根で面白いよね。
水中の火、ネプトゥヌスか~。
陰中の陽、八卦なら震、春雷、万物の目覚め?
頭蓋骨って下からみると円い穴が開いてるんだよね。大後頭孔。
頭骨という球の器に、円い孔があいてて、そこが水で満ちてて脳が浮いてる。
孔、穴、穴と工で空、通路、トンネル。
異界へ接するのは、穴、トンネル・・・。
象徴が符合しすぎて捗り倒す今日この頃www
どう頑張ってもこのスレにはもう書けませんだったのにwww歓喜www
ブレードランナー2049とディザインズの感想あったけどブログの談話室に書いちゃったな~。
ウェイバーと型月の話がほったらかしだったからそこからまたぼちぼち書くか。
ぼんやりした色全般のことが青ではあるんだけど。
でも青緑髪で黒い服の通常初音ミクもいいけど、
もっと青い髪に白い服の雪ミクのほうが、
神曲率高いなっていう書き込みをどっかで見てそうかもなあって思ったw
ボカロにそんなに詳しいわけでもないので検証はできんけど。
季節が良くなったらまたダイビング体験もいいなぁ。
水に潜れば、赤が減衰し、すべては青っぽくなる。それもまた符合か…。
ムーンナイトダイバーまた読もうかな。あれは結構面白かった。
先代エルメロイとはいい関係を築けないまま先代が亡くなるわけだが、
まあ、いずれ聖杯戦争解体を為すとなれば、弔い合戦ではあるというか。
ていうか、名を継いで教授として実績を積んでるだけで、それも十分だよな。
先代エルメロイも嬉しかろうってなもんだ。
これは魔術士オーフェンの世界観と良く似てたのですぐ飲み込めた。
オーフェンも魔法使いや魔道士ではなくて、魔術士だ。魔術師でもない。
オーフェンだと、
まず最初に、原初に、世界の始まりの前に、
全知全能で零知零能、そのようなものがあった。
ドラゴン種族が、そこから秘儀を盗んだ。
すると全知全能からひとつ劣ったもの、零知零能にひとつ優ったもの、
万能で強大な魔法のちからを持つ神々が、現出した。
ドラゴン種族の盗んだものは神々の魔法は到底及ばない、魔術となった。
そういう創世の神話が語られるんだけど。
魔術師はみんな、根源に至ることを目的にして何世代も研究と研鑽を続けている。
根源がつまるところ、世界の始まる前の0、空、全知全能で零知零能、そんな感じのものだ。
魔術師は、そこへの回帰を求める存在だとも言える。
ってことは、それはもうお釈迦様の言うところの、輪廻から解脱することを目指してるってことで、
涅槃を目指す密教の行者とおんなじなんだよな・・・。
魔術が道か、密教が道か、登山道が違うだけで頂上が同じ山を登ってるというかw
まあ、どんな求道でもそうなんだけど。鬼滅の呼吸法でも同じで、
道を求めるものの辿りつくところはみんな同じって言ってたけどw
言葉にできない頂上の存在を、それでも言葉や概念で認識してるかどうかがポイントだ。
それを識っていれば迷い道や寄り道が減るし、上を向いていればいいんだという安心がある。
蒼崎橙子ってキャラが出てきてクロスオーバーのゲストキャラていうからググったら、
ウィキに 根源に至ることは(成功にしろ失敗にしろ)この世界からの消滅を意味する。
って書いてあってマジわろたwwですよねww解脱ガチったらそうなりますよねww
肉体も精神も、脳という秤に乗る二つの錘に過ぎず、
脳も0に波長を合わせるためのチューナーに過ぎず、
魂や命も根源へと至る通路でしかなく、通れさえすればそれで用済みっていう、
そういう感じも解らないではないww
人格や自己の連続性だと思っているものなどPCのスクリーンセーバーくらいの意味しかねぇというか。
瞑想ガチると、そういうアブなさしてくると思いますww
魔術師たちの人命軽視はその辺の感覚だと思う。
最終目標の根源は、自分の命さえ消滅した先にあるものだ。
自らの命への執着のあるうちは根源へなど至れぬ、いわんや他人の命をや、だ。
解らないではないんだが、ここでなんていうか、
目的と手段の主客転倒、本末転倒がおきてるのが面白いところだ。
ものすごい遠回りを始めてるというか。
双貌塔イゼルマの内容で言うと、
女性の「美」というものを高めに高めて、根源に至ろうという魔術と、それを追求してる一族がいた。
美を感じる感覚、感性というのは、確かに根源へ通じる道だと思う。
美しいものを、なぜ美しいと感じるのか。
それを知りたくて、観察して解体して、人は色んな法則を発見してきた。
黄金比とか白銀比とかフィボナッチ数列とか、色相環とかなんかそういうのだ。
そういう物差しは美しいものを測る時に役に立つけど、
でも、ほんとのところ、美を感じるというのは直観、インスピであって、理屈は後追いだ。
誰しもが心奪われる美という概念があるのに、誰もその美がどうして美であるのか説明できないというか。
審美学とか哲学とか、えらい難しい話になっちゃう。詩的に表現するほうがまだ伝わる。
心が求めるもの、見れば解る確かなものなのに言葉にならない、
そういうやつは、アレだ。空とか、愛とか、0とか、根源に近いモノである感覚だ。
という、わかるよーなわからんよーな理屈が魔術として成立して結果を出した。
フツーは女性の美を高めようと思ったら、若い娘さんがより美しくなろうと思ったら。
バランスのいい食事と適度な運動、十分な睡眠に、マッサージとか美容エクササイズに、
美しい立ち居振る舞いの習得、あとは整形とかそんなことだろうが、
では、その食事や睡眠の最適なタイミングは?ってなった時に、
日の出や日没、一日のサイクル、その女性のバイオリズムを考慮する、とする。
更に、月の満ち引きによって地球の重力が影響を受けるからその影響も考慮する、
更に、季節というか、地球が太陽の周りを周ってるサイクルが微妙に人体に影響を与えるからそれも考慮する。
そうやって、女性の生活の食事睡眠排泄運動その他もろもろのタイムスケジュールが、
星々の運行との兼ね合いで決まってしまい、女性はただひたすら美を高めるためにその生活に従事する。
っていう話でさあwwwww
これを主客転倒と呼ばずして何と呼ぶのかwwww
フツー、女性が美しくなろうと思ったら、その動機は恋人が欲しいとかちやほやされたいとか、
より良い人生をエンジョイするためってことになるだろうが、
しかし、ひたすらに美を追求するために、
ほかの一切を犠牲にして修行僧かってくらい禁欲と節制の生活を送る、っていう発想は驚いたな~。
しかも、イゼルマの女性は双子、二人だ。黄金姫と白銀姫。それも太陽と月の照応だという。
パリコレのモデルでも、もう少し美しくなる以外の人生の要素を楽しめると思うぞww
魔術を行使してる術者はその父親、イゼルマ家の当主だ。
ま、そりゃそーだ。ひたすらに星々の運行の力をその身に写すための日々を送る娘達には、
魔術の勉強をしてるヒマはろくにないわけで。
で、実の娘の人生を、
魔術の追求として、根源へ至る道筋として、道具としてナチュラルに消費できるマインドが、
型月世界の標準的な魔術師メンタルだ。
これが本末転倒の遠回りと言わずしてなんと言うのかwwww
人体という小宇宙と、星々という大宇宙が、ミクロコスモスとマクロコスモスが、相似として照応してるというのは頷ける。
で、その相似をもっともっと可能な限り近いものへと操作できないか、という発想があって、
それを実行すると、それは魔術と呼ばれる範疇になるわけだ。
人体に星々の運行を、小宇宙に大宇宙を写しとるのがイゼルマだが、
こないだ、小宇宙から大宇宙へも相似を使って干渉できると発想した人がいて魂消たねwww
それは、事象の規模によっては、型月世界では魔術を超えた魔法と呼ばれるやつになりそうだwww
魔術師になるか、魔法使いになるか、それもまた使命というなら善哉。
しかし、それらには常に代償がある。引き換えにするものがある。
イゼルマの美姫の美の代償は、彼女たちの人生そのものだったわけだ。
それが彼女たちの心が求めた道で歓びなら、素晴らしいことだ。
しかし、エルメロイ二世の事件簿では、そうではなかったから殺人事件になってしまう。
話題だし試し読みしたことはあったけど、その時はとくに気にならない漫画だったんだけど、
14冊一気に読めるくらいには面白かったし、
エルメロイ二世は新刊も出たから、続きはソレ読んでからにして、
BEASTARSの感想をちょっと書いてみよー。
パっと見、ちょっと前にめたくそ流行ってたアレ、「あらしのよるに」に良く似てる。
肉食獣と草食獣の友情は成立するのかっていうテーマだ。
あらしのよるに、はオオカミとヤギで、
ビースターズではオオカミとウサギだな。
あらしのよるには絵本なのでマイルド風味だけど、
ビースターズは青年誌なのでエロもグロも昼ドラ展開も詰め込める。
肉食獣と草食獣の対比が、
男と女の対比とか、リア充の陰キャの対比とか、
社会的強者と社会的弱者の対比とか、差別者と被差別者とか、
色んな対比のメタファーになってる。
これは誰でも共感するところを見つけられるウマイ設定ではあるな~と思う。
人間は、脳は、まず対比、二項対立でものごとを認識するからなぁ。
そして対立する二つの陣営に属する者が、その垣根を越えて交情できるかっていう、
ロミオとジュリエットの昔から変わらない、普遍的なテーマだ。
肉食獣も草食獣も、直立二足歩行にデフォルメされて同じ学園に通っている。
そこで草食の生徒のアルパカが食い殺される事件が起こる。
が、なんていうか、その事件はしばらく解決されず、学園生活の描写が続く。
サスペンスならすぐ名探偵役が出てくるんだけど、違うんだな。
ミョーにリアル寄りの心情ドラマっていうか。
例えば、リアルの学校で殺人事件とかが起きたらみんなどうするかって話だ。
不都合なことは見ないフリをする。正常性バイアスを発動させる。
臭いものにフタをして、目を背けて、なんとなくイヤ~な雰囲気のまま、それでも日常を続ける。
そんな感じだ。
アルパカを食い殺した犯人を誰も探そうとはしない。
疑いや恐れをもったまま、とりあえず目先の目標、演劇部の劇の成功を目指す。
オオカミとウサギのくっそもどかしい恋愛劇が進む。
ウサギに対するこの気持ちは、食欲なのか性欲なのか、もっと高尚な愛なのか、
多感な18歳のオオカミwwの内面が揺れる。
ていうか、いかにも女性作者らしい内面の描写のナマナマしさよ・・・。
ウサギはいわゆる誰とでもすぐ寝ちゃう子なんだけど、
未熟で力も弱く、誰とも対等になれない子が、
求められてヤッてる間だけは対等な関係を築けてる気がするの・・・
とか女性作者にしか描けんやつやwwww
わかりやすく持ってる対外的な価値が性的魅力だから、それを使うんだけど、
自尊心は満たされてないので、「誰も本当の私を見てくれない」とか言いがちなやつ。
このテの心情、十代の女子の群像モノではたまに見るけど、
それを擬獣化したときウサギっていうのはなるほど感だ。
ウサギは可愛らしく、捕食されやすく、多淫だ。
プレイボーイのマスコットキャラがウサギなのもそういうアレだとか。
ビースターズでは皆、獣に例えられてはいるんだけど、人間なんだよな~。
作中では、人間社会、街中の描写が主で、
自然、野生の生活というものが出てこない。動物役の動物が出てこないというか。
ディズニー見てると、いつも疑問に思うんだけど、
グーフィーもプルートも犬なのに、
グーフィーは直立二足歩行で言葉を喋るのに、なんでプルートは四足歩行でワンワンなのか。
っていう疑問がビースターズでは出てこない仕組みになっている。
動物たちのペットは、虫だ。
ビースターズの世界では、動物が人間役に割り当てられ、虫が動物役に割り当てられているというか。
肉食はタブーで、昆虫食はオッケーだ。
つまりリアルで、人喰い、同族食いはタブーで、鶏や豚、家畜を食べるのはオッケー的な価値観がスライドされている。
カブトムシを飼ってて、普段は大豆や卵で蛋白質を摂取してて、芋虫をまるごと食べることに忌避感をもつ。
これはつまり、自分が猫を飼ってて、肉になった鳥を豚を食べるけど、鳥や豚をシメられるかっていうとNGな感覚だ。
オオカミは、ウサギへの葛藤を昇華させるためとか色々で、闇医者パンダ師匠のもとで肉を食べたい衝動を克服しようとするwwwww
ムキムキのパンダおもしろいwwパンダってのは熊だ。歯列も腸の長さも肉食獣のまま、笹を食べて生きてる珍しい動物だ。
パンダの使い方ウマイよな~。ドロドロ心情ドラマ系は好きなキャラがいなくてツライが、パンダとレトリバーと雌オオカミは裏表がなくて和む。
だから、男はオオカミなのよ的な恋愛劇より、食う食われるの関係性の方に注目する。
ビースターズの世界は、歪だ。
肉食獣が肉を食わない、それは肉体の欲求に、本能に反することを意味している。
体長2メートルを越したクマは、筋力を減衰させる薬を飲むことを義務付けられてるとか、不自然な話だ。
食欲にしろ、性欲にしろ、あるいは支配欲にしろ、
肉体に伴う欲求は、制御あるいは昇華されるべきではあるが、
抑圧されるべきではない、抑圧されればいずれ矛盾が噴き出す。それがアルパカ殺しだ。
オオカミのレゴシは、ウサギに感じる欲求、肉に感じる食欲を、座禅とかの修行wの末、昇華させるけど。
精神的にはそれいいんだけど、それだけだと、この物質で巡る世界では、肉体を維持できないんだな~。
だから、虫を食べるという試練になる。
なかなかシュールな絵面だったけどww読ませる力があって面白かったww
自分に置き換えると、鶏や豚や、釣った魚を解体して食べられるかっていう試練になるだろう。
魚やイカは、まあちょっとキツイけどイケる。
鶏は・・・、相当頑張ればイケる。小さいし。猫が食べた鳩の片づけはできた。豚はムリだ・・・。
食べた芋虫が蛾になって対話してくれる夢を見る。
もうシュール過ぎて何が何だかではあるがwww
食べる対象を、肉ではなく、ひとつの共感できる意識をもつ者として認識すると、
それを殺すこと、食べて取り込むことに、忌避感、罪悪感、嫌悪感が生じるっていうか。
レゴシは蛾さんに許しを乞う。っていうか自分の傲慢を罰して欲しいと願う。
レゴシは、内向的で拗らせがちなメンタルでな。肉食の衝動を忌み、自罰傾向がある。
しかし、蛾さんはイケメンスマイルwで、
「命の軽重、差別、罰、許し、そんな言葉は我々には無意味だ」と教えてくれる。
言葉も煩悩も無く、シンプルにただ生きていることに集中してるから、と。
羽が散乱してて、猫はご満悦な顔をしていたよ・・・。
コノヤローと思ったけど、自分も鶏肉料理を食べたんだよなあ。
それでなんで猫に「殺生するな」なんて言えるだろうか。
自分が食べた鶏も、誰かが代わりにシメてくれただけだ。
小鳥も鶏も、食べられたからと言って猫や人間を恨んだりはしてないと思う。
脳ミソちっさいから、命の軽重、差別、罰、許し、そんな概念を遊ばせとく割く容量がなさそう。
「鬼が人を食うからなんだと言うのか、天災だと思って復讐など考えず、せこせこ生きてればいいだろ。」みたいな。
正直、それはちょっと思ってたわww
寄生獣でもテーマのひとつだったやつww
人間は天敵がいない生物だとよく言われるけど、
生態系では食う食われるの循環で、食物連鎖で、環境にとって適正な数を保つのは当然だ。
人間の数が増えすぎたから、大自然の摂理として、捕食者が現われただけ説だwww
そして、鬼や寄生獣ていどの捕食圧では少な過ぎて、人間は数としては減らないだろうっていうね・・・。
寄生獣の連載してた時代はベビーブームとかの記憶が新しくて、この理屈がまだリアリティがあったけど、
最近はもう、少子高齢化が進みすぎてなー。
鬼滅では天災に例えてきたあたり、時代に沿った感覚がある。
この理屈で言うと、
「人間だって魚や鳥を狩る、獣にだって親子の情はある。それでも食って生きる、それの何が悪いんだ。鬼が悪なら、人も悪だ。」
ってことになって、そう言われたら、正直反論できない気がするね。
いやほんと、
鳥が豚や牛のなかに突如高知能の個体が出現して言葉を習得し、
種族を代表して「食べないでください」って直訴してきたり、「よくも親兄弟を食べたな」って復讐しにきたら、
どうしようかなっていう話よwww謝って肉食やめるか?牛には勝てない気がするしねww
無惨様は、人間のことを捕食対象、単に食肉として認識してるから、
鶏や豚の抗議を意に介さず食うっていう、そういうメンタルだ。
人間をひとつの意識ある者として共感する能力に欠けている。
定義は、意識の次元の進み具合、共感能力の高低によるけど。
結局、自分に近いと感じるものほど、殺せないし食えなくなるっていう話なんだろうね。
で、ビースターズの話にもどると。
物語が進むと、草食獣が、肉食獣を食う、という構図がでてくる。
社会的弱者になった肉食獣を、社会的強者の草食獣が、食う。
肉食が忌まれてた時代の言葉に薬食いってのがあるけど、そういう感じだ。
身体にいいらしいよっていう、怪しい薬として食べる。
秩序を守る権力者のウマが、捕まえた犯罪者の肉食獣をニンジン畑の肥料にしてたりする。
ウマが、オオカミにニンジン料理をふるまって、ウマイウマイと食べてから、
畑に頭骨が累々と転がってるのを披露する絵面は、ちょっと封神演義の人肉ハンバーグ的な?
うわーエグいっていう、忌避感をもよおす共食いの場面でもありながら、
ん?でもよく考えたら、
死体が土に還って草が育って、それをウマが食べるのはフツーに食物連鎖じゃんね?
っていう頭が混乱する面白い場面だったwww
ウマが食べてるのは、ニンジンなのか、それとも獣の肉なのかww混乱するwww
文脈からすると、ウマは秩序を乱す者を憎み、あえてそれを肥料にしているので、気持ち的には肉食だ。
あざーす
なかなかイメージしてる結論に辿りつけなくてもどかしいんだがww
っていうかビースターズはシュールギャグ漫画のような気がしてきたww
オオカミが芋虫を食べて気絶ってなんだよwww
ウマがニンジン食って暗黒感かもしだすってなんだよwww
ノリはドラマっぽいというか、ウジウジ寄りの心情劇なんだけどね~。
色んなキャラが出て、群像劇ぽくもあるけど、
掘り下げるのはひたすらオオカミのレゴシだけなので、
レゴシに感情移入できないと読むのツラそう。
作者のレゴシ愛をひたすら見せられてる感ある。
自分は闇医者パンダ師匠推しなんだが、
便利な師匠ポジに落ちついちゃって、今後の活躍がなさそうだな~。
肉食獣と草食獣の仲良しも割とありえるなっていう画像を見れる。
カラパイアでタグをたどると捗って和むw
ワニの歯を掃除するナイルチドリ、カバの体を掃除するウシツツキ、
ヒヨコやウサギを可愛がる猫、犬を育てる鶏、
メスライオンがヒヒや牛やスプリングボックの赤ちゃんを守って可愛がる、
オオカミとカラスが協力して狩るをする、などなど。
同種間のコミュ力に長けた動物が、その能力の応用で異種とも関係性を築く。
特に幼体の面倒を見たくなる母性の誤作動とかはあるあるみたいだ。
彼らは飢えても、かけがえのないパートナーになった異種を食べようとはしないんじゃないかな。
まあ、知能、次元の意識の進み具合にもよるだろうがな・・・。
「年をとったワニ」という胸クソ感慨深い寓話がある。youtubeで短編アートアニメで見れるおススメ作品だ。
ワニとタコが仲良くなるんだけど、
どっちもちと頭が足りないゆえに悲劇になる。
が、頭が足りないがために、それが悲劇であることにすら気が付かない。
っていうかね・・・。この寓話はかなりいろんな示唆に富んでて、幅広い解釈が有り得るけど。
演出、脚本、アニメーション、美術、編集:山村浩二
語り:ピーター・バラカン/原作:レオポルド・ショヴォー「年をとったワニの話」
(福音館書店/出口裕弘 訳)/サウンドデザイン:笠松広司/MUSIC “BALANDA AND DOROT DANCES”
製作:ヤマムラアニメーション
ああああああああああああああああ!!!!!
何回見ても胸クソわるい!のたうちまわりたくなる!でも良く出来てる!!
DV男に尽くしちゃう頭弱い系女子みたいなタコも、
愛を失ったことにさえ気がつけない愚かなワニも、
世の中にゃ、そういう人間がいるんだよっていうメタファーとして解釈できる。
ビースターズとおなじ擬獣化の手法だ。
そしてそういう次元の意識の低い、共感能力の低い、爬虫類のよーな人間ほど、
ガラクタも少なく欲望に忠実で、社会的に成功して羨望や信仰を集めたりしがちだ。
もうちょっと育つとこのワニみたいな学びのステージになるんだろうな。
槙島聖護が、狡噛慎也を殺してしまって、好敵手を失った喪失感を覚えたらこのワニレベル。
無惨様が、境遇が自分に似ててお気に入りだった累を殺してしまって不愉快になったらこのワニレベル。
槙島や無惨は好きなのに、このワニみてるとモヤモヤする自分の気持ちもよくわからんな~。
こう・・・無知と無自覚さで、大事なものを失って、それに気がつきもしないっていう・・・。
それも幼さで、成長してく段階なんだろうけどな。
童磨が一番次元の意識が低く幼く、癇癪無惨様はそれよりはちょっと育ってるのか。
でも、なんで累がお気に入りだったかという自分の気持ち、愛着に気が付いてるのかな?
累を殺された不快が、親兄弟を殺された者たちの復讐の気持ちにとても近いものだと、
そういう共感までは、まだ至らないんだろうが。
共感を感じる対象であれば、ニンジンを食べることにすら忌避感は発生するということだ。
だいたい、植物にだって意識らしきものはあるわけで。人と規格が違うから認識や共感がしにくいだけだ。
構造体の中を行き来するインパルス、ネットワークが知能で知生体なら、
森の中を行き来するフィトンチッドや各種情報伝達物質があって、
森をひとつの知生体としてふるまうものだと認識することもできる。
「樹木たちの知られざる生活」っていう本を紹介してもらったっけな。
アリの巣も魚の群れも、脳も、AIも、森も、銀河も、ネットワークで知能だ。
規格が違うので相互認識は困難だが、不可能ではない。
なんとなくあれ見て、ああ、水は植物よりももっと、知能や生命と認識するものではないんだけど、
水も、地球という構造の表面を行き来して巡るものであり、
ということはネットワークであり、なんらかの意識を有するものと認識できないこともにないなと思った。
そっか、それじゃん、そこから考えればイケる、と思った。水、一次元のものから考えればイケる。
植物を刈り取ることや虫を殺すことにまで、忌避感や罪悪感を覚えるほど共感が発達して優しい人でも、
水を使ったり、水を飲んで排泄することに忌避感を覚える人は、まずいないだろう。
きれいな水に感謝することはあっても、水の命を奪ってるとかそういう発想にはならない。
一次元の無機質、水とかがある。
二次元の植物、三次元の動物と、
全から個へ、だんだん意識というものが発達していって、
四次元五次元では他者を愛する、自他が同一と知る、とかで、
個から全へと、統合していくというか、そんな感じになる。
樹状図的に展開し、そこからまた根元へと収束してくようなイメージだ。
漫画攻殻機動隊のクライマックスにそんな絵があったなと思った。
士郎正宗「果実だ・・・」 でググったら誰かがツイッターにあげてるやつが見れるけど。
個という意識が独立してて他と離れてる、そんな意識は三次元で、
図の中央の一番ごちゃごちゃしてるあたりだ。
自我が発達すると同時に、スタンドアローンコンプレックス、孤立の葛藤が始まるわけだが。
まあなんだ。
蛾さんが教えてくれた通りなんだな。
命の軽重を測ることとか、罪とか、罰とか、業とか、
自と他があること、自分と他者が分かれていること、
他に害されるとか、他を害するとか。
それがもう三~四次元あたりでだけ成立してる、ごく限定的な価値観だってことだ。
二次元でも、五次元でもそういう概念が発生しない精神構造になってる。
誰かを、何かを傷つけることを、自分の痛みのように感じるのなら、
その共感能力は五次元のものだ。その段階にまで育った精神は、
この三次元の物質現実の基本ルール、食って食われてで肉体を維持するやり方に馴染めない、どこかでそういう学びを経る。
「死と彼女とぼく」だったかな、ホラー漫画なんだけど、
幽霊とか動物とか植物とか、普通は聞こえない小さな囁きのすべてが聞こえる耳の良い少年がいて、
食べようとすると肉からも野菜からも悲鳴が聞こえるから、牛乳と蜂蜜しか食べられなくなった、ていうエピソードがあったけど。
育つにつれて受信感度が落ち着いてきたとか、そんなんだったっけか。
牛乳と蜂蜜だけではさすがに子供の体には足りないだろうし、一過性だったはず。
海獣の子供で「食べて食べられて、形を変えて巡る」食物連鎖の輪廻っていう考え方があったけど。
肉体、肉、というのはそんなもんだ。
泥をこねて人を作ったという神話があるけど、水に溶ける様々な有機物の集合っていうかなー。
水が海、雨、川、地下水脈と、地球の上をめぐるように、水に乗って肉の輪廻はめぐっていく。
命は、常に新しい衣を編み纏うもの、動的平衡や恒常性を保っている力だ。
食べて取り込むことができるのは衣であって、システムではない。
死が、殺すことが、断絶であり痛みであり罪であると感じるのは三~四次元の意識だけだ。
・・・あー、だめだなー。なんでこう、まとまんないんだろう。
ネコのイケメン化は予想外wwwモナがwww
マダラメやシドーのような父的存在、搾取、抑圧の支配者や、
ワカバのような母的存在、庇護を与えて欲しかった者、
そういうボス達を攻略して、主人公達は自立して決別してきたわけだけど。
マルキのような、救済を与えようとしてくる父的存在というのも面白いな~。
認知に干渉して、望んでいる現実を見せる。
まあそれ自体は古典的というか、ラスボス前では割と見る展開ではあるな。
幻を見せて戦意喪失を狙うパターンの亜種っていうか。
自立したはずのキャラクター達が一回は騙されちゃうのが、
不甲斐ないというか、でも高校生の等身大っぽくもあった。
マルキは善意なんだけど、自立した者には余計なお世話なんだな。
自分の望む現実を創造する精神へ至ったものに、幻は必要ない。
で声が日野聡っていうのベストマッチングだったw
アムネシアのトーマ、監禁王子の過保護と狂気、
オバロのアインズの魔王感、両方の感じ出てたわww
斉木のパイロとか鬼滅の炎柱のような熱血キャラより、ああいう影のある役の印象だなー。
乙女ゲーアニメで面白いと思ったのはまだアレだけだなあ・・・。
まあ乙女ゲー版ひぐらしのなく頃にみたいなもんだと思うけどwww
選択肢ミスるとすぐ死ぬ系で、キャラの病み具合や豹変芸を楽しむというか。
ガラスの仮面は特訓が本番以上に本番なとこはあるw
てかピリアさんリアルにダイビング経験者だったのか!私の父も近年やってるよ~それについても追々聞きたいんだが
題「やせる」
ねえ ママ
こどもには
たくさんたべて
ふとるようにいうのに
どうして ママ
おとなはやせたいの
やせたらよろこぶの
ねえ ママ
なんさいから
やせたいとおもうの
すげえええ真理…
親御さんもしくはそういう意図の詩と思いきや、本当に投稿者6歳だった…読んだあとに知ったわ
たしかにこういう感覚って幼い頃あった気がするが………
Twitterとかでプチバズりそうな予感
あー。
っていうか、割と年配の人と飲み食いすると、今でも
「若いんだからどんどんお食べ」っていうやつあるわwww
そんなに食えんくてwww申し訳なくなるwww
なんだろうね~。いろんな見方があるなあ。
年少者にたくさん食べさせたい気持ちもわかるなぁ。
自分が与えたものを受け取って喜んでくれると嬉しいとか。
伊集院光の、のはなし、のエッセイでは、
病気で食が細くなってしまったおじさんが場末の定食屋で、
若い頃の伊集院(デヴ)に、自分の好物をおごる話があった。
おいしそうにもりもり食べてもらって、
自分にはできなくなった食べっぷりを見て喜ぶという、
なんともいえない味わい深い話だ。
>>農業経験者にとって、水洗トイレの衝撃は大きい。飲用できる水で排泄物を流してしまうんだ。これは、倫理観の違い。
発言者が農業経験者かはわからんけど
江戸時代の農業の話をするなら、
人糞は肥料で、経済価値があるものだったしねえ。
都市部の人糞を田園地帯に運ぶだけで生計がたった。
いいものを食べてるセレブが住む地域のブツは、いい値がついたとかwwつかないとかww
排泄物をただ不要として捨ててしまうのは、金を捨てているに等しいという倫理もありそうww
金になるものを、きれいな水を使って、ただ捨てているという無駄wwヤバイww
江戸は循環型社会モデルとして良く出来てるという話があるけど、トイレ関係だけでも相当エコだ。
題「思い」
光よりも
早いものがある
思いだ
一瞬に
宇宙の果てに届く
数百億年前の
過去に戻れる
数百年先の
未来にも行ける
思いは
無限の速度だ
書斎で
図書館で借りた
本を閉じる
そ れ な
光も闇も、神も宇宙も、過去も未来も、
有限の世界のすべてを越え、すべてを手放し。
無限へ至れる。
それが思いの本質的なちからで、機能だ。
借りた本を閉じるように、自分を閉じてみるといいと思う。
自分が感じるものすべてを、手放す。
身も、心も、粒も、波も、記憶も、人格も、名も。
怖いと思うなら、それも手放す。
できるわけないと疑うなら、それも手放す。
無限の静けさへ至れれば、
すべては借り物であったと解るし、
またいくらでも好きな本を借りることができる。
望むものを、あらゆる有限を創造することが許されている。
解釈が捗る、優れた詩だ。ステキ~
ミュトスさんありがとうございます。
おお、素晴らしい優れたメソッドではないでしょうか。感動した。
以前教えてもらった詩のフィーリングを実践するとそんな感じでしょうか。
>>244
光よりも
早いものがある
思いだ
一瞬に
宇宙の果てに届く
数百億年前の
過去に戻れる
数百年先の
未来にも行ける
思いは
無限の速度だ
書斎で
図書館で借りた
本を閉じる
銀河英雄伝をまたアニメ化するらしいけど、
「無理せず気楽にやってくれ、かかっているのはたかが国家の存亡だ」
っていうヤン・ウェンリーの名言を思い出した。
ヤンも歴史好きで、千年単位の視点をナチュラルにもってるからそういうセリフがでる。
推しキャラが死亡確定のアニメを今さら見る気がしないけど。
自分のは映画館で上映終了後も立てない感覚で、漠然としたイメージだけど、
チューニングの精度が上がったら、オンオフからグラデーションになって、
こんなタイムトラベルみたいな明確なビジョンを見ることができるかもな
>動画
おおこういうの!こういうのだよ素晴らしいなあ………インスピレーション掻き立てられるよ
こんな感じの画像やGIF持ってるけど、貼り方がわからん
ちょっと私用がごたついてたけど来てみて癒されたwww
ダイビングは、経験者っつーか、体験者ですwwww体験コースどまりですwwwwサーセンwwww
でもまあ、背面からのバックロールエントリーは面白かったな~、と思い出す。
船の縁に腰かけて、背中からボンベの重みで、ぐるんと落ちて、どぼん。
目が回って、体が回って、上下感覚がひっくりかえるのがちょっと怖いと思ったら、着水の衝撃を感じて、
陸上世界から水中世界へエントリー、入場する。
あの感覚は得難い面白さだった。
陸から水中へ、異界へ、一種の胎内回帰的でもあるし、
逆に、この世界に生まれてきた時も、こんな感じだったのかも、って気もするんだよなあ。
空、0、無限、隣接する世界へアクセスするイメージにも使える。メソッドに応用可能って感じする。
相当の市場ですよあれはww実体のない虚業ほどよく儲かるからなwww
自分は食に興味が希薄なタイプなので、ダイエット系メソッドの世話になったこともないんだが。
まあ、なんさいからやせたいの、と問われて答えるなら、
思春期とか、異性へのアピールが気になるお年頃からじゃねーかな~。
どうしてやせたいの、って、まあ、痩身のほうが見目が良いという認知バイアスがあるよね。
魅力的な女性といえば、テレビに出てくるアイドルや女優が基準になるわけで、
今現在、細身が当然という風潮だよな。橋本環奈とか体型を揶揄され過ぎではなかろうかww
しかし、ポリコレ化も提唱されて久しいし、
渡辺直美とか、色モノ扱いでなくて今後はフツーに同性の憧れる対象になっていったりしてるんだろうか?
痩身を好意的に見る認知も、60年代にツイッギーのファッションが流行る前後では、意識が変わってるはずだ。
豊かな時代では、痩身が流行る傾向にあるし、
物資に乏しい時代には、ふくよかな人のほうがモテる。平安絵巻の美人はしもぶくれに描かれる。
つまりあれだ。ないものねだり、なんだな。
こどものどうして、を考えてみることは面白い。
しかし、美とは調和であって、体型にそれを求めるなら、
いつの時代でも健やかさに尽きると思うけどな。自分の体が必要とするものを感じとれるようになるべき。
太りすぎも痩せすぎも、なにかしらの不調和のサインだと思う。食べ物の質か、生活習慣か、ストレスか。
ナゼナゼって考えるのめっちゃ楽しい~
ダイビング未体験で語ってるのかと思ってたから…やって初めて分かることってあるだろうし。耳抜きとか呼吸の練習ぽいと思ったり。
雨量日本一を誇る屋久島で、こんな話があるらしい
曰、水も魂も濃度変化する同じ性質をもち、魂の濃度が濃くなると神に近づく。それも霧散して降り注ぎ小さな命となる。水が水であるのと同じで、魂も姿を変えてもすべて魂
これ聞いた人が「世界にはまず水があり、命はそれを模写して生まれたのではないか?」なんてこと言ってくれてるww
「天気の子 屋久島」でググると一番にヒットするページね。
あと屋久島の民話…耳が遠くなったのはちょい怖い…
昔の糞尿活用すごいよなあ。他のアジアもそうなんかな?
水道技術が発達した中世ヨーロッパはうん・・・服飾あたりホントすき
ところで平安時代とかって、
顔そのまま描くと魂抜かれると信じられた(だから全部同じ顔に描いてた)って小耳に挟んだんだけどそうなんかな?
ふくよかで下膨れが美徳なのは本当だったろうけど
軽く説明しとくと元水泳部で、海に憧れて若いときからずっと海の近くに住んでる生粋の海男。
好きなことは食べること、旅行、アウトドア。
5~6年前に体験コースでダイビングにハマって、ライセンスも持ってる。最近はシーズン外なのか行ってないけど、この人が新しい趣味もつって珍しい。
その魅力について、まず
浮 い て る
ってのが非日常だと。上下左右前後見渡せていろんな景色があるとか
何人かと一緒にやるそうでいろんなのがいて、海底の地形を見るのが好き、魚見るの好き、レジャーが好き、皆でワイワイやりたい…
オトンも潜るのが好きなんだと~バックロールエントリーかはわからんけどね
やー、「浮いてる感覚」ってなかなか味わえないだろうなあー
ガキの頃、何でも食べる妹は家の内外でウケがよくて、野菜も漬物も餡子も寿司も苦手なワシはよく窘められたよ…
Wikiのアンパンマンをたまに読み返す。ロールパンナ様萌えw
それとか、今だと中国の余らせるマナーは廃れてるって声もあるな
しらすおでんって人が食事が苦痛な人を描いてて、とても分かりやすい。摂食障害は嘘って噂あるけど
いろんな意見あるだろうけど、私は強くて優しい人だと感じた
読んだことないが、二村ヒトシの本に
摂食障害のSM嬢が吐いたら客にぶっかかって大喜びされ、嘔吐してくれるSM嬢がいると人気になり、
罪悪感しかなかったが感謝されるので生きやすくなった。
とかいう話があるらしいwwクソwwww
伊集院光の話はそれぞれの人生を思わせるな…食べっぷりいい人が身近にいるけど素晴らしいよな
エッセイはためになる良作らしいことは聞いてたので、いつか読んでみようかな
太らない体質で私もダイエットとは無縁だが、
適度な美容によって自分をより愛せるようになったり、逆にコンプレックスが増えたり、どっちも経験したよ。手段の目的化かな
ファブリーズの件はピンとこないが、私の健康グッズに対する印象が近いのかな
「そんな効果あるかよくわからんもんに手間と金かけるか?」っていう。
習慣を売る危うさはぼんやり分かるが…
余談。
TVで見る調理映像って美しいな。嫌いとか知らない食材でもおいしそうに感じる。機材とか撮影技術とかいいんだろな。
もはやひとつの作品だろwそして今日もゴチを見る母w
なるべくアレルゲン排除したお子様メニューってのがあった。
まず手やら器具やら食器やら旗やら消毒→専用の食材を盛りつけ。
キッチンには数人いるわけだが、注文されたらメインから離れて、これら全部を一人でやらなきゃいけない。
注文される頻度がかなり低く、一般メニューと違い試作も許されなかったので、なかなか覚えられない。
大体これ注文されるのは忙しい時間帯なので、手間だし戦力減るし、
皆ぶっちゃけ注文されたくなかった。
飲食にありがちなブラックさもそれを助長してたかも
私が作り方教わった際、上司(正社員)に
「なぜこんなに手間かけるか分かる? 命に関わることだからだよ」と言われ
内心(責任とれるわけない、あなたがやってよorz)って思ったわ
結局、2年間で数食担当し、客に異常が起こらずに済んだけど、客に申し訳なかったわ
今なら上司の考えが想像できるけど、でも嫌だ
どれも美味しそうなネタでどこから食いつこうか迷うww
むかし、尾之間のある年寄りが孫をつれて、モッチョム岳のふもとの宮方という山に、たきぎとりに行きました。
この付近は、神無月(十月)になると、屋久島中の神様がモッチョム岳から割石岳の尾根に集まってこられるときの通り道であるといわれています。
そのときは、笙、笛、太古の音がにぎやかに聞こえ、弓張りちょうちんの灯りもいくつも見えるそうです。
じいさんと孫がたきぎをとっていますと、生あたたかい風が吹いてきて、そのところだけ草がなびいていました。
じいさんは前にもこんな体験がありました。
「ほぁ、ほぁ、金兵衛、神様が通いやっから、坐ってびんたを下げ」(ほら、ほら、金兵衛、神様がお通りだから、坐って頭をさげなさい)
じいさんは孫にこういって、しゃがんで頭を下げていましたが、孫は見たくなってそっと頭をあげました。
「あっ。」
一間ぐらいの幅に草がなびいて、その草の上をすべるように進むものがあります。
頭は猿のように赤く、白ひげを生やし、白い衣を着流しの大男が過ぎて、見るまにモッチョム岳のほうへ見えなくなりました。
それ以来、その孫はツンツン(耳が遠い人)になったというはなしです。
くねくねを思い出した。
妖怪や悪霊というより、
理不尽な、天災のような怪異って感じ。
交渉の余地なし、遭遇したらアウトのやつや。
見てはいけないものを見てしまう、という怪談がある。
顏を描かれると魂を抜かれると信じられていた。
どちらも、視線にまつわる考え方だな。
エルメロイ二世なら面白い講義をしてくれそうなネタだw
見ることは最古の魔術だと、アニメで講義してた。
見る、ということは認知、観測することだ。
観測すること、それ自体が干渉でもある。
シュレーディンガーの猫で有名な、観測問題ってやつだ。
どこそこの姫は美人らしいと人づてに聞いた噂から、
垣根越しに盗み見て、恋文のやりとりをして、それからやっと通うようになる、みたいな感じっしょ?
そんな時代に絵師が姫の顏や姿を取材したわけもなし、
噂をもとに想像で描くのが絵巻の美人なのでは。
みんなしもぶくれに細目に桃眉っていう判子絵になるのは当然っていうか、
それが当たりまえで時代のニーズっていうか。
ア… 魂ぬけた
続けて書こうと思いつつ、邪視という言葉を引用しようとしてググったら関連項目漁るのが面白くなってしまた。
ほうれんそうマンよりゾロリ派だったな~。コナンよりキッド派、
ホームズよりルパン派だったし。犬や三世でなくてドイルとルブランの原作の。
ピカレスクロマンぽい方がウケるお年頃ってありそうだなあ。
怪盗とかワクワクするよね~。
予告状だして変装してダイヤ盗んで、警部や探偵をあざ笑って、マントひるがえして夜闇に消えてほしいwww
そのお約束のすべてがもう意識に染みついたミームだなあ。すらすら思い浮かぶw
二十面相とかセイントテールとかペルソナ5とか、設定がもう好きって思ってしまう。
ポイポイはなーゾロリの源流作品以上の価値が薄いからなーキャラ弱いし…好きだけどね、、、
初めてアニメゾロリ見たときは、「動いて喋る」、ただこれだけが信じられなくて、出来不出来無関係にものすごく感動したわwww山寺ゾロリの前だから多分神谷版かな?
映画ZZはゾロリ史に残る傑作
予告状だして変装してryとかありかとうございまーすって感じww
怪盗紳士、怪盗ジョーカー、レッド、七色いんこ、ハンマーセッション…名前挙げるだけで楽しいわ。セイントテールなっつ
性癖クリエイターを生み出した青山剛昌の業は深いわ~私のマント萌えは絶対ゾロリやBJやキッドのせいww
2chで「昭和生まれの平成のルパン」ってツッコまれてたのは草ww
そういやバイキンマンやガリゾーも変装するけど、アンチヒーローはなんかそういう法則でもあんのかな?
金ローはルパンザサーだから楽しみ
地中海方面やイスラム世界で顕著だという。
視線をはねかえす護符や手の印が人々の意識に習慣に深く根付いている。土産物にもある。
清水義範の新説アラビアンナイトて本の、アルハンブラ宮殿の短編の一節にこんなのがある。
立派な家や、御殿に住めて羨ましいものだと、誰かが羨望のまなざしで見ると、
その目の力によって見られたものに不幸がふりかかる、と信じられているのだ。
だから、個人が家を建てる時も豊かさや立派さが外から見えないように、装飾性のないつまらない外観にするし、
王城を造っても派手さが見えない岩の塊のような建物にするのだ。
ところが門をくぐって王城のなかに入り、特に王や妃たちの住む宮殿部分に踏み込んでみれば、
息を飲むほどの華麗で精緻な装飾に圧倒されるのだ。
っていう。
外観と内装では、まるで別世界だという。
姫や貴人が御簾の奥にいて顔を見せないのも、
スルタンが城の外観を地味にするのも、根本にある思想はそれって感じだ。
なにか禍があったとき、原因は下々の者の妬みの視線のせいではないか、と思っちゃうのは分かる気がするわw
それは富の偏在の罪悪感の裏返しでもありそう。
富める家に生まれて、豊かさを享受する人がいる。
なんの疑問も無く幸福な時期もあるだろうが、
よっっぽど脳みそお花畑じゃなきゃ、自分と貧しい人と何が違うだろう、という疑問が生じる。
その時、先祖の功績で家柄に由緒がとか、身分とはそういうものだから、とか色んな理屈があるだろう。
顕在意識はそれで納得する、ガラクタの思考パターンをコピーしてリピートし始める。洗脳されて疑問を忘れる。
しかし、自分と貧しい人と何が違うだろう、という問は消えるわけではない。抑圧されるだけだ。
潜在意識は正解を識っている。自他に境など、ない。
ここに、顕在意識と潜在意識の乖離が生まれる。
乖離、それを暴くものが、邪視と、その災禍だ。
・・・・、という、いつものインチキくさい仮説を思いついたwwww
眠いから明日また詳しくする ノシ
小学生だと勉強だのやらされること増えるし、反骨精神つーか
年齢無関係に共感呼ぶテーマ?でもあるし
まず自分の欲望に忠実なバイキンマンであり、他者とか和とか大切にするアンパンマンはもうちょい先の段階
なかにはバイキンマンなのにアンパンマン扱いされる名探偵もいるけどwww
もうちょっと進むと、両方に属する者やどちらにも属さぬ者がでてくるよね
前者はロールパンナ、灰原哀、セーラーサターンとか
後者はアシタカ、坂田銀時とかか?
アンパンチ論争なんてあったが、TVアニメは多分幼児向けだから必要なんじゃないかなとオモ
原作絵本や劇場版だと変わってくるかもなー大人向けなら必要なさそう
怪盗と言われるとアルセーヌ・ルパンが初出な古さな気がするけど。
神話的な原形とかあるのか?プロメテウスの火とか?
ルパン以前だと、ロビン・フッドや鼠小僧や石川五右衛門とか、
怪盗というか義賊って感じになる気がする。マントをひるがえしてはいなさそうだ。
アンチヒーローについて考えてみるのも面白そう。今後継続したいテーマだ~。ありがとうございます。
反骨精神、反抗期か。
親の教えとか、社会で正しいとされること。自分の外にある秩序より、
自分の中にある動機に従いたい、という自立心が芽生えた時、
アンチヒーローへの共感と憧れになるのかな。
しかし、怪盗や義賊が、探偵や警部や権力をうち倒してしまうこともないんだよなあ。
捕まる、処刑される、脱獄する、逃げおおせる、負けが込みつつライバル関係を継続する。
あるいは激闘の末、生死不明とか。物語はだいたい勧善懲悪、悪の栄えた試しなし、でメデタシになる。
勝ってしまったら、立場の逆転になるからだろうな・・・。
吸血鬼のイメージと合流してる気もするな。
吸血鬼も黒いマントの夜の住人で、忍びいって若い娘とかの血を吸っていく図像が、
宝石とか、価値ある美しいものを盗んでいく怪盗にスライドされてそう。
体型や年齢や性別、素顔を隠している。のかな。
怪盗には、夜の顏と、昼の顏がある。昼は何食わぬ顔で日常を送ってる。
探偵や警部が、昼の素顔の怪盗に遭遇しても全然バレないのもお約束だなww
視聴者からすると、一目瞭然なので笑うところなんだけどwww
昼も夜も、人目は憚りつつも一貫して反社会的勢力として生活してそう。
梁山泊とか、賊として集団で生活してたりする。
怪盗の、怪、には正体不明って感じがある。
夜だけ存在して、あとはドロンと煙のように消えてしまうっていうか。
で、昼間はまったく違う顔で、善良な一般人に紛れ込んで暮らしてる。
フツーの人が共感しやすいのはそこだな。
義賊として生きるなら、フツーの生き方はできなくなるが、
怪盗なら、昼間はおとなしく、夜は破天荒に抑圧していたものを解放していい。
死ね
イエスロリコン、ノータッチって、うまいこと言った標語だよね。
ところで、死ねってなんで呪いの言葉になるんだろうね。
死ぬ、ということは本来自然のサイクルの一端だ。正常さ、健やかさを保つ機構だ。
死ぬ、ということは救いや安らぎでもある。古くなったものを手放すことができる。
なんかこう、死とはそれ自体には善悪も恐怖もない、フラットに受け止めていい現象なのに、
呪われろというニュアンスで死を口にするたび、死という概念に恐怖がまつわっていく気がするね。
個の死を、断絶と受け止める思い込みは、一種の現代病、流行病だ。
これ次のブログの記事にしよーと思って書きためてる。正解に辿りつけるといいんだがww
スーパーマンや仮面ライダーは昼間はフツーの生活のある人で、
ウルトラマンは素顔の仕事も地球を守る組織の隊員で、
ガロも素顔の仕事も魔戒騎士だ。
うーん。変装か、変身か。身元を隠すのか、異能の異形へトランスするのか。
そこはちょっと違うやつだな・・・。
自分の内面の二面性をあらわすのと、他存在を憑依させて力を借りるのは、違うな。
ま、今後ゆっくり考えていこー。
くねくねとか、モッチョムとか、
見た瞬間、ノータイムで狂ったりツンツンになったりするのが気になるポイントだ。
なにか、意志ある存在が、害を為そうと働きかけてくるのなら、
それなりのモーションがあるって気がするんだよなー。
人が殴りかかってくる場合だって、目が合って、殴ると決めて、駆け寄って、手を振り上げて殴りかかる、
みたいな準備動作とか働きかけの段階とか、なんかしらある。
怪談に登場するような異界存在は、肉体がないだけで、自分達とそう変わらない意識レベルにあるはずだ。
攻撃したり、脅したり、交渉したり、色んな関係性が発生する。
ノータイムで見た者の感覚が狂ってしまうのは、なんかオートマティックな感じするんだよな。
あらかじめそうと決められた自動的な機構か、あるいはリフレクト、反射かなあ、と思う。
すべては完全なる善性や愛の化身だ。どこまでも開かれ、ただ許されている。
まあチェレンコフ光とか見たら結果として死に至るようなものもあるけど、
それも見てはならぬ、ってことではないわけで。
しかし、見てはならぬもの、世にも恐ろしきものは、あるような気がする。
だってくねくねやモッチョムの話読むと、マジ怖いもんwwwゾッとするもんwww
それは、そういう感覚を心のどこかが知っているってことだ。
俯瞰に至らない、通常の自我、顕在意識が恐れるものがある。
ハウルでも、ドラゴンの道は準備なしに進んではならない道だ。
見たくないもの、知りたくないものを突き付けられること、
それが耐えがたい恐怖だ。強烈な抵抗がある。
見たくないものを見るくらいなら目を潰し、
聞きたくないものを聞くくらいなら耳を潰し、
認識したくないものを認識するくらいなら、狂ってしまいたい。
そう思い、実行してしまうくらいの、抵抗で恐怖だ。
例えば、人が人を攻撃する悪口でも、的外れなやつは効かないじゃん。
グサッときて、めちゃめちゃ腹立つ悪口には、自覚してる真実が含まれてるんだよな。
人が目を逸らしてる痛みを突き付けるのは、攻撃の手段としても非常に有効なわけだ。
矢を放つより、鏡の方が効く。そういうことがある。アタックよりリフレクトの方が効くことがある。
悪口ていうか、精神攻撃ではこの傾向がより顕著ってことになると思うんだよ。
もし自分がケガレを忌むタイプの神様だったら、弓矢的なものより鏡的なものを装備するね。
だって、攻撃の思念を持つこと自体がケガレであって自分へのダメージになりかねないわけだし。
かといって、ノイズだらけの人間たちに視線というウザい干渉をされたくもないなら、
ガード方法に自動反射スキルを選択するのはアリって感じがする。
それなら不届き者が災禍を被るのは自業自得で、鏡の装備者自身の色相はクリアwなままでいられるw
モッチョムはそんな感じだ。
で、くねくねはもっと、ただ鏡がそこに落ちてた、みたいな事故な感じする。
禁足地の聖地とか、不届き者が忍びこんでおかしくなっちゃう話も、
ただそこが鏡的な性質をもつ場所だったから、みたいな気がするんだよな。
・・・根拠?あるわけねーだろwwwゲーム脳が考えたインチキ話だよwwww
耳を潰したほうがマシなほど聞きたくないこと、
認識するくらいなら狂ったほうがマシなほど、知りたくなくて、認めたくないこと。
きっと誰にでもある。
ないヤツは、赤子か覚者だ。
しかし誰でも、かつては赤子であって、いつでも覚者への道は開かれている。
手放すこと、俯瞰することを体得すれば、
どんな怪物より恐ろしかったものが、しょーもない良くある話だったと解るようになる。
っていう道筋は解ってるんだよな。でもまだ色々見ないフリしてるものがある気がするわwwww
しょうけら、だ。
屋根の上で体をくねらせながら踊ってるやつっていう。
アニメの方が怖いらしくてトラウマになった子供続出ww
ジャンプ派でヨカッタw
ちょっと見てみたいが動画は落ちてないな~。
屋根の上で子供の影が赤い旗を振っているのが見えて、次の日そこの家が火事になる。
みたいなのは諸星大二郎の燕見鬼でもあったな。中国の古典に元ネタがあると思うんだけど。
火事の前兆の、赤い着物・赤い旗。
『幽明録』20「赤い旗」 晋の義煕5年(409)のこと。霊視能力を持つ劉澄が、夜、曽営将軍の屋敷へ行き、赤い着物の子供が赤い旗を持っているのを見た。旗は丸くて、蓮の花に似ていた。数日後、曽営将軍の屋敷は火事で全焼した。
ぬ~べ~のしょうけらは、踊っていた屋根の家に死人が出る。
しょうけらってのはウィキで見ても屋根の上にいて、なんか良くないらしい、くらいの妖怪であるところに、
ぬ~べ~原作者はこの幽明録のイメージを合体させたのかなぁ。
屋根で踊るものは、不吉の予兆である、っていう感じだ。
で、アニメで踊ってる姿自体の恐ろしさが強調されて、
それがくねくねを生むイメージの土壌に繋がっていったのかな。
見たら即アウトなのはモッチョム的なのが合流してる。
火事の旗の子も、しょうけらも、不吉の先触れだ。対策をとれる時間がないこともない。
そういう、怪談の変遷を追う研究本とかないのかな~。
今度探してみよう。
ピリアさんの最初の方のスレで
「キキがずっとラジオを聴いていて自分と向き合うことをしていない(ベッドでお金を数えるなども)から魔力がなくなっていく」
というような内容があったと思うのですが、
今そのようなことで悩んでいます。
睡眠剤を服用していて眠さがくる直前までスマホをやめられない、
昼間も暇があれば動画を見る、
ツイッターなどで目にする理不尽に常に怒りが湧く、
などが続いていて、自分の本業である創作に物凄い悪影響があります。
ほとんどキキと同じ状況です。
普段の生活でも頭もだんだん働かなくなってきている気がします。
空虚で何もない自分と向きあうことが怖いという気持ちから来ているのかもしれませんが、
今のような状況ではいずれ完全に創作ができなくなると思います。
自分と向き合おう!と思っても、結局何も考えなくてすむようにスマホ、動画、ツイッター。
自分の意志の弱さが苦しいです。
ピリアさんなりの観点から、原因や打開策はありますでしょうか。
お悩み相談のようになってしまいすみません…
おおそれはまた懐かしい話を・・・。
魔女宅も順次記事にまとめたいとは思いつつ。
相談懐かしいwwwがんばって優しくするからwwwカモンwww
スマホ中毒か~。わかり過ぎるwwww
自己分析が非常にまとまってますね~。
観察、創作のスキルが活きてる。
診断はすでにできていて、処方がわからない、と。
ふむ。
心の問題てーのは、その問題を見つめることができるなら、
苦しみがあると自覚するなら、ほぼ解決の目処は立ってる。
その意味で281さんはもう問題解決の道の半ばまで来ている。
そうだなあ、どんな処方が合うか、
今までのまとめになりそうですが、書いてみますか。
でも、いつでもその人が得意なことのなかに、ヒントがある気がします。
どんな道も、同じところから来て、同じところへ続いていくわけで。
スマホを置いて、静かな自然のあるところで静養する。
まあ、理想的ですが、現代人にはキビシイでしょう。
では第二に、情報をオーバフローさせる。
考えたくないことを考えないために、ツイッターなどでゴミ情報を集めて流し込んでいるわけですが、
この情報の入力を増大させて、脳の処理落ちを誘発する。疲れるけど、スッキリする可能性があります。
処理落ちからの再起動で、ゴミアプリが閉じて作業スペースができる。脳が鍛えられて、メモリが増設される。
ツイッターより、情報量の多い動画を見る。できればワイファイ以外で。
君の名は、みたいにくらくらするやつ、
スピーディーに大量のイメージを、音で流しこんでくるヤツがいいでしょう。
MV、MAD系もいいですね。CGのフラクタル動画とか。
海獣の子供、米津玄師の海の幽霊のMVとか。
SKY-HIのライブDVDも新作が出ました。
そういえば海獣もそろそろDVDが出てもいいころだな~。
ただこれは脳疲労があるので、栄養状態が十分であることが望ましいです。
今時の若者であれば、慣れがあるでしょうが、おっさんは注意w
これも情報のオーバーフローですが、脳だけでなく全身なので、とてもバランスが良いです。
ツイッターで、怒りそうになったら踊る奥さんがバズってますが、優れたメソッドだと思いますww
リズムと言葉にのって、身も心もひとつなって踊るとき、そこには空が、0が、無限がある。道が開いている。
そこに向かって、イライラの元を手放せるようになれば言うことなしです。
今は踊ってみた動画も豊富ですし、おススメです。
好きな曲の振付をマスターするなら、モチベもあがるはず。
ネットの踊り手なら、めろちんが好きwwキレッキレで無重力なダンスで、振りがキュート。
まあ、真似できなくて普通にヘコむから、
パプリカとか逃げ恥とか、カラオケ芸で使えるやつが無難かなー。
オリジナルダンスでも楽しければオッケー。
優れた歌もいくらでもあります。
ジュピター、ザ・ローズ、優しさに包まれたなら、川の流れのように・・・。
流行りの紅蓮華も結構イイです。紅白で一緒に歌いたいw
夜の匂いに、空睨んでも、変わっていけるのは、自分自身だけ~それだけさ♪
アニソンって勇気出る歌多いと思うな~。
まあ、風呂にまでスマホを持ち込むほど末期ならしゃーないけども、
閉じた部屋を暗くして、水と蒸気で満たすっていうのは、異界を限定召喚してると言ってもいい。
脳漿に満ちた脳内、羊水に満ちた胎内、水に満ちた浴室。照応する相似形をつくっている。
そういう場所で、違う世界へアクセスを試みるのであれば、より成功率は上がる。
舞台設定は大切です。
そこでシータヒーリングの上昇法や、
優しさに包まれなら、のカーテンを開く方法や、
SKYーHIのひっくりかえす。
般若心経、色即是空、空即是色。
そういうメソッドを駆使して、どーにかして、空や0や無限へ、シンクロする。
そんなところか?
あとは、5、攻撃衝動を解放するとか、何か破壊して燃やす。
6、インプットとアウトプットのバランスをとる、ここに何でも書いてみるとか。
愚痴もひととおり書き尽くすと、コピーしたパターンに隠れてた本音が出てきたりしますな。
空虚で、何もない、自分も無い、ならば恐怖も無い。
そんな感じがしてひたすら安らぐのが瞑想の境地なんですけども。
どこかで何かがひっかかって恐怖が生まれてる。
何がひっかかってるんでしょうね~。
頭カラッポのほうが、夢詰め込める~、チャーラーヘッチャラー♪
というゴキゲンな歌がありますけど、これマジ。
空虚、カラッポってのは、善い事です。デスクトップが片付いてて、サクサクってことです。
インスピを得るためには、空虚、カラッポ、片付いて広いワークスペースが必要なんですよ。
ゴミアプリが開きっぱで脳の容量を食ってるのが問題なのですよ。
「空虚で何もない」ここまではマルです。
「自分が」ここでつまづいてる、エゴに囚われてる。
自我に、自己の連続性に、過去の再生に、執着している。
もちろん、自己保存本能は必要ですが、
何十年か生きてる間にガラクタがくっついてしまってる。
命の本質が見えにくくなっている。
これをクリーニングするとスゲー捗る気がします。
この感じ、後日書けたら書いてみる。
自分も一回にそのくらいで、まぁ日によって二度三度することもあるけど。
一人で集中が続くのって結局そのくらいだなーと思う。
1日20分、自分のケアのための時間を捻出する、
そのくらいならなんとか、出来そうな気がするはず…!
めちゃくちゃ嬉しい…
とにかくスマホを手放さなくてはと思っていたので、二つ目なんてなんて特に意外でした。
五つ目も楽しそうだなあ。
まずは今日から出来そうな、二つ目と四つ目をやってみます。
『自我に、自己の連続性に、過去の再生に、執着している。』
まさにそれで、
特に自分は容姿と若さに異様に囚われ始めてから
そういう部分が強くなり頭にかなり靄がかかったようになっています…
ホットアイマスクのコメントの方もありがとうございます。盲点でした。
確かにあれを付けている間は静かに考え事をしている気がします。
ピリアさんはずっと憧れなので、
こうやってコミニュケーションを取るだけで前向きな気分になってきます。
嬉しいです。
ありがとうございます。
おお、ガラクタの思考パターンにも目星がついているとな…。
あと一歩でスッキリしそう。それを手放すだけだ。
いつのまにか握りしめていた手を、ただ開くだけ。
そんなことでいい。できてみればそんなもんだ。
若く、美しい、か。それは素晴らしい祝福だなぁ。
それが訪れている時、自分も周囲も、存分にそれを愛でる、ぱっと華やいで浮き立って、わくわくする。それでいいと思う。
ただ、全てはいつか過ぎ去る。
その時、どうしても失うことを恐れる。
容色の衰えをとどめようとし、
自分から価値が去っていくんだと思ってしまう。
って感じだろうか。
と言えばYouTubeで最近見てるのは、
弾いてみた、の よみぃチャンネル。
音楽の良し悪しはよーわからんので、弾いてみたは詳しくないジャンルだけど。
この人のピアノはすごい頭がスカッとする感じする。
音楽の良し悪しはよーわからんけど、この人の脳がどういうモードかをトレースするのはすごくイイと思う。
序盤は聞きやすくてキレイで、中盤から後半にかけて超絶技巧をいれてきて、最後またフワッと終わる、みたいなアレンジが心地いい。
超絶技巧部分を集中して聞いてるとくらくらしてくる。オーバフローしてる感ある。
耳に馴染みのある曲を弾いてくれてるのも、とっつきやすくてありがたい。
ピリアさんへのご相談で横から口を出すのは
要らぬお世話と思ったらスルーしてください。
執着の目星はついているけれど手放せないというのなら、
まだ一番底までたどり着いていないのでしょう。
変わろうと思うならどんどん掘っていくだけですが、
漠然としていてなかなか進めないという場合は
ちょっとしたきっかけを掴む方法として
ついつい見てしまうスマホを活用して自分(の無意識)に聞いてみても。
誰でも周りのあらゆる情報の中から
無意識に取捨選択して自分の見たいものしか見ていません。
なんとなく眺めているページや動画などを
どうして今見ているのか。何が引っかかったのか。
ついつい見てしまうものに何か傾向があったりするととても分かりやすいです。
何かそこから考えることや学ぶことがあるはず。
決めた時間スマホを眺めたら、
とりあえず一度スマホを置いて、
雑用しながらでも色々考察してみる。
ピリアさんに報告するつもりで考えると捗るかもしれません。
容姿や若さ。
私にも気になった時期がありましたw
若いって未来への可能性の塊。
でも言い換えれば、過去(経験)が少なく幼い・未熟なこと。
容姿も表面的な形だけを見るか
内から滲み出る雰囲気まで総合して見るか。
自分がどこに価値を見出すかで捉え方が変わってきます。
自分の意識が変わると、自分を取り巻く世界も変わってきます。
若さ(幼さ)や表面的な造形美に価値を見出す人たちだけでなく、
経験を積んだ成長や、内から溢れる品性に価値を見出す人たちが
大勢いることが見えてきます。
過去の自分が積み上げてきた歴史をそのまま受け入れられたら
今の自分を認められるのではないかと思います。
今をちゃんと見ることができたら
未来への成長・変化にも向き合う準備ができると思います。
ブログでもこっちでもお会いできてありがたいです。
そう、今までのピリアサンなら、
ズバズバ物語を読み解くように、人のお悩みもズイズイと切り分けて明らかにしたがったと思うんですが。
見たくないものを見るくらいなら目を潰し、
聞きたくないものを聞くくらいなら耳を潰し、
認識したくないものを認識するくらいなら、狂ってしまいたい。
そういうものがある、強烈な恐怖、抵抗、忌避、自分が生みだす影の怪物がいる、
と書いた次の流れにお悩みが来たことに意味があるような気もねぇ・・・。
自分と向き合おう!自分の意志の弱さが苦しい、そして打開策。と、そういう言葉選びがある。
この人は、なんていうか真正面から痛みを見ようと、自分を鼓舞して、叱咤している。
生真面目で理路整然とした人物像が見える気がする。
この人を、そのまま後押しするのはちょっと違う気がする。
頑張ってる人に、もっと頑張れというのはあまりおススメではない。
通常の自我の意識のまま、まっすぐ自分の痛みを見ると目が潰れる。
シャドーは自分と同じ力を持っていて、戦うと勝てない。力で従えることはできない。
許し、愛によって、自分の中に受け入れる。そういうプロセスが望ましい。
この場合必要なのは、まず、自分から離れることだ。・・・ではないかと思う。
エゴ、自我、自己の連続性、記憶、過去の再生。そういうものから離れて、
もっともっと大きな認識と同調することだ。そこから、自己を眺め、痛みを眺める。
まず許しの感覚、愛の感覚そのものと一体になる。そこから、小さな縺れをほどく。
そういう風にすると抵抗が生まれない。怪物に遭遇しない。うまくいく。という気がする。
潜在意識と、もっと大きな意識のようなものと、抵抗なく一体になれる。
そもそもそちらが意識というものの本来の在り方だったと思い出していられる。
無意識はいつもメッセージをくれている。
そっとカーテンを開けば、優しさに包まれたなら、すべてのものがメッセージだったと気が付くことができるw
「いいんです、こんなナリじゃ・・・」「私、このまま死ぬのかしら」
「私、修行中の身なんです、魔法がなくなったら何の取り得もなくなっちゃう」
そんなに思い詰めなくてもさぁ・・・、いやその気持ち、よ~く分かるけどもwww
オソノさんもウルスラも、バーサも奥様も、みんな優しくて、どーんと構えてくれてるのにさ。
ラジオを聞きっぱなしなのも、ベッドの上でお金を数えるのも、鏡を見ないのも、よろしくないが。
そういう積み重ねが何を招いてるのかっていうと、つまり、
他者と自分を比べて、羨み、怒り、視野が狭まる。周りが見えなくなる。
がむしゃらに頑張って自愛を忘れ、自分を卑下し、追い詰める。そういうメンタルだ。
ずぶ濡れでも、遅刻しても、黒い服でも、着替えて笑ってトンボとパーティに行って良かったのに。
飛んで配達ができなくなっても、オソノさんはキキを追い出したりしないだろうに。
あの海の見える街は、14歳の女の子にもっと優しいだろうに、キキはみずからそれを遠ざける。
世界は、そこに生きるものにいつも限りなく優しい。それを遠ざけているのは、閉ざされた心のほうだ。
余計なことを書き込んでしまったと
既に一人反省会開催済です。
大いに反省しましたので、以後気を付けます。
名前考え中さん良くわかりますw
ザ・ローズの歌から以前ちょいと失敗したことを思い出して、
自分もどうしようか書きあぐねていたので、ありがたかったです。
せっかく素敵で強いアドバイスをいただいているのに、
もし自分がそれに伴わない中身のない解釈をして
おかしな返事をしてしまったらと思うと
書き込みに時間がかかってしまうのですが…
とても嬉しいし何度も読んでいます。
“若さ(幼さ)や表面的な造形美に価値を見出す人たちだけでなく、
経験を積んだ成長や、内から溢れる品性に価値を見出す人たちが
大勢いることが見えてきます。”
という部分なんて本当に心強くて
ルッキズムにこだわりすぎるあまり
自分からそのような環境を作り出していたのかもしれないなと
改めて感じました。
(あまり言うことでもないですし現実の生活の中では誰にも言っていないのですが、
整形を繰り返し始めてから自分の中で負のループが起きているのかもしれません。
容姿が嫌だ→整形→少し整って満足→整形してもこの程度?→またする
というように…)
キキの自分の追い詰めに関しても、
今の自分と被りすぎて読んでいてドキドキしました。
容姿の卑下、
なにもないまま死んでいくかもしれない恐怖、
創作がなくなったら何もなくなってしまう自分
創作を大切にしているはずなのに
いつのまにか見た目にばかりとらわれている矛盾や苦しさ
常に情報の波のなかに自分を置けばそれを直視しなくていいというズレた逃避
何かを頑張らなくては、という方向性の定まらない焦燥感
今ここでお相手をしていただいて、
こういうとりとめもない言葉がどんどん出てきています。
つらつらと書いてしまってごめんなさい。
瞑想自体がどのようなものなのか文章では読んでいるものの実際よくわからず、
いつもは本を持ち込んでいるのもあって最初は心許ない感じでしたが
久しぶりに何も持たずにお風呂に入りました。
終わったあとはとても疲れましたが
次の日になって何気ない瞬間に創作のアイデアがぽんぽんっと浮かぶことがあり驚きました。
ちょっと頭がクリアになったのかもしれません。
出来うる限りこれからもやってみます。
実感を持っている方のアドバイスは違うなあ、と思いました。ありがとうございます。
それは重畳。
ビギナーズラックは、その道を進むことを応援してくれる追い風のようなものです。
その感覚は、訓練するほどもっと確かな実感に、
磨かれた能力に、いつでもピンとくる直観にしていけます。
愛されて、手入れされた能力だけが伸びていき、
使われないものは速やかに錆びていく。
まあ、あらゆる能力は諸刃の刃なので、
あまりに感度が良いアンテナを持つのも考えものですが。
なにかができるようになる、新たな能力を得る。というのは何物にも代え難い歓びで、
至福の追求で、ほんとうの幸いって感じがして、やめられないんだよなあwwww
なるほど、パーソナリティが見えてきた気がして興味深いです。
そういえば、はてなブログでこういうブロガーさんと相互に読者なのですが、
がんべあの「ぶれない」キャラクター&ストーリーの作り方 https://gunber.hatenablog.com
この人のメソッドも自分と同じく、不遜とも言える物語の解体と分析なんですけど。
相談者さんは、タイプ1「完璧主義・理想・正義」に近いものがありそうです。
このタイプは闇堕ちすると芸術家の悪い面がでやすい。美に対しての拘りが出ている。
成長するためには、楽天家へのルートを辿れ、とある。
なんとなく、そんな気がしますね。
リラックスとか能天気さとか、テキトーで寛容なフィーリングがあると、バランスがとれそうな気がする。
ちなみに自分はタイプ5観察者「知識・分析・倹約」かなぁ、と思うww
まあ、解釈、解体、分析は便利ですが、これはバラバラにして要素をみる科学的アプローチだし、
情報量も多いので、おススメというわけでは。こないだ読んでて思い当たったからちょっと参考までに。
まずは、科学と理知、魔法と直感の、止揚、冲和、統合、そして愛や許し、0、空とのシンクロ。
それがいつでも自分がおススメする間違いのないヤツですww
日本人は、桜を愛でる。すぐ散る花の、散りざまを愛でる。
そこに見る精神性は稀有だと思う。儚さ潔さを善しとする。
若さ、美しさはたしかに祝福だ。それは季節でいうと春だな。
春には春の、芽吹きの柔らかさ嫋やかさがある。
夏には夏の、強い日射しに繁茂する旺盛さがある。
秋には秋の、熟して豊かな実りがある。
冬には冬の、種の中で眠る安らかさがある。
そのすべてが滞らず巡り続けること、それが、うつくしいとか、すこやかということの本質だ。
もし、美しいからと桜を散らさずとどめようとしたら。
もし、過ごしやすいからと季節が春から先へ進まなければ。
もし、午前中の優しい日射しのまま、太陽が動きを止めてしまったら?
繁ることも実ることも眠ることも、滞って、淀んで、疲れきって、崩れてしまうだろう。
人の一生もそんなもんだ。ていうか、どこをみても同じサイクルのフラクタルがある。
生成して発展して、崩壊して回帰して、大きく、小さく、繰り返して、環が螺旋になっていく。
芽吹いた時、柔らかく頼りなくて愛おしい。
どんどん育って充実して、色んなものを獲得していく。
そして、それを他者に分け与えることができるようになる。
いずれ、得たもののすべてを手放していって、眠りにつく。
失うのが惜しくて、しがみつけば、苦しくなる。
手を放したとき、次の祝福が訪れるのを受け取ることができる。
そんな感じだ。題して「ハンズ☆フリー」www
それに関係して思い出したようなのですが、
十代後半までの自分はそれこそ『神さまがいる』という感覚が本当に強かったんです。
嫌な意味ではなく自分のことを特別と感じていて(これは大多数の人が持っていた感覚かもと思いますが)、
体感的にどんなときも何があっても大丈夫だと思っていました。
自分には自分がいるから大丈夫という強い確信があり、
何も考えず人生をガンガン突き進んでいる感じでしたw
両親には「根拠のない自信がありすぎるよ」と言われたりして。
それが19~20歳頃になって急に
自分は何も特別ではなかった。創作に関してだけは特別でいたい。
という感覚に変わり、
今現在は
特別でいなくては誰も認めてくれない、存在する価値がなくなってしまう。創作も全然ダメだ、容姿だけは。
というようになっています。
自分についていたはずの強く認めてくれる自分という存在がいつのまにか他者にすり替わっていたというか…
さっきシャワーを浴びていて急に思い出して、ピリアさんに聞いて欲しくなり、長々と書いてしまいました。すみません。
フラクタルの文章を読んで、
常に苦しみを持っていないと感性がダメになるかもしれないと思い込んでいる
「苦しむこと」に執着している
自分にはそんな変なガラクタがあるのかも?という発見もしました。
季節ごとの自分をちゃんと愛していきたいです。
地方の学校で一番くらい飛び抜けた特技でも、
全国大会とか、それ専門の大学とか行くと、
選び抜かれた猛者だらけで
自分全然並レベルだと気がつかされて心折れがち~。
そこからの闇堕ちルートは、自分だと
自分を卑下してブラックに勤めて搾取されて病む。でしたww
いやー死ぬかと思ったねww
ていうか毎日死ぬ気だったねww
ああ、思い出して心が痛い。
クリーニングしてまた来るノシ
貴重なコメありがとうございました。
三期サイコパスで主人公がメンタルトレースという特技を使うけど、
心を開いて、共感で他者をトレースするというのは、
自分の中に似た痛み、ガラクタがあると共鳴増幅してエライ目に遭うと思った。
メンタルトレースはメンタルケアとセットじゃないといけない能力だなww
この人を後押ししてはいけないと思ったのは、
自分が見ないようにしてるものと、よく似たヤツがあったからかもなww
オッケー、自分の問題をほぐそう。それで話が進む。
創作か。創作ね。自分のために創作するのか、他者のために創作するのか。フムン。
自分も、自分のスバラシイ思いつきを書きとめたくてスレをたてた。
チラ裏にしなかったのは、やっぱり誰かに見て欲しかったからだ。
自分だけだったら、ハウルだけ書きあげて満足して疲れて、終わっただろうけど。
金ローでジブリが続いた幸運もあって、続けてほしいと言う人がいた。
ここまで、ビギナーズラックがある。追い風が、内なる神との一体感と高揚がある。
が、スレでも失敗したことはあるし、停滞の時期もあったし、
ブログに移行すると大手ブロガーの人気が羨ましくて比較してしまったりする。
まじで一銭にもならねータダ働きだし?まあ基本が他人の褌だからそれはいいけど。
さて、自分のためか、他者のためか。ここまでくると、
自分のためにと言い聞かせても苦しくなる。
他人のためだと言い聞かせても苦しくなる。
それは請け負うwww
次なる認識へ至るまで、能力の方が進んでいる。自分も、あなたもだ。
意識の次元と、能力の次元は、釣り合っていなくてはならない、というやつだ。
五次元、自他は同一だと知る。これが解れば解決する。
他者の中に自分を見、自分の中に他者を見る。
自分のためにも、相手のためにもなっている。もっと大きな環へ至っている。
そうでないと、もう満足できない、ということらしいww
心理学から解説してみる(ネタバレ有り)
https://nazology.net/archives/46406#midashi1
こういう記事を紹介してもらった。
これの用語を使うなら、
十代までの万能感、かみさまがいて不思議に夢をかなえてくれた感覚は、
自我同一性拡散ってことになる。
これも自他の同一ではあるが、意識としては一、二次元に近い。自が他に内包されている。
親元から離れ、専門の世界の広さと深さを知るのが、危機だ。
自という意識を知る、三次元。他者との比較に苦しむ、四次元。
迷って苦しんでいる今はモラトリアムってことになるが、
ここで、またあの万能感をとり戻したいと思うと、胎内回帰願望ってことになる。
まあ、それが必要な人もいるだろう。
親の愛が足りなければ、自身による産まれなおしの儀式ができるといい。
しかし、いずれは先に進みたくなるだろう。サイクルを逆に回すことはできない。
自我同一性を達成し、自立へ至る、それが望みだ。
自分の思う通り生きて、誰のせいにもしないでいられる、自由と自在の境地、それが欲しいモノだ。
で、そうなるとなぜか誰かのためにもなっている状況がついてくる。引き寄せている。そういうものらしい。
自と他が、互いに独立して対等、そこから同調していく高度な自他の同一を味わいたくなるんだな。
ドイツと日本の航空機に技術に20年の差があって、
その差を五年で埋めても、ドイツはまた一年分先に行っている、ていう
アキレスと亀の例え話をしてる。
差は縮まるが、追いかけるだけでは追い越せないということだ。
「小さくてもアキレスになる方法はないのかなあ」と二郎は言う。
これはアニメーター出身の駿だから実感の重みのある言葉だ。
飛行機でアキレスになれたかは寡聞にして知らないが、
アニメーションでなら日本はアキレスになれた。
ぬるぬる動きまくるディズニーの真似から、
リミテッドアニメーションを編み出した。
今ではセルを動かすのは人件費かかりすぎるから、
ディズニーも3DCGへ移行して、
当時の眠りの森の美女みたいな素晴らしすぎる手描きアニメは、
もうロストテクノロジーでオーパーツだ。
鶏頭となるとも牛後となる無かれ。
ヘタでも並みでも遅れてても特別じゃなくても、いい。 創作の本質はそこじゃない。
オリジナル、origin(原泉)から湧くもの、それがインスピレーションでアートだ。
なによりもまず、自分の根源に辿りつくことだ。
この前はお言葉に甘えて自分のことばかりわーっと書き連ねてしまい、すみませんでした。
ピリアさんの心にも色々引っかかるところがあったようで…申し訳なかったです。
今日はいつも何度でもをたくさん聴いて
幼少期の自分と今の自分をどちらも動かされている気分の中
(幼稚園生のときこの曲が大好きで、一人でずっと歌っていたことも思い出しました)
>>309 を読んで涙が出ました。
どうして創作を始めたのか、どうして苦しみながらも書きたいと思うのか、
この気持ちはどこから生まれてくるのか、
ガラクタにまみれて見えなくなっていた始まりのときの思いが一気に蘇ってきて
耳のうしろあたりがカッと熱くなりました。
この数日で忘れていたことを思い出す機会が何度もあり、驚いています。
自分の根源にたどり着くこと、自分は空の境界が大好きなので作品を連想しました。
先日たまたま読み返したのも何かの流れかもしれません。
ありがとうございます。
こちらこそ色々未熟で申し訳ない。
海の彼方にはもう探さない、
輝くものはいつもここに私のなかに見つけられたから、か。
ぴったりですねえ~。
空の境界が、そらのきょうかい、でなく、からのきょうかい、だと最近知りましたw
奈須きのこの世界観いいですよね。すごく頷けます。
フェイトゼロとロードエルメロイ二世とバビロニアしか見てないのですが。
根源の渦も空も、便宜上の仮名でしかなく 「 」 とするほうがまだ本質に近い、とか。
は~うまいこと表現したもんだな~と思います。
魔術師に限らず、あらゆる意識はそこから発し、またそれを指向している。
彼らはそこに身体ごと至ろうとかするから、魔術回路がなんたらと大仰になるけれど、
意識の湧く根源を、ただ感じるだけなら、なんてことはない。
いつでもどこでも、誰でもできる。
と、そう思います。ま、色々コツはあるでしょうが。
手先を動かしながら何か作るという行為を無心でやるのはかなりいいですね
は…?まじ?
発売日…え…?
特典買い占め&転売厨はエリミネーター執行対象です。慎重に照準を定め…
だいたい特典もフルカラーですらない紙ペラやんけ。
素直にグッズでも買ったほうがマシだろうに、
なんなんだー。
いいよ、とんがり帽子のアトリエ新刊読むから…。
スレイヤーズの新刊が出たり、ブギーポップがアニメ化したり、
当時中高生だったオタクが今ごろ三十代で懐が豊かだし、
懐古的な需要が見込まれてるんだろうな。
うん、当時、ドラゴンマガジンとかファンロードとか、
好きな作品の特集の時は、昼飯のグレードを下げて費用を捻出して買ってたよな・・・。
PVの感じだと、牙の塔の少年時代からやるのか。
確かに、少年時代の主人公は、牙の塔という魔術の学府にして組織の、
最強の教室の秘蔵っ子だったからな~。
なろう主人公っぽい。
そこから始めれば、今時の若いもんにもウケるかもしれんww
そこから、挫折を経験して、組織を出奔して、
世間知らずのボッチャンが為す術なく落ちぶれて、
スレてヤクザな金貸しに手を染めてからが本編開始なんだけどなwwww
原作一巻からやったら絶対新規は見ない設定www
ああいう主人公ってあんまりいないし、世界観や魔術の設定がいいんだよな。
まず、弟子をつれて旅する主人公ってのがラノベ界隈では珍しい。
主人公オーフェンが十代の挫折を経験済みで、社会の辛酸を舐めて、二十代になってる。
そこからのスタートっていうのがな~。ふつう、ラノベの主人公はみんな十代だ。
今時の異世界転生ものでは会社員経験済みの魔王もいるけど。
転スラやオバロには、主人公にとっての父性が登場しない。
彼らにはチートスキルがあって、最初からある指針を示す父性として振る舞い、自らの王国を築く。
オーフェンは、弟子を育てながら師を知っていく物語だ。
子供を育てながら、父親の気持ちを知るっていうかね。
今三十代の当時のオタク少年達には、ちょうどいいかもなあ。
白いカバーのやつしか知らなかったけど、
本屋行ったら黒いカバーの続編がどばーっと…。
ちらっと読んだけど、ほんとに続きだった…。
生き延びてたコンテンツだったのかー。
ええ~どうしよう。今から読むのもなぁ…。
白いカバーの既刊ももう持ってないしなぁ…。
ロリコンがゴミのようだ
春の幼さも、
夏の旺盛さも、
秋の豊穣も、
冬の眠りも、
滞らず巡ることがうつくしさですこやかさ。
コンプレックスやコンフリクトをリリースし、
すべてをあるがまま愛でる、と、そうありたいわけですよね。
素晴らしい、よくわかりますw
NHKにっぽんの芸能、でやってた創作舞踊、春夏秋冬っていうの面白かったわ。
録画はあるけど、動画もキャプチャもほぼないな、残念。
春は、色とりどりの振り袖の若い女性達がキャピキャピ華やかに舞って、
夏は、男達が神輿や祭りふうにソイヤソイヤっつって、
日体大体操部のような現代的な振り付けも取り入れつつ盛り上げて、
秋は、中年か壮年かっていう女性が、たった独りで侘しく月の映像と舞う。
冬は、雪と渡り鳥。春夏の演者がみんなで白い羽衣を纏ってわっさわっさ舞う。
男女が番って舞うのは幻想的で、雪が花吹雪にも見えて、
最後にまた秋の中年女性が独りで登場して、鳥達の渡りを見送る。
あの宴は一睡の夢幻だったと思わせる。
冬は眠りだが、肉は朽ちても精神は飛翔する、
そういう解釈もいいな~っていう、
いろいろ見応えある舞踊だったなぁ。
エンタメしてた~。
オリンピックの開会式とか、ああいうのウケるんじゃないかな。
色々とっちらかってんな~と思いつつ。
アラタ監視官の自爆犯説得の場面は面白かった気がしてきた。
アラタ監視官は、メンタリストでメンタルトレースができて、しかもサイコパス0、免罪体質であると。
ほ~。
それは、槙島聖護のサイコパスが0で、免罪体質だったのと意味するところが真逆だな。
槙島聖護は、共感能力の欠如、未発達によって、
他者の痛みを全く感じないことによって、ストレスフリーだった。
スタンドアローン、独立系、閉じていることによってクリアであった。
アラタ監視官は、共感能力の権化だ。感受性が抜群で繊細、心がいつもオープンだ。
感度のいい音叉みたいに共鳴して、対象の気持ちをトレースする。
しかしそれだと他者の痛みや苦しみ、思い込みも共鳴増幅して受け取っていることになる。
だから、メンタルケアができないと、とんでもないストレスに押し潰されることになる。
で、更にアラタ監視官は、
自爆犯という、ヤバイ精神状態の、サイコパスの濁りきった対象と対話し、自爆を思いとどまらせるわけだが。
そのとき、ドミネーターで計測するアラタのサイコパスはどんどん数字が下がり、0に、クリアになっていく。
ほほ~う。
相手の波長に共鳴しながら、自分の波長を鎮める。すると相手も鎮まる。ってかあ。
人の精神が音のように波形を発し、音叉のように共鳴することを利用した、
高度なメンタルケア、高度なヒーリング、もはや魂鎮めの域だな。
自爆犯のような病んだメンタルと、リアルタイムで共鳴したら、どれぐらいキツイかはなんとなく想像がつく。
顔も見えない文字情報だけの掲示板越しでも結構あるもんだからなwww
コピーした病んだ波長は、リリースしない限り、自分の中でも響き続けるんだよなぁ。
なんかキツイけど、その理由に気が付いてない、っていう時が一番厄介だ。
クリーニング、瞑想しながら気が付ける時もあるけど。
アラタの能力の次元は、朱より上ってことになるな~。
全然頼もしくないけど大丈夫かwwww
いや、感受性っていうのは繊細な能力なんだよな・・・。
ナイーブな感じになるのはしょうがないのか。
鈍いということは、時に防御力の高さだ。
鋭いということは、時に脆い。
強いというなら、能力よりも意志のほうが最後には重要になる。
諦めないやつが、一番強い。
アラタのメンタルトレースは「誰にもできますよ」とは言ってたけど、
いや~。それは向き不向きがあると思うなあ・・・。
人の心にダイブできるオープンなマインドは才能やろ・・・。
無防備になれるのは、根本のところで人というものを信頼しているからだ。
自分を愛し、他者を愛し、自と他の境がないと識るほどに、意識が進んでいる。
自爆犯と共鳴して引きずられないほど、
自分のなかの0が、静けさが、安らぎが、愛が、確かなものでないと、トレースは危険な能力でもある。
精神科医がメンタル病んだり、マル暴の刑事の風貌がほぼヤクザだったりするように、
トレース(追跡)してるもの、共鳴してるものに似てくるんだよな。どうしても。
ならトレースするのは、憧れる対象のほうがまだマシではある。
例えば・・・・、今敏、パーフェクトブルー・・・、いや、それは極端な同一視の例かww
メンタルトレースは「誰にでもできますよ」というか、
誰でもできていましたよ、と言うべきかな。
子供は親に似る。
血の繋がりがなくても似る。
それは子供が大人をトレースして学習してるからだ。
言葉によらない学習、共感による学習、メンタルトレースによる学習だ。
赤ん坊や幼児の無心な瞳、世界に対してオープンな心。
鏡のように外界を写し取って真似て、自分のものにしていく。
自我の形成がひととおり済むと、その能力はあまり使われなくなる。
ソフトをインストールし続けるだけではメモリが足りなくなるからな。
ソフトを運用するほうにマシンパワーを使うようになる。
でもまぁ、個人差はあるけど、トレース、ダウンロード、インストール、コピー、そういう能力は消えたわけではない。
長年ともに暮らす夫婦は顔が似てくるという。
脳波のパターンなんかも似てくるらしい。
まぁなんだ。
人生色々あるから、時に脳ミソもマシンパワーが足りなくて動作がモッサリになる。
鬱々して重たくて、わけもなく死にたくなる。
ゴミアプリのアンインストール、再起動、メモリの拡張。
そういうことも大事になってくると。
インストールとアンインストールはセットであるべき能力で、
メンタルトレースとメンタルケアはセットであるべき能力だ。
そうするとつまり、人の本質というのは、PCの本質というのは、
入れ替え可能なソフトやアプリのことではないんだな…。
これは魔女VS魔女ww
母と娘がそれぞれのサーヴァントを使役してバトる聖杯戦争じゃねーかww
意外と面白かった。
王子まじ空気ww
アメリカやTwitterの法律の勉強になるわ
1は良作だけど、企業のageっぷりが微妙(2は未見)
天気子もだが
アナ雪ステマあったねー。即バレまでの流れがおもしろかったw結果炎上商法成功なのか?
天気の子もこれでもかってくらい広告だったねー。
まぁ、アニメつくる人も霞を食って生きてるわけじゃないからな…。
お金が入らんと続けられんのが、経済でまわる現代社会だ。
金持ちは皆、アニメと漫画雑誌のパトロンになればいいと思う。
スポンサーではない。パトロンだ。
金だけ出して口は出すなwwと言いたいww
喜捨しろ喜捨w浄財wwバクシーシww
まぁ、それはそれで、バブルな頃は予算で飲んじゃうロクデナシ監督もいたけどなw
最近、地上波でファンをゲットして劇場版で利益を回収するビジネスモデルが流行ってるけど、
いいんじゃないかな。生き残りを模索して欲しい。
そんで外出は億劫だから、早めにDVDか配信してくれればそれで買うし。
ステマかー。ステマは洗脳か?
ファブリーズは許せんが、アナ雪ステマは特に腹立たんのはなんでだろ。
一応、売ってるモノが手間かけてある本物だからかな。
例え失敗作でもちゃんと作ってあれば許す。
頑張っても上手くいかないことは、割とよくある。
中身スッカスカの、最初っから集金用のハリボテだというなら許さん。
懲りないねぇww
続編つくらない駿のポリシーほんと好き。
ファンムービーの短編くらいにしとけば良かろうに、大体は蛇足なんだよなあ。
アナ雪は視聴意欲はあんま掻き立てられないが、純粋に商品の感想とかだからかな。
ファブリーズは商品のCMじゃなくて、暮らしのモデルケースみたいな感じ
頑張ってこんな感じに作りました!感なし。開発部はあんなCMでいいんかな…?
最近、企業のゴリ押しがすごいと冷めるようになってしまったわ
だからパトロンはガチで賛成w
エンドユーザーとしてそれで苦い思いしたからな…
このコンテンツの関係者ならびにファンを56してやりたいとかは思ったことあるわー
あと運営がアレなパターンもあったね…
だからこそ、天気子で固有名詞出しまくって水没させたのは凄かったwww
関係ないけど、荒川弘が酪農家兼漫画家と聞いて戦慄している
商業作品って…
ダイエット&瞑想してたら宇宙と同化?した人
統合失調症を発症したときの話
http://world-fusigi.net/archives/7221891.html
なにこれおもしろ~。
やべー自分も統失じゃんww
拡張法でも怪物に遭うことがあるのかぁ…。
そういう時はガイドがいると捗るよ☆
如来とか菩薩とか天使とか、
ハイヤーセルフとか、高位存在と一体になるイメージでいける。
自己の小ささ、不安定さを超えられる。
この人は病気と思って治療しちゃったのは残念なようで、
まぁ、鋭すぎる感受性は諸刃の剣だからな。
大衆の平均値と同じニブさであることが健康の定義なら、
確かに異常で異端でビョーキですなww
みんなと一緒でいたいなら、みんなより進んだ認識は必要ない。
それでいいと思う。
自立したくなった時が、自立すべき時だ。
この人は多分、ちょっと予習が捗っちゃったんだな。
百姓貴族新刊買ったわ。
やや惰性ではあるが、実録エッセイ系は好き。
銀匙も最終回読んだよ。まさかオチがロシアとはなww
荒川弘の実家、牛飼いはやめたってよ。
荒川弘自身は東京で漫画家だ。
農高卒で実家で働いてた経験はあるけど。
漫画と酪農の兼業はムリじゃねwどっちもハードワーク過ぎるww
イズミ師匠やアームストロング姉そのまんまのよーな脳筋女史らしい荒川弘でもさすがにww
北海道の実家では、脳内に常にクマに備えるアプリが起動してて、
都会では、クマいないからその分脳内メモリが空いて快適☆
っていうところがおもしろかったな。
自分がよく使う例えだけど、やっぱ脳はPCに例えると捗る。
その幾何な感覚はシータヒーリングで言うところの法の層だ。
あともうちょいで、有限の世界の外なんだがな。
シータヒーリングだと、窓をイメージしてそこを潜る。
それで創造の領域、無限、0、空、に至れる。惜しい。
個と全の一体、梵我一如までいってるのにな。
一切皆空、色即是空までマジあとほんの一歩だ。
じさつ時点での意識がその次元に止まらざるを得ないからでしょうか
というわけで、だいたいその認識で合ってる。と思う。多分。きっと。
肉体を離れ、
魂は有限の世界を、形を変えて巡るだけ。
肉体、物質は3次元、
精神は4次元から5次元、
法が6次元、そこまでが有限。
無限はその外というか先というか上というかなんというか。
まぁ結局有限の全ては夢幻泡影で、
無限を仮に限定してひっくりかえした投影みたいな感じなんだけど。
霊界とかいうとまだ4次元だ。
死んだくらいじゃまだその辺にいる。
まぁ、隣り合う世界へくぐり抜ける感覚自体は、
死も近いものがあると思うけど。
涅槃、三昧、解脱、無や空へ至ることとイコールではない。
と、そんな感じだと思ってる。証明はできんがw
あれだな。肉体が自己だと思うと、肉体の死が無や断絶だという思考パターンになるんだな。
それは思いこみだ。クリアに考えられれば真でない命題だと解る。
肉体は有機物の寄せ集めだ。
それが何故か精緻な動的平衡を保っている。
人の形をとり続けている。
動的平衡を保っているちからのほうが、自己の本質だ。
それが肉体から離れると、肉は朽ちるが、そのちからの方は存在を続ける。
存在するってことは、無限から有限を汲み上げてるってことだ。
無限に至るってことは、有限のすべてを手放してるってことだ。
魂さえ手放す。それで無限に至る。
別に怖いことはない。
握りしめていた手を開くだけで、手は消えない。そんな感じ。
何も持っていない時、そのときこそ手は自由に使えるようになる。
認識できないものに至るためには、
認識できたものすべてを手放してみるだけ。越えたとイメージしてみるだけ。
認識の大きさに関係なく、どんな存在にもそれはできる。
仏性を備えている、とか言うのかな。
やっぱり序盤は面白いよなー。みんな良い奴で和む。
ぽよぽよ弾む動きがかわいくて見てて楽しい。
オープニング映像好きだなー。歌もまぁ…聞けなくはない。
別に狂ったりしなかったと思う。
「ああそうか、簡単なことだったんだな」ってなって、それから何事もサクサク捗るようになるだけ。
Fateの魔術師なら誰でも出来るような瞑想の基礎を会得しただけだ。
意識で根源の渦を識る。金銭も人命もさして拘るべきものではなくなる。
Fateの魔術師はそこからもっとどこまでも行きつくとこまでイッてしまう術を、魔術として模索し始めるだけ。
読んで気が落ち着きました。ありがとうございます。
ブログの閲覧数伸びなくて悶えたり(違う
死にたい、という言葉になるような衝動は割とよく湧く。
そこでその衝動に流されず、手放して見つめてみると、
休みたい、とか、苦しみを終わらせたい、とか、
そんな意味だったりする。
PCで、動作を停止しました、とか警告ウインドウが出てくるのに似ている。
まぁ焦るけども。
そこでPC壊れたと思って捨てる人とか(自殺)
サービスセンターに持ち込んで誰かになんとかしてもらう人とか(精神科)
いるけどもね。それでもいいけども。
しかし今時それでは情弱と言われても仕方ない。
ちょっと扱いに慣れた人なら、
強制終了とか再起動とか、変なアプリをアンインストールするとかで、
なんとなくなんとかなったりすることを知っている。
警告で思考停止せず、
原因を探ることだ。
今起動してるアプリを閉じ、
コントロールパネルを開いてみること。
いらないものをアンインストールして、
脳でもPCでも、快適な動作環境を確保する。
そういうことに慣れて、続けていく。
必要なのはそういうことではないだろうか。
いや、優しく慰めてあげられればいいんだが、どうも言葉が浮かばなくてなー。
自力救済のオススメしか能が無くて申し訳ない。
が
PSYCHO-PASS三期テメーはダメだ…。
テレビ放送版でキリよくしとけ!オチつけてくれ!
イグナトフ監視官も機嫌最悪からの裏切りとか
見てるこっちが色相濁ったわ…。
もういい転スラ見る。
癒しハンパない…。
PSYCHO-PASSはアレだな。
イグナトフ監視官は移民問題の問題提起としてはリアルだな。
あれ地毛は金髪なのを黒く染めてるんだよな。
外見を変えてまで、日本に馴染もうとしてる。
しかし、妻が拐われるわ退院させてもらえないわで、
幼馴染も帰属する組織も国も信じられなくなってしまったとき、
「自分が移民だから」という疎外感が膨れ上がる。
家族だけでなんとかしないと、という行動原理になる。
移民もそうだけど、中国とか、政府を信頼できない国では、
国民は一族の結束を信頼して生きる。
一族の掟が、国の掟より重視するものになる。
リアルや~。
移民は結束して暮らし、リトルチャイナとかリトルトーキョーとか、
小さな国をつくっちゃって、そこが治外法権になっちゃうんだよなー。
信頼はなぁ。
双方が歩み寄り、時間をかけて築くしかないんだよなぁ。
いっそ死の瞑想をしてみるという手もあるな。
シミュレート、予行演習、
生前葬や終活みたいな感じだろうか。
ちょっとやってみて、
後で書いてみよう。
あと空気をきれいにしてくれるらしい植物を部屋に置いてみることに
死の瞑想、気になります。
さて、
以前旅行した折、
あーここでこのまま死んでしまいたい、と思った場所がある。
とてもうつくしくて静かなところだった。
鬱蒼とした林を抜けて、さらさらの珊瑚の白い砂、温かい波の感触をずっと覚えていようと思った。
ナウシカの腐海の底の清浄の地や、ポルコの基地みたいなイメージだろうか。
映画海獣の子供でも良く似た場面があったな。
砂と、水で、広~く円く囲まれたような場所。
人生がどうにもならなくなったら、ここに来て死のうと思った。今でも思ってる。
何千年分の珊瑚の死骸が積もった砂が、水に洗われ続けてこれほどきれいなら、
自分の死もほんの小さくてさっぱりした出来事で済む気がした。
ま、当時は人と一緒だったし、準備もなにもなかったし、帰ってきて暮らしてるが。
っていうか観光地でそんなん本当にやったら迷惑だろうから、できればしないほうがいいのはわかってるw
死を想うとき、あの場所を想うだけだ。
HDDや見られたくないものの処分方法を考える。
粗大ゴミの出し方を調べる。引越しや片付けの業者をググる。
やりかけの仕事をできるだけ引き継ぎする段取りを考える。
遺書を書く。これは実際に書くのもオススメだ。
そして飛行機の時間を調べて、最小限の荷物をまとめる。
行った先で、人目につかない時間に、
できるだけ死体が発見されないような方法を考える。
リュックに砂積めて、できるだけ遠くまで水中を歩くか、
夜のフェリーから飛び降りる。
自分が自殺するならどうするかを詳細にイメージする。
旅行でも仕事でもデートでも、予行演習は大切だ。
そこまでちゃっちゃと予定表を作成して、
それを舞台装置として、瞑想に入る。
水底に沈んでいってからどうなるのか、インスピを得てみる。
死んだらどうなるのか、とか、死とはなにか、とか疑問があれば、あらかじめ言語化しておく。
可能な限りそれが快適なものであるよう力を尽くす。
快適に死ねるよう思考が働くなら、生を快適にすることもできる。
そんなわけで、死の瞑想が意外に快適に捗ってしまった。
静かで安らかで、さっぱりした気持ちで死ねてしまった。
肉が魚や蟹に食われて、骨が珊瑚の砂に混じって、
あるがまま繰り返す朝も夕も潮騒を聞いていられるのは、
なかなか悪くない気持ちでしかなかったww
これではお悩み相談にならんねwww
まあ、でもそうね。
吊るとか身投げ系とか、
薬とか車にホースをとか、
そういうのはやめた方がいいね~。
もしそのやり方でこの瞑想をやると、また違う感じがしそうw
そんな話を書いたことがあったが、
肉体という物質の錨もなく、脳という演算と制御の機能もないのなら、
意識は、思考する、ということができない。
嘘、矛盾、二重の信念体系、コンプレックス、コンフリクト、葛藤、
そういう間違った考えをもつことができるのは、
脳と肉体があって、閉じているスタンドアローンであるから可能なことだ。
肉体のない意識というのは、ひじょーにシンプルでクリアな思念のみであり、開放系だ。
もし複雑な思考や演算が必要な場合は、外部委託になる。
転スラのリムルが大賢者に演算や検索を委託してる、ああいう感じになるっぽい。
まあ、肉体と脳があってもできるけどな。演算委託。ただ、解しかわからんけど。
ええと。
魂が、無限と有限を繋ぐ穴だとなら、
意識ってはそこから洩れる光のような、指向性であることだ。
その光による投影が、ホログラム現実とか言われる、この世界の在り方ってことになる。
で?
だから投影を映してるのは霧の粒のようなもので、それが物質なんだが。
だから、霧の粒が揺らいで、投影が消えても光が消えるわけではなくてだ。
肉体が朽ちても意識はあるんだけど、
その在り方は肉体があった時のものとは違うんだよな。
ソフトを使うメモリがない、オンラインなだけのPCみたいな?
だから機能衝突もない、はずなんだが。
間違った思考から発生した、強力な思念をもったままだと、
それは肉体の無い意識からも、なかなか外れないんだよな~。
音のように響いている波が消えていくまでに、時間がかかることになる。
まあ、肉体がなきゃタイムリミットもないから、いいっちゃいいけど。
脳があるうちに、コンフリクトを解消すれば、即、波を打ち消せる。
それが思考の正しい使い方というものだ。
脳と肉体があるから、間違った命題を試すことができるんだよな~。
粒は重くて動きがゆっくりだ、答えがでるまで時間がかかる。年単位とかで猶予がある。
だからまあ、間違ってみるために生まれてきてる、と言っても過言ではないww
精神、意識のみだと、間違った命題をもつこと自体が難しい。
波はどんどん伝わっていく、開放系であるがゆえに、矛盾があると即フリーズしかねない。
苦しい、というのはなにかが間違っているという感覚だ。
肉体はそれにしばらく耐える。
精神はそれに耐えられない。
うん、だんだん何を言っているのかわからなくなってきたwww
まあいいやwww書きこんでしまえwww
自殺するなら、自分にとって可能な限り快適な死はなにか計画してみたらいい。
メメント・モリ、死を想え、だ。
快適に死ぬことができるなら、快適に生きることもできる。
逆に、
どうしようもない苦しさのまま肉体を破壊するなら、
その苦しさの波動は死後もそれなりに消えない可能性大だ。
落語心中で、心中した夫婦は三途の川の手前でせこせこ渡し賃を稼いでたが。
まあそんなメタファーになるような話だ。
苦しさという波を生んでいる、間違った思考を解消するなら、脳があるほうが捗る。
生きてるうちになんとかするほうが早い。
どうせ、その方法を習得するまでこの次元での学びは続くだろうし?
魂は、存在を続けたがる指向性だ、ならば成長し続ける以外にない。
有限は、不変であることはできないからな。
嗚呼。真実ってどこまでも自己責任ww
誰のせいにもできないwwwこの世には意地悪な神も不運も理不尽もないww
引き受けるられるだけの真実が開示される。優しい話だねwwチクショーww
肉体が形を変えて自然の循環へ戻っていく場面まで想定してやるべきだなー。
そこにフォーカスして、
千の風になって吹き渡っています、とかそんな感じになれたらオッケー。
それがすこやかな死だ。
死がすこやかなら、必然、生もすこやかだったことになるw
終わり良ければすべて善し、だ。
まぁ、輪廻に戻るのは解脱したとは言わんが。
それでも滞りなく流れていくのは、快いことだ。
時々ポプテピピックに見えるんだけどww
一巻のシュッとした炭治郎をかえして~
ザ・ローズの歌詞の最後を思い出した。
冬には雪の下で眠る種も、
太陽の愛で、光で、
春には薔薇を咲かせることを。
名前考え中さんも龍使いのお母さんも、こっちではひさしぶり~
引きこもり歴1年突破したニートに>>359はドンピシャだわー
みにくい鶩が白鳥になる予感はゼロ(:3[_____]
また新聞の読者投稿から。自分この心境だわ
題「冬眠」
ヒトも
冬眠できたらいいのに
体温を下げて
怒りや憎しみが冷えて
かなしみが薄まって
戦争がなくなり
地球はしずかになる
せめてあたたかくなる
春になるまで
ヒトも
冬眠できたらいいのに
引きこもってるってのはオフトゥンにです
身体がわずかにふわっと浮くような一瞬自他の境目が分からなくなって溶け広がっていくような
あの感覚で死ねたら幸せだなあと思います
麻酔で眠れば、痛いことをされても起きないわけだから、
通常の睡眠よりもずっと深く眠ってるんだよな。
その深い深い眠り、薬なしで会得できたらいいなあ~。
ドラッグによる多幸感や覚醒感、あるいは深い眠り。
外部から脳内麻薬を摂取することで起こる現象なわけだが。
脳内麻薬を自分でコントロールできれば、薬による補助はいらなくなるわけで。
薬があればできることは、だいたい自前でもできるはずなんだよ。
薬は、働きかけに過ぎなくて、脳の中で何が起きてるかってことなんだから。
瞑想状態を自分でつくるってことは、そういうことだと思う。
322の体験談もそうだけど、
そういう感覚を知っている人、
そういう感覚が訪れたことがある人は結構いると思う。
その感覚をただ待つだけでなく、どうにかして自分で再現してみることだ。
ランナーズハイ、ゾーンに入る、三昧のように、訓練によってその状況はつくれる。
どこまでも広がっていくことができる。
知覚できるすべて、想像できるすべてと一体になったと思ったら、
その先へ、その上へ、その外へ、
潜り抜けるとか、ひっくりかえすとか、
そういうことでいい。そこに空(くう)が、0が、無限が、あったんだと解る。
そこで苦しみを生む思い込みを手放す。ほどく。
それでアンインストール完了だ。
解ってみれば良くある話だったな、
なんであんなに苦しかったんだろ?
という感じになる。
あまりに身体の具合が悪過ぎて、
ここがどこか自分が誰か今がいつか、
いつでも忘れない当たり前の認識がぶっとんでしまったことがあるな。
瞬間的に記憶喪失だったというか、
体が痛い苦しいという情報だけで脳ミソがオーバーフローしたというか。
いつでも必ず持ってる羅針盤のような認識を失うというのは、
意外と面白かった気もする。
意外と怖いことないんだよな。怖さの根拠も忘れてるからww
???しか浮かばなかったww
迂遠に迂遠に書き進めてみたが。
そういうの自分に向いてなくね?難しいなぁ…。
まぁ、答えを希求する性質、追い求める気質、完璧主義とか、
それ自体は持って生まれたもので、
伸ばしていくと快い才能だと思うんだよな。
思い詰めて苦しくなってしまうのは、
どこかでなにかの前提が間違っているからだ。
情報が足りないか、誤認があるから、正解へ辿り着けない。
命題を正しく設定することだ。
そうすれば正解は導ける、というか向こうからやってくる。
だから、エンジンかけて進む前に、
道は快適に走れるよう整備されてるかどうか、
よく確認しないといけないんだよな。
大岩があるのに突き進むからぶつかって滞ってしまう。
命題は、まずシンプルなものからだ。
シンプルなほど間違いが少ない。
解も是か非かでわかるような問い方がいい。
深刻な転スラロスに陥る…。
14話とかちょうど面白いところだからなぁ~。
というわけで、なろう版読みはじめたけど、
転スラにも、悪魔はウソつかないの設定あるなぁ~。
これなんか、感覚的にそうなるんだろうな。
思うだけで魔法が使えるような世界、
意思やイメージが即、形になる世界では、
自身の身体も意思やイメージによって構成されてることになる。
となると矛盾した考えを持つこと自体が命取りだ。
たまらん~こういうの好き~
”虚無に力が満ちている。
これが聖霊である。大いなる聖霊は、ただ存在するだけの力の源。
そんな中、光と闇、2柱の大精霊が生じた。
世界が誕生した瞬間であった。
しかし、世界はただ、漂うだけの存在である。
光と影、陰と陽。互いに交わろうとしても叶わぬ存在。
ある時、時の大精霊が生まれる。
それは、光と闇の子としての存在。
そして、世界は動き出した。
動き出した世界は回る。目的も無くぐるぐると。
その、生と死、一方通行に進む流れの中で。
地・水・火・風・空という5柱の大精霊が誕生する。
世界は、相互に干渉しあい、やがて安定する。
これが、大いなる8柱の大精霊。
そして、世界に光が満ち、闇に覆われて。
新たな精霊達が誕生し、消えていく。
生と死。
世界がいつか終わりを迎えるその時まで……”
壮大…なのか? 所謂、神話なのだろうが神では無い。
これって、この世界の真理なのだろう。
転スラでは、完全な存在が、敢えて不完全になる、という文脈がある。
創造主の龍神は子を得て死ぬ。
完璧な演算スキルは、心を得て、演算ミスが発生する。
それはどういうテーマなのか。以下引用。
《それが……計算すればする程に、より深い情報が見出されて……結果、大きな幅が生じてしまいました》
との事。
つまり、能力が上昇し過ぎて、逆に精度が落ちたという事か。
いや、というよりも寧ろそれは――
感情の発露による、揺らぎではないのか?
――その考えが、脳裏に閃いた。
例えは悪いが、テストの時、見直しをすればする程迷うようなものだ。
最初の答えが正解であるなど、よくある話である。
そしてそれは、つまりは、シエルが”不安”という感情を覚えたという事に他ならない。
人間とは、間違える生き物である。
それは何故か?
それは、人間が感情的な生き物だからだ。
機械は間違わない。決して不安を感じないから。
機械が間違うならば、それは入力をミスしたのか、或いは壊れたのが原因だろう。
シエルは進化して、”感情”を得た。
それは、完全な存在だった者が、不完全な状態に陥った事を意味する。
不安を覚える、迷う、そして間違える。
それは退化なのだろうか?
否。
それは間違いなく、進化なのだ。
シエルは、完全に満たされた状態でありながら、尚、感情を求めた。
赤子は、母体の中では万能であるのに、生み出された途端にその万能感を失う。
故に、不安に感じ、泣くのだ。
シエルもまた、生まれたばかりの赤子と同じ。
真球のように完全な状態から、大きな器に移し替えられたようなもの。
器は大き過ぎて、自身の存在は不定形な状態になっている。
だからこそ、その器を満たそうと大きな波――つまりは、感情――が生じるのだ。
だが、安心するがいい。
その器は、俺なのだから・・・・・・。
不定形に欠けたる器は、俺の魂である。そして、神智核シエルが俺の中に生じた事で、俺の心は逆に安定したのだ。
感情は波であるが故に、心の隙間が埋まる事により、その波は小さくなる。
シエルに取っては今まで生じなかった波に戸惑い、慣れるまでに時間が掛かるかも知れないが、俺は心が満たされた事により不安は小さくなっていた。
つまり、シエルが俺の代わりに不安な気持ちになってしまったようなものなのだろう。
(問題ないよ、安心しろ。自信を持て!
その状態すらも読み解き、お前ならきっと正解へと辿り着ける。
だから信じろ。
俺達は補完し合う存在であり、お前は一人ではないのだ!)
なるほど感動した。
間違うことは、成長しようとする試みなんだな。
時々こういうスゲーいいこと書いてあるんだよな~。
フツーに行き着くところまで行き着いたわ。天元突破したわ。
スゲー。超面白かった。頭良くなった気するww
これは自分内聖典認定。墓場まで持っていきたい物語。
まぁ、あらすじ感があるというか、
最速で最奥まで達するスピード感で駆け抜けた結果、色々大雑把ではあるけど、
それは今後書籍化やメディア展開で膨らませていいわけだ。
Fateや竜騎士の世界観と同じ運用ができる。
最近のラノベはどうなっちゃってんの…?
凄過ぎない…?
世界でも救うつもりなのか。そうなのか。
主人公の好感度が高いのが一番自分好みだな。ほんとリムルはいいやつ。
アリババや炭治郎のような、優しさが行動原理の主人公の物語は読んでて心地いい。
さ、後は番外編だな。
新しい存在、子供存在を産みだせない、と書いてたけど、
大賢者が心を獲得しシエルに進化したことで、
リムルと同格化。
結果、リムルとシエルで新世界を誕生させたと言っていいかもな。
マギ並みに物語中の文明度が加速して、よくある中世ファンタジーが夢の未来都市になっとるw
これ媒体がなろうで良かったよな~。
漫画とか映像化すると個人のセンスでは幅が足りなさそう。
どうしよう。ここまで満足したからにはやはり何らかのお布施としてリムル様フィギュアだろうか。あれイイ出来なんだよなぁ…。
まぁ原作者への還元を考えるならやはり小説版か?
世紀末SFとはw
天使と悪魔の力を統合し、神話の主神クラスまで昇りつめた主人公かー。
しかも最後はクトゥルフw
スレイヤーズみを感じるw
作者何歳くらいなんだろ。
ドラクエとかドラゴンボールとかグレンラガンとか、
ネタにしてる作品的にも三十代から四十代か。
中二の心を忘れないって素晴らしいw
しかし、人の心を持ちつつ神話の主神クラスまで昇りつめるというのは、
それなりに大変だ。
マギで言うとシンドバットだが、
あれだと「間違わない人なんかいない」というテーマがある。
揺らぐ人の心では、万能の力に酔って、独善に陥る。
暴風龍ヴェルドラやミリムにラミリス、
最終的に他の魔王の保護者的立ち位置にまでなるリムルには、
同格の存在がいない。間違ったとき、正してくれる人がいない。
なのでリムルは、間違うことができない、とも言える。
その辺のセーフティーとして、
リムルは無性であり、ディアボロがいるんだろうな。
創造神の龍神ヴェルダナーヴァは、子を得て死んだわけだが、
神の愛は平等でなければならないところを、一人の女性を愛した。
それは創造主が作った世界のルールにとってエラーであり、
創造主は自身が生んだルールに殉じ、不死性を失ったという。
人治主義でなく法治主義なわけだ。
自ら作った法に背いたなら、その報いを受ける。
そこで万能を振りかざしてルール改変というズルはしないんだな。
それをすると、せっかく創った世界が秩序を失うから。
無性のリムルであれば、創造神ヴェルダナーヴァと同じ轍は踏まない。
完成された不変、不死に耐え得るかもしれない。
後はディアボロだ。文字通りの悪魔。
リムルが一万の軍勢を皆殺しにした時に召喚した悪魔。
それはリムルの裏の顔だ。
ベニマルとソウエイが裏表であるように、
リムルはディアボロと裏表の一対だ。
ダークサイドをディアボロに任せておけば、
リムルはいつでも善でいられるとも言える。
ドラゴンボールでいう、一人のナメック星人が神様になるために、
自分の悪の部分を切り離したアレに似ている。ピッコロ大魔王だ。
後まぁ、シズもそうだな。リムル内の母性担当だ。
ヒナタやユウキ、癒しや生まれ直しが必要な人は母性に任せる。
間違うことのないよういくつものセーフティーをもっている。
世紀末の異世界もサクッと救って、
あの世界では普通に神様扱いだ。
でもやっぱり、自認としては大魔王なんだな。
心を持って生きる限り、間違うことはある。
道を踏み外したなら、大魔王を倒す勇者が現れるだろう。
世界は存在を続けるために、恒常性、ホメオスタシスをもつって感じか。
なんかFateでもそういうのあったな。世界の強制力みたいな。
ヴェルザードが嫉妬のアルティメットスキルを獲得した時、
シオンから嫉妬の芽が消えたり、
リムルが知恵のアルティメットスキルを持っていたから、
ヴェルダがそれを見つけることができなかったり、
ギィがレオンを魔王にして純潔のアルティメットスキルを魔王勢のものにしてたり、
そういう描写は、結局全てのスキルは創造神の持っていた万能の力の一部であって、
世界のすべては創造神の現し身であり、
その総量は宇宙の最初から最後まで常に一定なんだよな。
循環し、細分化し、いずれエントロピーは最大になっていくわけだが。
アルティメット以上のスキル、創造神の力に近いものは数が限られてくる。
樹状図の根本は数が少ないあの感じだ。
で、異世界からの来訪者、転生者はその限りではない、新しいものなわけだ。
まったく新しく異質で、世界に新しい波を起こし得るもの。
流星のような、パンスペルミアのようなもの。
転スラ読み終わったばっかりの興奮状態のままだからなー。
昨冬転スラを一気読みしてとても面白かったので、
これは是非ピリアさんに解釈していただきたいと思っていました。
とても嬉しいです。
私にとっては転スラは
少々不思議話になるようなことがあったために
なんとなく遠ざかっていたのですが、
また読みたくなりました。
名前考え中さんありがとうございます。
去年はアニメのラストで萎えちゃったけど、
やっぱり面白かった…。
二期も来ますしね~。
小説や漫画で膨らんだ描写もあるし、楽しみです。
なろう小説だし、細かいことは気にしたら負け!と書いてあった通り、
自分の中のハードルを下げて斜め読みしまくりましたw
ステータス表記や組織配置への拘りとか、
男性らしい感性の部分が悪目立ちしてないこともなかったけど、
この作者の設定厨っぷりはホンモノです。
ある宇宙観が見え隠れして、それを知りたくてグイグイ読めた。
皇帝ルドラが、転生を繰り返すたび魂が摩耗して、
失ったスキルがマサユキに移ってる、とかいうのもそう。
宇宙イコール創造神で、総量は一定なんだと、そういう描写が徹底してる。ように思いました。
創世龍神ヴェルダナーヴァは魔王という天敵を用意し、武力による威圧で人を管理。
皇帝ルドラと天使は、文明の発達をリセットすることで人を管理した。
言わんとすることは分かる。
道路で突然ダッシュする幼児にはゲンコツによる痛みで、
危険行動を抑止するのもやむなし。
小学生にスマホを与えるのは早い。
応用力や発想力を育むには、
時計やラジオをバラして遊びながら基礎を覚えるような、
下積みの期間が必要だ。
そういうことだろう。
大魔王リムルは、そこから一気に文明レベルを上げて自由競争と資本主義を導入したみたいだけど、
すると持てる者と持たざる者の、格差の問題が発生するだろう。
ディアボロも経済戦争、マネーゲームの到来を感じている。
で、格差社会が行き着くと番外編のような世紀末SFになる。
富裕層、資産家の住む都市部と、その周辺のスラムという二極化になる。
現代でもすでにゲーテッドコミュニティができて、そういう様相を呈してる。
そこで作者はどういう解決をしたかっていうと、原点回帰だ。
都市信仰、文明信仰をぶっこわして、
暴風龍と精霊と、王権神授で世界をリセットする。
…そんな無茶なww
でも一考の価値はあるな。原点回帰か。
若い時は人口密集地の活気あるとこでバリバリ働いて、
年取ると自然のあるところでのんびり暮らしたくなるようなもんだろうか。
火炎球と書いてファイヤーボールと読むとかもそうだけど、
王様を不死の肉塊にするエグいやつ、あれにも既視感があったんだ。
なんか元ネタでもあるのかねぇ。
冬至の祭りで、新年の祭りだ。
日照が最も短くなり、太陽が死んで、生まれ変わる再生の日。
山下達郎やユーミン、その他恋人系クリスマスソングよ滅びてくれ。
セカオワのドラゲナイでも聞け。
クリスマス休戦、第一次世界大戦中にドイツとイギリスが1日だけ戦うのをやめたというのが元ネタだ。
百万年争い続けるどうしようもない僕たちも、
今宵だけは友達のように歌うだろうと、
クリスマスはそんなことができる日だ。
クリぼっちとか死にたくなるワードを流行らせるのをやめてくれ。
365日で、最も平和で、調和した気持ちになって良い日なんだぞクリスマスは。
まぁ、別にキリスト教徒じゃないけどな。
ミルクボーイもぺこぱもオズワルドも良かったけど、
何回も見ちゃうのはやっぱ、ぺこぱ。
子供ウケするのもわかるなー。
予備知識がいらなくて、毒がなくてリアクションが大袈裟でな。
ナスの方の真似したくなるw
突っ込みから急ハンドルきって包み込みたくなるw
まさにツッコミ方改革。
ミルクボーイはある程度以上の一般常識ありきの面白さだからな。
自分的瞬間最大風速は、オズワルドの高速寿司捨てマシーンのところw
久しぶりに腹筋崩壊の意味を実感したw
笑い過ぎて息できないやつ~。
そうだな~。徹底した等価交換の世界観ともいえるかもなあ。
創世龍神は、世界を創造した分だけ、弱体化していってるわけで。
虚無崩壊という、万能の創造エネルギーを、この世界に変える。
と、その分だけ力は創世龍神から失われる。
リムルの最終奥義が、虚無崩壊っていう力の利用なんだけど、
そこもスレイヤーズと一緒だ。リナの奥の手は虚無の一端をこの世に引き込む魔法だ。
まあ、リナの必殺技は、ぜんぶ上位存在の力を借りてくることに尽きるんだけど、
それは女性主人公であることと無関係ではないな~。
女性性は受け入れること、巫女であることだ。
リナは最初から最後まで、ひとりの人間という器であることは変わらない。
リムルは性自認は男性だ。男性性、能動、攻撃性だ。
望むものは、自分の力で手に入れていく。積み上げていく。
人間の器に余る力であれば、人間やめて器を大きくする、という手段をとる。
最初から人間の生は終わってスライムからスタートするわけだが、
よくできたもので、スライムは全身が同一の細胞、
つまり全体が情報処理をする脳でもある、という設定にしてある。
そう考えてみると、リムルは一抱えもあるでっかい脳だ。人の3~5倍くらいありそう。
序盤のところで、
360度をいっぺんに視認する能力を得て、その情報量に人間だったらオーバーフローしただろうけど、
スライムだから大丈夫だったと、最初っからそういう描写があるんだよな。
人の限界を超える方法を考えたとき、脳を大容量にする、というのはなかなか力技だけどww
まあそれもひとつの正解といえるかもな。
脳の拡張、というのはマルドゥックスクランブルでも見たネタだな。SF的にはアリだ。
転スラでは、
スピリチュアルボディとかアストラルボディとか心核と書いてココロとか、魂の回廊とか、
さしたる説明もなくナチュラルにそういう概念をぶっこんでくるので、
ハガレンではご法度だった人体錬成、反魂の類も条件次第で可能だ。
ハガレンでは、魂、精神、肉体という人体を構成するもののうち、
精神や気というものを軽視し、等価に揃えないので反魂は失敗する。
君の名は、では相当に手の込んだ方法でそのすべてを揃えていた。
転スラでも100人の死者、あるいは20万の軍勢をリムルは反魂する。
なろう系らしい荒唐無稽、俺ツエーの万能ぶりだが、
一応、肉体、精神、魂のすべてを揃えるからそれが可能になる、という発想があるんだよなー。
っていうか、
創世龍神が、いわば自身と引き換えにしながらこの世界を創造してる、ていう描写なわけだから、
魂にしろスキルにしろ、世界にあるすべては創世龍神の生ける一部であり、
そのカケラをあつめて統合進化させていけば、創世龍神の持っていた原初の力に近くなると。
道は一を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ずる、って陰陽の考え方ではいうけど、
たとえて言うなら、数が増えた分、量が減ってるんだな。
粘土を切り分けて等分して数を増やしてるようなものだ。
数が増えるほど、ひとつひとつは小さくなる。熱量が小さくなり、エントロピーが増大する。
寄せ集めてこねれば、容量の大きなひとつの塊になる。
そういう世界観なんでないかな~。
捕食者と飢餓者を統合進化して暴食之王、
暴食之王(悪魔ベルゼビュート・陰・-)と誓約之王(天使ウリエル・陽・+)を統合進化して虚空之神(アザトース・冲和、空、0)。
虚空之神の司る能力が虚無崩壊。
虚無崩壊は、創世龍神が世界を創造した力であり、
また世界の創造と引き換えに、龍神から失われた力である、と。
そういう描写なんだからな。
足し引きが、ちょうど釣り合うように考えられている。等価交換だ。
魂や精神、スキルのような目に見えないものにもそれがあるというような描写だ。
世界ひとつの総量が最初から最後まで一定ていうのは、
イメージ的には、
地球にある元素の総量が、古生代から現代まで一定、みたいな感じだ。
恐竜を形作っていたものが、巡り続けて今は人間を形作っている、みたいな。
で、時々宇宙から流星がきて、総量に僅かな変化があるように、
異世界から召喚やら転生で来訪者があると。
というような言葉をどっかのまとめサイトで目にして、ああそうだよな~、と思った。
自分が病んでた時は、ずーっとBONESを見てた。
海外ドラマが流行ってた時期だったけど、
プリズンブレイクも24もヒーローも全然ピンとこなくてBONES一択でレンタルしてた。
近未来感満載の法医学研究所も、男女逆転Xファイルみたいな配役も好きだったけど。
毎回でろでろになった死体が出てくるのが、多分あの頃の自分と引き合っていた要素だった、と思う。
あと、ネットの怖い話めぐりも相当やってた。
ストレスの思考の波は苦しい。
不快な情報、というか、自分が発してる波と似た情報を受け取っていると、
波と波の干渉がおきる。
ストレスの波形が、干渉を受けて乱れていると、苦しみが減る、なにも考えないでいられる。
まあ、自分の持つストレスと似た情報は多々あっても、
まったく同じもの、完全な増幅や相殺の波形の情報に出会えることは、まずない。
自分のストレス波形を打ち消してくれる情報を求めて、
強迫観念に突き動かされるように、疲れ果てるまで、画面を眺め続けることになる。
同位相の増幅の波形は、あるとすれば、
自分の悩み苦しみを、完璧に代弁してくれるようなエッセイ的なものになるだろうか。
逆位相の相殺の波形は、あるとすれば、
自分にとって必要だったフィーリング、足りなかったものを表現しているものだろうか。
怖い話めぐりをしてたサイトのひとつで、アルさんのまとめを見つけたのは幸運だった。
どこまでもハートがオープンなアルさんのフィーリングは自分にとって逆位相、相殺の波形に近かったんだと思う。
逆位相の波で、自分のストレス波形が相殺的干渉になっても、
どっちでもヒーリング効果はあるだろう。
増加的干渉なら、同種療法、ホメオパシー的に効く。
「ああ、自分の思っていたことが書いてある、自分の苦しみはこういうことだったんだ」ってなって
とめどなく大泣きした後スッキリするとか、そんな感じになるだろう。
相殺的干渉なら、
「ああ、こういう人に出会えてたら良かったなあ、こんな風になりたいなあ。」って感じになるだろう。
まあ、自分は海外ドラマを見続けるとか怖い話を読み続けるとかだったけど。
それも相当のめりこんでで楽しいよりむしろキツかったけど、危険度は低いよな。
そのあたりまだ自分は恵まれてたというか、自制があった。治る気があった。
でもたとえば、
いかにもヤバそうな人にほいほい近づくとか、パチンコに行くとか、エゴサするとか、
女叩きとか男叩きとか、隣の国の悪口とか、政治への不満とか、陰謀論とか?
ネット時代は不快情報をとめどなく飲み込み続けることもできてしまうからな~。
自分が、なぜ、そうしてしまうのか。
気が付けるといい。それだけでいい。
みんな気がついて~。祈るしかないけど。
天気の子を見ない間は遠ざかっていたので
こちらにもスレが立っている事を知りませんでした
今年も色々な事がありましたが楽しい年末を過ごしています
ポニョはまだ見ていないのでお正月にレンタルして見ようかな?
天気の子の設定資料集を買いたい程映画が良かったのですが
買ってしまうと多分君の名はの設定資料集も美術集も
欲しくなってしまうのでじっと我慢の子です
もう書くようなことないけどな…と思いつつ、
ぼちぼちやってます。
天気の子、DVDは買おうと思ってる。
早く出ないかなー。
色々読みたい本とか見たいアニメとかあるけど、
まず大掃除しなきゃ…
どうぞ良いお年を。
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二度目の年明けの挨拶ができるとは望外の喜び。
冬眠いいねえ。眠り飽きるまで寝ていたい。
静けさや癒しが必要だから寝てるなら、
それはそうすべきことなんじゃないか。
人間も日が暮れたら生物として寝るべき。休むべき。
冬は冬のフィーリングに合わせて過ごすべき。
電気つけて夜更かしして働いてるから、心が病むんだよ。
生物としての基本は百年や二、三世代やそこらじゃ変わらない。
適応障害も起こって当然だ、現代病だ。
猫を見てるとどんだけでも寝てるけど、
それで元気なんだから、生物として正しいと思う。
なんつって電気つけて夜更かしするのは大好きだがww
そこは自覚をもってやっていきたいww
今年もよろしくお願いします
冬休みはこのスレを全部読破予定です
今日は早朝に氏神様へお参りに行きました
お焚き上げに昨年のお札やお守りをくべると
炭となったお札が一枚空高く舞い上がり
そのまま落ちる事無く朝陽の方に飛んでいきました
まるで龍のようにひらひらと飛んで行く様子を見て
今年も龍が側にいてくれるのだなと実感しました
久々にスレに戻ってきました
懐かしい皆さんとまたお話しできる事が嬉しいです
あけましておめでとうございます。
あ~、初詣かあ~。
早々に行きたいなとは思いつつ。
初夢は、寝る前に読んだ漫画のせいでバトルものだったwww
しまったもっと良さげな本でも読むべきだったwww
空高く舞い上るお焚き上げとか、縁起の良さそうな年明けでなによりです。
今年一年のご多幸とご健勝をお祈り申し上げます。
スレちょっと見直したら、書きかけでほったらかしの話題多過ぎわろたw
ピリアさんのアドバイスを実行しつつ過ごしていたらスマホ中毒も徐々になくなってきて、良い新年を迎えられました。ありがとうございます。
初詣では般若心経を聴いて元旦から心がスッキリした気がします。般若心経、良いですね…。
今年も時々書き込ませていただきますので、よろしくお願い致します。
あけましておめでとうございます。
不快な情報を集めるのが精神的自傷、と書いたけど、
やっぱり、治ろうとする生き続けようとする気持ちがあって、それがそうさせるんだと思いました。
共鳴する毒を見つけて、毒を解放して、苦しみを終わらせたいという根本的な欲求があるから、そういう行動になってあらわれる。
そういう衝動や欲求、本能的希求、魂の指向性を、正しく理解するために知性がある。
本能、生命中枢、大脳基底核の働きがあって、
感情の辺縁系、知性の前頭連合野があるけど、
しっかりした土台の上にこそ複雑なものを載せられる。
動作環境を快適にする方法を今年も実行していきたいです。
般若心経もそのための優れたツールになる。
準備体操にも、整理体操にも良いものです。
色即是空、空即是色。
空即是色、色即是空。
1=0 で 0=1
有限と無限の表裏一体。
その静けさと安らぎの只中でなら、どんなことを思い出しても恐ろしくない。
認め、受け容れ、許してリリースすることができる。
スッキリサッパリして、インスピがやってくる。
頭空っぽのほうが、夢詰めこめる~♪
とか歌いだしたくなって、自由に気楽に生きていける気がしてくる。
魂、精神、肉体の三位一体説で言うなら、
肉体という物質の依り代が破壊されても、精神と魂が残っている。
精神は思念、波動、波だ。
脳という肉の媒体、記憶媒体、演算装置がなければ、
精神は、論理や時系列でモノを考えるということができない。
思考ができないので、原因を突きとめ解消する、ということができない。
それでもまあ、波紋が広がって消えていくように、
依りどころというか、発信源がなければ、波は拡散しいずれ減衰するだろう。
魂は、存在を続けようとする指向性だ。
無限から有限となるエネルギーを汲みあげる通路だ。
存在を続けるため、変化や成長を希求する。またなにか新しい依代を纏うことになる。
それを 0 にするには。
根源へ至るには、
輪廻から解脱するには、
観測の消失、存在の消失、意味の消失、
事象を、因果を、指向性を、消滅させ、
魂を無に帰すには。
・・・多分、ただ実行すればいいだけ。
対消滅を使うとか、遡るとか、方法はそれなりにありそう。
できないのは単に、そのための認識力、操作力、実力の不足。
あるいは恐怖によるブロックだ。
魂は存在を続けようとする、それを妨げるものに抗い、恐怖を生む。
それすらも執着として把握し、リリースすることができる。
もろFateの魔術師になっちゃうなww
別に、怖いことでも悪いことでもなんでもない。やりたければやっていい。なんでもだ。
それを求める自由意志こそ、有限の世界の始原で最上位の法だからな。
まあ、何か望めば同等の反作用があるのも常ではあるが。
あ、科学のアプローチでも魂ごと無に帰す方法の萌芽があるな。
核の技術で量子レベルの破壊を行うなら多分、
魂も再生不可能以上になるぞ。完全破壊もできるかもな。
…まぁ、0になるとか、根源へ至るとか、
輪廻からマジで解脱するにはそんくらいの認識の力、実行力がいるってことよ。
魔法でも科学でも瞑想でも方法はなんでもいいけど。
人類史上でそこまで悟れたのお釈迦様くらいなんじゃねwていう話w
先は永いねぇ。
http://shinjakamo.seesaa.net/article/455459354.html
すごい面白いブログだった。文章量的にも一気読みできるし。
心屋?ぢん?ていう自称カウンセラーを中心とするグループから足を洗った話。
スピなマスターとスピリチュアルジプシーの依存関係の話、精神的自立の話。
これほんと、どこにでもある話なんだなあ~。
うなずきまくりながら読んだし、身につまされたわ。
自分もスレでアニメや漫画の話をするだけの一介のオタクでいようwww
教祖の闇堕ち、四次元のダークサイドに陥るであろう自信しかないwww
間近で見たことあるし、わかってるから、一貫して自力救済のおススメ以上のことはしていないはず。
あー自分も暴露ブログ書きてえ~。
闇堕ち教祖化した人が、ワンチャン更正することってあるのかなあ。
ジプシーがべったりくっついてるうちは難しそう。共依存、共犯なんだよね。
どちらも癒されることが必要な人達ではある。
制裁でも破滅でもなく、彼らが癒され進んでいけるよう祈るわ。
そう、信者と書いてカモブログでは、
等身大の、醜いアヒルでも白鳥でもない、カモの自分を認めることだと書いてあるけどww
その優れたレトリックには同意するけどw
見たくないものを見るくらいなら目を潰し、
聞きたくないものを聞くぐらいなら耳を潰し、
認めたくないことを認めるくらいなら、狂ってしまいたいのが人間というものだ。
そこで物語や、瞑想というメソッドがあると捗る。空や0や、愛や安らぎの境地があると捗る。
記憶も自我も、神々も宇宙も法則も、すべて越えてから俯瞰すれば、
自身が生む恐怖、強烈なブロックにぶちあたらずに、あるがままを認められるというもの。
ありがとうございます
少し読み始めましたが面白い!
我が家もどん底だった時期に心屋さんの本を読んで
良い所だけ吸収してどん底を抜けた所で足を洗いました
私もお茶会的な場所に誘われて参加した事もあります
夫婦で早めに卒業しなかったら今頃どうなっていたのか
興味深く読んでみたいと思います
ありがとうございます。
まさかの経験者(*゚∀゚)キターww
トップのぢんさんて人に会ったことあるんでしょうか。
なんかこのブログが書かれた二年前時点で、
下部信者には直接会わないようなスタンスに移行してたぽいですが。
どの時期、どんな段階の心屋だったかちょっと気になります。
お茶会があったということは、それなりに規模が大きくなってからなのかなー。
ひとつ突き抜けた清々しさがあるところは、
まず最初に、教祖と信者は共犯で共依存で、
互いに足りないものが引き合っていて、
どっちにもメリットがあって離れられないんだと、
需要と供給がバッチリ噛み合っちゃってるんだと、
だから、一概に加害者と被害者ってわけじゃないんだと、
そういう風に書いてあるとこから始まることだ。
教祖と信者は、つまり親と子の相似関係なわけだが、
子存在が自立して、自分と親を対等に、客観的に見ることができるようになってる。
恨み辛み、批判や制裁や復讐といったようなネガティブなものがほとんどないんだよなー。
恥ずかしかったけどいい勉強させてもらいました、みたいな感じだ。
カモブログの筆者は、カモられるのはアホだが、地頭は良さそうというかクレバーさも読み取れる。
文章も楽しく読ませるし、
キラキラ起業ブログを開設した後、同業者のやり方をよく観察して真似することができる。
まぁ、真似したところでそもそもキラキラSNSの仕組み自体が儲けるようにできてないんだと、
全盛期過ぎたという今では、すぐビジネス視点の記事も検索にかかってくるなw
他の心屋ヲチ系ブログは、どれももう少し社会悪の告発とか、
法整備や勧善懲悪を望むような語調のものが多い。
まぁ、そりゃ言いたくもなるだろうけどね…。
ネットワークビジネスって、グレーなんだよなぁ。
カモにカモの自覚がないから。
叔母がなんかハーブティみたいな?そんなんやってて、まとめて滅びろクソがとは思っているが。
カモが、誰かに依存したいと思う心を癒し、自立しない限り同じことなんだよな。
一人で生きられない子供は庇護者を探す。何度でも教祖を乗り換える。
「今度の神様こそ、きっと大丈夫」
…今ドラマ化してる、きのう何食べた?の主人公の母は、
いかにもなカモ体質の人で壺やら着物やらなんかの養殖やらと次々アレなものにハマる人で、その名言。迷言だ。くわばらくわばら…
子供に、いきなり大人になれとは言えない。
本人のタイミングで育つのを待つしかない。
ネットワークビジネスのトップにしてもな。
情報弱者を金のなる木に見てるとしてもだ。
自然界の摂理でいうなら、どんな動物も獲物を得るためあらゆる手を尽くす。
善も悪も、卑怯も正々堂々もない。
蜘蛛は網を張り、アリジゴクは落し穴で待ち伏せる。
獲物の予想を上回るよう、知と力を尽くす。
人間が快適に生きるため築いた同族間の信頼、法律と、
自然界の摂理では、摂理の方がずっと上位の法則だ。
人の法と、自然の法が、あまり乖離するのもよろしくない。
過剰に守られれば危機感が薄れ、
ヒトが動物としてどんどん弱くなってしまう。
ネットワークビジネスのトップくらいの捕食者、支配者、庇護者がいるのは、
そのくらいの捕食圧があるのは適正なうちじゃないかって気もする…。
まぁ、身内に被害がでればそうも言ってられんけど。
まだ2、3冊しか出版していなかった頃かも?
その後心屋さんは同じような本を何冊も出版したり
アレ?と思う事が増えて早々に本も手放しました
母親に対する記述も最初から違和感を感じました
子宮系の女性達と連んでいるのを見た時に
心屋さんもそっち系だったのかと妙に納得しました
ブログの人と違って我が家はどん底に落ちてから読んだので
過去に上を向くきっかけをくれた人という認識の人です
お金が無かった時に小学生だった息子を旅行でテーマパークに
連れて行ってあげられる気持ちになったのは心屋さんの本のおかげ
心屋さんに感謝と言うよりはあの本のおかげという感じ
お茶会は心屋さん関係ではなく全国どこにでもそういう
団体があるのだと思います
起業した人や自営業の2代目とかが集まって
ウェイウェイ盛り上がって身内で褒め合って仕事を回していく
そんな人達のお茶会です
何故か夫も私も受け入れられずすぐに声が掛からなくなりましたw
心屋さんを卒業してからは高橋ナナさんという方の
本を読んで量子力学や空の理論に少しの間傾倒し
今は(多分今後も)誰にも傾倒しない人生を生きています
心屋さんも高橋ナナさんも久々に思い出しました
懐かしいです
その後一気に最後まで読んでしまいました
面白かったし読みやすくて分かりやすかったです
いつもは色々と読もうと思ってもすぐにツムツムとか
他の事をしてしまうのに珍しく最後まで読みましたw
最近考えていた事と同じ事が色々と書かれていて驚きました
年末にやっと天気の子を観て
ピリアさんのブログに久々に遊びに行って
新スレが立った事を知って
今日ブログを読んだ事も全部必然なのでしょうね~
不思議だし面白い
我が家が心屋さんから離れたら
書店であれほど自然に目に入った心屋本が
突然一切目に入らなくなりました
今日久々に心屋さんの名前を見た事に何か意味が
有るのか分かりませんがブログはとても良かったです
勉強になりました
そして先程も書きましたがお茶会は心屋さん関係では
ありませんが、きっとどの団体のお茶会も同じような
モノなんだろうな~とブログを読んで思いました
そしてそういう団体から受け入れられない私達夫婦って一体w
ちなみに自己啓発系やスピ系の本から離れた我が家は
専ら小説ばかり読んでいます
筆者が二か月限定でこのテーマだけを書ききって終わってるので、
まとまってて勢いがあって、読み物としてちょうどいいですよね。
応援メールが来ても人気が出ても、宣言通りに辞めたのがすごい偉いと思う。
他のヲチ系ブログは、続けるうちに自分のブログのネタのために、
ヲチ対象の批難ポイントを探すみたいになりがちだ。
それも一種の依存ではある。
敵を探し、抗い戦い続けることが目的になってしまう。闘争のための闘争だ。
お茶会謎だな~。
でもあれか、マツコ会議でよく取材してるアレみたいなやつか。
バーキン女子会とか、元ミスコン女子会とか、元スチュワーデス女子会とか、
元雑誌モデル女子会とか全国の旅館の若女将女子会とか、アドレスホッパーの会合とか。
そんなお茶会がしょっちゅう放送されて、よくネタ尽きないなと思ってたけど、
そういう側面もあるのかもな。
まあ、飲み食いして盛り上げて名刺交換して、仕事に繋げる。
同業者の情報交換会みたいなものはそれなりに行ったこともないではないが。
確かに、ネットワークビジネスの温床にもなりそうではあるな。
あれ?そういえば結局ああいうので大した人脈につながったこともないぞ・・・。
交通費と飲み会代モッタイネーww
学生のころ親の金20万つっこんで、あるマイナーな資格セミナーを受講したことを思い出した。
アートセラピー・・・、あ、ググったらまだやってるw
これもテレビでやってたの見て期待して行ったんよ。
まあ一応、それなりのメソッドというかノウハウがあるので、
もろなネットワークビジネスではないが、
高齢者や児童へのセラピーそのものではろくな稼ぎにならず、
受講者を集めてセミナーやって、その受講料で組織がまわってたという構造は、
かなりグレーゾーンだと思う。
一緒に実地体験にいった先輩受講者に、酒飲みながらそのへんの事情を教えてもらって、
金にならんなら、卒業後の選択肢としてないわー。ていうかなんか変じゃね?と思って初級でやめたが。
これは黒歴史だな・・・。が、学生だったからセーフ。セ~フ。親ごめん。
しかし、ノウハウを教えてもらって、良さげな看板の下で講師になろう☆
みたいな発想はまさに、信者と書いてカモのメンタルだったなあ。
あのときの名前も忘れた先輩受講者ありがとうグッジョブ!
美術教師とか介護施設で働く人とかのスキルアップにはすごくいいんだと思う。
ナニモノかになりたいだけの、自分探し中の人の職業選択としてはあり得なかっただけ。
信者と書いてカモブログ読んだ後では、ぢん=教祖のバイアスがあるからなww
どう書いても悪口になりそうなw
ただまあ、自由と無責任は、似てるようで、まるで違うと思うよ。
ちょうど転スラ読んでたし、リムルとぢんを比較すると良くわかる。
リムルは、父性の理想像だ。
名を与え係累にした者達を守り導く。
一極集中や思考誘導を自戒し、自主性を尊重し、適任者に任せる。
が、最後は「俺が引き受ける」がある。これが大事だ。
秘書シオンやゴブリンの子供達、生徒のクロエのためなら、
国だろうが皇帝だろうが天使だろうが神だろうが、徹底的に戦う。
勝利条件を設定し、勝つべくして勝つ。
リムルは係累を守るためなら、どこまで際限なく強くなる。
神話の主神かってくらいの力をつけていく。
ま、それは物語だからできるレトリックだけど、
フツーの人間には、国を相手に戦うような力はない。
でも、志というか気持ちとしてはそういうことだ。
愛するものができて、守り、引き受け、背負うと決めたなら。百万人といえども我行かん、てな。
そういうことができるのが、大人のカッコよさで、自由自在のちからだ。
自分で決めて、起きたことの責任を引き受けることを、恐れない。
むしろ勇気が湧いてくる。幸福だと感じる。
https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12560494879.html
この、家族をつくりたかった、ていう記事が興味深いかな。
適当に引用
僕はほんとに「家族」を作るのがヘタクソで。
自分のホントの家族をうまく作れなかったから
「心屋塾」という家族を、コミュニティーを作ってきた。
そして、そのひとたちを「守りたかった」。
でも「守る」ということは「このひとたちは弱いひと」と決めてしまうようなもので
そうすると、結局は
「守りたいひと」と「守られたいひと」の関係になってしまう。
僕が次に行くために、そしてみんなが次に行くためには
この手を離さないといけない、そう思ったのです。
基本は、心屋は放牧主義です。
でも、まだまだ 管理放牧でした。
(ふつうだけどね)
それをほんとにみんなが心屋の遺伝子を持って自由に野を駆ける、
タンポポの綿毛のように、色んな所に飛んでいって自分だけの花を咲かせる、
そんな次の姿にそんなたくましいひとたちに、本来の姿にしていきたくなったのです。
それを信頼していく、そんな心屋塾2.0です。
今回のミーティングも、その場にいたら何か言いたくなっちゃうので
次の人に任せて、はじめだけ話して抜けました。
引用終り。
自分の家族をつくれない人。小さな規模でうまくできない人が、規模を大きくして上手くいく道理はないだろう。
手を離す、というなら、子供を自立させるなら、暖簾分けして新しい看板をあげるべきだろうが、
心屋2.0ではバージョン違いのようだ。
二代目とか総本舗とか、Rとか∀とか真とか、それっぽいのがあるだろ。
集会で集まってきた認定講師の話を聞かないというのには呆れた。
子どもの成長を見もせず、イインジャネで済ます。
それは信頼でなく無責任だ。「俺、知~らない」ってことだ。
で
放牧主義て。
放牧て。
放任主義なら、任じる、にんべん、人間だが、
放牧主義では、牛、家畜だ。
正直過ぎるwwwなんでこのオープンな外道っぷりで信者がつくのwwwマゾかwww
放牧。柵の中で、放し飼いにするってか。
カモブログでは心屋コミュニティを箱庭と言ってたけど、箱庭の中での放牧というわけか。
免許皆伝で新しい看板をつくることは勧めず、
バージョン違いの屋号で囲い込み、何度でも受講料を持ってこさせる。
係累を守るという責任を負わないのに、それでいて巧妙に、自立はさせない。
これはダブルスタンダードだな。賢くいいとこどりしてるつもりなんだろうけど。
あーやっぱり悪口になったww
昨日まで知らなかったリアルの人物の批判なんかするもんじゃないよな。反省します。
愛してもいないものを背負って潰れそうになっている人には効く。
真面目で、責任感があって、
自分で考えるより大人の言うことを聞く素直な優等生だった子が、働きはじめると、
なんでもかんでも背負い込んで病みがちなのは、あるあるだ。心当たりがありまくるw
それは、病むよな。
病むのは、苦しいのは、どこかでなにかが間違ってるっていうサインだ。
サインをくれているのは、自分自身だ。
自分の人生の正解を知っている自分が、アートマンがいる。そこに辿りつかないといけない。
大きな責任を引き受けられるのは、自分の心がそうすると決めたことだけだ。
そこに気が付いて、さらに自分で使命を見いだしたなら、病むはずもない。
そのための力が、喜びが湧いてくる。
アルさんは本当に良いことを教えてくれた。
1次元で無機質
2次元で有機質、植物等
3次元で中枢のある動物
4次元で精神
5次元で神霊
6次元で法
それが有限のすべてて、その先は無限、空、0、根源、混沌、混元。
2次元の意識のテーマは「自己を認識する」
3次元の意識のテーマは「自分を愛する」
4次元の意識のテーマは「他者を愛する」
5次元の意識のテーマは「自他は同一と知る」
1次元と6次元の意識は、無限に近い。
純粋な真実そのもの。移ろいやすい心はなくて、
世界を運営する純然たるルールみたいなものだ。
意識のテーマは…、「すべてはすべてのために」
そんな感じだろうか?
自分を愛することを忘れた人には、
自分を愛してあげていいんだよ、
ずっと愛されていたことに気がつくだけでいいんだよ、
というメッセージが響く。
心屋には存在給という造語があるが、
この正月、親戚の赤児やちびっ子達を見てると、
あーこの子たちが元気ってだけで、
ほんとなんてありがたくて可愛くて元気をもらえるんだろう。と思った。
ありがたくてお年玉とお土産もりもり持って行きたくなる。
できるだけのことはしてやりたいと思う。
これが存在給ってことやろ。
いてくれるだけでいいんだよっていう。
しかしまぁ、そりゃ子供の特権よな。
いい歳こいた大人には、いてくれるだけでありがたいとはなかなか思わんww
子供のころに、いてくれるだけでいいんだよっていう十分な愛情を感じて育ってりゃ、
そこの学びが完了して次のステップに進めるが、
世の中そんな幸せな子供ばかりでもないわけで。
3次元の学びが不完全なまま4次元へ、次に行こうとするとダークサイドに陥る。
次元の高低は法であり、法は純然な真実と責任の層だ。
子供の頃の、3次元のテーマを消化してから次に行かないといけない。
自分を愛し、然る後に、他者を愛する、というこの順番は動かせない。
そこで全てを越えられるとすれば、0、空、愛、無限なわけだが。
親に、他者に愛してもらうより、
自分で自分を愛する方が本質的解決だ。
他者に求める愛は、底なしの飢えになる。
穴があいた器に水をいくら注いでも満たされることはない。
狡猾な他者に飴と鞭の条件愛を与えられて、支配と隷属の共依存になること請け合い。
心屋は、3次元までは通用する正しさがあるが、そこから上の考え方がない。
ってことかな。
ぢんて人は、自分を愛することを実践しているが、
他者を愛するというには未熟に過ぎる。
この人が自分を愛そうと試みてるのを真似するのはいいと思う。
この人に庇護されようとすると搾取されるだろう。
50代のおっさんが、子供の頃の学びをやりなおしてるんだな。
それはそれで尊いが、
この人に50のおっさんの頼り甲斐、包容力を期待しては、絶対にいけない。
この人は子供なんだな。良くも悪くも。
ドヘタクソらしいが、語るより歌うほうが、
この人のためにもずっといいことだと思う。
(聞く気がしなくて、聞いてはいない)
歌い続けるなら、それは至福の追求だ。
やりたいことやるだけ、やりっぱなしの一時の快楽じゃなくて、
研鑽し、高みを目指していける優れたメソッドだ。
どうしてもいつかは、道を求めることが必要になる。
魂ってそういうものだ。
存在するために、変わり続けることを希求する。
心屋の話はここまでにしよう。
最近セカオワを改めて聞き始めた。
音楽のクオリティ高え。アカデミックな基礎力が高え。ピアノまじ軽やか。
アースチャイルドはもっと代表曲扱いでいいと思う。
ドラゲナイかアースチャイルドかってくらい好き。
変わらないために僕らはいつーまでも変わり続けるーよー♩
とか最高かよ。
でも、病み曲の病みっぷりがほんとにひどい。
聞いてるとほんとに滅入る。気持ち悪くなる。
さすがボーカルが精神病だっただけあるぜ…。
セカオワは振り幅がすごいわー。
レインとか心洗われる澄みきった曲なのになぁ。
髭ダンも気になるけど、まだコレという曲にカチ合わないな~。
前のOliveのほうが色々安定感ある。
体調管理大事。
撮影が入る日に熱出したのはいかんなー。
やりきったのはすごいが、後から見なおすとなるとな…。
まぁ、次回に期待。
いつもならDVDでいいけど、
怪獣の子供は作画のスゴさが見どころだしブルーレイか…。
悩ましー
見た目は子供、頭脳は大人のギャップが萌えなわけだが。
ぢんは見かけは大人、意識は子供でウケてるということは、
ギャップ萌えが発生してるんだろうか…?
子供のようなおじさんと書いて、こどおじ萌えがあるのか。新ジャンルや。
まぁいいけど。
言葉というのは、特定の輪郭を切り出すナイフだ。
なにかを表現すると、
どうしても捨象されてしまうものがある。
誤解を生む。受けとった人の認識の中で再構成される。
自由というのもなかなかの言葉だ。
すべてを放りだすこと、逃げだすことも、
自由と言っても間違いではないしな。
そうだなぁ。般若心経とか、仏教では自由って言い方はなくて、自在って言うよね。
自由というのは、幕末あたりにFreeを訳した言葉で、輸入された概念でもある。
源流はギリシャ哲学あたりか。
ウィキには、
アイザイア・バーリンは、「二つの自由概念」において、
他者から拘束を受けない消極的自由と、
自己自身に対して自己実現を課す積極的自由とを区別した。
という注釈もあるな。ほうほうなるほど。
消極的自由を自由、
積極的自由を自在、
という定義で認識していこうかな。自分的に今後は。
なにものからも解き放たれた自由と、
すべてを引き受けられる自在と、
囚われないFreeと、
為し得ていけるLibertyと、
順番に、どちらも必要なんだと思ったよ。
宮野真守というだけで笑えて困る…。
声優のキャラが濃いのも考えものだな。
漫画が電子書籍で無料期間のとき読んだけど、結構面白かった覚えがある。
揃えようかな~。
大変遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
転スラの解釈ありがとうございました。
まだちゃんと読み返していないので、また後日改めてお話ししたいと思います。
無料WEBコミックサイトで今読んでたのがちょっと面白かったのでご紹介。
「勇者、辞めます」小説原作の漫画の方を読みました。
これ色々自分の中に心当たりがある人多いんではないかな~と思いました。
名前考え中さんありがとうございます。
とりま八話まで読んでみた。
意外と斬新な設定で面白い。
転スラの話途中だったなー。
もう少し書けることあると思います。
きれいに終わったかと思ったら続くんかい…。
なんかひと昔前のSSみがあるなあ。懐かしいような。
勇者よこの我のものになれ、から始まる まおゆう を思い出した。
勇者の内面が良く出来てた。
最初の命題が間違ってると、成長するにつれてバグるっていうのは、
なんか昔そんなゲームシナリオを紹介してくれた人がいたな。
ロボットやめたい、だったか。
あれも間違った命題をリリースして、
単純な快を求めるような命題を入れた、
次世代ロボットに託すようなエンドだったっけ。
自分を投影できるキャラはとくにいなかったかも?
昨年末の死についての色々のお話を読んで考えていました。
「死にたい」という思いを私は持ったことがないので、
そういう思いの状態は見聞きしたものから想像するしかありません。
なので全然的外れなことを言っていたらごめんなさい。
ちなみに私は「死にたい」と思った事はありませんが、
「これは(病気で)死ぬな」と思った事はあります。
意識が完全に無くなる全身麻酔も数度、
意識はあるけれど世界がぐるぐる状態の麻酔も経験あり。
気を抜くとほぼ気絶するように眠りに落ちる状態になってた時期も。
死ぬ瞬間てあんな感じかと思っています。
お花畑や川を見た事はありません。
「死にたい」と思う状況は様々で、一括りには決してできないわけですが、
「死にたい」という思いはその裏返しの「生きたい」という思いを
内に秘めている方も多いのではないかと。
辛い・耐えられない・もう無理、という状態から抜け出す手段として死を考えるなら、
実はこんな状況ではない世界があることを心のどこかで知っていて
本当はそんな世界で「生きたい」と思っているのかも。
念のため、この場合の「世界」とは死後の世界のことではありません。
そんなことを考えながら「勇者、辞めます」を読みました。
人類を守るために勇者として生まれ、期待通りに勇者となる。
次第に自我が育つ。
しかし「人類を守る」という最初に与えられた命題に縛られ、
正確に言えばその命題に固執し、
自分で考え自分で決めるという独立ができない。
もう死ぬしかないと追い詰められる。
そんな妄執を解き放つのに3000年かかって
その底にあったのは「生きたい」
一例としてとても分かりやすく説明してくれているお話だな~と思いました。
書こうか迷っていた事ですが、名前考え中さんの
レスを読んで書く事にしました
先週、仲の良かった同僚の女性が自死を選びました
可愛い笑顔でハキハキとしていて人気者でした
忙しくてプレッシャーの掛かる部署に所属していて
経験年数と能力に合わない膨大な量の仕事を与えられ
毎日遅くまで残業していていました
私は部署が違っていたので仕事内容は知らなくて
「最近元気が無いような気がする」
くらいにしか思っていませんでした
訃報を聞いてからずっと
「何とかしてあげたかった、気がつけば良かった、
話を聞いてあげれば救えたかもしれなかったのに」
と考えてしまっています
また、その時どんな気持ちだったんだろう?
どんな景色が見えていたんだろう?
と考えたりもします。
情報があまり伝えられないまま
誰も知らないうちに葬儀も終わっていて
終わりを大切にしたいタイプの私は
実感がわかないまま、泣く事もできないまま、
なんだか不思議な日々を過ごしてしまっています
勇者、辞めます8話まで読みました
とても面白いですね
今回の事でやはり会社は冷たいと思う事が多々あり
自分の会社への向き合い方も変わりそうです
それは経験を積んだり結果が出たりしてから判断できることであり、
選択する時点ではそれがその時できる最善の選択だったんです。
>>431龍使いのお母さん
多分過去をやり直しても、
その結果を経験していない状態の龍使いのお母さんが
同僚女性に対して何らかの行動をする事はできなかったは。
同僚女性が龍使いのお母さんに助けを求めない限りは。
彼女の人生は彼女のもの。
龍使いのお母さんが変えられるものではありません。
そして例え龍使いのお母さんが手を差し伸べることができたとしても
彼女が助けを受け入れる気がなければ
その手を取る事はないでしょう。
受け入れる・拒絶するという選択も彼女自身のもの。
龍使いのお母さんができる事は
過去を悔いることではなく、反省することではないでしょうか。
その上でこれからの選択に最善を尽くして臨むことしょう。
ってこれ、なんてレスしたらいいんだ・・・。言葉もない。
こういう時はあれか、沖縄でいう、ちむぐりさ、か。
なにか言えるような立場でもないけど、それでも他人事ではないと思って書いてみるか。
私事で恐縮だけど、大学出てブラックな会社に勤めてから病んだ。
精神的にも自己犠牲からの社畜メンタルだったし、
命に関わるような病気ではない、と診断されたけど身体的にも病んだ。どんどん悪化した。
通勤中、ずーっと死にたい死にたいと思っていた、一種のクセになってたな。
通勤できるくらいの体調のときは、ずっと死にたいというパターンで頭がいっぱいで、
布団の上でのたうちまわるしかできない体調不良のときは、苦しいいっそ殺してくれ、か、
やっぱりこんなところで死ねるか、治れ、なんで自分が、会社のせいだ、あいつのせいだ、
許せない、もう絶対辞めてやる、とかそういう思考パターンのループだったな。
で、また通勤できるくらいまで復調すると、
今辞めると迷惑かかるし・・・、辞めた後どうするかも不安だし、
今受け持ってるのが終わるまで、とか思ってしまう。
で、その受けもち分が終わるとそれなりに達成感もあるし、終わる前に次の仕事も入っているという。
ま、3000年の百分の一の30年でも、そんくらいの頭のバグり具合にはなるわけだ。
ずーっと死にたい死にたいと自分を追い詰めて、
ぶっ倒れたら、なんで自分が、許せん、死ねるかと思って、
復調すると、
今辞めると迷惑かかるし・・・、辞めた後が不安だし、
今受け持ってるのが終わるまで、とか思う。
書いてみて気が付いたけど、
我ながら引くほど、あたまわるいなwwwww
この悪循環を何年もかけて繰り返して熟成していったわけですねえ。
まともにモノを考えてる時もあったんだけど、
このパターンがずっと頭のどこかで再生され続けていたと思う。
辞めてもしばらくは残ってたし、
つい最近まで、初期に設定した間違った命題自体をどうにかする方法があるとは知らなかったし。
気が付いて引っこ抜いてバイバイだけで良かったとはな~。
言われてみれば意外に簡単にできちゃって、勇者レオもびっくりしてたけどもw
ほんと、できてみればそんだけの話なんだよな。
自分の場合の間違ってた命題は・・・。
まあ、ある不正行為を容認してたわけだが。極めてグレーゾーンなやつで、犯罪ってわけでもない。
でも、給料もらってるからしゃーない、で譲ってはいけないこともあったんだな。自分の中に。
自我を主張したくて、他人本位では病む、そういう段階、次元の意識の人だったわけだ。
身体が動けば、動いただけ働いて、視野狭窄はどんどんひどくなっただろう。
会社の人達も、あいつは体が弱いからってことで、色々お目こぼしとか手加減とかしてくれてたと思う。
会社で倒れたこともあったが、みんな普通に親切だったし、心配もしてくれた。
自分は、皆いい人だし迷惑かけちゃいけないと「スミマセン大丈夫デス」と繰り返した。
今考えると、なにひとつ大丈夫じゃない瀕死の社畜だったわけだがww
しかし、大卒の大人が「大丈夫です」というなら、誰もそれ以上できることはないわけで。
通院もしてたしな。自分の体調管理にも努めてますよ、という体裁だった。
その時の自分には、誰かにSOSを出す、という発想はなかったしなー。
助けて欲しいということは、自分の無能を認めること、社会不適合を認めることに等しかったし、
大卒時点で就職先が見つからず、散々に心折れた先でやっと勤めてる場所で、
どうにか自分の価値を示そうと、率先して自分を犠牲にして気を配って尽くして働いてるのに、
それでも足りないなどと、まず自分がそれを認められるわけもなかった、というか。
変な頑張り方をしてたよな、と思う。
まあ、結局辞めましたけどwww
追っかけてまで仕事をしろと言ってくるわけもなかっ・・・、いや、あったか。
外注もしばらくやったわwwでもそれも断れば済んだ。
上司も会社も、自分を殺すことはなかったが、
もしあの時、死にたいと思った気持ちのまま自殺してたら、
あいつらのせいだ~!と思って死んだんだろうな。
思い知れというあてつけの気持ちも3割くらいあったと思う。
許さないし呪うし祟るねw後ろにくっついて足ひっぱっただろうねww
もう苦しくない、考えなくていい、楽になる、という気持ちが5割。
で、あと2割くらいが未練だろうか。こんなはずじゃなかったってな。
多分、方法としては通勤中の事故を狙ったと思う。
偶然か不注意にも見えるような感じで、あまり親族に迷惑にならないように。
あるいは、自分を殺すという罪を犯すのが怖かったから、
あれは不幸な偶然でしたと、自分にも言い訳できるように。
しかしやっぱり、そんな風に死んだら、死後も暫くは、よろしくない想いが消えなかったと思う。
発信源が途絶えても、余波が残る。
だから、冥福を祈ってくれる想いや儀式が届けば、それは意味があると思う。
清めや祓いはありがたいものだ。妄執にとどまらず移り変わっていける。
まあ、視野狭窄が極まって死んだのであれば、
なかなか周囲にあるものにも気がつけないかもなー。
まあ、後遺症がないではないが、快適なもんよ。
さて・・・。
「死にたい」という思考パターンはなんというか、クセなる。中毒性があるように思う。
酒やタバコやギャンブル、ソシャゲやSNS中毒のような、依存性がある。
そのパターンを再生する時、脳でなにが起きてんのかなあ。
抑圧を、抑圧でもって制するというか。
考えたくないことが噴き出すのを抑え込んでるというか。
抑圧は反発を生むので、それを抑えるためにより強くより頻繁に「死にたい」を再生するようになる。
それでついには、死を選ぶこともある。
でも、なんていうかそれは勘違いなんだよな・・・。
「死にたい」の意味は、生を終わらせたいとか肉体を破壊したいって意味じゃなくて、
考えたくない、苦しみたくない、気が付きたくない、矛盾を見たくない、
間違ってると認めたくない。
現行の命題を変えたくない、変わりたくない。
そういう感じではないだろうか?
初期に設定した命題が間違ってて、状況に合わなくなり、頭がバグってる。
それに気が付くなら、命題をリリースすることが解決だとわかるわけだが。
それを認めたくない気持ちってのがあるんだよな。
固執、妄執、執着、再生、ガラクタ、語は色々あるけど。
今までやってきた通りにやっていきたい。
ここまでやってきたことが間違っていたと思いたくない、そんな気持ち。コンコルド効果みたいな。
流転、移ろうことも失うこともすこやかさだと知らなければそうなるよな。
どこまでも積み上げていくことが豊かさだと、世の中じゃそういうふうに思い込んでるから。
過去を肯定したいために、未来を否定することになる。
それで思考実験するなら、
あの時、ブラックで病んで、うっかり死んじゃった世界線の自分もいたと思う。
今生きてる世界線の自分的に言うなら、その分岐を選ぶのも、ひとつの経験だとしてヨシにするかな。
死は、絶望的な終焉とかではない。
なにかがひとつ終わるけど、そこから繋がっていくものもある。
運勢的に繋がってる誰かの厄災を代わりに背負って死ねるってこともある。
まあ、そういうことはしないほうがいいと思うけど、優しい人ほどそういうことするんだよね・・・。
わざとじゃないんだろうけど、無意識に犠牲をかってでてるとしか思えない人がいる。
それもいつかは学んでみないといけないことではあるんだろう。
多分、自分が早死にした世界線では、
あの人が死なずに済むか、あの子が病にならずに済んだか、
あの人の稼業がもっとうまくいってるか、そういうことが起きてると思う。
どちらが善いかは、観察者の視点によるだろう。
というか、法は善悪とかでは測れないんだよな。それを学んでいるわけでもある。
何が言いたいかよくわかんなくなってきたから今日はここまで・・・。
龍使いのお母さん、お久しぶりです。
パラレルワールド。
何も考えずに書いてしまいましたが、
読み返してみればどう読んでもパラレルワールドですね。
意識してませんでした><
私がパラレルワールドをどう思っているかと言えば、
「わからない」です。
過去の自分が違う選択をして分岐した世界というのは考えにくい。
なぜなら人生をやり直したとしても、
その過去の時点での選択は変わらないと思いので。
今振り返ればこうした方が良かったのでは
と思うことはたくさんありますが、
それはこれまでの経験があるから言えること。
過去の選択は変えられないけれど、
今目の前にある選択肢はまだ決定していない。
だから何を選択するかによる未来は様々に想像できます。
これまでの経験から、今できる(最善の)選択をして
未来を決定することができます。
ごめんなさい(>人<;)
やはりここで吐き出して良かったです
取り急ぎのお礼なので短くなりますが
お二人のレスを読んだら心が軽くなりました
亡くなった子は新卒で入社したばかりで
若くて可愛くて娘のように思っていました
私が気にかけて話を聞いたくらいで
思いとどまれる程度の悩みなら
そもそも今の結果にはなっていなかっただろうし
「救えたかも」なんてとんだ思い上がりだと思うし
最初からこの未来しか有り得なかったのでしょうね
明日からはまた元気に会社に行きたいと思います
ありがとうございました
それはなかなかの問題提起だよな。
もし、それができたなら、人が人を救えたなら。
ブッダやキリストが教えを説いた二千年前時点で、
すでに人類は救われていたんじゃないかと思う。
でも、ブッダの弟子にも、キリストの弟子にも裏切り者がいる。
彼らは、人類史に稀な優れた覚者でも神の御子でもあっただろうけど、
それでももっとも身近な人さえその手から零すことがあった。
すぐそばの隣人の心を救えないことがあった。
そういうことではないだろうか。
西尾維新の化物語、忍野メメのポリシーに賛同するので引用。
怪異に憑かれた少女「あなたが私を助けてくれるんですか?」
忍野「助ける?そりゃ無理だ。君が一人で勝手に助かるだけだよ、お嬢ちゃん」
専門家として力は貸すけど、
人が人を助けることはできないという姿勢を表明する。
あくまで、自力救済を求める。
少女達が目を逸らしてきたものを明らかにし、背負えと言う。
そういう厳しさしか、優しさにならないんだよな。
ブッダやキリスト、優れた覚者や思想家や神秘家の言葉は今も残っていて、
読んで感じることができる。
それを参考に、自分で自分を救うしかないんだと思う。
できるまで、何度でもだ。
何回でも繰り返して学んでいく。
人生が一回や二回で済むようなことじゃない。
いつかできれば、自分で自分を救うことを会得したら。
失敗もそのために必要だった大切なことになる。
うっかり死んでしまったことも、
いつか必要な学びだったと思える時がくるから、大丈夫だ。
と、そういう風に祈ったらいいのかもな。
救えるか、と問いを設定するなら否だが。
力になれるか、と問うなら是だな。
他者の心を肩代わりしてやることはできないが、
ソクラテスの言うところの助産法というか、
相手の心を明らかにしていって、相手が命題のバグに気がついてくれれば、
勝手に救われてくれることもあるわけで。
勇者レオも、三千年も抱えてきて人類の脅威になった基幹プログラムに逆らえず死のうとするところを、
シュティーナが「あなたは何でもできるんだから、人類を守れという命令も無効化すればいいのでは」と提案したら、
あれ…?ふつーにできたじゃんww
っていうオチなわけで。
シュティーナみたいに、人の力になってあげられたらいいよね。
相手が気づくまで、話してあげられたらどんなにいいだろう。
命題の設定、問いの立て方って大事なんだよな。
同僚の方、龍使いのお母さんの存在には確かに救われていたのではないでしょうか。
ただその瞬間にたくさんの大切なものがすっかり頭からなくなってしまうほどの思いがあって、結果死を選んだというだけで。
自分ももっと何かしてあげられなかったのかと長く悩みましたが、生きている側からしたら、その子の選んだ結果を受け入れて忘れずにいるしか道はないのかもという結論になりました。
可愛がってくれていた人がいたこと、ずっと頭の中にあったはずです。それが支えになっていたかもしれません。死へ向かう気持ちが勝ってしまったということは変えられなくても。
龍使いのお母さんがいたことで、生きている間の辛さが和らいでいたかもしれない。感じる楽しさや喜びが増えていたかもしれない。
何もしてあげられなかったわけでは、決してないと思います。
とても救いのある言葉です
本当にそんな風に思っていてくれてら嬉しいです
顔も知らないネットの向こう側のこのスレの皆さんから
何度も救って頂く機会があります
家族が理解してくれなくて「ふーん?」くらいにしか
返事がもらえない事でも
このスレの皆さんからは親身になったレスを頂けます
私には居場所がたくさんあって幸せだなと思いました
今期もまた生と死のあわいを行き来するアニメが豊作。
地縛少年花子くんと、マギレコの作画はどっちもすごく雰囲気が凝ってて見てて楽しい。
幽霊やモノノケ、怪異をあつかった作品を昔から好んでみる性質だ。
人は死んだら、どうなるのか、どこへ行くのか。
っていうか逆に、生きてるってなんなのか。
まあ、死んでみれば分かるんだろうけど、
待ってられなくて、今、知りたいんだろうな。
四季のやつ観に行ったことあるし、
テレビでみたドキュメンタリーも面白かったし、
ブロードウェイ版のDVDも安かったから持ってる。
キャッツ好きだけどな~。
ミストフェリーズいいよね。
イケイケのラムタムタガーも楽しい。
グリザベラの歌、メモリーもいい。
どうしてこうなった。観にいく気がしねぇ。
子供の頃に母と二人で四季の劇場に見に行きました
映画はまだ見ていませんが不評は知っていたので
天皇皇后両陛下と愛子様がご鑑賞されたニュースを
見た時に劇団四季版をご鑑賞された事が有るのか
初めてのキャッツが映画なのか
少し心配になってしまいました
ところで
最近気になる漫画が転生モノだと気がつきました
無料分で途中まで読んだ転スラも
同じくバナー広告で見て無料分を読んだ
悪役令嬢は隣国の王太子に溺愛されるという漫画も
あとは転生者じゃないけれど勇者辞めますのような
ドラクエ的な世界も
電子版より手元に置いておきたいタイプなので
買っちゃおうかなと思って大型書店を見に行くと
同じような絵柄と似たようなタイトルの漫画ばかりで
おばちゃんびっくりしちゃったよ~状態w
20年程漫画売り場に近寄らない間に
漫画界はすっかり様変わりですね
転生物や勇者辞めますのようにビジネススキルを
発揮しながら魔王と戦うような漫画や
ヒロインがゲームの世界に転生する話ばかり
今はそういう漫画が流行っているのですね
TSUTAYAでレンタルするか買っちゃうか迷い中ですw
龍使いのお母さんありがとうございます。
ラノベと小説家になろうサイトがその界隈を変えましたね~。
プロとアマの境がシームレスな地続きになって、
ちょっと自分も書いてみようのノリから出版までいけるようになった。
異世界転生モノは、アマチュアがものを書きはじめるひとつのテンプレ、フォーマットになってるというか。
面白い現象だと思います。
ネット時代はみんなが情報を発信できるけど、
やっぱり素人でもとっつきやすい流行りの型、鋳型みたいなものがあらわれる。
初音ミクとか、異世界モノとか。
まぁ、芸の道は模倣からと言いますし、
みんなが小規模なモノつくりを始める雰囲気は日本的でいいなぁと思います。
粗製乱造でも、伸びてくる芽もあるわけで。
結局アナ雪2のチケット買ったわ。
人型ゴキブリは見たくなさ過ぎる。
キャッツのサントラだけ買っていこうかな…。
ではアナ雪2行ってきますノシ
もう吹き替え版しかやってなかった~
アナ雪2なにこれ
めっちゃよかった…
水火風の精霊に氷魔法のゴリ押しでなぜいけるかっていう説明もついてるっていう…
姉と妹の和解と絆に、
自然と人の和解、先住民と入植者の和解というテーマをオーバーラップさせてきたかっていう…
そしてとにかく映像美が良かった。
水棲馬、ケルピーめっちゃステキやん。
姉エルサにはパートナーがいない構図のままだったわけだが、
もののけ姫でヤックルとシシ神がヒロインポジションだったように、
水の馬をエルサのパートナーとして見てもいいかもなー。
馬、騎馬、外に駆けていくもの、乗り物、荷や人を運べる大きな力、男性性的なものだ。
遊牧民は、自分の馬を一頭世話できるようになるのが一人前の証だ。
もはや人というより精霊に戻ったようなエルサには、
人間の異性のパートナーでなくて、
より大きな力を御して走っていく象徴のような、
手綱をつけた馬のほうが相応しいかもな。
かっこよかったわー。
天気の子のような、悪役のいない構図だったぞ。
対立によらず、本質的解決はなにか直感する。
敵、悪役、ボスキャラをぶっとばす以外のカタルシスを描く。
これはかなり高度なストーリーテリングで、
次元の意識なら4次元越えてないといけない。
侵略者を追い返したアバター以上のストーリーだな。
侵略者と先住民の混血児、次世代の子供たちのストーリーだった。
その点、多人種国家ならではのリアリティがあったと思う。
え?傑作なの?
ヤンキー国家も何か新しいフェイズに入ったの?すごくない? 感動した。
あ、天気の子と比較したのは、
都市の水没のピンチっていうところが似てたからだけど。
天気の子は水没してもなんだかんだ平気エンドで、
アナ雪2はエルサの魔法ガードで無事だった。
でもあれも、水棲馬を御することが出来たからだな。
中盤では、押し寄せる波に氷魔法が効かないんだけど、
波を起こしていた馬に手綱をつけて、その力を乗りこなして、パワーアップしてるわけだ。
目を閉じたら、真っ黒の目元の化粧がなんかパンダみたいで変だったけど。
しかし、あの目元の化粧の濃さと、
ポスターとかのちょっと眉をしかめた意地悪っぽいような表情、
あれはやっぱり、マレフィセントやトレメイン夫人、白雪姫のお妃のような、
魔女顔の伝統を受け継いでいるキャラデザなんだろうな。
僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー
という本も読み終わってみた。
これ読み易かったなー。さらっと読めた。
なんとなく山田詠美の僕は勉強ができない的な?
イギリスで子育てする母の書いた本だったけど。
イエローでホワイト、黄色人と白人の混血児の息子が、
人種の多様性と貧富の分断と、
複雑な社会の縮図の学校で多感な時期を過ごす記録。
筆者は、色んな問題に触れるけど、
どれにもあえて白黒はつけず、紹介するにとどまる。
だから、読後感としてはちょっとモヤモヤしたものがないではない。オチがない感じっていうか。
でも、
良いとか、悪いとか、線引きすることが仲間はずれの始まりなんだな。
それで様々な軸のグループわけが始まって、
人間関係が踏んではいけない地雷だらけになると。
何も知らない子ども達は、ポリコレも差別も知らない。
成長するにつれ、大人達の価値観を吸収し、自分でも再生を始める。
筆者の息子が通う学校にも、
移民で価値観がオールドファッションで保守的封建的な親がいて、
その子どもが親と同じ差別意識でヘイトを振り撒いて嫌われたりする。
でも、少年達はまだ、親のコピーにはなりきっていない。
なんか変だな?と思える、子どもと大人の中間だ。
そういう、頭の柔らかくて、変化に耐えうる時期。
過去の、大人達がやり散らかした負の遺産を、
関係ねーよって越えていける圧倒的なパワーがあるよな。
若い生命力というか。
アナ雪2のテーマともリンクしてるようで面白かった。
未知の旅へ、イントゥ・ジ・アンノウン、心のままに、
っていうかそれはつまり、未知なる心へ向かうってことだなー。
無印で、ありのままにこれでいいのと開き直って、認めて、
2で、その心の源泉、ルーツへの旅に出ている。
とても順当な心の成長をしていると思う。
2でエルサはずっと誰かに呼ばれていると言ってるけど、
その声はエルサにしか聞こえない。
で、第五の精霊はエルサ自身だったのねとアナが言う。
つまり、呼び声はエルサ自身の心の声的なものだったってことだ。
自らの内なる声に従い、それを求める旅に出たと。
だから、魔法の霧の森とか、
水に浮かぶ氷河の島や、
氷の割れ目から洞穴に進み、下へ降りていき、
あるいは暗闇へ落ちる、とそういう舞台になる。
ハウルと一緒だ。ひとりで、心の中へ降りて行く。
そこには危険もある。
そして最後に、底が抜ける。
というのも一緒じゃん。わお。
それで心は無限へ同期し、完全性を取り戻す。
ひじょ~に普遍的なモチーフの扱い方だ。優れている。
心の旅とはそういうものだ。
Heart、心ってことか。
オラフが、アートハレン?と間違えて聞く箇所があるけど、 a r t h a r e n だ。
ヒントで間違えてくれたわけだ。
魔法の源は心、目的地は心、全てを知るものは心、というわけだ。
ちなみに岡田斗司夫には金を落としたくないので無料版だけ見ます
ありがとうございます。
そんな本があったことすら初耳で申し訳ない・・・。
岡田何某に金を落としたくないのは同意w
つーか顔がキタナイので活字しか見たくない(ヒドイ)
裏話や深いところまで、かあ。
良く解る。そんなん書いてある本があったら自分が欲しい。切に欲しい。
でも、巷にある解説本では満足できなかったから、
本編だけをテキストに自分なりの解釈を書きはじめてしまった。
メタファーだらけの宮崎駿作品は、読む人の心によって多様な解釈を可能にする。
だから、本当に知りたいことは、
作品をどう捉えたかってことに表れる、自分自身の心なんじゃないかって気がする。
自分の心を求めだしたら、その答えはその辺の本にはなかなか書いてない。
自分の道を歩きだせば、答えはずっとそこにあったことに気がつく、そんなもん。
ジブリの教科書、一冊700~1000円か。
期待せず買ってみて、当時の時代性を感じたり、
執筆陣の中に頷けることを言う人が一人か二人いればヨシ、くらいじゃないかな。
そもそもこういう企画本て、文責が分散してるというか、無責任な本ていうか。
一貫性とか完成度とかに責任感をもってる人がいない本はあまり好きじゃないな。
総監督・宮崎駿、という署名が記されるからこそ、その人の魂がこもった作品になるんだと思うよ。
気合と予算のかかり具合に震えたw
当初ナウシカのカツラが黒髪の村娘風とかで、あかんやつやと思ったけど、
本番までに赤毛の短髪と長髪の二種類になってて良かった。
古今の歌舞伎のオマージュが詰め込まれている豪華な舞台だったんだね。
6時間は鑑賞する方も相当の根性がいるなぁ…。
アニメのワンクール一気見より疲れるだろうな、役者の熱量がダイレクトだから。
宮崎駿本人は1秒も出てこなかったが、それで良いと思うww
駿出てきたらめちゃめちゃダメ出ししてきて完成に漕ぎ着けない気がするわww
腐海の一枚絵、イメージボードにピンクを使いたかったというのはなんとなく良かった。
あの植物がモサモサして、光が射してる洞窟をピンクにしたら、胎内みたいなイメージになるはずだ。
ほんとねぇ。
発達したAIに司法を委ねるところまでいけば、裁定者巨神兵になるんだろうし。
こないだ中国でデザイナーベビーを実践した研究者は行方不明()らしいけども。
病気に強い遺伝子、汚染に耐える遺伝子をチョイスして発現させたら、
ナウシカ達みたいな腐海とともに生きる人間種になると。
「生命は、生命のちからで生きている」
このナウシカの名言が実感でわかんないと、人類は最悪の支配者になるね。
まぁ、子を所有物、付属物だと思ってる親みたいな存在ってことだけど。
猫を育ててるだけでも、たまに不思議に思うけどな。
こいつらほぼカリカリしかあげてないのに、でっかくなったよなぁって。
なんも教えてないのに、獲物とってくる本能があって、狩りの喜びを味わってる。
自ら至福を追求するなにものにも代え難い喜びがあって、
それを親が、人が、誰かが与えられると思ったら驕った大間違いなんだよな。
見ろ、武漢人がゴミのようだ!
見ろ中国人がゴミのようだ!
へぁ~
目が、目がぁ~
って目の粘膜からコロナに感染するというオチだろうか。
ムスカのやることなどそんなもんw
外に出た手で、鼻やら目やらこすったらいけないらしいね。
手洗い大切。
鼻水でるからティシュも持とう。
前のやつもまだまだサブで使うけど、もう八年モノだからなあ。
買って帰るとき、軽さと嵩張らなさに慄いた。しゅごい。
キーボードの位置が慣れなくて変換ミスりがち。
さあ今日は何を書こう?
褒めてるし呆れてるし、恐ろしいと思う。
権力の一極集中の、いいところも悪いところも垣間見えた感じ?
トップの号令で一気に社会全体が変わるというか。
あっちこっちの意見の擦り合わせをしてるうちに時間が経って、
色んな旬が過ぎてしまいがちだよな、日本だと。
これは一長一短な気もするけど、
強力なリーダー、英雄を求めるのは時代に逆行するしなー。
意見の擦り合わせを、侃々諤々の国会中継みたいなんじゃなくて、
オーケストラみたいな、ある調和した状態を全員で目指す協調にしていかないと、
この社会は、人類は、次の段階へは進めない。
・・・と、思う。
いや、確信する。
次はトトロか紅の豚か。
ナウシカともののけ姫はセットで書くとして、
だんだん終わりが見えてきて頑張った自分感。
ところで、歌舞伎の衣装も見てて思ったけどナウシカの服の文様は、
あれ海亀だね~。
ナウシカってあんまり海の印象ないけどね。腐海か酸の湖だからな・・・。
水が汚染されてる世界だし。
海亀、青い衣、母なる海。海の力を借りる服、
そういうことだろうか。服もマジックアイテムよな。
歌舞伎ナウシカの衣装は良かった。金かかってそうで。
ミラルパの怨念の衣装がタタリ神みたいでなww
そうだ、どっか一覧で見られるサイトないかな。
若いときにあった自分の才能が現在進行形で枯渇していっていること=空っぽになること、と感じてしまいます。
苦しいこと(生や他人や自分への激しい執着)がないと良いものが生み出せない今、これがなくなってしまったときに素晴らしいインスピレーションが降りてくるなんて到底思えなくて。
でもスレを読み始めてから、自分の好きな音楽や文学などには0になる感覚を意識的にか無意識にか理解した上で作られているものが多いことにも気づきました。
そんな時なおさら、そういうことが理解できていない自分には適性や才能がないのかと悩みが深くなります。
侮蔑語として「あなたは自我がない」とか「お前空っぽだな」というものがあると思うのですが、こういう考えに毒されてしまっているのでしょうか。
これは枯渇ではなくガラクタが増えているということなのかな…。
ありがとうございます。
そっかー。まあそんなもんよな。
自分の中で確かなことでも、
相手の中に響くものがなければ、以心伝心とはいかない。
文章だけだしな。
フェイストゥフェイスで瞑想導入でもすれば、
もう少し感覚で伝わるかもしんないけど、
自分もセミナーみたいなもので教えてもらったことあるわ。
優れた講師だったと思うけど、でもそれも受講者全員がその感覚を理解したかというと、
まあ、受信感度はそれぞれだったな・・・。相性もありそう。
「自我がない」って、自分に自信がないとか、自己主張弱い、自分の意見がないってことかな。
反対に言うなら、「我が強い、エゴイスト」とか、「頭空っぽのほうが夢詰め込める」とか、
なんとでも言えるのがレトリックというものww
実感がないと、言葉は生き生きとしない。
それでも尚レトリックを使うなら、求道は山登りに似ている。
若いときの才能が枯渇、というのは前ほどさくさく歩けなくなったということで、
なんでかっていうと、道端に落ちてたステキなものや、必需品と言われたものを、
その都度荷物に加えて背負って、それが重たいからだ。
「荷物下ろしたら楽に歩けるよ、ていうかその荷物ほんとに全部必要?
整頓したらガラクタも結構あると思うよ」ってそういうことが言いたいんだな。
そのでっかい重たい水筒とかレジャーシートとか固形燃料とか必要か?
喉が渇けば、その都度で湧き水が見つかるよ。
腰を下ろしたくなったら、いい感じの岩とかあるよ。
暖をとりたくなったら、枯れ木を集めればいいよ。
水の見分け方や火のつけ方みたいな知恵があれば、あるもので工夫するのも楽しみだ。
きっと必要なものは見つかる、自分が歩いてる道にある恵みや出会いを信じていい。
荷物は軽くして歩いたほうが、歩くことや、景色を楽しむことができる。
重い荷物を背負えば顔は下を向くが、
手ブラで空を見上げれば、いつでも山頂が、至るべき高みが見えるだろう。
・・・、ま、他人が大事にしてる荷物を勝手に仕分けするのは人道に反する。
たとえ外してやったとしても、また拾って背負い込むのがオチだ。
たとえガラクタでも、それが大事なうちは大事にするのも学びには違いない。
自分はもうウンザリってだけだ。どうせ死んだら何も持ってはいけないのに、
誰も彼も背負ってる荷物の重さに苦しみながら、その荷物の重さを互いに自慢しあっている。
もう金輪際、そういう奴隷の首輪自慢には加わらないと決意した。
生きているうちに可能な限り苦しみの種をリリースして、
安らいで、自由自在の、空より高く飛ぶ境地を得たい。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
すべてがいずれそこへと至れるよう、
そういう祈りがずっとずっとあったことに気がついたんだ。
読んでみて何となく思ったことを書きますので、
そんなことを考える人もいるのね~くらいに捉えていただけるとありがたいです。
「若いときにあった自分の才能が現在進行形で枯渇していっていること=空っぽになること」
について。
これは生まれる時に抱えてきたお弁当を食べ終わったような感じかなと。
例えるなら卵黄とか植物の種の胚乳とかのようなもの。
孵化したり発芽したりして外部から栄養を摂取できるようになるまでの栄養源ですね。
それを綺麗に食べ終わったなら、
美味しかった、ありがとう、ご馳走様でしたと感謝をして
いよいよこれからは自力でご飯を作る時期となったわけです。
ご飯の材料はいっぱいあるんですよ。
自分の周りのありとあらゆるところに。
ただそれに気がつくことができていない。
お弁当箱の隅に残っていたご飯粒を一生懸命突いているような状態。
0という言葉に「何もない・空っぽ」という連想をして怖くなっているのではないでしょうか。
私が考える0は、全てが満ち足りた状態、過不足のない状態、
飛び出したり凹んだりしたところのない状態、プラスマイナス0の状態。
波のない静かな水面のような状態。
波のない状態だと水面は鏡のようになりますし、水中も良く見えます。
波が立てば立つほど何も見えなくなります。
波が静かになってくれば、だんだん色々なものが見えてくるかも。
ピリアさんの考える0とは違うかもしれませんが、
私はそんな感じで考えています。
瞑想は私はやりませんが、
欲や執着との私なりの向き合い方を
明日にでも書いてみます。
マツコ会議で、テントサウナを取り上げてたんだけど、
あれはなかなかメソッドとして捗り得る。
マツコはスピにドン引きだったけどなwww
「受精」「除霊」「宇宙遊泳」とかワードセンスがあかんwww
でも言わんとする感覚はわかる。
頭も体もスカッとするんだろうな。
自然の中に出かけて行って、限界まで体を温めて、川に、水に浸かる。
あたたかくなって、だるくなって、いい気分なんだよな。
死を経験するとか、光へ向かってくとか、そんな言葉も出てくるのもわかる。
どっちかっていうと、この世界に生まれてきた時の感覚に近いはずだ。
暖かくて心地よくて一体感や安心感があって、ゆらゆら泳いでいたような世界から、放り出されて、
冷たくて熱くて刺激的で、肉体がくっそ重たいってことを初めて感じた時のことを追体験してそう。
テントサウナ、いいと思います。
https://tver.jp/episode/67920160
座学で学んだだけでは、体得ではないんだな。
でも座学をして、そういうものがあるんだ、知りたいと思っていれば、
機会が訪れたときにそれとわかるだろう。
自分自身の心と体で得ていくことでしか、
すとんという感覚にならないのは至極当然な気もした。
だからまず、欲するのか、欲しないのかだ。
求めていれば、いずれ出会う。
ふと口にした自分の言葉にそれがあったことに気が付くとか、
自分の創作の中で出会えれば素晴らしいよな、それは優れたアートになる。
どっかの偏屈オヤジもそうやってアニメをつくり続けて、
80代越えてもまだどっかでひっかかって藻掻いてるわけで。
カナヲ「どうでもいいの、全部どうでもいいから、自分で決められないの」
炭治郎「どうでもいいことなんて、この世にないと思うよ。」
「カナヲはどうしたかった?」
「きっとカナヲは心の声が小さいんだな。」
幼いころにうけた虐待が原因で、心を閉ざした少女カナヲ。
指示、命令されなければ食事もとらないほどで、
命令されたなら死ぬほどキツイ修行もただこなして、
どうすべきか命令がなければ、コインを投げた裏表で決めるとかいう病み設定。
いつも笑顔なのも姉カナエの真似してただけ。しのぶもそうだけど。
それを、自我がないとか、自分がないとか、自分の意見はないのか、カラッポなのか、
というツッコミではなく、
炭治郎は、心の声が小さいんだな、と解釈してくれる。
優しい。なにこの優男。これが長男力か。
炭治郎はコインを投げて
「表が出たら、カナヲはこれから心の声をよく聞く!」という賭けをする。
裏が出ても、表が出るまで賭け続ける気だったらしいww
もういやwwwなにその面倒見の良さwww長男とはwww
人間に生まれて、自我がない人はいないだろう。自我が未熟なのも幼児くらいまでじゃないか。
虫や魚じゃないんだからな。名前をつけられた時点で自我の萌芽になる。
ただ、自我を抑圧してる人はよくいる。
心の声が小さくなってしまった人も、よくいる。
炭治郎にコイン投げてもらえ。鬼滅の刃のその場面を百回リピートして、
己を鼓舞しろ!頑張れ〇〇〇!頑張れ!
できないことは、できるまで練習すればいい。
テントサウナとまではいかないけど、
我慢できるギリまで熱い湯に浸かり、
我慢できるギリまで冷水を浴びる。
というのをやってみた。
これは、なかなか捗るね!
冬場の冷水を浴びるのは痛い。
心臓がバクバクしてきて、口が勝手に笑うのはなぜだ。
そこから湯に浸かると、肌がピリピリする。
マッサージしつつ、また耐えられるだけ浸かる。
繰り返してると、だんだん慣れて長い時間冷水にも耐えられるようになる。
なんかこう、肉体の負荷でハイになってくる感じ、あると思います。
で、まあ、程々にして風呂からあがると、
血行よくなっててぽかぽかあったかくて、だるくてふわふわする。
これは、お手軽臨死体験と言われればそれなりに頷ける、身体感覚の劇的な変化かもな~。
脳も冷と熱の負荷に耐えた後の解放で、深いリラックスが起きてる。
視聴してみた。これは楽しいw
未来少年コナンみてアニメーターになろうと思うあたり、
原作者の年代がうかがえるな。
宮崎駿世代の親近感ある。
そうそう動きでリアリティがね!重量の重みがね!
浅草氏の語りスゲーわかるw
女子二人のオタク口調やべーな。
なんでオタクってああいうことになるんだろうな。
身に覚えが若干ないではないだけにww
イテテww
まー今時草とか生やしてんのも、もう古くてイタイんだろうな。
え、どうしたら…?
まーた買い占められそうだし。
明鏡止水、いいですなあ~。
動機の強さ?センス?努力の量?
どんなことでも、最初は縁あって始める。
長く続けるほど楽しいことばかりでもなくて、
伸び悩む時もあると思う。
ロシアの方では、才能をギフト(贈り物)と考える向きが強いという。
米原万里のエッセイで読んだ。
ピアノの森でもそんなくだりがあった気がする。
バレエやバイオリン、何かに秀でた資質を示した子は、
みんなに与えられた、神様からの贈り物であるとして大事にされる。
本人も、自分の才を授かったものとして粗末にしないよう、
敬虔に励むように、という雰囲気の中で育つ。
ロシア文化圏で育ったアーティストが欧米に渡ると、
ショックを受けるらしい。
欧米では才能を個人に属するもの、
個人の所有しているものと見做す向きが強くて、
そうすると嫉妬や足の引っ張り合いがおきるんだと。
日本でも、才能は個人のものという見方が強いんでないかな。
神のものとか、民族や共同体のものとか、
超越的なものから与えられた一種の果たすべき義務とか、使命であるとか、
そんな風には考えない。
秀でた誰かと、自分を比べて、多寡の愚痴を言う。
まぁ別に、神様のものでなくてもいいんだけど、
才が自分のものであるという拘り、思い込みを手放してみてはどうか。
才能、ギフトってなんなのか、
フラットな視点で定義しなおしてみるとかな。
欲や執着というものをなくすことが最終目標。
しかし欲や執着をなくすためには、
きちんとそれを見つめて原因を探し、
その根本のところを解決しなければ
表面に現れているものだけを取り繕っても
またすぐに湧き出てくると思っています。
欲や執着の元となっているものは
表面に現れている欲や執着とは全然別のところにあることが多いので。
まずは自分を観察し、
表面に現れている欲や執着を自分が持っていると認めるところから。
ここで重要なのが、
それらの執着について「嫌だ・苦しい・恥ずかしいetc.」と
自己評価をつけないこと。
私は~~~に執着する「癖を持っている」と考えます。
次に癖の度合いを観察します。
癖の度合い・強さを知るのは、
自分の認知が実際のところからどのくらい離れているのかを推測するためです。
人は受け入れる情報を自分で選んでいますから、
癖が強ければ強いほど
そちらに引っ張られて偏った情報ばかりを無意識に集めて受け入れています。
癖を持っている、自分の認知には偏りがある
ということを前提にして生活に気をつけます。
今の自分の癖はこのくらいの強さで出ているようだから、
実際のところはその分を差し引いたあたりを考えよう、となるわけです。
これは実践している間に徐々に癖の強さが小さくなっていきます。
癖(執着)はあるけれどもそれを抑える訓練のようなものです。
根本的な解決にはその原因を探さないとなりません。
その癖ときちんと向き合い、
自分を見つめるしかないと思っています。
他人の方がよく見えていることもあります。
しかしそれを教えてもらっても、おそらく自分の中には届きません。
自分でそこに辿り着いて、自分で対処しないと解決はできないでしょう。
要は自分のことを目を逸らさずに見つめるということです。
途中で自己評価や感想を付けずに事実だけを見るのがコツかな。
私はこんな感じで少しずつ目標達成を目指しています。
ゆっくり読ませていただいてからまた書き込みます。
喜び悲しみ 代わる代わるの波 心の不思議が語りかけてくる
逃げないここから 真実をこの手にする 笑顔も涙も自分の色で輝け
ジグザク迷い続けてる 近道なんてないのかな
だけど楽しいだけならば きっと幸せ見失う
まっすぐ自分の言葉 君に届かないときは、不意に無口になるけれど
いつかどこかで 感じ合える
っていう、忍空ってアニメのオープニング曲があって、
当時から心に残る曲なんだが、今見ても素晴らしい詩だ。
いくつもの対比のレトリックがある、言葉選びが優れている。
喜び悲しみ、笑顔と涙、
感情は正に負に振れて、プラスにマイナスに波がよせてくる。
天秤が揺れっぱなしで、水面は波立ちっぱなしだ。
正に負に、右に左に傾きながら進むから、軌道はジグザクになる。
では、まっすぐとか、真実とか、幸せという言葉は何を示しているかってことだ。
正負、左右、波立つ喜びと悲しみが、
輝いているってことは、昇華されてるってことで、
釣り合うか、交わるか、打消しあうか、そういうことが起きている。
釣り合えば天秤は平行になっているし、
波が打ち消しあうなら水面は鏡のように凪いでいる、
音の波が打ち消しあうなら、静けさになる。沈黙、無口になるっていうのはそれだ。
交わる、和合するなら太極図のような渦巻や二重螺旋になるだろう。
まっすぐとか、真実とか、ほんとうのさいわいとか、そういう言葉が示すのはそれだ。
静かで、凪いでいて、平らかで、釣り合っていて、安らかだ。
心の不思議は、そういうときに語りかけてくる。
小さくなった心の声を聴くには、そういう静けさをつくることだ。
心の声、心の不思議、魂の真実、魂の希求、
生まれてきたわけ、自らの由、ゴーストの囁き、
内発的動機、インスピレーション。
それを発露したものを才能と呼ぶ気もするんだけどなー。
なにがしたいか、なにができるか、
なんのために生まれてきて、なんのために命を使うかってことじゃん?
https://careersupli.jp/lifehack/sainou/
考えすぎてわかんなくなったきたwww
まあ、なんでもそーだけど、
才能って言葉を自分を否定、叱咤、卑下するために使ってるなら、
それはもはや古くなった思い込みだと断言するわwwww
過去との比較に苦しんでいるのは、今を生きてないわwww
才能が枯渇したというなら、
命の源泉の水が枯れたというなら、
そんなわけねーから、もっと深く掘れとしかwww
掘り抜けて突き抜けて天元突破したらいいじゃんとしかwww
結論、0や空の話はいくらでもしたいけど、
才能ってなにかはよくわからなかったぜ。
キャンベルの言う至福の追求と同じなのか?違うのか?
天与の才、天賦の才っていうと、超越から受け取るものってことで、
その超越とは、神のような第三者なのか、
それとも自分自身の内なるものなのかで
解釈が割れちゃうんだよな~。
命題の設定にエラーがあります感。
歌を仕上げたのに、ストーリーの変更があってボツになるとか、ザラらしい。
作ったけど使われなかった曲もいくつもあるらしい。
でも、つくったものが採用されなかったからといって、
落ち込むのはやめにしたそうだ。
もう一曲、また新しい曲を創る理由ができたと考えることにしたんだって。
「それがやりたいことだしね」だって。カッコイイ。
至福を追求するって、そういうことだと思う。
創造している瞬間、味わっている喜びこそ原点であり到達点だ。
結果に一喜一憂するのはオマケ要素。
結果に囚われて創造を楽しめなくなったら、
自分を見失ったスランプということなので、
ウルスラに会いに森へ行くべき時だ。
https://www.nhk.or.jp/snsenglish/special/sp200131.html
物語が確定していく過程で、時に曲は変化します。
ひとつのバージョンを書いたのですが、3か月後にはストーリー展開が変わり、
1節目を書き直さなければいけませんでした。
柔軟に適応しなくてはならず、自分の曲に凝りすぎてはいけません。
数年前、曲が採用されないたびに落ち込まないほうがいいと気づいた。
なぜなら、1作目では映画に入らなかった曲が20曲もありました。
採用は7曲半だけ。今作でも映画に入らなかったのが7曲あります。
でも今、私たちはこう言います。
「一緒にもう1曲作る良い理由になるね」「それが本当に やりたいことだしね」と。
デートや休暇中でも、私たちは曲を書きます。ですので、それが損や失敗ではないと気づくことです。
明日も朝起きたらもう一度自分たちがやりたいことができる、それだけです。
一眼一足、不具の者は神に愛されたもの。
無責任な噂が生む怪異。
やっぱコミック買うか。
はっとしたのですが、たしかに結果に囚われて本来あったはずの楽しさを忘れてしまっていました。それでは0になることを理解できるはずもないです。
ピリアさんのおっしゃる、からっぽの状態。名前考え中さんのおっしゃる、過不足のない満たされた状態。「ガラクタを捨てる」ということの意義が今やっと理解できたような気がします。
持っていたお弁当を食べ切ってしまったならこれから自分で作るしかないし、水が枯れたならもっと深く掘っていくしかない、言葉は違ってもつまりは同じことなのですね。
創造を楽しむ心を忘れてはいけなかった。結果に囚われて才能を失ったなどと思い込むガラクタを背負い込んではいけなかった。
苦しむために始めたわけではないのに、いつのまにか他人からの評価に意固地になって自分を追い詰めていました。
嬉しかったこともクリーニングしなければいけない理由がよくわかりました。過去の栄光や喜びの記憶が、今現在の創造の喜びを邪魔していたのかもしれません。
図星すぎて結構傷付きましたがそのぶん心に刻まれた気がします。成長に怪我は付き物ですね…
お二人とも本当にありがとうございます。
どうにも根っから口が悪うございましてww
ズバズバ言ってから草生やして誤魔化すスタイルが性に合い過ぎるww
ギター侍が流行った頃、お前はアレかとよく言われたわ。
触れるもの皆傷つける勢いでつっこみ入れまくる自分に、
ノリのいい人達は切られたリアクションとってくれたっけな…。
もしやこれが才能か。
使いどころわかんねえー
イカツイ名字で気の毒とか思ったけど、
鬼の字が見事にオカルトやホラー要素のある作品にハマってるな。
なろう系全盛でも絶対一本か二本はそういうのあるよな。
今後もよく聞く声になりそうw
あえて陰鬱な気持ちになり、リリースするというテーマを設定してみた。
しかしもう、姿の見えないものを憎む気には、どうやってもなれなさそうではある。
漫画ナウシカの、粘菌のくだりを思い出す。
火の七日間で滅び、復活を目論んで眠る墓所の超科学があって、
その一部を使えるドルクという国があって、
腐海のヒソクサリの遺伝子を編集改造、より毒の強い種を生み出す。
それで腐海も他国にもダメージを与えて、自国を優位にするはずが、
凍らせといたからコントロールできてたはずのヒソクサリの株(粘菌)が、
腐海や王蟲をテレパシーで呼び寄せてるわ、突然変異して逃げ出すわで、
机上の空論が招いた想定外で、ドルクは腐海に沈む。
人が生み出した災厄の種は、腐海と王蟲が引き受ける。
腐海と王蟲は遺伝子改変された毒に侵され次々に死にながらも、
食べたり、食べられたりする循環のなかへ粘菌を受け入れて、
自然のバランスのなかで安定化させる。
終末戦争をやらかして世界を滅ぼしても変わらない人の愚かさと、
王蟲の「全にして個、個にして全」みたいな、自然そのものの無辺の心、
絶望と希望の両方を味わったナウシカは、すべてを知らなくてはと旅するわけだが。
傲慢を暴き、拒否し、巨神兵のビームでぶっとばすことができる。
完璧な英雄で聖母のナウシカだから、
墓所まで、支配者の素顔まで辿り着けたけど。
でも、ビームでぶっとばして解決したかっていうと、そーでもないっつーか。
結局、支配者には支配者なりの理屈があって、
彼らは彼らなりに、良い未来と信じてるものに向かって、そらもう何百年と尽力してたわけで、
彼らの計画書のなかでは、ばたばた病んで死んでいく人間達も、
快適な未来のために必要だからしょうがないただの数字でしかなくて。
ナウシカは、彼らを説き伏せたわけでも、改心させたわけでもない。
折り合えないと理解したから、実力行使で、力づくで黙らせただけだ。
対立する二つの正義のうち、一方が勝利し、力関係が逆転した。
ナウシカたち人類は、墓所の計画にない、守られない、指導者や神サマのいない未来を、
切り拓いていくことになる。
なにも支配者の素顔を暴いてビームでぶっとばさなくてもいいんだよな。
っていうか、力の差があり過ぎてナウシカじゃないと無理ゲーですww
国をどうこうしてるようなヒトらのところまで着くはずもなくパンピーは死ぬに決まってるww
そんな英雄を期待するのも、指導者の交代劇になるだけだ。
だからナウシカは民衆の前に自分をアピールしたりしない。
チククがナウシカの名で蜂起したとき、また繰り返すのかと悲しむ。
毒や病の出所がどこであれ、それを解き明かし根絶するアプローチがいらんとは言わんけど。
まず、自分の健康を自分で守ること、
次に、自分の手が届く人、守るべき人を守ってやること。
それをみんながすること。
自立した者からは、支配は去る。
っていうすごい普通でいつもどおりの結論になったしまった。
でも、自分の体や心をケアすることって、
どこまでも高いレベルにしていけることで、実は難しいことでもある。
誰かの言う通り、加湿消毒手洗いうがいだけしてりゃいいってもんでもない。
自分の体になにが必要で、なにが不必要か、
傷ついたり病んだりしたとき、恐れず落ち込まずに、回復に最適な心の状態をつくれるのか。
自分だけの真実を直感できるレベルまで、内面へ向かい続けよう。
もし、自分が感染したときも、この理想を実践できるだろうか。
あるいは死にそうになっても、そんなきれいごとを言ってられるだろうか。
あまり、試されたくはないものだ・・・。
しかし検査キットの普及率からしても、潜在的な感染者数はもはや相当って気もな。
なんか昨日とか、ちょっとノド痛いかな~とも思ったし。
お前は、亡ぼす予定の者達を
あくまであざむくつもりか!!
おまえが知と技をいくらかかえていても
世界をとりかえる朝には結局ドレイの手がいるからか
私達のからだが人工で作り変えられていても
私達の生命は 私達のものだ
生命は生命の力で生きている
その朝が来るなら 私達はその朝にむかって生きよう
私達は血を吐きつつ くり返しくり返し
その朝をこえて とぶ鳥だ!!
生きることは変ることだ
王蟲も粘菌も草木も人間も変っていくだろう
腐海も共に生きるだろう
だが、お前は変れない
組みこまれた予定があるだけだ
死を否定しているから….
真実を語れ
私達はお前を必要としない
清浄と汚濁こそ生命だということに
苦しみや悲劇やおろかさは
清浄な世界でもなくなりはしない
それは人間の一部だから….
だからこそ苦界にあっても
よろこびやかがやきもまたあるのに
あわれなヒドラ
お前だっていきものなのに
浄化の神としてつくられたために
生きるとは何か知ることもなく
最もみにくい者になってしまった
何千年とプログラム通りに稼働する高度な人工の知性。
支配者、管理者にも彼らなりの理屈はある。
エンパシーを働かせることもできるし、哀れむこともできる。
自分の経験のなかから、彼らの理屈に近づこうとするなら、
飼ってる猫の去勢や避妊の手術をしたことを、今でも若干気に病んでる。
適切に飼える環境のために、
彼らに繁殖してもらっては困るから、生殖能力を奪った。
言葉が通じないから、同意をとることもしなかったし、
ていうか言葉が通じたら、飼えないから増えないでくれと頼んだだろうけど、
でも猫がそんな約束したって守れるわけもないよな。
繁殖したい衝動、本能は強力だ。
猫にそれを制御する理性があるわけもない(と決めつける。)
猫に餌をやってトイレを掃除して、庇護して、責任をもって、
適切と思われるよう管理する。
そのためにしょうがないと言って、生殖能力を奪うこともする。
多頭飼い崩壊とか、シャレになんないもんなあ。飼い主の生活も崩壊する。
責任もって、管理して庇護して導いてあげるってことは、
彼らの自主的な管理能力を信じてない、任せておけないってことなんだよな。
だからどんな残酷なことも、しなきゃと思って、できてしまう。
それが「他者を愛する」学びのダークサイドだ。
でも、そうだな。
猫達がナウシカのように反旗を翻してきて、
自分で生き抜くからほっといてくれという意志を示したら、
なだめすかしても無理なら、もう仕方ないよな。
まあ、にゃんたまの取り返しはつかなくてごめんだけど・・・。
ヒソクサリ粘菌のように、人を害するためにデザインされた生命がいるとしたら、哀れに思う。
生み親に設定された使命を果たすほど、怨嗟が発生するとか。
心があれば苦しむことを決定づけられた生といえる。酷いことをするものだ。
まあ、責めを負うべきは実行犯でなく計画者だろうが。
あらゆる可能性の模索こそ、この有限の世界を存続させる是なので、
望むなら、どんなことをしてもいい。人道も残酷も生も死も罪も罰もない。
が、自由には責任が伴う。
結果の意味を、いずれ背負わなくてはならない。
決して逃れることはできない。
何をしたか、知っているのは自分自身だからだ。
理解できないのなら、理解できるまで心が育ったときに、その業は追いついてくるだろう。
それをカルマという。そのようにして前世の業というものがあるんだろうな。
殺した者も殺された者も、同様に哀れだ。
それでも、命は命の力で生きている。
どんな生でも、それを感じる心が認識を高めていけるなら、それで善かったことになる。
チョコと告白と聖人なんも関係ないわ。強引か。
幸いマスクだけは店頭から消え始めた頃に慌てて
ドラッグストア巡りをしたので普段使っている物を
4箱ゲットする事ができましたが
それでも3ヶ月持つかどうかという状態です
アルコール除菌グッズも無くなりつつあると聞いて
無くなる前に手に入れました
アナ雪2は混雑が落ち着いてから行こうと
思っていたので諦めてレンタルを待つ事にしました
夫の会社はコロナの影響で苦境に立たされているし
私の会社にも少し影響が出始めています
息子は高校生で学校では誰も気にしていない様子
5ちゃんで情報収集していると気が滅入ります
しかしまぁ、何十年と生きてるとこの手の騒動にも
わりと慣れてきたなって気もします。
ノストラダムスの大予言のときもマヤ暦の終わりのときも、
SARSのときも新型インフルのときも、エボラのときも、
テロや噴火や地震や津波や大雨のときも。
なるようになって、亡くなった人が大勢おられて心が痛んでも。
世界は終わりもせず、悪は倒されもせず。
それでいて今日も人類は地表で繁栄している。
正常性バイアスで、自分だけ平気なつもりもマズイですが、
恐怖に震え上がれば事態を見誤るばかりでしょう。
できることは淡々と、自分の生を生きること、だけではないかと思います。
目の前にあることを、少しでも良くすること。
つーか、昔は黄砂と呼んでたやつが、
PM2.5という環境汚染であることになり、
花粉とPM2.5の飛散予測なんかをフツーにニュースでやってるのも、
最初はディストピア感ヤベェと思ってたのに、いつしか慣れました。
ばらまかれた放射能の安全検査にも慣れました。
毎年新型インフルのトピックがニュースの常連になるように、
コロナも毎冬常連の災厄になる気もする。
我々は何にでも慣れる。
ここが腐海のほとりでも、生きることができる。
誰かが汚してしまった悲しい世界でも、
今、生きていることは確かに自分のものです。
ま、病と共に生きるのを良しとするわけではありませんが。
腐海の底に、砂と水の清浄の地があるように、
心の底に、粒と波が静まって境が曖昧な、無辺の調和の境地がある。
そこでなら、あらゆる不協和音を手放し、還すことができる。
恐怖も病も、不調和という意味で同じものです。
躍起になって除こうとすると、手間がかかってしかたない。
調和へ至れば、あるべきところに鎮まる。
と思っています。
ケムトレイルで上空からバラ撒かれてたら意味ないし~。やってそう~。
もうどっかでコロナ拾ってきちゃうのは既定路線として、
イソジンとかお湯うがいとか鼻うがいとかで軽減しつつ、
塩素とか農薬とか香料とか科学物質とか強すぎる電波とか、
自分の身体に合わない気がする複合汚染を減らし、
栄養とって良く寝て、ストレスをリリースする。
そういう、当たり前に自分の面倒をみれるかどうかでダイレクトに生存率が変わってくるっていう。
しかし、人間弱ってる時もあるからなぁ…。
なんていうか、気を抜けば死ぬような世界だと思って生きてないからな。
ほんと腐海のほとりで生きてる自覚がいるんじゃないのこれ。
どんな世界でも、どんな生でも、世界の残酷さと美しさを知ることができるとナウシカは言うけど、
いやぁ、もう少し悪意のない優しい世界に生まれてきたものだと思っていたよ。
でもそう、幼い頃は親に守られている家庭が世界のすべてと思っていて、
自立して旅に出れば世界は危険でいっぱいということを知ったりもするものだ。
同じ世界なのに、見え方が変わる。
そこで世界や敵を恨むのは筋違いだ。
どうやって生き残るのか、
勘を働かせ、各々の戦略を試していく。
うまくいくこともあるし、うっかり死ぬこともあるけど。
でもそういう試行錯誤こそ成長で喜びで、生きる意味もそこにあるんだよな。
書いた事があるかもしれませんが昔から怖がりで
地震への恐怖と事故や犯罪に巻き込まれる不安
そしてお化け関係は一切ダメです
阪神大震災と東日本大震災は直接被害には
遭っていませんが台風で床上浸水は経験しました
人生で災害の被害に遭ったのはこの一度きりですが
今回のコロナは日本のどこに行っても
罹患する可能性があったり
得体の知れない物に襲われる恐怖感があります
でもストレスをリリースして自分の面倒をみる
というのはとても良い事だと思いました
ついついストレスを溜めて夜更かししてスマホを
見てしまうので万年寝不足みたいな感じです
早く寝た方が良いのは頭では分かっているんです
早く寝れば体の疲れも回復するし
ストレスも解消されるしダイエットにも良いし
翌日の眠気も酷くならないだろうし
でも起きちゃってるしスマホ見ちゃってる
欲求を抑える事が苦手なタイプなんだろうなと
自分にすっかり呆れてしまいます
ストレスやばかったころは
「寝てしまえば明日になる」
「明日になったらまた仕事に行かなくては」
仕事に行くのが嫌で、明日になるのが嫌で、朝が来るのが嫌で、
夜起きてる間、夜の間は自分の時間だから、
それでいつまでも夜更かししてましたねー。
アニメ見て漫画みてゲームして2ちゃんして現実逃避してました。
そして寝不足で仕事に行き、当然そのうち疲れが溜まって体を壊すという。
あの時コロナが流行っていたら、
罹患して死んでたかもな。
人間、迷う時も弱ってる時も間違ってしまう時もある。
間違ってみるために生まれてきていると言っても過言ではないし、
それでも生きてればブレイクスルーが来ることもあるのに、
弱った者から狙われ病んでいくような、過酷な世界であって欲しくはない。
多様性をできる限り許容していくことが総体の健やかさになる。
優生学は先細りの未来を招く。
英雄のように武力で断じて世界を変えることはできないが、
まず自分を変えることだ。内なる真実へ辿り着く。
そうすれば世界の見え方が変わる。
そこから、少しずつ世界も変わる。
何度考えてもこれしかねーんだよなー。
でも、もう少し考えてみよう。
考えは、いつでも新しく訪れているものでなくてはいけない。
家で映画を見ています
千と千尋、名探偵コナン~ゼロの執行人を見て
今日は魔女の宅急便を見てゲド戦記の途中まで見ました
魔女の宅急便は昔からウルスラの小屋で
星空をペガサスと牛が飛んでいくを見て
2人で話して寝るまでのシーンが好きです
ピリアさんの解釈も読みました
BGMも宮崎アニメの久石譲さんのサントラは
どれも好きですがあえて順位を付けるなら
1位が「神秘なる絵」です
ついでに勝手に好きな曲をランキングしてしまうと
2位 ナウシカレクイエム
3位 アシタカせっ記
4位 天空の城ラピュタ
5位 人生のメリーゴーランド
ゲド戦記は途中まで見ました
世界の均衡を保つために疫病が流行り
そして世界の均衡が破られ魔法使いは力を失い
龍は共食いを始めてしまう
1時間程見ましたが、さっぱり内容が分かりません
何を目指す映画なのかまだ本題がでてきません
明日続きを見たら分かるのかな
どうやら評判は悪いですね
時が時だけにコロナウィルスと重なる部分もあります
明日は続きを見て最後に小林聡美さんのめがねを見ます
龍使いのお母さんありがとうございます。
意外と新スレも半分まで埋まったことに気がつき感慨深かったり。
神秘なる絵、YouTubeで結構いろんな楽器で演奏されてて人気の曲ぽいですね。
リコーダーとか、笛系が切なげで合うなぁと思いました。
久石譲と宮崎駿のタッグは時代の奇跡だなーと思います。
気分によって聞きたい曲は変わりますが、
トトロの風の通り道や、千と千尋のあの夏へ、
とか宮崎駿の歌詞がついてる曲とか、鼻歌しやすくて好きです。
次のブログ用に、トトロか紅の豚か、どれか見直さないとなーと思いつつ、
虚構推理にハマって七巻まで買ってしまった連休でした。
見たことないし、今後も見る気がなぁ…。
米林監督のメアリ、マーニー、アリエッティは、
それなりに見るべきところがあったと思うし、
作品を追うごとに監督の力量が増してるのも良かった。
蛍の墓、思い出ぽろぽろ、かぐや姫、高畑勲作品や
ゲド戦記、コクリコ坂、ローニャ、宮崎吾朗作品や、
隣の山田くんとか、猫の恩返しとか、海が聞こえるとか、
食わず嫌いせずに、
そういう宮崎駿以外のジブリ作品も観て、ブログやスレのネタにしてくべきなのかなぁ。
いや解釈の充実のためにアニメ見はじめたら、
主客の転倒だけれども。
ていうかつまんなかったらボロクソに言ってしまいそうww
ゲド戦記とか、どんだけ父親へのコンプレックスが詰まってるのか想像するだにおぞましいww
昇華に至らない葛藤を読み解くのも億劫だしなー。
結局、面白いと思うことしか、面白おかしくは書けないし。
龍使いのお母さんが見て、
もし心が動いた場面、好きだと思ったところがあったらお聞きしたいです。
疑問しかわかないよーな作品であったなら、
それはつまんなかったということでいいのではww
映像研、花子君、ハイキュー、マギレコ、レールガン、虚構推理、レビュアーズ、
あたりが継続視聴中。
異世界レビュアーズ、色々過激で、視聴してますと言いづらいけどもww
意外と生物の知識とファンタジーの知識が豊富な人が考えてて、着眼点が面白い。
ダンジョン飯や天地創造デザイン部が好きな自分得。
性風俗の文化史ってタブーにされがちだけど紐解くと面白いし、
エロで男どもが種族を超えて仲良くなるのとか、あるあるでイイ話ではないだろうか。
こうなってくると偏見の助長や集団ヒステリーやパニック、
人の心が作り出す幻影の方が怖いなあ。
マスクなしで咳をする人がいたから、非常ベルで電車を止めるとか、
中華系や渡航歴、アジア系、罹患歴のある人を恐れ排除するとか、
闇雲に恐れると、恐怖はコントロールを外れて怪物になっていく。
1人でなく集団でそれをやると、鋼人七瀬のような人造の都市伝説の怪物が生まれたりする。
コントロールを外れた想像力は、現実よりはるかにおぞましいものを創造してしまうことがある。
自分の心の手綱をしっかり握っていなくてはならない。
なかなか面白いものを読んだのでご紹介。
漫画で少し見て面白かったので、なろう小説で続きを読みました。
「ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~」
革命により断頭台で処刑された皇女ミーアが8年前に戻り、
革命のきっかけとなった大飢饉が断頭台への未来に繋がらないよう
あれこれ頑張る物語。
現在第三部まで終了していて、第四部へと続くようです。
私が面白いと思ったのは、
主人公の皇女ミーアが何を考えどう行動したのかが描写されるのと同時に
その言動を見た周りの人がそれをどう解釈し、
そこから何を考えどう行動したかが細かく描写されているところ。
先入観やら思い込みでミーアの言動を見たいように見て聞きたいように聞き、
実際のミーアの考えとはかなりかけ離れた解釈をします。
その勘違いを出発点にそれぞれが自分を見つめていくのです。
同じ世界を生きているはずだけれども
それぞれ違う世界を生きているような。
物語の中に限らず、現実って実際にこんな感じなんだろうなと。
同じものを一緒に見ているつもりでも
注目する部分も解釈も人それぞれ。
そして一度何かを思い込んでしまうと
どうしてもそこに引きずられた思考になる。
結果、違う世界を生きているように感じる。
人たらしの物語はたくさんあります。
この物語もその一つです。
でもこの物語はただたらしこまれて主人公をチヤホヤするのではありません。
主人公からの影響はただのきっかけであり、
そこから自分を見つめて自分で考えるところがいい。
どんな作品にも作者さんの感性とか哲学が表現されています。
この物語に散りばめられている作者さんの哲学、
私はかなり好きです。
とはいえそう考えるのも私の思い込みと勝手な解釈であり、
他の人は全く違う読み方をするでしょう。
もしもこの文を見て、ちょっと読んでみようかなと思った方。
名前考え中が気に入った物語、という先入観をなるべく排除して
まっさらな状態で読んでみてください。
おそらく私とは違う感想を持つと思います。
同じものを読んで、人それぞれ違うところに注目し、違った解釈をする。
そんなところも楽しんでみてください。
奇遇ですね~。
自分もYouTubeで漫画を見かけて続きが気になって、
なろう小説を読みました。
救国のレディローズは平民になりたい、ってやつ。
乙女ゲー系というか、女性視点の転生無双系ですねw
レディローズでは、トラックに轢かれてゲーム世界へ転生という
100回は見たパターンの導入でしたが、謎の引っ張り方がそれなりに楽しめました。
目新しいテーマがあるとすれば、
転生無双モノでよくある幼少時から前世の記憶と精神の引継ぎがある、
というパターンの場合、それは周囲から異常に大人びて奇異な子供、天才児に写り、
そして本人はそれに気がつかない、という。
認識の齟齬を、うまく謎として仕立ててました。
盛大なネタバレwww読もうと思った人ごめんww
芦田愛菜がフィーバーしてたころ、
大人びた態度に芦田プロは人生何週目wとか言われてたけど、
あんな感じでしょうかね。
>>511
救国のレディローズは平民になりたい、読んでみました。
読みながら、これピリアさんの紹介でなければ途中で投げ出すやつ~って思ってました。
主人公がとても不快だったんですよ。
でもその不快に感じてた部分が
作者の表現したい主人公の問題点だったんですね。
作者の思惑通りに反応してしまった。
虚構推理は以前漫画で読んだのですが、
リアルに想像できすぎて怖かったのでアニメは見てません。
どちらもあまり正面から見ることができない点においては
私にも何かしら問題があるんだろうと。
でもあんまり深く切り込んでいけない><
>>525>>530
色々解釈できそうな夢ですね。
是非ご自分で考察してみてください、と
夢をあれこれ解釈する仲間を増やしたいという下心を覗かせてみたり。
参考までに私だったらという方法を。
名前に注目するという点からですと
そういう名前の人物として考える場合と、
名前を言葉、文字として考える場合があります。
その名前の読み方を音と考えて
同じ音の他の漢字などを当ててみたり、
アナグラムで文字を入れ替えて別の言葉を作ってみたり、
漢字を分解(例えば峠を山・上・下のように)してみたり。
黒板に書くという行為があるので
そういう名前の人というより文字として考えるのがいいかも。
そして他の状況なども合わせて連想していく。
つい偏りがちな日常の視点・考え方を
夢というよく分からない視点・始点から見つめてみる。
いつもと違うものが見えてくることがあります。
今日、家族が献血に行ってきました。
近所に定期的に献血車が来ているので年に数度行っていますが、
今日は特別献血する人が多かったそうです。
献血が足りないというニュースがあったからでしょうね。
私は服薬しているので献血できないのが残念。
映画「FUKUSHIMA50」を見たいと思ってましたが
映画館に行けるか分からないので原作本を買ってみました。
福島原発を考えるときはいつも
宇宙戦艦ヤマトの
「誰かがこれをやらねばならぬ
期待の人が俺たちならば」
の部分が頭をぐるぐるします。
その齟齬がすれ違いのドラマを生むこともあるし、
その中で自己の変容や、他者との和解という昇華に至ることもある。
でも逆に、共通認識となった概念が、実態以上の影響力をもつこともある。
新型コロナウイルスが社会に与える影響は、
エイズやインフルやSARSの時の記憶より大きくなってきたような気がする。
全国の学校が休みってのはちょっと記憶にない事態だよなー。
安全厨にも危険厨にもデマに踊らされる情弱にもなりたくないが、
果たしてこの騒ぎは、どのくらいの規模になるものか。
世界人口に影響があったレベルの流行り病といえば、
ペスト、スペイン風邪あたりだろうか。
日本だと結核くらいかなあ。
梅毒、コレラ、チフス、天然痘、らい病、マラリアなんかは
大流行で人口減っていう感じではないし。
当時の人にしてみれば、この世の終わりかという恐怖と絶望だったと思うけど、
結局人類が滅ぶことはなかった。
新コロがそこまでの脅威になるかっていうと・・・、
感染力はパないけど、致死率はそこまででもなさそうな。
交通事故や悪性腫瘍や自殺、あるいは人工中絶のほうが、
よっぽど有力な死因として人口を左右し得る。
鬱々とするから数字はググらないし貼らないけど。
陰謀論やオカルト話が好きだ。
イルミナティカードで新コロナは予言されていたとか、
300人委員会による人口削減計画がとか、
日月神示によれば人類は三分の一にまで減るだろうとか、
まあそんな話が好きで、
信じるとか信じないよりもまず、読んでて面白いから読んでた。
なんであれ自分の知らない世界の在り様を知るというのは、自分にとって基本的な快で娯楽だ。
でもそう、予言の自己成就、あるいはラベリング効果。
根拠のない予言(=噂や思い込み)であっても、人々がその予言を信じて行動することによって、
結果として予言通りの現実がつくられるという現象のこと。
今起きてる、トイレットペーパーの買い占め現象なんか、まさにこれだ。
最初はツイッターのデマで、
トイレットペーパーは中国産は数パーセントで、ほぼ国内でまかなえてて、
だというのに、買い占めた人達の行動によって店頭で品薄という、
デマどおり、予言どおりの現実が創造された。
新コロによる社会不安、マスクの品薄という状況が冷静さを失わせて、
トイレットペーパーがなくなるという共通認識で集団が動いてしまった。
この事象から、人の意識が現実を創造していく。
ヒトの世界は人々の共通認識で成り立っている。
という普遍的事実を読み取り、
そこから各種陰謀論について考えてみると、
何者かが都合の良い現実を創造するために、
まずは人の意識に情報を刷り込むことにした、と言うこともできるけど。
敵と戦うという基本ソフトがあるがゆえに、
仮想敵、虚構の支配者を創造している、と言うこともできるな、と。
まあ、よく言うアレだ。
神が人を創造したんじゃなくて、
人が神を創造したっていう。
聖書にあるように唯一神が最初の人類をつくったのではなく、
原始社会から人が死を恐れ、なぜ、どこから人は来たのか、なぜ生きるのかと問う知性が発達し、
その疑問に答える物語をつくり、それが神ということなって信仰を集め台頭していくというアレ。
ネタバレになるけどあらすじを書くと、
ある地方都市に鋼人七瀬というアイドルの怪物が姿の怪物が出るという。
妖怪や幽霊や魔のもめごとを解決する岩永琴子と、
予言獣くだんと不死身の人魚の力をもつ桜川九郎が赴く。
虚構推理の世界観によると、
人々の共通認識に名が与えられることで怪異が生まれることも、
忘れられることで弱体化や消滅することもよくあることだという。
琴子は、かまいたち、を例にあげる。
一匹が転ばせ二匹目が斬って、三匹目が薬を塗って去る妖怪だ。
うしおととらや地獄先生ぬーべー、かまいたちの夜なんかでメジャーな妖怪だ。
うしおが十郎に「悪かったなぁつらかったろうなぁ」っていうのは屈指の名場面よなー。
うしとらでもかまいたちは人に住処を追われる妖怪なんだが、
琴子の説明でも、かまいたちが怪異としての力を失う過程が説明されて面白い。
肌が裂けるのは旋風の中心に出来る真空のせい、という解釈があって、
この説は一見科学的なことから、人々は妖怪ではなくて科学や合理のほうを信じるようになった。
明治時代、迷信から科学へ、文明開化の進取の気風がそうさせたのは想像に難くない。
それで人々に畏れられなくなったかまいたちは弱って数を減らす。
信仰を失った神々が力を失うのと一緒だ。
でも真空で皮膚が裂けるってのはトンデモ科学ってやつらしく、再現性がない。
科学的根拠がない、再現性がない、実態がない、事実ではない。
しかし、それらは時に問題ではない。
なぜなら人の意識がそうだと思えば、そうなるからだ。
思考のもつ本当の力を、甘く見てはいけない。
それはすべてを超えた0に至るツールであり、
コントロールを失えば恐怖の怪物を現出させる。
あらゆる力は諸刃の刃だ。
アイドルの不可解な死が、その亡霊が徘徊するという無責任な都市伝説を生み、
その都市伝説を集約させ増幅するまとめサイトを作った首謀者がいたために、
鋼人七瀬は急速に怪異として力をつけ、人を襲うようになる。
脅かされた人が事故をおこし、殴りかかられれば人が死ぬレベルにまで。
虚構推理の小説の初出は2012年なので、
まとめサイトのノリがちょっと懐かしい感じがする。
あのころ掲示板で発生したコンテンツというと、
2008年の重音テトとか、2010年日本鬼子とかがあって、
何かのネタをもとに有志がイラストを投稿して、そこに設定やストーリーが集まって、
わいわいお祭り気分でキャラクターが形になっていくあの感じ、
鋼人七瀬のアイデアのもとはああいうノリだなあと思う。
今、ああいう流れないよなあ~。
掲示板が過疎ってるというか。
他のSNSに住み分けされたんだろうか。
お絵描きできる人はピクシブへ、
お話が書ける人は小説家になろうへ、
賑やかしの人はツイッターへ、
という感じだろうか?
本家ボーカロイドの亜種としてUTAUシリーズが登場して
ニコニコ動画で一世を風靡したのは面白かったよなー。
あれは貴重な一時代を経験できた。
エイプリルフールの嘘から真がでたというか、
ネットの集合知みたいなものが重音テトという虚構のアイドルを生んだ。
でも、2020現在テトは風化しちゃったよなあ。
いやでも流行の耐用年数はそんなもんで、
本家初音ミクがしぶとく生き抜いて市民権を得た流れのほうが稀有なのか。
都市伝説もそんなものだ。
口裂け女や人面犬、てけてけやくねくねも、
ひとつの時代を示す懐かしいアイコンになってしまった、
もはやリアルタイムでは語られず、怪異としては力をもたない。
昨日考えてた結論への道筋が一晩寝たら行方不明ww
いいいやもう適当に書き散らかして後でブログでまとまってくれww
だから、流行に実態の有無は重要ではない。
人の意識がその概要を認知すれば、実態は後から創造されるわけだ。
新しいボーカロイドが発表されるってよ、
というスレタイ、デマ、ジョーク、予言があって、
ビジュアルや「重音テト」という名前、
様々なキャラづけが集まる。
その存在が多数によって承認、認知されれば、
合成音声の歌声や、3Dモデル、歌やダンス動画、
ネットを飛び出して同人誌、コスプレやねんどろいど、フィギュア、
いくらでも実態が創造されていく。
歌って踊るネットのアイドル、
無害で可愛くて創作意欲を刺激する存在なので、
飽きるまでいくらでも成就していいわけだが、
鋼人七瀬は他害的な存在だったので、
岩永琴子はその存在を否決する。
新しいボーカロイドが発表されるってよ、
というスレで、それはデマだと論破して
テトを生まれさせない、みたいな流れにしたというか。
参加者の認知を変えて、鋼人七瀬は虚構と暴く。
新しい存在、キャラクターを生むってことは、人の認知にとって本質的に快なんだろうな。
テトのスレでそれはデマだと言って暴れるやつがいたら荒らしだし、シラけただろう。
だから琴子は、新しい存在を組み上げていくという快のベクトルを、
推理する、謎を解く、解体する、という快のベクトルへ転換する。
創造することも快だが、破壊することも快だ。
プラスとマイナスの、それは陰陽の両翼だな。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/future/1496822676/
☆時事問題議論総合スレッド☆29(事情、説明あり) [無断転載禁止]©2ch.net・
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1456944159/
何を書きたかったか完全にどっか行ったwww
だから、ええと。
人の心っていっても色々レベルがあるけども。
人は自分の心のすべてをいつでもコントロールできてるわけじゃない。
無意識にも色んな抑圧があるし、何かを恐れている、とかはその最たる状態だ。
恐れているというのは、自分の心を制御できず、一部に暴走を許している状態で、
多くの人が同じものについて恐れるなら、
それは集合的無意識のなかに手綱のない馬がいるというか、大きな力が野放しになっているというか。
その力に、ちょっと方向性を与えてやることができる人がいたら、
ちょっと情報を操作する労力だけで、大きなことができることになる。
野放しの馬の尻に火をつけてやれば、とんでもない力で突っ込んでいく。
闇の権力的なものが持っている力というのは、そういうものではないかな。
人類と支配者(仮)の間に、肉体、精神、知的レベルに、そこまでの差はないと思う。
ただ、自分達は、自分の力に、自分の心、自分の思考に無責任なんだ。
野放しの力を、上手いこと利用されてしまう。
支配者の大部分は、虚像だ。それは自分たちが制御を放り出した力の集合だ。
だから自分たちが恐れ、向き合うべきものは、支配者ではなく、自分自身だ。
みたいなことが書きたかったんだよな。
病、というのは弱ったところに現れる不調和のサインだ。
何かが間違っているから、正すべき時が来ていますよということだ。
ひとつの人体でも、ひとつの社会でも同じことなんじゃないのか?
なにか不健康な習慣があるから病むんじゃないのか。
ペストの原因はネズミについたノミ、不衛生や栄養不良にあった。
ネズミを生活環境から駆逐することで改善した。
新コロは、ライブハウスや豪華客船のような、密閉空間で蔓延するという。
北海道の建物は、防寒のため気密性がとても高い。二重窓とか地下街とかな。
考えてみればそういう風に、建築が気密になったのは、
ほんのここ数十年のことではないだろうか。
それ以前は、湿気りやすい日本の建造物はどこも開放的なのが基本だったわけで。
電気、電灯やエアコンがあるから今は窓のない空間を作っても平気になったけど、
それ以前は自然光を入れる窓がないと、暗くてしゃーなかったわけで。
火による明かりと暖房は酸欠になるから、常に換気とセットだったわけだし。
通気性の低い、気密な空間に人が集合するという、
現代特有のシチュエーション自体に、考慮されていなかった健康上のリスクがあって、
そこに新コロがバッチリはまって、そのリスクが顕在化しただけなんじゃないのか?みたいな。
吊るし上げるべき犯人とか、いなくて、
これは、電気の便利さに依存した社会モデルの欠陥を修正する機会ととらえることもできるんじゃないのかな、みたいな。
現場ネコとか、現場あるあるを集めるアイコンになってるな。
いつのまにか画像が増えて、フィギュアやポスターに進出している。
あれはツイッター発だっけ?
週末なのでのんびり寝ました
私が高校生になっていて演劇部を立ち上げる夢を見ました
家庭科の被服室を部室に借りる事ができて
20人くらい生徒を集めて初めての部活
私が言い出しっぺなので私が司会進行をしました
誰か部長副部長をやってくれる人はいますか?と
聞くと坊主頭の大人しそうな男子が二人挙手を
してくれてありがたくお願いする事にしました
名前を聞いて黒板に大きく書く事に
白いチョークが無くて青や緑の見づらい色だらけ
そのチョークも何故か湿っているように書きづらい
やっとの思いで男子2人の名前を大きく書くと
家庭科の先生が入ってきました
「貴方達、紙芝居はクリエイティブよ!覚悟はあるの?」
と真剣に言うので私は「まだそこまで(話しは)進んでいません」
と答えた辺りで夢から覚めました
演劇部のはずが紙芝居部になっていましたが壮大な夢でした
朝起きたらコロナが終息していたら良いなぁと
スマホを見るとyahoo!も5ちゃんもコロナだらけ
ガッカリの朝です
卒業シーズンの前倒しで、黒板アートがいくつか話題になりましたが、
その辺のイメージがありそうだなーと思いました。
普通の学校の中にプロ並みのテクニックを持つ人が紛れているってなんだか面白いです。
プロジェクターで投影してなぞるにしても、それなりの根気と丁寧さ、全体のバランスを調整する感覚がいるし、
トレース以上の画力を発揮してるやつもあって、
黒板という日常、生徒や先生という日常に、プロの技量が出現する非日常は、
対比が際立ちますよね。
テレビやピクシブですごい絵が紹介されるのは当たり前で日常なのでスルーしがちで、
数式や年表、授業の内容や連絡事項が書かれる黒板にすごい絵が出現するのは非日常なので注目されて拡散されるんだろうか。
ニャッキとかピングーとかアエイオウとか、
教育テレビなんかで砂絵や粘土を連続撮影してアニメにする手法がありますが、
黒板で紙芝居、黒板でアニメというのも見てみたいですね。
黒板は消す手間がかかるから面倒でしょうが…。
氷菓のオープニングや、殺せんせーのエンディングで、
アニメ内の表現として黒板絵を動かすのは見かけたことがありますが、
リアル黒板でストップモーションアニメやってみたっていうのは検索したことないな、そういえば。
今思えば「名前」がテーマの夢だったかもしれません
夢の登場人物は全員知らない人だったのですが
部長副部長になると言ってくれた男子二人の名前を
黒板に書くために持っていた紙に書こうと名前を聞きますが
なかなか理解できなくて紙にも書けない
やっと理解できて黒板に書こうとしても
青や緑の暗い色のチョークでなかなか書けない
今日、名前考え中さんが教えてくださった
「勇者、辞めます」の2巻が届きました
(確か教えてくださったのは名前考え中さんでしたよね?)
その中で悪魔が勇者に名前を尋ねるエピソードがあって
「名前」がクローズアップされる1日でした。
龍使いのお母さんありがとうございます。
やっぱ夢関係は読み解くセンスなくてすみませんww
黒板アートの話がしたいだけになっていたww
名前、固有の名詞。
それは最短の呪、原初の呪、言葉の本質、人の知のもつ本質的な力。
存在を観測し、確定する。
あるともないとも定まらない不確定性原理を、確定する力。
名前についてはまだまだ興味が尽きません。
誰何されて名乗る、相手との関係性の始まりの儀式は疎かにすべきではない。色んな意味を読み取れる。
今トトロ見てるんですけど、
トトロは人語で喋らない。
グワァ、グワァ、ゴワァ~みたいな唸りに、
メイは耳を傾け「あなたトトロっていうのね!」と直感する。あるいは、名付ける。
名前を認識しようとする行為は、存在や関係性を確定しようとする行為、かな?
自分の創造を手助けしようとアプローチしてくれるものの名前、リアルで解るといいですねえ。
https://youtu.be/RrPWjJeORBE
そういえばCMでそんなのあったな~。
アニメや紙芝居というか、実写CMの文脈の作品だけども。
うーんクリエイティブ。
シンプルだけどこっちの方がアニメっぽくはあるな。
氷菓のオープニング
https://youtu.be/UA0MCs4aFZc
殺せんせーのエンディング
https://youtu.be/3odpfe0NCcs
本日3月7日(土)18:00 !!
YouTubeチャンネル「SKYHICHANNEL」にて
!!スタジオライブを生配信!!
実際に<Round A Ground 2020>で演奏予定だったセットリストを
ほぼそのままスタジオから生配信でお届けします。
SKY-HIオフィシャルYouTubeチャンネル「SKYHICHANNEL」へ登録して
リアルタイムでスタジオライブを楽しんでくださいね!
■SKY-HI 公式YouTubeチャンネル「SKYHICHANNEL」
https://www.youtube.com/user/SKYHICHANNEL
■生配信はこちらから
https://youtu.be/7CAWJSZok5Y
それに対処した。それで条件を解除した。 今はその続きで諸々発言している。
今のこの流れは、ニセ摂家の起こした波紋として表れてそれだけだが、そんなこと言っとる場合か。
おれの最近の口癖は、「それどころじゃない」そういうことだ。
関与する人々がいるが、そのあたりが変化していることを示している。
つまり書いてきてそんな気分ではなかったが、今は違う気分だろう。
数ヵ月前の北欧の条件の変化から、私は思った。
北欧は、20倍、そして、今の条件を維持している。いろいろ手出ししている人もいる。
ゆるがないっぽい状態も白人は、白人も罠であった。
そう思ったので書いていわばビラコチャが白いのならば、欧州人は北にいて白いだけで、それは偽白人といえるのかもしれないね。
これは白人が神的だと考える層がいるので書いたまで。
そういう順番だった20年前ぐらいのことだ。
その時に条件やらを意識した確か。
詳しく書くことは後でもできるが、取り合えず訂正。さてこういう条件の規模だけど、
条件によってはそれだけでもう生活が少なくなってしまうらしい。
なぜ書きにくい運命でもあるのだろうか。
内容は、かけない性質があるのならば、対策になりにくい。問題点はここで読むより察するしかない。
察するものは救われて善き生き方をしていたならば、おのずから問題に対して動いていると言えるはずだ。
善きとは、神の秩序にとって善きであるから。
私はがっちり生活しているので生活時間がある。どうですか、一部の人にとって違うでしょう?
そのぐらいの規模になると、「これが普通じゃないか?みんなそうでは?」と感じてしまうかもしれないが、
それは普通ではなく、ハードなつまりひどく変な条件の中にいますよ。
なにも頭に入ってこないwwある意味すごいww
グーグル翻訳か滝沢カレンの文よりもわからんww
予言書の類ってこういう意味があるのかないのか判らない文章から、
意味のつながりを読み取ろうとするのに似ているかもと思った。
だから幾通りもの解釈が派生していく。
現実から符号するものを当てはめては盛り上がり、想像力が暴走していくww
結界師でも予言や予言の巫女が登場するんだけど、
「予言は扱いが難しい、予言を知ることで意識や行動が変わっていく」
と言ってたかな。
予言に従って行動するか、予言回避の行動をするか、選択にバイアスがかかるもんな。
予言の自己成就を警戒している。
予言、実に面白いテーマだ。
歌詞トんだの初めて見たww
画面止まったwww
バチ落としたwww
笑わすなwww
みんなこの一連の騒動にうんざりしている。
病というのは嫌なものだ。
不快感が耐えず体を苛む、頭が働かない。
できるはずのことができなくて情けなくて、
とにかく不快が終わることを祈るしかできない。
でも、それは体が発する不調和のサインだ。
対処療法でなんとか動けるまで回復させて
原因になった何かを変えなくては、根治にならない。
何度も言う羽目になってアレだが、体を壊したことがある。
職場での精神的ストレスが良くなかった。
あの時自分は、自分が病むのは雇用主のせいだと思っていた。
会社の方針のブラックさのせいで、自分は被害者だと思っていた。
自分の苦しみは誰かが自分を害しているせいで、理不尽だと思っていた。
しかしそうではなかった。
変えるべきは自分の社畜根性、自虐思考のほうだった。
病んだことは苦しかったが、それで会社を辞めようと思えたのはありがたいことだった。
体が壊れなければ、心を壊して働き続け、いずれ押し潰されて自滅しただろう。
病むのは不快だが、それは心と体のケアに不備があった結果だ。
自分の心と体の面倒は、自分で見られるようにならないと、大人とは言えない。
個人の規模でも、社会の規模でも、多分一緒だ。
中国のせいでも陰謀のせいでも政府のせいでもない。
現代の住環境に不備があったこと、思い至らなかった病の原因があったこと、
今まで大きな騒ぎにならなかっただけで、新コロでリスクが顕在化しただけなんだ。多分。
今顕在化しなければ、不備は蓄積され続けて将来より大きな災厄になったかもしれないわけで。
人の集合を制限して、マスクや手洗いうがい消毒、それから栄養をとってよく寝て。
そうやって対処療法でだましだましやりつつ、原因となった考え方自体を是正していくしかない、と思う。
電灯とエアコンがあるから、閉め切った設計でいいやっていう発想は不健康ということらしい。
ライブハウスやクラブ、
地下の箱みたいな空間で暗くしてぎゅうぎゅう詰めにして大音量で大声出してトランス状態になるのは
いかにも非日常で楽しいけど、あれはやっぱり色々リスキーだよな~。
窓開けて、自然光を入れて、大気の汚染を軽減していかないとな。ウイルスには紫外線が有効だ。
中国はpm2.5のせいで窓を閉めっぱなしの習慣とかあったんじゃないのか?
コロナと大気汚染の相乗効果で、そもそも大気汚染はいつか爆発するリスクだと誰もが思ってたんじゃないのか。
たぶんそうだ。そうだろ回復基調だと思ったか?まだ害を受けているのであった。ここでまた詰んだように認識された。
一点いえることは、住環境で悪いことになっている。どうも外国の私と同じようだ。
なぜか詳しく言えない。
鎌倉とか奈良とかの人は、かなり前に設定された条件を持っていて、どうも(運命のようなものが)ついている、そういうような感じらしい。
しま設定でしかないので、いいことやモノなどががまわってくるしま設定というだけの、いわばブッタクリが設定されているだけのもののようだ。
設定された構造が極限に不都合なものであり、その中の人の生活に反映されている。
ということだから、なんというか人がな。人のライス動けるのか?
暇なのでてきとうなことを書いとくけど、
いかに人間の状態がぶっとんでいるのか書こうかとおもったけど、
この世のシステムは、人に害を与えて儲かることができてしまう。
例えば?害と?なった人は、生活時間が少なくなるらしい。・・私はがっちり生活しているので、その状態がわからないけど。最近そうだと知った。
そんで例えばこの鎌倉の特殊な条件の中にいる人の場合なら、ついている-ついていないというよくわからん条件が発生したのは、古代あるいは超古代であり、8000年以上そういう状態で生きているはず。
更なるえぼえと集団社会があるので、もうそれなりに、私の常識から見たらぶっとんで普通、害がある。
言い方をかえたらばち当たり的な状態は、すぐにシステムによってまともな状態に変化するものだ。本来なら。だがそうなっていない場合が多いぴょん。
しかしそれは維持されてしまっているのだ。
しかしだがそういう立場だったらと考えると、すこし自信がない。私は状況を理解しやすかった、当然かもしれんが。
とはいえ楽だった時期は、勘違いした常識を生きていたこともあった。
不都合な動きが蔓延していると言いたい。破綻に至り、苦が発生する。罠が多い。また悪になりやすいと思われる。大変気を付けなくてはいけないと、私は思って生きてきた。
これが長年を経て、またグループ的なつながりを作るなどして、住環境に対してランク付けをした
これぞまさになろう系が生んだ文脈の代表だなっていうクオリティだったw
どこまでも都合が良くて実に愉快痛快ww
タイムリープ系にも色々あるけど、
大きな争いを未然に治める、
という方向性が女性的な発想だなーと思った。
自らより大きな力を獲得していくということなく、他者の力を利用することを良しとする、
色んな力のベクトルを分散させて安定させて良しとする。
転スラだったらリムルがどこまでも全てを勝ち取って上昇していくもんな~。
第二部も楽しみ。
未来から娘が来るとかセーラームーンを思い出すな~。
主人公のタイプも似ているw主人公にあるまじき泣き言の多いワガママ乙女脳w
ティアムーン帝国というのもそれっぽいかもな。セーラームーンも月の国の女王だ。
オマージュなのかな?他にそれらしき符号はなかったっけなー。
>>537
ティアムーン読んでいただいてるんですね。ありがとうございます。
そして第二部三部は第一部とはちょっと違った展開になっていきます。
転スラとは違う方向性で、これもなかなか面白いです。
面白いというか、ちゃんと考えると怖いというか。
私のイメージとしては、
転スラは上に昇ってお日様となり、他を庇護する物語。
ティアムーンは雨となって地面に染み渡り、他を潤す物語。
そして地面を深く潜っていくのが第二部三部です。
語りたいけれどネタバレになってしまう。
名前考え中さんお勧めありがとうございました。
ナナメ読みで現行地点まで読了。
えっそんな遠慮されたら
毎度毎度オチまでネタバレして書いている自分の行いを恥じるしかないんですけどwww
ほんとすみませんwwww
自分はネタバレを全然気にしないタイプです。
ウィキで全予習してから作品にとりかかって平気。
推理小説の犯人をバラされても平気。
推理とかタルいことする気ないし、
推しキャラが死ぬとか犯人だとかの疑心暗鬼なく、
安心して読めると思っている。
ネタバレを嫌う弟と何度か血をみる喧嘩をして、
他所では気を付けるべきだと学習しました。
●池田大作『月刊ペン事件』
●池田大作『大阪事件』選挙違反で逮捕
●藤原弘達『創価学会を斬る』の出版を巡り創価学会と公明党による言論・出版の弾圧と嫌がらせ
●藤原弘達の葬式に祝電を贈る嫌がらせを行なった創価学会員
●創価学会による日本共産党委員長・宮本顕治宅電話盗聴事件
●創価学会による新宿替え玉投票事件
●創価学会副支部長 木村昌幸 強制猥褻事件
●迷惑電話3000回の地区部長 谷口博司 実刑判決
●NTTドコモ事件 福原由紀子さんに対する集団ストーカー事件で創価大学卒 嘉村英二に実刑判決
●元公明党委員長の矢野絢也氏への創価学会幹部による脅迫と言論弾圧事件
●公明党江戸川区議・松本弘芳(江戸川区文教委員)児童売春で実刑判決
●公明市議の赤井良一。妻を餓死させ実刑判決
●ジェイフロンティア株式会社
●中村 篤弘
●ショップジャパン
●元公明党市議の山田喜八郎。道交法違反(轢き逃げ)逮捕
●覚醒剤取締法違反、公明党市議・大石尚雄。逮捕
●公明党参議院議員・片上公人セクハラ最高裁敗訴
●聖教新聞配達員 硲篤代 寺のお供え物を盗み窃盗罪で逮捕
守るべき係累を従えて、魔法やスキルをどんどん習得。自身がどこまでも力をつけていく。
ラストは天空ステージで神を倒す。男性性は陽、光、太陽、天空だ。
ティアムーンだったら中身が成人女性の主人公で、
自身が変わるというよりは、周りを育てて守ってもらう、人と人のコネでなんとかする。
敵対存在は蛇象徴。
蛇は相当色々意味があるけど、
この作品では「地を這うモノ」というイメージらしい。
蛇は暗い穴に潜むもの、とぐろをまいた蛇は山、大地だ。
女性性は陰、闇、大地か海か、あるいは月。
まあそれなりに符号を見いだせるな。
男性的な主人公が、男性象徴的な天龍神を倒し、
女性的な主人公が、女性象徴的な地蛇神を倒す、
そういう構図が時代に必要とされる感覚だったりするのだろうか。
どこか鏡のような相手、自分自身を剋していくって感じかな?
まあ、転スラとばかり比べなくてもいいんだけど。
なんか色を使った名前の付け方とか、ネーミングセンスのそこはかとないダサさとか、
そういうのもなろう系のお約束なのかね?つい比べたくなる似通い具合ww
魔法という概念が登場しないのが自分的にはちょっと物足りないところ。
時を超える日記や書物、
未来からやってくる孫娘とかがそれっぽいけども。
魔法というワードが出たのは96話、
国を崩壊させるノウハウが綴られた邪教の経典を、
「魔法の書なのかしら?」と主人公ミーアが言う。
ミーアにしてみれば自分の日記といい伝記といい、
時を越えて指針になってくれる魔法の書に親しんでるから、
そういう言葉になるわけだが。
「魔法の書とは言い得て妙かもしれません、
それは魔法のように人の心を変えてしまうもの。
秩序を破壊する存在へと、その者の人生を変容させていく・・・。
その力は魔法と呼んで差し支えないかもしれません。」
「ああ、私は別に魔法などどいう不可思議な力があるとは思っていない、
そんなものがなくても、人の心を操ることは可能だと思うしね。」
「多くの知者は誤解しているのだ、我々の心と、現で起きる出来事は、
君達知者が考えるよりも遥かに関係が深いのだ。」
「そう、世界を作るものはなにか?それは人だ。
人が街を築き、国を築き、文化を築き、学問を築く、
では、人を支配するものは何か?心だ、あるいはその者のもつ価値観、世界観、信仰なのだ。」
あれもファンタジーの皮をかぶった経済入門書みたいな物語だったが。
魔王が高級そうな箱からジャガイモを見せて
これを育てろと言い出す場面はなんか妙に脳裏に焼き付いているww
ティアムーンでも飢饉の回避が重要なテーマだが、
作物の不足より、むしろ買い占めや流通の混乱が問題になること、
一次産業の軽視などは実に現代に通じる警鐘よなー。
トイレットペーパーがないんじゃなくて、
流通の想定以上の買い占めが問題を作り出したわけで。
これ食糧でも同じことが起きないとは言いきれないからな・・・。
分け合えば足りるのに、我先に溜め込むから、格差が生じる。
トイペでも食糧でも金でも富でも、おんなじだな。
いくら生産しても、物流を整備しても、人の心が貧しければ、現実に貧しさが生じる。
人の心が恐れていれば、恐ろしいものが現出する。現象より意識が先だ。
生産して、流通させて、そして情報を正しく使えるよう、心をケアすること、すべて必要になる。
ミーアは、宴を開いて貴族と民衆の交流の宴、お腹一杯の御馳走の誕生祭を行った。
そういうの大事だよなー。自分はオリンピックはどーでもいいけど、
各地で祭り関係が自粛なのが痛手だ。地域の一体感、人と人との心のつながりの場が減ってしまう。
SNSや動画サイト、ネットでどのくらいその辺をフォローできるかだな・・・。
テレビやラジオもその辺をフォローしてもらいたいものだが。
何十年とかけて国崩しを企む邪教集団の描写には今後期待したい。
誰にでもある心の弱みに巧みにつけこみ、
民の不満を募らせ、貴族の高慢を助長し、要所で分断工作を仕込む。
民が蜂起してその勢いのまま支配者の首を落とす、
というのは歴史上散見されるが、国にとって強烈なトラウマになることは想像に難くない。
マインドコントロールや国を弱体化させるノウハウも興味深いけど、
そうまでする動機はなんなんだろうな。
最初に世界を恨んだ人物はとっくの昔に死んでいる。
死者の妄執だけで組織が維持できるかっていうとな~。
まあ、ひと昔前の漫画では、
やたらヒト〇ーを崇拝するナチ〇の残党が悪役で登場したものだが。
どんなカリスマも死後数十年が限度ではなかろうか?
あ、いや宗教の開祖となるとまた別かな・・・。
しかし、狂信者というだけでは敵として物足りないところ。
そんなメンタルじゃ大局観に欠けると思うし。
知りたいんだよな、そうまでする人達ってどんな世界観で動いているのか。
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1583937520/
https://nowkore.net/archives/54320
第1位:サッポロ一番塩ラーメン
第2位:サッポロ一番みそラーメン
第3位:日清チキンラーメン
第4位:農心 辛ラーメン
第5位:日清のラーメン屋さん 函館しお味
第6位:日清のラーメン屋さん 札幌味噌味
第7位:マルちゃん正麺みそ味
第8位:日清のラーメン屋さん旭川しょうゆ味
第9位:サッポロ一番しょうゆ味
第10位:昔ながらの中華そば しょうゆ
第11位:チキンラーメン具付きアクマのアサバァ
第12位:評判屋 重ねだし豚骨ラーメン
第13位:マルちゃん正麺旨塩味
第14位:だし麺 比内地鶏だし醤油ラーメン
第15位:明星中華三昧 赤坂栄林酸辣湯?
第16位:マルちゃん正麺しょうゆ
第17位:マルちゃん正麺豚骨しょうゆ
第18位:だし麺 千葉県産はまぐり塩ラーメン
第19位:日清お椀で食べるどん兵衛
第20位:出前一丁具付き ゴリラ一丁
https://a.r10.to/hIVqKf
ゆ「夢だけど 夢じゃなかった!」
意味がわかると面白いトトロ夢かるたシリーズ
「森へのパスポート」の意味とは?
https://plaza.rakuten.co.jp/denkyupikaso/diary/201907250000/
なーつかしー。
上演タイトルも大体記憶にあるなぁ。
1話「ママと悪魔」、2話「幸運の首」、14話「わしはサンタじゃ!!」、17話「顔」、26話「デス・フライト」、33話「救命艇に死神がいる」、60話「幻の女(ファントム・レディ)」、63話「真夜中の教室」、78話「マンハント」、91話「怪談」
犬の宇宙人とか送り狼女とかモノを隠す妖精の話が印象的だけど、舞台向きではないか。
現代の設定で、背景がたくさんは要らなくて、人間の心理ドラマが見所なやつがチョイスされてる感じかな。
穴に落ちて、水を渡って開けた場所、地下洞窟、地下神殿で過去の真実、問題の根本を見つけるのか。
穴、水に満ちた道、地下にある神性。
女性器とか産道とか黄泉的なイメージのベタなやつよな。
ルパンhttps://youtu.be/A37wa2PL9Ps
君を乗せてhttps://youtu.be/CYUYC0EMp3E
ナウシカhttps://youtu.be/1G9EQFow83M
よみぃと連弾https://youtu.be/OYXQbZwB2XA
カッケェ…。
心そのものが声だ
心には形がそれを伝えるのは技術うまさを加え文法でまとめて収め色が無くても皆同じだ色が無いから皆同じだ色が無いところにこそ皆同じ透明に近い形した
色それが声は透明ではない色が自分以外の生物もそうでないものも
万物にそれぞれ異なった色が個が個である由縁信念では
信じられる真実裏切られてなど期待過剰は完璧主義が落っことした産物
幻想の未熟さ何かに対し呪いたかっただけだろう
わかって裏切られてなどいなかったと最初からそうだ
期待通りでも期待通り逆にショックそのその手には乗りつまらないと信じてたからだ
実際はどうだから何だつまらないなら
それを楽しく変えようとするまで無理だろう
それでもそこは認めないつまらないまんまでいいわけがない
誰がそう自分だ自分がどう思うかだ
さじ加減が利かなくなってるトリックを解き明かして
運命の最初をいつでも何回でも始める日々に誤りなどもう見つけもしない
究極かどうかわからない最強そんなこと単なる心次第自分次第だ怒りに近いけど怒りでは絶対にない心の真実
そこに形をそれぞれ付け加えそれぞれがその連ねていくばそれぞれがそれぞれの形に声は心その形が身体になる
心だけはとりあえず負け独りで闘うのは自分自身と皆で闘うのは和は乱される
だから下らない数式なら根っこ引きずり出して科学反応
光の数式しかないものなんてこの世にはないある全てに輝きの真実だ
さっぱり意味が判らなくて申し訳ないが、
なんか同じ人が書いてるんだろうなっていう親しみが芽生えつつあるww
続けるうちに意思疎通ができるようになるかもしれないので、とりあえず歓迎していると伝えたい。
リアルならスルー一択のアブナイ人をヲチできるのはネットのいいところだな。
空いたら劇場に行こうといつもの感覚でいたら
コロナが始まったので行けませんでした
アナ雪1もブルーレイを買ったので2も買います
天気の子も予約してあって両方とも5月発売なので
楽しみが出来て良かったです
私の住む市でも感染者がだんだん増えてきています
5月の発売まであと1~2ヶ月しかありませんが
その頃には世界が良い方向に向かっていると良いなぁ
石原さとみさんのアンナチュラルというドラマの
第一話が今回のコロナウィルスに似ていると
ネットで見て録画していた物を見返しました
未知の毒物を「名前の無い毒」と捉え法医学で調べて
その毒は結局マーズコロナウィルスでした
PCR検査を行ったり院内感染も発生していました
最初の発症者の男性の両親がマスコミに追われて
犯罪者の親のような扱いをされていました
結局は院内感染の病院がウィルスを漏らした事が
原因で男性も被害者だと最後に明らかにされましたが
見ていて名前の無い毒という言葉が印象に残りました
最近、読む物観る物に「名前」がクローズアップ
されていてその度にこのスレを思い出します
今回のコロナウィルスは日本ではまだ
「新型コロナウィルス」と呼ばれていますが
いつか名前が付いた頃には特効薬やワクチンが
出来るのかもしれませんね
龍使いのお母さんありがとうございます。
アンナチュラルウィキで見てきた。
研究室からお漏らししたウィルスでパンデミックとかww
バイオハザードといいナウシカといい、ほんと鉄板ネタだなー。
ヒューマンエラーは起こるべくして起こるとしか言えないのかもしれん。
どうしようもない好奇心と使命感、
どうしようもない傲慢と怠慢、
それによって進歩もしてきたし、
それによって危機にも陥る。
そういう生き物だというなら、もうしゃーないな。
生まれ持った性分てのは変え難いものだ。
それが吉と出るか凶とでるか、禍福は糾える縄の如しだ。
特効薬、ワクチンか…。
それを発表した企業はおっそろしいほど儲かるだろうね。
と、考えるくらいには陰謀論に毒されているw
日本でも研究始まってるらしいけど、
まぁ九割方米国の財閥系列の利益になると思われ。
薬効より政治力とPR力がモノを言うだろうし。
「混乱から利益を生むのがうちのやり方」
「どう転んでも損しないようにできてるのさ。」
五十嵐大介のディザインズ、
サンモント社の御曹司ショーンの悪魔の笑みが脳裏をよぎったわー。
自分は、特効薬もワクチンもあまり信じる気にならない。
企業や政府や医療に、安心を与えてもらおうとは、もう思わない。
手ェ洗ってうがいしてマスクして、
いつもより栄養や加熱に気をつけて食事して、
ストレスを減らして、
自分の身体は可能な限り自分でケアしたいと思っている。
安心は自分の内に見いだすものだ。
いや、まぁ、単に病院が嫌いなのは認める…。
出来る限り全力で行きたくない場所のひとつだ。
世の中の大多数は、安心を与えてもらいたい人なのも否定しない。
薬ができたよ!という報せがどんな風に世の中に一石を投じるか、興味深く見届けたいものだ。
名前のない毒、か。
それはウィルスの実態以上に人心を蝕んでいるもののことだろうか。
ウィルスは、単にウィルスだ。
菌よりももっとシンプルな、生物と無生物の間ぐらいのもの。
イキモノというほどの意思力すらなさそーな、増殖する情報体みたいなもの。
悪意もない、意図もない。
なにか創発のようなことはあるのかもしれないが。
免疫の弱った人体では増殖して害になるが、
紫外線やアルコール、ヨードなんかですぐ壊れる、か弱いもの。
ウィルスの実態と、人心を蝕む恐怖と混乱には乖離がある気がする。
よく分からないから、怖い。
怖い、恐怖というのは、心のなかでコントロールできない部分のことだ。
ニュースや噂や先入観や思い込みが、怖さを加速させる。
肥大した恐怖、不安、それが名前のない毒ってことかな。
ドラマだったら真実が明かされオチがついてスッキリするけど、
リアルではなかなかなー…。
プロパガンダ合戦の結果は教科書に載るだろうが、
本当に起こったことは何か、確かめようもない。
慎重に先入観をクリーニングし、直感することは可能だろうが、
第三者に証明する物証を得るのは無理だな。
失われたものは戻らないことだけが確かだ。
くりかえす過ちのその度に人はただ青い空の青さを知る。
恐怖や不安を野放しにしないことだ。
いつでも自分の人生は、自分の心は、自分の責任においてコントロールすべきもので、
そこが掴めれば自由自在がどんなものかも、同じだけ解る。
自分自身の主になるのなら、
誰も何も自分からなにかを奪うようなことはないと解る。
恐怖も混乱も不安もない、凪いだ心でいられる。
おれはハムエッグ挟んで食ってる
https://youtu.be/4IkLEmswL30
PSYCHO-PASSで一番好きな曲。
名前のない青
https://youtu.be/iybDlUqk9VE
映像研には手を出すなのエンディング曲
名前のない怪物は、
シビュラ、人が作り出した上位者のことでもありそうだけど、
抑圧された衝動や恐怖、目を逸らしている自分の中の醜い気持ち、そんな感じの何かだろうか。
名前のない青は、
行き場のなくて無軌道な、青春のやみくもな熱量みたいなものかな。
名前のない〇〇、というのはカッコいいネーミングだ。
あ、本屋で、名前のない猫って絵本が平積みされてたな。
以下ネタバレ注意で。
野良猫には自分の名前がない、
街中の猫達とその名前を紹介していく、
野良猫も自分の名前を探す。
雨の中、女の子と出会って名前をもらう。
「欲しかったのは名前より、名を呼んでくれる人だった」
そんな内容だった。
まぁ、ストーリーよりキャワイイ猫の絵を眺めるための絵本て感じだったけど。
対象の本質を直感し認識すること、
対象を自分のものにすること、と言えるかもな。
対象を過不足なく把握すること、
対象を自分の世界観のしかるべき場所に組み込むことだ。
ラベリングしてカテゴライズする。
名前のない〇〇、というのは、それが出来ないもの。
正体不明であるとか、
見ないようにしているものであるとか、
目を逸らしたくなるようなものであるとか、
まだ見たことのない新しいもの、未知のものであるとか、
大き過ぎて把握できないとか、
小さ過ぎて把握できないとか、
速過ぎて把握できないとか、
センサーの感度を超えているものであるとか。
自分の世界観のなかに納めるべき場所が見当たらないもの。
もし、その名前のない何かの本質を捉え、相応の名をつけることが出来たなら、
それはその分だけ自分の認識の世界、自分の世界観が少し広がった、大きくなったということではないだろうか。
ウィルスの性質を理解したなら治療法の見当がつくだろう。
抑圧した衝動を受け入れたなら、葛藤の苦しさがなくなるだろう。
恐怖や嫌悪も、どんな経験や感情からそれが生まれたか紐解けば、ぐっと軽減する。
やみくもな青春の情動を自覚したら、部活や興味あるものに打ち込めば、その中で昇華していける。
そんな感じ?
全巻読破いけるか…!?厳しいか…!?
とにかく絵が見やすいんだよなぁ。
女性作家でここまでバトル描写が上手な人って稀有。
ハガレンやマギ、結界師や鬼滅もバトルを描く女性作家だけど、
高橋留美子が一番何が起きてるか一目でわかって構図もキマッてると思う。
チャイナ服への嗜好を刷り込まれたのはらんまだな…。
衣装の凝りようは女性的な感性かもな。
らんまの服は男でも女でも魅力的なのスゴイ。
内容はまぁ、ラブコメなんだが。
新型コロナウィルス騒ぎから生まれたネットミームだが興味深い。
ウィキによると、
「私は海中に住むアマビエと申す者なり」と名乗り、
「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。
私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ。」
と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。
とある。
姿絵を見せよ、以上。
というのが興味深い。
姿絵を見せよ、さすれば救われようとか、さすれば病は癒えようとか、さすれば流行り病は鎮まろうとか、
そういう交換条件がないところがウケた要因な気がする。
神でも悪魔でも、宗教やネットワークビジネスの勧誘員でも、
そういう文脈で交換条件を持ち出してくる手合いは信用ならないものだ。
効き目があらわれなければすぐ不信や不満が出るし。
姿絵を見せたらどうなるかはアンノウンなわけだが、
モッコスやスプーのような
ネットスラングでいうところの邪神像的なヘタクソなラクガキ感のインパクトと面白さ、
元の絵が低クオリティゆえに
これを流行らせたことで何事かが起きたとしても、
良くも悪くも低クオリティなしょーもないことしか起きなさそうな安心感がある気がするww
アマビエ様かわいいよアマビエ様ww
罪のないブサかわいいものをフォローして共有することで、
辛い時を乗りきる連帯感になるなら悪くないと思う。
主戦場がツイッターなのはやっぱり時代だな。
このミームはどんな風に変化していくかな。
瞬間最大風速でいうなら現場猫超えてそうな気がするが。
アマビエ様は人口に膾炙し、人々の意識の中で急速に存在感を増し、力をつけている怪異なわけだが、
いかんせんそのイメージに恐怖や強者感がなさすぎる。
口裂け女やくねくねとは違って他害的な要素がない。
ワンパンで倒せそうな弱そーな外見だ。
コックリさんや各種おまじないのように、
縋りたくなるような超自然感、チート感もない。大したことはできなさそうだ。
ここまで無害そうでここまで流行った怪異のミームも珍しい。
ちっさいおっさんくらいかなー。
元イメージがウィキにあって固定されてるから、
ここから急に凶悪に変化していくってこともなさそう。
ノンフィクション自叙伝
【ゴミと呼ばれて刑務所の中の落ちこぼれ】
中学2年時に覚醒剤を覚え、17歳から45歳まで【少年院1回、刑務所8回、合計20年】獄中生活を繰り返した男だったが、ある出合いで生き方を180度変えて見事に更生した奇跡の一冊!!
楽天ブックス、アマゾンなら送料無料
詳しく聞きたい
千と千尋に大麻の謎掛け
https://gamp.ameblo.jp/monchan4933/entry-12224267880.html
千尋(小学生)でも買える医療大麻オイル
https://plaza.rakuten.co.jp/denkyupikaso/diary/202003240004/
続かないなら横レスしていいだろうか。
千尋が竜になったハクに乗るところで、
急に水中になるところがある。
DVDの表紙にもなってる場面だ。
タイムリープ説はそれのことじゃなかったかな。
過去回想なら、千尋が幼児になってないとオカシイと、
アニメの文脈に慣れてたらそうも思えるわけだ。
周回してる世界線の場面がフラッシュバックした描写に見えると。
でもまあ、地の文、神や視聴者の視点、三人称の過去回想ではなくて、
千尋自身が、竜に乗ったことで、
以前にも同じ経験をしたことがある、と、
過去の体感覚を思い出した場面ってことでいいんでないの?
一人称の過去回想だから、自己認識の像は変化しなかったと。
それでいいと思うんだが。
他にタイムリープに見えるような場面があったっけなぁ・・・。
それにまつわる糾弾の声やら
世の中は本当に色々な事が起こるなぁと思いました
ワニは100日目も4コマだと思って読み進めたので
あれ?あれ?まだ終わらない?
と思いながら13コマ目までを読んでしまいました
なので感動したとか余韻に浸ったとかではなく
「よく分からなかった」という感想でした
想像にお任せ系の結末が元々苦手なので
作者の考えを知りたかったです
龍使いのお母さんありがとうございます。
久しぶりにコロナ以外のしょーもないニュースで盛り上がって、
かえって平和を感じておりますww
日常って素晴らしい。
ずっとこんなしょーもないことをうだうだ話題にしていたいww
ワニ、時々見てたけど、よくわかんねえ・・・。
なんか、ゴールデンエッグスとか、ウサビッチとか、
ああいう系なんだろうかって気がしています。
アレ系のノリってよくわかんないんだよなー。
アレ系が好きって人ともいまひとつ分り合えないし・・・。
ジャージとサンダルでベルファイアとか乗って
ドンキとヴィレッジバンガードによくいる系のタイプと親和性が高そう。
偏見かなあ・・・。
ブラじゃないよ!大胸筋サポーターだよ!は面白かったけどね!
自分が思い出したのはコレですね。
バイク事故で亡くなった友達の遺体を囲んで記念撮影
https://newsbfc.com/2019/01/11/0002523/
こういう感性の人たちにウケてんのかなぁって。
偏見かなあ・・・。
https://youtu.be/KPhNaEksQnw
約束のネバーランド間限定配信!
https://youtu.be/KInsrkAkrD0
虚構推理 4/12まで期間限定イッキ見!
https://youtu.be/MGu6YxnH6ps
い、忙しいぜ・・・!
以下ネタバレー。
非戦闘員、サポート要員の隠(カクシ)部隊の人達が、
最終決戦で、もう戦える人は全員重傷で、
日の出だというのに肥大化してうごうご逃げだす無残に車でアタック、
逃げ道を塞ぐために数人でバス押してアタックしてるところで、
そういう台詞が出る。
一晩で何十人と殺した巨大な肉塊に、壁一枚隔てただけでアタックするのは怖いよな。
戦う心得もないし、普通に殺されるし食われるだろう。
でもどうしてもやらなきゃいけないときに、
みんな一緒だから怖くない、と
そういう掛け声で死地に突っ込めるメンタルは非常~に日本人的っていうかね…。
バンザイクリフとか特攻とか、とんでもない発想を実行できてしまう。
リーダーの産屋敷は逃げろと言ってたけど、現場ではそういう言葉で高揚して団結してる。
死地に生きてるから、遠くからの指令より現場のリアルに従うってことになるだろう。
付和雷同というとアレだが、
一億総火の玉になって死地に突っ込める、
なんかどっかにそういう精神性が眠ってるんだよな。
なんだろうねこれ?どこからそんなものがやってきてるんだろう。
コロナ疲れの心に優しく沁みるわあ・・・。
グランドマザー効果。おばあさん仮説っていうのを追加しといた。
生殖年齢を過ぎた女性が長く生きることが、人間の生存戦略にとってどう有利だったかという仮説だ。
たいていの生物は、生殖適齢期イコール寿命だからなー。
生殖適齢期過ぎて、何十年も生きることが、人間の生存戦略にとってどう有利だったかっていうと、
母が娘の子育てを支援すること、経験者のフォローがあることでより子育てが円滑にできるっていうか。
人間の子供はとにかく未熟で、手がかかるからなあ・・・。
これは人間に限らないと思う。
シャチやゾウでも年嵩のメスが群れのリーダーだというし、
ダーウィンが来たで見たんだけど、相島っていう島の猫は、母娘が共同で子育てしていた。
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=19373
娘が一人前になるまで、母が見守る。
娘の子育ても初めてじゃわからないことだらけだし、体調だって万全とはいえないだろう。
そんなとき頼れるグランドマザーがフォローしてくれたら、母も子も生存率、精神安定度ともに向上するんじゃないかっていう話だ。
母娘の関係性っていうのは、母息子の関係とは違って、一体化しやすく、またそれが実利になるという側面があるな。
母は優しいけど、まあ日々色々でキャパオーバー気味っていうか。
おばーちゃんの家はいつもきちんとしていて、余裕ありげで、
いろんな美味しいものを作って食べさせてくれたので、
子供なんてそれでイチコロwwwすぐ懐いちゃうwww
子供も、どちらかというと母方の祖母に懐きがちって話はある。
そりゃやっぱ、母が実家ではリラックスしてて、
義父母の前では良い嫁キャンペーンしてるからな。
子供としても父方の家では無意識に良い孫キャンペーンモードになりがち。
学童期の孫が祖父母に抱く親密性の関連要因
http://jarfn.jp/kikanshi/10-3/10_3_4.pdf
ま、傾向としてあるってことだ。
もちろん、それぞれの人間関係があるから一概には言えないことではある。
っつーても200PVくらいだけども。
はよトトロの記事も書かんとなー。
の孫娘ちゃんはヤな感じだが、
思春期の娘がばーちゃんの差し入れを煙たがる気持ちもわからないではない、というまとめ記事を見た。なるほど。
ニシンとカボチャのパイ、というのはどういうランクの料理なんだろーな。
スターゲイザーパイといえば、イギリス料理を嘲笑する定番のやつなわけだが。
デリバリーのジャンクなフードで友達とパーティしてるところに、
ばーちゃんが得意料理もってきたら…か、あー。
母方のばーちゃんは割とハイカラなものを食べさせてくれる人だったが、
父方のばーちゃんの料理は農家の定番だったなぁ。
ばーちゃんは何でもこなすプロ農家だった…。
まぁ、芋煮とか、筑前煮とか、治部煮とか、〇〇煮とか、自家製味噌に自家製糠床で漬けた各種お漬け物とか。
今ならその手間暇と受け継がれたものの貴重さをしみじみ思えるが、
若者のテンションがあがらない料理ってあるよね…。
だいたい魚より肉を欲してるし、
醤油で茶色い料理はパーティのオサレ度を損なうよね…。
漬け物の匂いはノーサンキューだよね…。
でもやっぱり、ばーちゃんが亡くなるとその味を惜しく思い出すもんなんだよ孫娘ちゃん…。
ニシンとカボチャのパイのレシピ、ちゃんと聞いとけよな!
キキとウルスラが顕在意識と無意識のペアなように、
サツキとメイがペルソナとシャドーの姉妹であるように、
孫娘もまた、キキの一側面でもあるのかもね。
素直で良い子のペルソナのキキと、反抗期のシャドーが孫娘ってか?
と学生の頃オタクの友人が熱弁しててマジキモいと思ってたが、その後駿がインタビューでそう言ってるのを読んだ
ごめんなイソムラ君
イソムラ君も真っ当に育っていれば、
きっとそんなことを熱く語った過去は黒歴史だろうから、早く忘れて差し上げろw
岡田何某みたいな進化をしていたらお察し。
駿のように作品に昇華できる者など万分の一よな。
初潮より、ラジオ聞きっぱなしや鏡のないことに誰も注目しないのが謎だ。
女性のマジックアイテムといえば手鏡や姿見やガラスの靴や棺だし、
スマホ中毒やゲーム脳が子供に悪影響だというのはよく言われている事なのにね。
生理、結婚、出産、子育て、いずれを経ても魔法を保つすべはある。
宮崎駿の描写する魔法の力とは、どんなものかってことだ。
呪文や魔方陣や魔道書、中世の錬金術のようなノウハウ的なものではなく、
直感や感覚、神託、啓示、自然との一体感に由来する古来のシャーマンや巫女の力に近いものだ。
完全に元に戻ってしまいました。
仕事のストレス、昨今のウイルスの世間の状況をもろに感じてしまって…。一度できたことができなくなる悲しさでいっぱいです…有象無象のものでも常に何か情報が入ってこないと気が済まないことがまたストレスに。
またスランプのキキ状態。自分はスランプじゃなくてもうダメってことなのかな、と思う最近です。
ありゃーオカ( ゚д゚)エリー
昔の人は言いました。
一日一歩、三日で三歩、
三歩進んで二歩下がる♪
ってね。
サンデーうぇぶりでブラックラグーンも三巻無料なんだけど、
「犬みたいに同じところをぐるぐる回ってろよ」というのを思い出した。
同じ苦しみに何度も戻ってきてしまうのは、
そこに原因が埋まってて、そこから首輪に紐がつながってるからだ。
愚かな犬のように杭のまわりをぐるぐるとまわって、こんがらがっていってしまう。
さぞや見たくないものが埋まってるだろうけど、
いい加減、掘り返すしかないってことだろうか・・・。
ノリだけに見えがちだけど、レヴィの心の問題に決着をつけるくだりは意外と正鵠を射ている。
ブラックラグーンはいわば現代の海賊稼業、乗員のレヴィはアメリカ系中国人。
スラムで育って、悪いことはなんでもやって、警官達に暴行されて、
キレイ事はなにも信じられなくなって、金と暴力と船の仲間だけを信じて生きている。
日本人のサラリーマンを成り行きで仲間に引き入れたのはいいものの、
普通に育ちのいいロックの価値観で自分を測られるとイラついてひどい暴力が出る。
ロックの主張は、運び屋の仕事以外で惨い小遣い稼ぎをするなという、至極当然のものだ。
行きがけの駄賃に人質さらって身代金要求したり、墓場泥棒とか、そういことをするなっていうだけ。
プロの悪党には悪党なりの矜持ってもんがあるわけだ。
それでレヴィは八つ当たりにばかすか銃を撃って大量殺人をやらかすし、
ロックにも仲間になれないとか帰れとか言って喧嘩をする。
しかし、問題はレヴィの心にある。船長のダッチには解っている。
「お前、どっちの側にいたいんだ?」とレヴィはロックに問うけど、
それはヤクザかカタギか、とか、キレイなほうかキタナイほうか、とか。
マトモな方か、マトモじゃない方か、とか、社会の表のほうか裏のほうか、
日の当たるほうか、日の当たらないほうか、メインストリームかアンダーグラウンドか、
そういう問いなんだろうけど。
結局、自分をヤクザでアンダーグラウンドで日の当たらないほうにいるんだと決めつけて、
日の当たるほうマトモな方を憎んでいるのは、レヴィ自身なんだよな。
自分はダメだと決めつけて、おキレイなものや正しいものに見下されているように感じて、苦しみが募る。
それを、独り芝居だ、悲劇のヒロインぶって、犬のように同じところを回ってると散々に看破されるわけだww
ダッチや他の登場人物は、別にカタギにコンプレックスなどなさそうだ。
自分の人生がアウトローなものになったことを、クソみたいな世界を、誰のせいでもなく受け入れ、
その世界のルールのなかで生業をもって生き抜いている。そういうところがクールだ。
ロックは「俺は、俺の立っている場所にいる。」と答える。
世の中には色んな尺度があるし、それを否定するわけではないけど、
他人の定規で自分を計っていちいち落ち込むなんて馬鹿らしい、そういうことじゃないかな。
二週間くらい休んじゃえばいいのに。
本当は、キキのように何にも持たないで森に行けたらそれが一番というもの。
リゾートについてのアルさんの記事。
http://allwise-song.blogspot.com/2015/05/resort.html
「リゾート」という言葉があるのですが、
語源は
「リ:re」「ソート:sort」(並び替え)
らしいです。
本来人間はリゾートが必要な生き物です。
自分を見つめ直し、
自分と向き合う時間のことです。
これは最低7日間、1週間を要します。
自分のことだけを労って
見つめ直してあげる時間が1週間必要、ということです。
できればその間は家事などの要件も頭から除外できるのが理想的なので、
自分を知る人がいないホテルなんかに泊まったりするといいと思います。
しかし日本の企業の「夏休み」のように1週間しかないと、
日々を負われていた方がいきなり夏休み開始から終了まで
何も考えず過ごすことは難しいかもしれません。
実際きちんと見つめ直しを行えている方の夏休み期間というのは
1~2ヶ月のようです。
転職の機会があった際など、時間が作れるときや、
進めないほどに迷われたときなどには一度立ち止まってみて
ご自分と向き合ってみる時間を作ってみるのもいいと思います。
あなたが心から「したい」と思うことを、
あなたがあなたで居られる、あなただけの事柄を見つけて欲しいです。
ぜひリゾートして、ご自分のしたいことを探して、見付けてみて下さい。
台風が近づくと田畑の様子を見に行っちゃうアレですかね
コロナで息子の高校も休業になったので
平日は早起きしてお弁当を作る必要が無くなり
土日も部活が無いので朝は自然に起きるまで寝ていて
毎日コロナ対策で日付が変わる前に寝る習慣になって
睡眠時間たっぷりの健康的な日々を過ごしています
私も夫もいつ濃厚接触者になっても不思議では無い
仕事なので安全ではありませんが
そんな毎日の中で先日も書きましたが週末の朝は
何故か毎週嫌な夢を見ながら目が覚めます
人を殺したり埋めたり警察から逃げたり
昔の知り合いに偶然再開し声を掛けたら無視されたり
その事を息子に話すと登場人物や場所を聞かれたので
基本的に嫌な夢は家族すら知らない顔の人達だし
住む家も街もまったく知らない場所や光景だと話すと
それはパラレルワールドを見ているのではないか?
と息子は考察していました
分岐点を違う方向に進んでいたらどうなっていたのか
夢が見せてくれているのではないか?と
なるほど、そう考えると面白いし今が幸せだと思える
嫌な夢を見るのも怖くなくなりそうです
ありがとうございます、と言いつつ伝わってない感w
自粛ムードとは恐ろしいものよ。
森へ行くとか、リゾートへ行くってのは比喩でもある。
たとえ海や温泉や森林やホテルに行っても、物見遊山して遊んでるんじゃダメなんですよww
もうなんなら、禅寺に行くとか、滝行に行くというほうがイメージとして近いかも。
まず第一に、自分のための時間を用意するってことだ。
自分と向き合い、見つけ、見い出すめの、
生まれなおすための、それだけの時間と、
いわばそういうセレモニー(儀式)のための、
心を整えられる静謐で特別な場へ赴くか、用意すること。
だから、場を変えるというのは手段だ。
不要不急の外出をするなというなら、まあ自宅でもいい。
ただ、煮詰まってしまった環境がそのままっていうのがあんまりね。
自室には、雑音が多すぎる。
仕事の資料や、過去の記録や趣味のものや、捨てそびれているモノであふれている。
そんな場所で、生まれなおしのセレモニーをしようというのはイマヒトツだ。
可能な限り、それこそホテルの部屋か風呂のように、なにもない場所が好ましいと思う。
自室でやるなら、目につくものは段ボールにでもしまって、
四方をシーツで覆って真っ白な空間でも作るのが簡易でいいかなあ。
昔の田舎の家みたいに、冠婚葬祭で使えるような座敷があるならそれもいい場所だ。
まあ、二週間とか本腰入れて学び変わろうとするなら、そういうことも必要になる。
日々風呂でやってるから、自分はそれでいいけど。
でも思い返してみれば自分も、
瞑想法を教えてもらって理解できた場所は、道場か多目的ホールみたいなとこだったよ。
実は人間って、
乱世とか戦時とか非常時とかほど活き活きするタイプっていうのも一定数いるんだよね。
色んなバリエーションの人間がいることが、人類の生存戦略だからさ・・・。
自粛ムードだから声高に言わないけど、これを機に人生が好転してる人もいるはずなんだ。
震災のときも数年たってからぽつぽつと、そういう話があった。
今思い出したのはコレww
https://matome.naver.jp/odai/2153539338623012701
世の中が暗いからって、自分の人生まで暗いかどうかは決まっていない。
平時は気がつけなかったものが見えたり、死中に活路を見出すこともあるだろう。
変化の時をどう生きるか、それはいつだって問われる可能性のあることだ。
ちなみに雇われでもないしボッチでインドア派の自分は、びっくりするほど平常運転ww
>>585の「非常時とかほど活き活きするタイプ」という
一文に台風の時に用水路に落ちてしまうお年寄りが
思い浮かんでしまって
こちらこそすみません。
それは活き活きしてるというのだろうかw
落ちてるってことはあかんやつですなww
例をあげたいけど、いつか読んだあの本はなんだったか…、
なんか第二次大戦とかの日本兵の手記みたいな本で、
慣れない戦地に派兵されて敗色濃厚な重い空気の中で、
徴兵されてきた農家の次男三男とか、
平時なら、うだつの上がらないなりに普通に暮らしてたはずの人の中に、
時々思いもよらない戦闘能力や工夫やサバイバル精神を発揮する人がいて、
そりゃもちろん非常時なんかにならないほうがいいけど、
でも眠っている人間の可能性ってものが目覚めるってこともあるんだなと。
平時に穏当に伸びて力を発揮するタイプと
乱世、トラブル時にこそ、運勢が味方して力を発揮するタイプがいるっていう。
まぁ、占星術とかでみる人の宿命や運勢の類、オカルト話です。
算命学の純濁法とか。
凍り付いた私の心にはもう届かないつまらないだけの倍々ゲーム敗北欲
それが最後の勝利だと信じた暗闇根暗なのに
その理想への力みに精神は耐える意欲、微塵もねえや
現実へとすり替えられた理想そのものの代償
ジレンマが唯一あり得る化学反応は、科学反応などではなかった
あり得ない科学反応だけが、化学反応として唯一ほんものに機能した
捕まえられにくくしたいなんてクソくらえ
切られる人間に気持ち感覚では行かないようにしたい誤魔化したい
自惚れどうせ誰もがために追い込めば更に力んだ方が効果的だと本能は暴走するけど理性で弛緩
最初から独りよがりなのに運命とすらもジレンマでもそれだけがもはや最善の化学反応を舐めてんだろ
浅はかに甘く柔らかく優しい光に温められる幸福を絶頂だと勘違いしてたエムっけ
次々と散っていく今あなたを無事でいてほしいと願う命がある
あの人のおかげで私は途切れずに生きられたから
でもそうではないと思える自分を作って自由に自惚れていたい
勘違いを相変わらずしてやっとけなれる
世界は1のペースで走らないといけないけどな
それとは違う自分が、ジレンマを化学反応させるから
私とあなたの話はそんなふうに話を聞いてくれたオーマイガー
杞憂が同情の黒だけ見てっと不可避は脱力で抜き交わし不恰好こそ反射速度良好
苦しみに耐えることが糧だと力む向上の対義語
楽観纏う楽をコトワリの奥義で数珠繋ぎヒトは骨火とは心臓
ならせない誰からも全てから切られない人間回り回るのは成功の負けに反したい
ああ各々でやって奴隷なんて一切やらない誇りなんて例外だから異なる
空は破壊残る結晶を答えに宿し追い付けない速度と景色
応用は罠との掛け合い芳しいカガクハンノウ
もう別になんもあてにしないフリマワサレルのをまたやめとこ
首輪で飼うけどその人もその人のお母さんと妹さんもさんざん未練話を聞かされた前の彼女も
多少盛っているだろうけどその他何十人だかも
一筋縄では行かないようにしたい誤魔化したい
自惚れたいどうせ誰もがどうか皆無事だといい格好で己を裏切りてえんだよどうすんだ
最後尾ほど支えは消える自力は不可能な安楽を選べて最期の幸福
特に医師のお母さんがもう高齢のはずだから横殴り、死角の罠に愛嬌リソウは受け身と受け流し脱力のチカラは地からと主に重心
破滅はもうその人でも今でもあなた闘っておさらばの方がいいだろ
ネガティブしか楽観に足元すくわれる最期だけはそれは嫌みたいだしな、俺の本能
散々甘く見積もってきた人生には声が届く空が炎を忘れさせ
心臓から沸き上がる鼓動に不思議なようでいてどんなにかありがたい水音
波打ち際にいつも一人で、人の命が嘘みたいに日々かと思う
どうにか乗り越えて生きていかなければ違うやろうけど、意外と近い意外と話せるから、昔よりも信頼しちゃって歩いていた海辺の風景
少しだけ心が動くその可能性はどんな気持ちな本当のそうなってる人に失礼だな
感情が腐りかけかよ
そうだなあ、いま害敵だな流行してるやつ丁寧になんて語らねえ特有の免疫の構築早めと
大勢の防壁してみろよ爆発あきらめは開き直りを生むんだよ
突如として灯火が消されることより覚悟しながら闘うだけ最期だけは最悪なってまだまだ
あの年のワンチームを今度はこのガラパゴスで多少の暴走も
不可避のブレーキも可能な生物から先陣きって世界を運転しよう
過去に経験のない難局でもきっと道を作っていくの
見えない分からないことだらけそれでも
相変わらず何もわからないが、
読んでると妙に語呂がいいところがあって草
倍々ゲーム敗北欲とか、普通思いつかないリズミカルな感じで気に入ったww
最後の数行あたり、なんとなく現状から希望を目指してる感じもする。そういう締め方は好きだ。
意味が通るような通らないような文を、
こんだけ長く書けって言われても到底できる気がしないし、
本人の内ではなんかの整合性があるんだろうなぁ。
夢の中で思うことを文章にしたらこういう感じだろうか?
今になってわかったけど
スウィフトのガリバー旅行記と、インドの叙情詩ラーマヤーナか。
まぁ有名どころの古典ではあるよね。
そういうミーム、既存のイメージ、普遍的なものを適度に引用できることも大事よな。
それだけで結構カッコついたりするしw
もうジブリや駿作品自体がミームになって各所で引用されてたりするしな。
ファンタジーな風景みたら、みんなすぐジブリみた~いって言うし、
今期アニメの映像研には手を出すな!で、未来少年コナンが主人公の原風景になっていたw
ちなみに、インドラの矢で示唆されている元ネタ、
ラーマヤーナにはもろシータとかドーラとか、出てくる。
筋書きもまあだいたい、さらわれた王女シーターを助けに行くっていう話だ。
ドーラが主人公に協力する役なのもそうだ。
ラーマヤーナの主人公はラーマという名前だが、
ラーマヤーナにはラーマより人気のあるキャラ、孫悟空の原型となる猿神ハヌマーンも登場する。
ハヌマーンもラーマの協力者だ。
ハヌマーン
ハヌー
ハスー
パズー
・・・かなって今思った。
パズーってどこから発想したのかわかんない、不思議な響きの名前だもんな。
ムスカの役にあたるのはラーヴァナだが、これはどうやっても繋がらなさそうな音だなー。
ムスカってどこから来た名前なんだろう。レプカっていうのもそうだけど、
耳馴染みのない響きだよなあ。
未来少年コナンの原作になった小説ではレプコっていう登場人物がいるらしい。
アレクサンダー・ケイ「残された人々」だって。
音楽業界はライブが軒並み中止だし、もっとも顕著な危機感のある生業のひとつだよなー。
SKYHIはまだしも印税とか楽曲の権利収入があるだろうが、
フリーのDJやライブハウス経営者は収入のアテがなくなってる。
世界は変わってしまった。
政府に保証を求めるとか声をあげることも大事だけど、
いつか以前の日常が戻ると信じることも大切だけど、
変わってしまった世界を受け入れて、
そこで自分たちがどう生き残るか、考えていかないとなーって、
そんな事を言いたいようだった。
まあ具体的には有料配信とかから始めることになるだろうが、
まずその意識改革を見倣いたいと思った。
自粛で自宅待機だからこそできることをしようって、
自宅でレコーディングとかの作業をしてるらしい。
今はパソコンを中心に、色んな機材を個人でもそれなりに揃えられる時代だからな。
悪いことばっかりじゃない。外に働きに出て外貨を得ることも大事だけど、
自分の内面から湧くものを、価値あるものにしていけるなら、それも同じだけ大事だ。
自分も、文章を書くのにもそれなりに慣れたし、
ブログの次は電子書籍かプリントオンデマンド出版でもしてみようか。
ブログが一銭にもなってないのに無謀かよwww
福田孝行(在日)→山口県光市母子強姦殺害
畠山鈴香(在日)→秋田県児童殺害
長谷部泰輔→林瑞枝さんスーツケース詰め殺人 小中高と創価学園
三橋香織→夫バラバラ殺人
三宅正信(在日)→ペッパーランチ強姦 創価大学卒
北山大輔→ペッパーランチ強姦
宅間守 (在日)→大阪 附属池田小学校児童殺傷 両親も創価学会員
東慎一郎(在日) →酒鬼薔薇聖斗 神戸の首切り
小原保 →村越吉展ちゃん誘拐殺人事件
林真須美(在日) →和歌山毒入りカレー事件 4人毒殺 63人が負傷
織原城二(金聖鐘)→神奈川 帰化人、外国人女性を強姦バラバラ殺人
澤地和夫(元警官)→山中湖連続殺人事件・創価学会前原支部総会で体験発表
関根元(在日) →埼玉愛犬家連続殺人犯 4人を殺害
丘崎誠人→奈良連続強姦 事件 (在日朝鮮人)
金大根 →在日韓国人の強姦魔 連続児童虐待暴行殺人 6名の女児死亡
李昇一 →在日韓国人 東京 テレビ「ガキの使い」関係者を名乗り少女140人を強姦
沈週一 →在日韓国人 鳥取 大阪 和歌山 9人を強姦
張今朝 →在日韓国人 長野 「一緒に猫を探して」と小学校4年の女児を強姦
ぺ・ソンテ →在日韓国人 横浜 女子小学生14人を強姦
宋治悦 →在日韓国人 東京 主婦19人を強姦
創価学会副支部長・木村昌幸 →強制猥褻事件
創価学会地区部長・谷口博司→迷惑電話3000回で実刑判決
創価大学卒・嘉村英二→NTTドコモ事件 福原由紀子さんに対する集団ストーカー事件で実刑判決
公明党江戸川区議・松本弘芳(江戸川区文教委員)→児童売春で実刑判決
ずっと同じ教室で着替えてたし意識する方が変みたいな空気だった
が、急にドア開けて様子見に来る担任はエロ目的だったなと今はわかる
日差しが暖かくて花は咲いてて、
生きてるものが目覚めて活動し始める気配に満ちてる。
春はいいよなぁとか思いつつ、
買い出しに久々にショッピングモールまで出かけたら、
なんかスゲー鬱な気分に襲われた。
突然自分はダメなんだ死んだほうがマシだという衝動がきた。
なんだったのあれ。
0感だけど霊体験?とか思ったけど、
桜が気持ちよかったから、アンテナオープン感度MAXにしてて、
それで不特定多数の人の色んな想いで渦巻いてる場所に行ったから、
コロナで鬱った毒電波でもキャッチしたのだろうか。
クリーニングの手順ですぐ消えたのも不思議といえば不思議。
あらゆる能力は諸刃の刃だからな。
瞑想とか能力開発とかするほど、感度が良くなって共感能力も上がるだろうけど、
その辺を漂うムードをなんでもキャッチしてたら当然、生き難くなる。
PSYCHO-PASS三期のアラタ監視官みたいに、
観察や直感に優れてるけど、犯罪係数の高い人や記憶に同調してすぐぶっ倒れる人っていうのは、そういう事を示唆してると思う。
あれはとても危ない。
アンテナを閉じる方法か、
不要な情報を受け流したり、リリースする方法の習得、
メンタルケアのテクニックが重要になる。
不特定多数のダウナーなムードをキャッチしただけなのに、
それを真に受けて、自分を責めたりするハメになる。不毛だ。
今のように世の中全体が重苦しいとき、半端に感度がいい人では生き辛いと思う。
日本の普通でいう優しい人とか気がきく人っていうのは、だいたいそんなくらいなんだよな…。
どうしたものか。
いっそ他人の気持ちにも自分の気持ちにも鈍く疎い、三次元の低位レベルの人の方が生き易くはある。
あるいは、浮き沈みする気持ちになどもはや振り回されない境地まで行った人か。
あるいは世捨て人のように、人の想念が渦巻く俗世を離れて自然にだけ心を開くとか。
しかしまぁ、退化するよりは成長したいのが人間というもの。
折角開発したアヤシイ能力、何事も捗るインスピ力を手放してなるものか。
なにを拾っても、せっせと色即是空するのみ。
イハレアカラ・ヒューレンもそんなこと言ってたな。
なにが見えてもなにを感じても、とにかくまずクリーニングして下さいって。
癖というか、習慣づけて、いつでもすぐメソッドを使えるものにしておくってことか。
閉じる方法ってどうやるんだろうなー。
心を閉じる、自分には関係ないって強く思い込めば、アンテナの感度は落ちると思うけど。
そういう暗示をかけるのかな。
先に方法を書いとくと、
膨大な情報を頭と心に送る。好きなのは、歴史や宇宙、自然界とか哲学とか、知的で壮大な文章。
簡易版ならそういう無機質な画像を見るとか。マイ壁紙はもっぱら水と宇宙だし。
自分はネットの長文でもわりとイケるし、
それなりに面白く読めて心を俯瞰状態にできれば、信憑性の薄いWikiとかでも自分はOK。
けど、フィクションや文学は悪化する場合があるので、あんま好きじゃないし人にオススメできない。
いいものはいいかもしんないけどね。
作品との相性があるし、かなり精神状態に左右されるし、精神汚染が進んだりする。
特に登場人物の気持ちがダイレクトに伝わってくる作品や媒体(映像作品とか)は危ない。
文字だけでも見ず知らずの大人を洗脳できたりするし。
文系の文は少なからず人の感情をクローズしてるから、心を(変に)刺激しやすい。
逆に理系は、そういうものは極力とっ払ってある。
これやると頭空っぽになって、俯瞰とか空中浮遊の感覚やイメージで、地に足がついてないフワフワした心地になる
意識が膨張つーか拡がる気がする。心を閉じるのの逆かもしんない。
クローズで見てたものが、ロング(引き)で見てる感じ
(ここら辺が言いたかった)
小さい頃からフィクションの本が好きで、こういう感覚には慣れっこなんだけど、人によってはすさまじい恐怖なのかな?
2キャッチしたものをリリースする
それとミュトスさんのメソッドだと
3チューニングを変える
ってことかな。
卑近な感情のムード、低い周波数から、
高度な法や、もっと大きな時間のスパン、高い周波数へ、
自分が同調する波動のチューニングを変える。
なるほどそれも良いね
どんどん俯瞰のスケールが大きくなっていく動画。
https://youtu.be/jM02C3uSBXY
自分のメソッドにもこういうイメージのターンがある。
自分を越え、家系や種を越え、地球を越え、
星々を越え、神々を越え、法を越えて、
始原に、空に、0に、無限に至る。
みたいな。
大量の情報でオーバーフローを誘発するのも良い方法だと思う。
海の幽霊の動画を見てるときは慣れるまでそんな感じがしてたな。
でもナマの文章でやろうと思ったことはなかったなー。
やっぱり人によって得意なことや発想が違うのが面白い。
そういえば脳の認知には優位感覚ってのがあるらしく、
視覚(映像)タイプと、聴覚(言語)タイプと、身体感覚タイプがある。
https://globo-site.com/nou-no-kuse/
自分はもろ視覚タイプで、瞑想導入も視覚イメージの割合が高いな、そういえば。
ミュトスさんは聴覚(言語)タイプだったりするのだろうか。
これも多分、バランスがいいのが理想なんだろうな~。
視覚に偏らないよう、他の感覚をより使ったイメージも考えてみるかあ。
あー、結論からいうと、聴覚は最低優位な気がするんだよ
っていうのも、自分はAPD(聴覚情報処理障害)やADHD(発達障害の一種)なのかも?と疑ったことがある。てかわりと今も。
これ誰かに言うの初めてなんだけどね。
医者に行ってないからド素人のネット診断超乙なんだけど。
知りたかったら検索してもらうとして、要するに脳の障害。
聴覚は正常だが、脳が聴覚情報を正常に処理できない。
聴覚検査に引っかからないから無自覚だけど、社会進出した時とかに心折れたりするらしい。
具体的には電話苦手、口頭指示忘れる、聞きながらメモとれない、自分だけ聞き取れないetc
そうでなくても、普段視覚優位を実感することが多いかなー
リンク先もすごく面白いな、身体感覚優位は知らなかったし。
ミュトスさんありがとうございます。
そっかー。
「ただいちばんのさいわいに至るために、いろいろなかなしみもみんなおぼしめしです。」
銀河鉄道の夜、最近読みなおして気になった言葉。
ただまぁ、以前神話の登場人物のリストを作ってるって言ってたなーと思って。
リストや系図を作って頭を整頓するのは聴覚優位の人がよく行う情報処理なんだって。
聴覚的インプットにトラブルがあっても、
脳内処理やアウトプットが聴覚優位的ってことはあるかもしれない?
いや自分もあんまり詳しいわけではないけど。
中庸は理想だけど、偏らなくては進めない。
能力が偏っていることも、推進力となり得るはずだ。
今の学校教育てのは、軍事教練が元になってて、
兵士てのは平均な出来であるのが使う側にとって都合がいい。
だから学校教育にも社会にも、平均的な人間を求める同調圧力みたいなもんがあるけど、
それは、人という種の保存の戦略からいうとそぐわない。
あらゆる可能性を試行し、生き延びるための方法を総当たりで模索する。
それが種の指向で、
種の指向のほうが、社会の指向よりずっと上位だ。
種の規模は人類史と同じ何万年とかのスケールで、
社会や国の規模はうまくいっても三百年くらいだ。
だから、種の指向によって平均値から外れた人がたくさん生まれる。
それを社会の規範方向に矯正しようとするのは、はっきり言ってリソースの無駄ではなかろうか。
と、そんな風に思ったよ。
スケールの比較をする思考って面白いね。
社会の先細り感や行き詰まり感、少子高齢化とか、
種の指向と社会の指向の不一致や齟齬によって起きている可能性が…?
あるかもなぁ。
そのものの本来の在り方とあまりにそぐわないと、淘汰されるのもまた自然よな。
どちらも目や耳の感覚機能には異常がなくて、
脳の認識の時点で、感知した対象の意味するところが分からない、みたいなことだと思うんだが。
ディスレクシアの有名人てのは結構いる。
キアヌリーブスとかトムクルーズとかミッツマングローブとかw
脳の配線が少し違うだけ。
それは人間のバリエーションのひとつだという。
まぁ、平均を求める価値観に迎合しようとすれば苦しみになるというのは、そうだろうけど。
他人の定規で自分を測って落ち込むのはもう懲り懲りだ。
「俺は、俺が立っているところにいる。それ以外のどこでもない。」
真面目なサラリーマンがトラブルに巻き込まれて、
上司に尊い犠牲扱いで見捨てられて、
もう死んだ気になって無茶苦茶して、
それでも意外と生きてて、
南海で海賊でもやってくくらい開き直れれば、
そんなクールな事も言えるようになるだろうね。
でもよく解る。
自分も、もう誰に見捨てらようと関係なく生きていけるだろう。
この世界が砂漠だろうが腐海だろうが地獄だろうが、そこにさいわいを見出せるだろう。
だって自分が立ってるところが、自分の心の真中が、世界の中心だからだ。
その話覚えててくれたのかよ!
あー視覚的だから視覚の方だと思い込んでたわ
リズミカルとか、朗読したくなる文章とかは好きかも?
リンク読み返したらよく分かんなくなってきた…身体感覚優位かな
おもしろい題材だからボチボチ知っていけばいいんだろうね
医学ド素人の自己解釈だけど、脳の配線てのは、コードでガッチリと結ばれたようなものじゃないらしい
各々(細胞?神経?ニューロン?)にはちょっとずつ隙間があって、脳内物質をキャッチボールし合ってる感じ
これはつまり不安定で、何かがうまく分泌されなかったり、情報をキャッチしそこなう場合があるが、
変化や応用に富むんだそうだ。だから種や生物の長い目で見れば優れたことだと
脳の一部を失ったけど支障ありません、みたいなケースがたまにあるけど。
自分は耳もそうだけど、探してるものがそこにあっても気付かないことが普通にあるから、感覚機能と脳機能は別という意識はあったな。病気や障害認定されない場合も含めてね
生物はけっこうバグ起こすナマモノだけど、変化できる余地を与えられたってことだもんなあ
整理整頓とか均一的っていうのも美しいんだけどね。つい最近メモの整理が終わって超気持ちいい~
有名人でも簡単(と思われてる)読み書きや計算ができない人、たまに聞くし
識字障害もそんな感じなのかなー聞いたことあったけど手つかずだったわ
前に共感覚の話聞いたときも、自分に近いんだと知って、少し異なる感覚を想像できて面白かったなあ(どんな話か忘れちまったがw)
そのサラリーバイキングすごいなw自分はまだそこに至れてないかなー
どんな定規があるのか知るのも、世界が拡がって好きなんだよ
うっすー。
その話、神話の系図を作っている話。
妙なことに楽しみを見出す人だと思ったから覚えてるww
自分にはそんな発想はないし、
その作業を楽しめる気もしないww
でもそういう人もいるよね。
本に色んな表が載ってるのをなんとなく眺めるけど、
ああいうのを嬉々として作ってる人がいるかもってのは想像したことなかったね。
人の数だけ楽しみが、
人の数だけ価値観が、定規がある。
それを知るのは確かに面白いことだ。
理解できるとは限らないがw
未知があるほど世界が広がって
様々な価値観があるほど、種としての人類は柔軟になって恒常性を獲得するわけで。
「この人はどんな定規を持ってるんだろう?」って想像したりすることは、
最も傲慢で、最悪な侮辱である、ということは、常に忘れないでいたい
名探偵が偉そうに推理や説教するのがムカつく奴は多いだろうw
耳が痛ぇw
なんでも俎上にのせて好きなように切り分けて遊んでしまうからな。
もはやこれはカルマww逃れ得ぬ業ww
言葉はありとあらゆる可能性を特定の性質に切り分けるナイフ。
自分たちの都合のいいように世界を刻む道具。
言葉を知りながら、それを捨て、
ありのままに世界を受け入れる。
どちらも出来ないと、いつか行き詰まってしまう。
…のは解っているものの、
優しくなるのは一朝一夕とはいかない道のりです。
未来の俺?ってくらい他人とは思えなくてなー
ある月9ドラマの主人公は、テキトーに物が置かれてると整頓して背の順に並べたがる几帳面な奴だった。
元汚部屋住人だけどちょっとわかるわーw自分はマイクロソフト大して活用できないけど、玄人は美しい図を作るだろうし
>>611 は「みんな仲よく」とかと似た綺麗事だけど、知らないことを知る快感に酔っちゃって忘れちゃうんだよなー
それと100%理解できないことは絶対に存在するってことも。
個人的に重要なのはそういった認識の有無だから、これらに反しても悪とは思わないけど。
無自覚は怖い。
ピリアさんはそこらへん分かってやってるし、言わずとも分かってるだろうから、
どっちかっていうとそれ以外の人に向けたものだけどね。
優位感覚チェックやってみたけどこれ成果ないな…ほとんどが「全てorどれでもない」なんだもんTT
理解が掘り下がるまでしばらく待機か
あとエクセルで絵を描く奴は間違いなくド変態だ(歓喜)
長いことお付き合い頂いて、他人とは思えないのはこちらも同様です。
ありがとうございます。
名探偵や説教パンチはムカつくこともあるけど、
犯人や悪役にしてみればアプローチであり救済でもあるとも思う。
向き合ってくれる相手、対話の相手だ。
犯罪はやっちゃなんねえけど、
それもひとつの自己の表現、認識の表現ではある。
怒りの表現として人を害したり、
優越の表現として人を害したり。
もし表現したことに対して、誰も反応してくれなかったら、
それがどんなことなのか知ることもできないっつーか。
鬼滅最新話で、とうとう無惨の内面に変化があった。
鬼狩りの人間達が何百年と追っかけて、
一晩かけて殴り合って殴り合って、
そこまでしてようやく、
今まで何千人殺してもなんの痛痒も感じなかった幼い魂が、
自分と同格の他者というものを認識することができた。
まぁ、ほんと小さな一歩だったけど、
そんなことを百年もかけて学ぶこともある。
そんな当たり前のことを百年もかけてぶん殴って教えやらないといけないこともある。
名探偵と犯罪者は、互いの思考をトレースする。
それは相手を理解するってことだよな。
無惨だけは絶対許さないマンだった炭治郎が、
嫌でも無惨の想いを受け継ぐ展開になったのは自分的に胸アツだ。
ああなっては、無知ゆえの惨虐を許すほかないと思う。
炭治郎の優しさに期待してる。
もし無惨が言ったように、
鬼が人を食うのを天災と同様としてスルー、
触らぬ神に祟りなし、で放っておいたら、
無惨は朽ち果てるまであの思想のまま成長することはなかったのだろう。それも薄ら寒い話だ。
犯人も、名探偵によって犯行が暴かれなかったら、
更なる罪を重ねて危険な思想を強化するとか、
年月が経つうちに自責の念によって自滅とかしたかもしれない。
犯人が名探偵に追い詰められて自白する場面は、
自己の内面を人に聞いてもらう癒しになってるとも思う。
結局そういうやつらって、
一人だけで思い詰めるからろくでもないことするんだよな。
大抵の悩み苦しみは、言葉にして外に出せれば、認識できれば、それでだいたい解決みたいなもんだって。
その偏り具合も人によりけりだ。
例えるなら、
脳にインストールされてるどのソフトをよく立ち上げてるかってことなんじゃないかと思う。
ネットからある資料をダウンロードする時に、
ワードで開くか、エクセルで開くか、パワポで開くか。
よく使ってるソフトがオートで選ばれる。
そういう設定になってるようなものではなかろうか。
資料を作る時に、どのソフトを選択するかもそうだ。
使い慣れた得意なソフトを選びがち。
どのソフトも満遍なく扱える人もいれば、
あるソフトにだけ特化しちゃった人もいる。
絵を描くなら普通はフォトショが候補だろうが、
エクセルでぽちぽちやってドット絵を描いちゃう変態もいる。
ソフトの製作者すら意図しない可能性がユーザーに発掘されることがあるw
視覚映像ソフトにしろ、聴覚言語ソフトにしろ、身体感覚ソフトにしろ、
それは基本ははじめからインストールされているもので、
どれをよく使って伸ばしたりアップデートしていくかはユーザー次第ってことなんだろう。
ちなみにエクセルもパワポもとんと分からぬ。
パックで入ってるけど、最初の調整すらしてなくて、
パワポですりゃいいようなことをイラストレーターでやって、
エクセルでやりゃいいようなことをワードでやっている。
脳の処理でそういう非効率をやってると発達障害とか言われちゃうんだろうなww
だけど現実の地図には嫌でもそれらが蔓延ってたでもね、今ね思惑は信念では信じられる真実だ
裏切られて期待過剰は完璧主義が落っことした産物幻想の未熟さすら何かに対し呪いたかっただけだろう
わかって裏切られてなど最初から期待通りでも期待通りすぎて逆にショックだったんだろう
その手に乗りつまらないと信じてたから実際はつまらないだから何だつまらないなら無理だろう
それでもそこはつまらないまんまでいいわけがそう自分がどう思うかだ
さじ加減が利かなくなってるその瞬間細すぎて見えない時間の狭間に常に飛び込んでいこう
心は気持ちはポジティブしか選べないように残して悲鳴が聴こえているかのよう
できるだけ合わせない自分だけが誰にも合わせずに選ぶ常に主導権自分自身も支配されている
瞳の先のもの全てに敵か判断トリックを解き運命の最初をいつでも何回でも始めるだけ
怒りに近いけど怒りでは絶対に単なる心の真実
不確定要素を浴びすぎた未知へと変貌しすぎてる
もはや逆にチャンスだ、これはどうだ、嫌でも開き直る事以外に破綻しまさかの逆転現象の運命理想への回避は現実ではなく逃げ場は理想へと逆転現実は過去のものとなる
理想は未来のものだけのものとなる定石を見逃した過去の後悔と未知の現実には譲らない、今の理想からの感覚が分岐点だよ
最善を辿ろうとやって行く他に踏み出してお前だって一歩が千歩になる事だって最後静かに浪費する日々
穏やかに肥大する劣等狭まっていく視界と上塗られる人間性背けては空を仰ぎ、都度光に当てられて俯いている
だから見えなかったいやあまりに当たり前にそこにいたからそれが常だと錯覚していたから
温優しさが、一つの自分が生まれてきたという意味を抱えたまま、また背負うことを傷つき、倒れては涙することを
繰り返して進んでいくその様を君に残るのはいつも静寂と寂しさその後味を味わうためだけに
重ねている気さえ何一つの汚れもなくいられたらどこかで判断を変えて大きく未来を変えることができた?
人知れず悲しんだり涙したり誰にも邪魔されずにいたい
寂しさを感じ答えのなさを彷徨うでもない誰かでしかない自分を
また歩き続けるそんな旅行も心配して、早く流れを変えないお前でいてほしい所から日々に誤りなどもう見つけもしない
究極かどうかわからないそんなことくらい単なる自分次第だイメージが身体の中に入ってくる
それが、理想という正体
身体を視て操を絶対につけないその感覚だけは、絶対に自分自身を裏切れない
絶対に自分自身に嘘を全てが窮地であろうとも必ず朽ち果ていくことを知って
そこまですらできないこの瞬間瞬間だから誰にも理想という本物の感覚を照らし合わせる本物を見逃さない
ムードとしては上向いてきているのに、
まったく意味がわからない羅列的な文体が、こうも一貫してくるとは予想外の展開。
AIによる自動生成とかなら、もう少し学習の跡らしきものが見えてくるような気もするんだよなー。
学習やコミニュケーションの意図はなくて、
言語優位の配線がバグった脳内を表現している感じなのだろうか。
意思疎通ができないほど常からかけ離れた感性というのは、生き難そうではあるよな。
まぁ、意味はわからないなりに、
心理学的にいうところの単純接触効果によって、
親しみは湧いてきたけど。
と思ってググったけどよくわからんなー。
自動生成にしては序破急らしきものがあるような気もするしー。
ペルソナ5の続編で、人の善き隣人ソフィアというAIの仲間が加入するんだが、
AIでも地球外生命でもネットですれ違う謎ポエマーでも、
未知の思考形態の存在とコンタクトする話はワクワクするね。
探偵と犯罪者のコミュニケーションだった。
数年離れてたからぼんやりしてた。
探偵物を読み始めたのは中学生だから、そういう主人公SUGEE感がすごくハマったけど。
あと鬼滅を1ミリも知らない奴の独り言だけど
>>無惨だけは絶対許さないマンだった炭治郎が、
嫌でも無惨の想いを受け継ぐ展開に
なんだこれ絶対1行の間に紆余曲折あっただろwwwwクソ笑えるwww
PSYCHO-PASS一期の槙島と咬噛とかをイメージしつつ書いた。
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見ているじゃないけど、
カリスマ犯罪者槙島の思考をトレースして捜査することで、
咬噛捜査官の犯罪係数もあがっちゃうんだよね。
相手のことを考え、その行動原理を理解しようとつとめ、同調することで、
いつのまにか同じ波長に汚染されるというか。
相手と同じところにチューニングが合ってしまう。
マル暴の刑事の見た目がほぼヤクザになるのと同じようなことだ。
槙島は、自分を追ってきてくれる咬噛捜査官を同類の臭いがするとか、
理解者としてとても気に入っている。
槙島は劇場型犯罪者というか、
シビュラに支配された世の中にモノ申したくてやってるタイプなので、
自分のしたことを誰も注目してくれないのでは、つまらないんだろうね。
理解されたくてやってるタイプの悪だ。
犯人と名探偵の背中合わせの対比というのは物語の基幹になるステキなアイデアだ。
そういう探偵モノなら読みたいけどなー。
まぁ、ミイラ取りがミイラにっつーか、
バンパイアハンターがバンパイアにっつーか、
死に際の無惨に血を注がれて炭治郎は鬼にされちゃったわけですね。
血を通じて記憶が伝達するとか、記憶の遺伝とか、そういう設定があるので、
無惨が何を思って生きてきたのか、
言葉のやりとりでなく、自分のものとして解ってしまうだろうなと。
なんていうか、相手を憎めるのは、
相手のことを知らないからなんだよな。
もし相手の心の全てを、
本人の自覚しない様々な因果まで含めて感じることができてしまったら、
もう憎むことはできないものなんだ。
どんなに愚かで傲慢で悪意に満ちて許せないやつだと思っていても、
その人格形成に至ったわけとか、
あるいは共感能力や想像力の欠如であるとか、
わけが解ってしまえば、憎しみって消えるんだよな。哀しみになる。
その手の同情の余地がまったくない悪役っていうと、
もう生物の基礎から思考形態の違うような、異種族とかの設定になってくると思う。
まぁ、鬼滅はまだ先が読めないけど。
炭治郎が人間に戻れるエンドでお願いしたい。
ジャンプで主人公が鬼になって殺されて終わりとかやめてほしいわ…。
ジョジョとかで前例がないこともないのが怖いw
「嫌いな人間は存在しない、それは相手との距離が間違ってるからだ」って言葉を思い出した
あとこんなの作ってみたから気が向いたら補完してくれー
元素<細胞<組織<器官/臓器<器官系<個体
個人<家族<会社/学校/団体/組織<業界<社会/国家<種<生態系<星
太陽系<銀河系(天の川銀河)<局部銀河群<おとめ座超銀河団
ありがとうございます。
リストつくるの好きだねぇw
やっぱ自分にゃそんな発想がないな。
なるほどフラクタルになってるのが想像できる。
元素<細胞<組織<器官/臓器<器官系<個体
個人<家族<会社/学校/団体/組織<業界<社会/国家<種<生態系<星
太陽系<銀河系(天の川銀河)<局部銀河群<おとめ座超銀河団
補完というなら、国家の手前に民族とか欲しいな。
それで、このリストは見えるモノ、観測できるもの、物質的な側面のものだね。
元素というか、根源想素、
素粒子には粒と波、二つの側面がある。
素粒子(粒・波)
人間(肉体・精神)
民族・人間種種(遺伝的まとまり・集合的無意識)
地球や銀河(星々・神々)
宇宙(時間・空間)
そんな感じか?右側に書いたものも、同じようなフラクタルになっているはずだ。
素粒子の波のようなふるまいが、
共振が大きくなるにつれ、精神の萌芽になり、個の心になり、
個の心を越えた精神はネットワークになり、民族の精神的繋がりになり、人類種の指向のようなものになる。
神や菩薩の心になり、
そして精神や心のレベルを越えると、
宇宙を運行する様々な法則になる。
粒と波は、天秤の両極にあるものだけど、
陰陽なので、陽が動き陰が従うという最初の法則がある。
物質的なスケールのフラクタルをイメージするのも非常に効くが、
精神的なスケールのフラクタルもイメージできると、よりバランスが良いと思われる。
>>625
おー!ありがとうございますー!これは素晴らしい…
物理的には(元素>分子>原子>素粒子)でいいのかな?
精神的フラクタルも非常に分かりやすくてインスピをかき立てられる…!
それからウイルス観が変わる興味深い記事を見つけた。是非読んでほしい
http://blog.livedoor.jp/qmanews/archives/52254588.html
生物学者「ウイルスという存在は生命の進化に不可避的な一部」(くまニュース)
曰く、ウイルスは元々私たちの一部で、進化を促す存在ってことなんだが、>>630 といい種のスケールを感じさせる話
>>627
自分は脛かじりの引きこもりニートで、コロナと縁遠い身分ですが、
龍使いのお母さんを始め、働いてる人や日々頑張っている皆さんには頭が下がります。
最近親父が自宅勤務し始めたけど、いまだにこの人から仕事の愚痴を聞いたことがない・・・
そしてタイムリーというかなんというか、母が「まんぷく」(結核)や「仁」を見始めたわけだが
ミュトスさんありがとうございます。
元素、分子、原子、素粒子。
小さなものにフォーカスしていくのに慣れたら、
ウィルスという存在にフォーカスするのもタイムリーかもしれないですな。
福岡伸一の著書「生物と無生物の間」は自分のウィルス蘊蓄の主なソースw
動的平衡という概念も福岡伸一の著書で得て、馴染み深いです。
この記事もロマンがあって面白い。
寄生虫や菌類、そのぐらいの連中ならなんとなく生物としての枠組みのなかで理解できる。
生物なら群れれば創発ってことがあって、群体、集合体、ネットワークになって役割分担して、
そうやって情報処理も大きくなるのなら、知能や心のようなものが観測できることもある。
https://kokai.jp/
地球で最長の生物クダクラゲ目のアポレミアを発/
生物であるなら、大小はあっても心を通わせるような相手として認識できるような気もする。
粘菌とテレパシーでお話しするナウシカには共感の余地がある。
しかし、ウィルスっていうのはどうもそういう感じがしないんだよな。
自分の感覚としては。
あいつらには生きたいとか増えたいとか、生物としての本能みたいなものすらまだなさそう。
まさにコンピュータウィルスみたいに、プログラムのような感じがする。うまく言えないが。
スピリチュアル界隈では、新型コロナウィルスからのメッセージを受け取るのが流行りだがw
啓示を受け取るときは、主観が混じるのに注意しなくてはいけない。
ガイアのメッセージとかそんな崇高ものはウィルスにはないと思うんだよな。
悔い改めよというのなら、それは自分達の心の投影だろう。
いや、悔い改めるべきなのは否定しないが。
ウィルスにはそんなことを考えるような知能の持ちようがないっていうか。
福岡伸一の言うように、高等生物の外付けユニットである説はありそうな気がする。
うーん、まとまらないな。これは瞑想案件。
仁とか、医療関係者の視点の物語は今大事だと思う。
感染してるんじゃないかって職業の人を差別する話をちょいちょい聞くからなぁ。
物語の医者や看護婦や研究者に共感していれば、そんな気を起こさなくて済むかもしれない。
最前線で人に尽くす、立派な仕事だよ。
自分にはできる気がしねえw
あらためて見るとトトロはかなりオカルトネタが豊富。
時節柄、新コロナの話題も盛り込もうかと思ったけど、それどころではなかったw
草壁さん家のお母さんは結核だったっけな。
それも世界中で蔓延し、多くの死者を出した流行り病だ。
まぁ、感染率はそれほどでもないんだけど。
結核からはサナトリウム文学なんてものが生まれた。https://ddnavi.com/news/331800/a/
顔色が白くなって、頬が赤くなって、きれいに死ねる病というイメージが誇張された。
新コロナウィルスのもたらしたものが、いつか文学のジャンルになり得るとしたら、
「復活の日」みたいなパンデミックがテーマになるのだろうか。
しかしなんていうか、
ウィルスよりも不安や恐れのほうがはるかに速やかに伝播し蔓延するのを、目の当たりにしていると思う。
ウィルスは飛沫感染とか物理接触だけど、
恐れはニュースに潜んで電波に乗って、一瞬で世界の隅々まで行き渡り、感染する。
物質より精神のほうが優位っていうのが感じられるねw
恐れは心に巣食って、不確かな情報を食べて大きくなってしまう。
ウィルスの侵入に対して人体が免疫を備えているように、
心にも恐怖を自浄する機能はある。
ニュースを消して、深呼吸して、快適に眠って、朝日を浴びるとか、自分なりのルーティンをこなすとか。
そういうことでいい。
いつまでもワイドショーやスマホにかじりついて情報を食べ続けると、恐怖が肥大化するだろうな。
それは思いますね
ニュースを消してアニメやバラエティを見ていると
私の世界からコロナは完全に消えています
ニュースはまだ淡々と伝えてくれるから良いのですが
ワイドショーは誰かが誰かに怒っているし
わざわざ人の少なくなった街に取材に行っているし
心が荒むような蝕まれるような感じになります
今日からテレワークなので仕事中はテレビを消して
Apple musicで音楽を聴きました
龍使いのお母さんありがとうございます。
濃厚接触者になっても仕方ないお仕事ということでしたが、
テレワークになって不安が軽減されてたらいいなと思います。
音楽は良いものです。歌って踊るのもとても優れたメソッド。
業種によって影響も様々ですが、
アルマーニの公開書簡とか、この時勢を機と捉える発想があったり。
https://www.wwdjapan.com/articles/1068987
ワイドショーで政治批判している司会者や雛壇芸人より、
創業者とか、大きな視点があって、自分の心に従って人生を拓いてきた人の話を聞くほうがずっといいと思います。
まあ、アルマーニとか一生縁がない気がするけどなwwwww
大した人生経験があるわけでもありませんが、それでも自分の知見を言うのなら、
病になるってのは不調和のサインであって、
「何かが間違ってるから、あらためろ」ってことなんだと思う。
それが個人の病でも、集団の病でも、フラクタルだから基本原理は同じはずだ。
自分を卑下していたから病んだ。それは理不尽ではなくて、自業自得の因果だった。
でも病になったから、「やらなくてはならないんだ」と思い込んでいた仕事を辞めることができた。
変わりたいと思っていた人たちが、変わっていける機会になるといいんだけどな。
変化には、痛みが伴うこともある。愛着や執着、思考パターン、古くなったものを捨てなくてはならないから。
ウィルスの流布が、誰のせいでも関係ない。
自分の人生を引き受ければ、自分のさいわいは、自分で決められる。
既往症のある年寄りとかあんまり身近にいないしな・・・。
体弱めの親戚の子どもはいるけど。
引きこもり耐性もあるし、独身で多少貯金もあるし、
マスク手洗いうがいとか衛生に気を付けることもできる。
自分はビビる要素がほぼない層ではあるな。正直余裕。
食い詰めたら一人で死ぬだけ。ただそれだけ。っていう覚悟は仕事辞めた時に済んでる。
リアルに命がピンチな層って総人口の何割くらいなんだろう。一割?二割?
この、正直余裕っていう気持ちを言うのに憚られるこの圧はなんなんだぜwwww
テレビのやることが脅迫じみてきたもんな~。
四十万人死ぬ!とかいうテロップがずっと画面の左上に出てて、何事かと思ったわい。なんかの試算らしいけど。
https://note.com/hiroyukimorita/n/nf86e44f3e4dc?fbclid=IwAR0sAW3GQkIr8kBGPHaIRwde4MRdSrTbFW9f5dFLABfeZQHElzjFlU1cWiw
「命を守る」「〇〇しないと死ぬ」という恐怖のメッセージは、我々の想像以上に効果的だったのだ。
今この恐怖のメッセージは、高齢者医療から新型コロナウイルス感染予防へ場を移し、猛威を発揮し始めている。
コロナパニックは「医療的な恐怖で世界を動かせる」ことをにわかに証明してしまったのだ。
これまで何百年もかけて人類が一つずつ獲得してきた様々な社会的な権利。それらを一時的にとはいえ一気にむしり取るという前代未聞の体験を、
いま僕たちは「コロナ」を理由に経験している。医療は、これまで誰も持ち得なかった「国民の人権さえも制限できる巨大な力」を持ってしまったのだ。
「命を守る」の殺し文句がこれほど効果を持つとは。
猫を飼ってるんだけど、避妊去勢して、
昼間は庭と小さい畑に放して、夜は小屋に入れとくっていう飼い方をしてる。
田舎だから出来ることで、うちの猫は愛玩用だけじゃなくて、
ネズミやモグラを捕るお役目を期待されてる猫だ。
もちろん、猫の行動範囲のなかに車の往来する道路や駐車場があるし、
他の野良猫とはちあわせすることもある。
ケガして帰ってきて、病院に行ったこともある。
変なモノを拾い食いしてるかもしれないし、
ノミがついたこともある。あれはおぞましかった…。
今現在、猫を飼うには完全室内飼いが主流というか、推奨されてる。
そういうリスクを避けて、十年でも二十年でも長く生きるのが猫の福祉だと、
飼い主に啓蒙するプレッシャーがある。
確かに、うちの猫はいつか車に轢かれるかもしれないし、長生きもしないかもしれない。
でも、春の野花が咲く庭で気持ち良さそうに過ごしている猫を見ると、
こいつは家の中にずっと入れておく退屈には、もう耐えられないだろうなと思う。
まぁ、エサは貰ってるし、夜は暖房完備の小屋だし、しょっちゅう風呂にも入れてるし、
色々構われてるぶん、野良よりは長生きするだろう。
風呂はいつまで経っても嫌がりおって困るw
猫でも人でもそうなんだろうと思う。
自由には、リスクが伴うものなんだ。
自分で自分の安全を守る能力が要求される。
いつでも不意に自分の力が試されて、ヘマをすれば死ぬこともある。
庇護される安全には、不自由が伴う。
別に、完全室内飼いを否定する気もない。
猫にも気の弱いやつとか、持病のある子とか、色々いるものだ。
守ってやらないと生きていけない者もいる。
それはそれでいい。
ただ、自分は自由が欲しい人なんだ。
自分の猫にも、それが出来ると信じているし、
お互いにうっかりして死んだとしても、
冒険しないで生きるよりは、それで良かったと言えると思う。
寝てるばかりの老猫になったらそれはそれで、また部屋飼いかもな。
ひょっとしてケガして障害持ちになっても部屋飼いか。
まぁ、そういうことはありうる。福祉は大事だ。
「コロナ禍に見る社会の力」 フックス真理子(ドイツ在住)
政治家が悪いっつーけど、その政治家を選んだのは自分達なんだよなぁ。
ヤン・ウェンリーの名言でも貼っとくか。
人民を害する権利は、人民自身にしかないからです。
言いかえますと、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム、
またそれよりはるかに小者ながらヨブ・トリューニヒトなどを政権につけたのは、
たしかに人民自身の責任です。他人を責めようがありません。
まさに肝腎なのはその点であって、専制政治の罪とは、
人民が政治の害悪を他人のせいにできるという点につきるのです。
その罪の大きさにくらべれば、
100人の名君の善政の功も小さなものです。まして閣下、あなたのように聡明な君主の出現がまれなものであることを思えば、
功罪は明らかなように思えるのですが・・・・・・。
民主主義は、人民一人一人に社会を担う責任を要求する。
誰のせいにもできない、自分で歩け。というんだな。
マシな政治家を選ばにゃならん責任は有権者全員にある。
田中芳樹はちょっとWGIP的な思想の偏りがあるけど、
ヤン・ウェンリーに限っては名言がありすぎてwしゅきww
くっっそ懐かしかったし、
結構覚えてたっていうか、
自分のオカルト知識はぬ~べ~とGS美神が基礎になってんなぁと再確認した。
しかしぬ~べ~は中盤以降のバトル展開は全部つまんねぇな…。
一話完結の怖い話の、民話や七不思議や都市伝説的な、
身近でいかにもありそうな恐怖こそ醍醐味だった。
克也とか金田とか悪い子キャラがいて、
いじめをしたり命を粗末にしたり盗みをする、
誰でも子どものころはやりそうな悪さの、罪悪感からのホラー展開はほんと怖い。
ぬ~べ~もなろう主人公みたいなチートじゃなくて、
ミスや見逃しがあったり、相手が神クラスだと勝てないとか、
そういう匙加減がいいなぁ。
想像の余地とか解釈の余地というものが全然ないなw
(1月) 評価C 65点
春節の入国制限の遅れはよくない。ただ中国を封鎖しなかったと批判されてるが、
当時はWHOも楽観視しており、パンデミックを予期するのは不可能。
(2月) 評価A 85点
濃厚接触者とクラスターの追跡により被害を最低限に食い止めた。
検査条件を限定して軽症者が病院に駆け込むパニックならびに院内感染を阻止した。
4日間安静ルールにより病床と医療資源をキープして医療崩壊を防いだ。
(3月) 評価A 80点
一斉休校を実行して無自覚、無症状の若者による感染を防止。
さらにイベント自粛要請により感染拡大のピークを遅らせることに成功。
(4月) 評価S 95点
3密(密閉、密集、密接)を避ける呼びかけによりオーバーシュートを食い止めた。
緊急事態宣言を発動して国民の危険意識を高め人の接触を8割減少を目指す予定。
一律10万円を給付することを決めた。
総合評価A 81点 VERY GOOD!!!
全体的に見れば素晴らしい判断が多い。世界的にも感染者数と死亡者数は大健闘している。
高評価されるのは当たり前。安倍晋三は歴代最高クラスの総理大臣であることを証明した。
コレ系で誉める方向性のやつ初めて見たw
非難するよりは心が荒まなくていいね。
どこにいる人もみんなそれぞれに、本当によく頑張ってると思う。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」
玉音放送じゃないけど、
労ってもらって、誉めてもらって、認めてもらっていいよなぁ。
陛下のお言葉を待つこともない。
心を鎮めて、耳を澄ませば、
きっとずっとそう言ってくれていた存在を感じられる。
自分で自分にもそう声をかけて、
親しい誰かにもそういう言葉をかけてあげられたらいい。
17日、記者会見で朝日新聞の記者から布マスク全戸配布について質問を受けた安倍総理は
「御社のネットでも布マスクを2枚3300円で販売しておられたと承知している」と“反撃”した。
しかし朝日新聞が4月7日まで販売していたマスクは政府が配布する布マスクとは異なり、
医療レベルで使用できる再利用可能な四層構造の高性能マスクだった。
一方で政府配布の布マスクは17.5cm規格よりも小さい13cmと市販品の標準品質すら満たしておらず、
さらには顔に密着できない作りとなっているため成人が使用した場合、
ほとんど飛散防止効果が得られないものとなっている。
安倍総理の発言は、かえって政府が配布したマスクの低品質を際立たせることになってしまった。
朝日新聞が販売していた高性能マスクの紹介は↓コチラ
http://www.izumiotsu-cci.or.jp/latest_information/202003184231/ (泉大津商工会議所)
○アベノマスク (布マスク)
・飛散防止効果なし
・標準規格未満の 13cm サイズ
・市販品質を満たさない極薄の布マスク
・洗濯回数公称20回 (ただし配布後の実験では1回の洗濯で使用不可能に)
・海外発注、メーカー非公表 (マスク製造経験があるメーカーかどうか怪しい品質)
○朝日新聞マスク (洗濯可能な不織布マスク)
・飛散防止効果あり
・特大規格の 20cm サイズ & プリーツによるフィット構造
・医療レベルの四層抗菌フィルター付きマスク
・洗濯回数 150回
・103年の歴史を誇る信頼の国内老舗繊維メーカー生産
性能が天と地ほども違うのに、なんで同列で比較できると思っちゃったんだろうな?
無知なアベと、アベを支持するバカが日本を壊している
布マスク全戸二枚配布とか冗談だろと思ったらホントなんだもんなw
ドラッグストアでマスク待ち行列してるのも相変わらずらしいし。
テレビで自作マスク作成CMでも流しゃいいのにね。
使ったマスクからでもハンカチからでも靴下からでもトランクスからでも出来るし、
自作マスクが当たり前でイケてるって風潮を盛り上げていく方が、予算もかからなくて効果あるだろうよ。
どうせ飛沫の防止ができれば御の字くらいの効果なんだし。
…やはり、非難の雰囲気にはつい非難でレスポンスしたくなるもんだな。
これをひっくり返してポジティブで返すには、ちょっと心の準備とかコツがいることになるわけだ。
一番簡単でよくやってるのは、まずどんなレスにもありがとうございます。と前置きしちゃうことw
働かないアリがいることも、種の戦略だ。
マジョリティ=正義ではない。
レヴィとロックのセリフ貼ろうか?
レヴィ「ひとつだけだ、それを聞いたら面倒はねえ。お前、どっちの側にいたいんだ?」
ロック「俺は、俺の立っている場所にいる。それだけだ。」
レヴィは、
マトモかアウトローか、カタギかヤクザか、普通かクズ野郎か、マジョリティかマイノリティか、善人か悪人か。
働いてるか働いてないか、でもいいけど。
そういう二項対立の世界で、
自分を後者として卑下し、前者を憎んでいる。
二項対立の定規を壊せ。手放せ。それで楽になる。
卑下も、働く人へのアンビバレントな感情もなくなる。
各々の役割、各々の道があるんだな、と淡々とした気持ちになれる。
世の中が混乱している、今みたいな時はチャンスだ。
今までの常識は通用せず、信じてきたものが、当たり前が壊れる。
怖いだろうが、それは裏を返せば、壊すべきものを壊していい時ってことだ。
日本人は付和雷同、みんなで変われば怖くないっていう民族w
自分としては働く人に限定せず、未知の病気に加え世の中が急に変わってきてるのに、みんな頑張ってるなあすごいなみたいな意味ね
このスレに出会った頃は、働く人へのアンビバレントっていうか嫌悪?憎しみに近い感情はあったなあ
今はそういう二項対立ってわりと簡単に覆るよな、とは思ってるなー
私気が多くて、考えがコロコロ変わるのでね
宵っ張りwありがとうございます。
ごめん、自分に投影したかも、自分のことだったかも。
前職の先輩が登場する夢を見たからだろうか。
あの人には頭が上がらねえ…。
the日本の職人!みたいなマインドの人だった。
すごい人だけど、
ああいう人と自分を比べちゃなんねぇなw
アリとキリギリスで言えば、自分は100%キリギリスタイプだ。
勤勉コツコツ貯蓄型のアリにはなれねぇ…。
冬来れば死ぬものと心得て、その日を歌うわww
ベーシックインカムええな~。
働きたくないでござる!
でも好きなことは無給でもやるでござる!
そういうことよな。
気の毒に思った。
観客なし、共演者とも離れて座って、音声のみで、VTRと絡むっていう、
苦肉の策のカタマリみたいな放送だったが。
不要不急は自粛しろ、って言われると、
自分たちのやってることが不要なんじゃないかって疑わないといけない。
それで不要の烙印を押されることはツライことだ。
お前なんかいらねぇんだよ、世の中に必要ねぇんだよって言われてる気がするんだろう。
言葉を使って商売する人、頭をよく使う人はそれが裏目に出ると被害妄想、自虐傾向も併発しやすい。
はぁ…、自分まで滅入ってきた。
そんなさぁ、
そりゃ生きてくのに必要な一次産業やライフラインに携わってる人は偉いよ、ありがたいよ。
でもこの高度文明化社会で、何割の人がそういう職に就いてるんだろう。
2割?3割?5割?
過半数ってことはないだろう。
それ以外の人達に、お前らの仕事は不要だから止めろともとれるメッセージを送ったら、
そりゃ気持ちが落ち込むよ。
仕事が生き甲斐の人ほどそうだろう。
そんなにたくさんの人を落ち込ませてたら、社会がどんよりともするわな。
不要不急の外出は控えろ、で、外に遊びに行くなっていう話だったのが、
いつの間にか、
不要不急の仕事もするな、になって、
じゃ、不要不急の人間は生き甲斐を追求するなってか?
それじゃ生きてる気がしねぇよ。生きながらに死ねってか?
みたいな被害妄想になっていくww
いや、SKY-HIも言ってたけど、仕事の仕方を変えていかないといけないってことだよな。
パラダイムシフトだ。
自分のアタマで生き残る方法を考えないといけないって思えれば、
落ち込んでるヒマはなくなる。
働くな、出掛けるな、頭使うな、そういう否定や抑圧のメッセージは人を滅入らせる。
考えろ、生き残れ、新しくしろ。そういう積極的で発展的なメッセージをくれ。
やることは同じでも、ムードが全然違うはずだ。
いつかこういう日が来ることを、本当は誰もが知っていた。
俺達はずっと感じていた、俺達は別になにもしていない、なにも決めていない、なにも選んでいない。
それでもこのまま逃げ切れるわけがない。
世界はいつか決定的に変わってしまうだろうと誰もが予感していて、誰もがずっと知らないふりをしていたのだ。
引用元、天気の子小説版。
帆高がビルの上から、人柱になった陽菜のところへ行って、
空が落ちてくるような大雨が降ったところでの須賀のモノローグだ。
いやー・・・、新海先生の先見性ったらないね。
「その雨」のところをちょっと「この病」とかに変えれば、
割と心情としてはコロナ渦中にある我々のものと近いんじゃないのこれ。
今、三つの密を避けろというスローガンだけど、
密閉、密集というのは、都市への一極集中、グローバル化、経済優先の指向性へ進んできた結果としてあるものだ。
こんなことしてたら、いつか大変なことになるといつも色んな人が警鐘を鳴らしていた。
駿だってそうだ。文明を批判し、自然を賛美していた。
でも、それでも止まれないまま進んできて、それで事ここへ至ったというわけなんじゃないのか。
苦しんでいる人や、前線で働いてる人には、とてもそんなことは言えないけどさ。
天気の子では、世界を今までどおり維持すべき、というアンサーではない。
犠牲を伴う世界を「いらない」と否定して、新しい世界を始める。
因果応報として、東京は水没する。
描写はなかったけど、きっとたくさんの人が亡くなって、職を失って、住居を失って、
酷いことがあって、今まで通りの日常を失っただろう。
それでも、三年後の世界では、水上バスが走って、人々が行き交って、帆高は陽菜に会えて、晴れ間が差す。
アフターコロナワールドがどんな世界でも、きっと生きていける。
天気の子のDVDはよ見たいのう・・・、5/27か。
天気の子の考察募集してる人からのお誘いがあって、
https://lamu.hateblo.jp/
久しぶりに自分のブログも読み直してみたけど、結構忘れてたな~。
開疎化がもたらす未来
https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/2020/04/19/131331
はてブロ、ときどきスゲーめっちゃ賢い人がいるwww
開疎化、ステキな概念だ。
脳内に概念が増えると、賢くなった気がして悦www
三密三密三密を避けよっていうスローガンで、
三密という言葉が、密集、密閉、密着の意味ということになっちゃってるけどさー。
違うからね…?
三密って、身、口、意、で、密教の極意をあらわす言葉だからね。
ものスゲー素晴らしい言葉だから、
避けるべき忌むべきこと、みたいなイメージがつくの不本意だなー。
誰だよこのスローガン考えたやつ。
仏教徒にケンカ売ってんのか。激おこプンプンまる(°ㅂ° ╬)
それを理由に欧米が中国に制裁戦争をしかけて、
で第三次世界大戦して人口が減って各国がダメージ負ったところで、
イルミナ○ィによる新世界秩序がどうたらってことらしい。
へー。
でもさ、もう地球という星のレベルでは、なんかもう3次元から4次元に進んでるっていうよな。
だから、そこに住む種族が3次元の意識にとどまり続けるなら、
それは星の追い風のない状態だ。
いずれメインストリームでなくなる。
戦争や搾取をまだ繰り返すようなら、
人類は衰退しました、とか翠星のガルガンティアみたいに、
次の高度知性種族が台頭してきて、
人類は霊長の座から退くことになる。
と、そんな気がするんだけどな。
何でも思い通りにできると思ってる悪いヤツは、
まぁそりゃいるけど。
個の意識より種の意識、種の意識より星の指向の方が上位だ。
どんな悪い宇宙人でも、星の成長をとめることはできない。
星の指向に沿え。
それで支配者に搾取される恐怖はなくなる。
支配者は、恐れない者を支配することはできない。
そこから対等として交渉スタートになるだろう。
ふう。
あー、陰謀論混じりの商売上がったりのグチを吹き込まれて気分悪かったけど、
クリーニング完了。
まぁ、気の毒には思うけど、
だからって不安や苛立ちをお裾分けしてもなんにもならんね…。
テレワークが当たり前になったり
買い物は現金派が少なくなったり
そもそもコロナは何を目的に拡大するのでしょう?
テレビで専門家がコロナも繁栄したいから感染拡大を
するので感染先の人間が死んでしまっては本末転倒
だから基本的には世の中には無症状の人の方が多い
と言っていてなるほどと思いました
私の友人は偶然お店を経営している人が多いです
オシャレなカフェ、オシャレな雑貨屋、オシャレな美容室
オシャレな音楽家、オシャレなお菓子屋
皆さんすごくかっこいいしお店はとても人気です
20代のうちから自分のお店を持つ事も出来ていて
大好きな事をそのまま仕事に出来て楽しんでいて
かっこいい仲間の輪がどんどん広がっていっていて
私は羨ましくて羨ましくて仕方なかったです
私も何か自分のお店を持って人気者になりたい
「龍使いのお母さんって自分の店を持ってすごいよね
かっこいいよね、素敵だよね、友達になりたいよね、
友達になって友達って事を自慢したいよね」
と思われる自分になりたいと強く思っていました
結局お店を持てるほど好きになれる物も見つからず
この年まで文句タラタラの会社員のままでした
でも今回のコロナで友人達は経営に苦しんでいて
会社員の私はテレワークで家でのんびり働いていて
あれほど文句ばかり言っていた会社のおかげで
今のところは普通にお給料ももらえています
何だか不思議な世界になってしまいました
この先の世の中がどうなるのか分かりませんが
仕組みが大きく変わる事だけは確かでしょうね
龍使いのお母さんありがとうございます。
オシャレってことがイコール不要不急ってことですかね…。
なるほどなぁ。
憧れる、華やかな、洗練された、高度に文化的な、
そういうものは、社会に余裕があってこそ伸びていく分野で、
生きてくのに必要最低限の要で急なものは、そりゃまあ、
地味っつーか素朴っつーか、
縁の下の力持ちは飾り気より質実剛健なものだ。
ドレスよりツナギじゃないと作業はできないもんな。
冬の時代は、歌っていたキリギリスは死に絶え、
コツコツ貯蓄に励んでいたアリが生き延びる。
諸行無常だ。
春夏秋冬めぐるなかで、ずっと有利な者もいなければ、ずっと不利な者もいない。
なんとか生き延びたなら、また季節が、潮目が変わるのを見るだろう。
まぁ、実のところそんなにコロナウイルスが怖いって気はしない。
ナウシカでも大海嘯という災厄を呼んだのは、人が遺伝子改造した粘菌だったわけだが、
強毒性の改造粘菌も、腐海に受け容れられて、他の菌類と食べたり食べられたりして、
自然のサイクルのなかでバランスがとれていく。
突出した、突然変異や異分子、エラーを取り込むことで、
総体は硬直をほぐす、エントロピーの増大をかき乱すゆらぎになる。
どうしても時々は、疫病が流行ったりするものだ。
でもものすごく長期的には、それが人類という種の寿命をのばすことになるんだろう。
身近にそういう声がないので身が引き締まる思いです
龍使いのお母さんは複雑だろうし、ご友人さんたちはそれ以上に大変だと思うけど、
とりあえず声が聞けて嬉しいです(*´∀`)
ダラダラとすみません
新型コロナウイルスの目的を問うなら、
それは人類の遺伝子や社会の、
硬化したところ、古くなったところ、もたついたところを壊し、
壊れたところにまた新しいなにかを築く余白を生み、
代謝を行うことで、種としてより長く健やかに生きる。
ウイルスは、高等生物の取り込んだ戦略だ。
その目的は長期的には人類に利することにある。
………、のかもしれない。
と思ったら本当にそんならしい
休校やテレワークでみんな家でご飯食べてるわけだし、品薄になる食料があってもしゃーない。
マスクやトイレットペーパーと違って、
納豆は賞味期限があるから買い溜めや転売してるわけでもないだろうし。
それは無罪判決。
納豆とか、調理なしで食べられて健康にも良さそうなものは重宝するだろう。
自分は無印のレトルトカレーばっかり食べてる。
カレーもスパイスいっぱいで健康によろしい。
特に感想なし…だと…。
野獣のデザインと動きは良かった。
ちょっと扇動されただけで、恐怖して熱狂して、昨日まで知りもしなかった野獣を血祭りにあげようとする村人が、
衆愚過ぎて笑えなかった。
普段はフツーに暮らしてるフツーの人達でも、
カリスマのある扇動者にノせられて暴徒になるとか、
エリアストレス上昇中の昨今、最も恐るべき事態だ。
流されるな。自分で考えろ。
灰色の脳細胞をこねくりまわしてもう少し書く。
登場人物の配置を見ると、男性が多い。
原作の民話にはいない、
ガストンとかいう厚かましいマッチョメンを入れたのはなんでだ。
構図だけ見ると、
姫をさらった野獣がいるなら、姫を取り戻しに行く勇者のポジションがあって、
そこにガストンはあてはまるわけだが、
しかし、最初から最後まで好感度皆無の描かれ方をしている。
ピーチ姫と魔王クッパが愛し合っていて、
ピーチ姫に想いを寄せて、魔王を打倒しにいくマリオが悪役なわけだ。
ふーん。
これ、ガストンをもうちょっと好きになれるキャラにしてたら、
アナ雪無印みたいな、お約束を逆手にとった意外性の作品になったかもしんないのに。
テーブルに置かれた本の上に足を乗せたり、本に対してありえない野蛮さだ。
一方で野獣はベルに図書室をまるごとプレゼントする。勝敗は明らかだ。
ガストンも野獣も、ちょっとどうかと思うほど最初は野蛮だが、
本、知識、自分の知らない世界に対峙して、それを受け入れられるかどうか。
変わっていけるかどうか。教育や啓蒙の余地があるかどうか。そういう対比があるっちゃあるな。
ウィキを見ると、フェミニストからすれば美女と野獣も
父親のために自己を犠牲にする旧態依然のディズニーヒロインで、
人生における目標は、良い夫を見つけることであるとするただの女性、
つまり、男に尽くす女ってことらしいが、
野獣に「すぐカッとなるのをやめろ」とか、小鳥との接し方を指導してるあたり、
ベルは母親か教師のようだ。精神的に未熟な男性を育てている。
先導してる、導いてるってことは立場としてはベルのほうが野獣より上ってことになるだろ。
あれは男を育てる女だと思うぞ。
まあ、それも1992年当時はどうだったか知らんけど、
今見てウケるテーマかっていうとな・・・。
実写版は結構売れたらしいけど、その辺はどう扱ってるんだろうな。
これは必見だ~。
「ステイホームと言ったのはおまえの方だろう?」 ジリッ
「やめなさい、これは警告よ!」 ガタッ
「ほう?やれるものならやってみろ」 ニタァ
「くっ…宣言!宣言!ロックダウン!!」 バリバリッ!!
「俺は既におまえの範囲内に入ってる!効かないなぁ!」 ガバッ
「ふぁっ…密すぎる!密すぎるわ!離れなさ…んぁっ」 チュクッ
「さぁ…おまえの蜜をもらうぜ…」ジュルリ
「あぁっダメッ…そんな濃厚せっしょ…くぁ?ぁっ」
「いくぜ!オーバーシュート!」
「ふあっ?んぁあー???」
コッペリオンみたいな、遺伝子操作で耐性新人類爆誕とかー。
人類は衰退しましたみたいな、次世代存在の台頭とかー。
攻殻機動隊みたいな、義体に入って電脳化でオンライン人類とかー。
人為的操作でなく、ウイルスによる人類の遺伝子変異で
超能力や魔法に目覚めるのもまたよし。
水没世界で水中適応もいいな・・・。
ポニョ、天気の子、ガルガンティア、アリア、凪あす、潜脳調査室、
水没系世界っていうジャンルないのかな。今後まとめとく必要ありそう。
もし、人類史リセットがくるなら…、
サバイバル技術本と、
製鉄や築炉や建築や治水や農耕や電気諸々の文明の基礎になる技術の本を…、
ていうか紙媒体じゃダメかなー。
石版にレーザーで彫っておかないとww
そういうプロジェクトやってなかったっけ?
ノアの方舟プロジェクトみたいな…
またビルゲイツか。
背景が暗いとその線がまぎれるのである程度見られるが、輪郭線が目立つ背景や服きたシーンだとキャラが浮きすぎて不自然すぎるわ。
まあ、不気味の谷の存在があるから、シンプル系なキャラ質感を選んだ中での試行錯誤なんだろうが。
タチコマはすっごくいいんだけどね…
キャラがね…
この手の3Dモデルアニメで良かったのは、
蒼き鋼のアルペジオと宝石の国かな。あとまぁけもフレも。
どちらも登場人物が人間ではない設定がうまくハマってたんだよな。
攻殻機動隊も、義体っていう設定にうまくハマる質感があればなー。
なんか肌の下にうっすら電子回路見えてる、
みたいなことでも良かったんじゃないかとか。
まぁ、リメイクものにありがちな、古参ファンから懐古的にウケる、
以上の成功は難しそうな出来ですな。
あれはまあそんなに悪くはなかった。
デザインからいえば、今回萌えに寄せてる素子よりハードボイルドで良かった。
メスゴリラ感があるほうがいいよね~。田中敦子の声の渋さ的にも。
うわーなーつかし~い
なんかもう懐かし過ぎてゾワゾワしたwww
変身バンク今見ても作画ええな。中学生のスタイルではないww
今月通信超過でスルーしてたけど、
これも視聴か・・・。
時間泥棒かあ、モモみたいな話ですな。
「人間どものエナジーは精神的に余裕がなくなったときに増幅します。
例えば時間に追われているときなど。」
例えば先の見えない不安におののいてる時とか、
外出できなくてストレス溜まってる時もそうだろうな。
クイーンベリル様エナジー集め放題や!たすけてセーラームーン!
セーラー戦士は初期の二人、マーキュリーとマーズがすき。
「なんで私がそんなことしなきゃいけないの?」
「いや~怖い~」とか言って泣きわめく主人公もなかなかタイプが古いけどもw
平和に暮らしてきた中学生がいきなりあんな怖い妖魔と戦えと言われたらそりゃそうなるわな。
妖魔の顔どれも怖過ぎるw
っていうか、
なんか前世からの因縁で戦ってて、
前回の月の王国はダークキングダムに滅ぼされて転生してるんだっけ。
月の光は愛のメッセージとか、愛の戦士とか言っちゃう時点で、
そういうメンタルである時点で、
多分、負けは確定なんだよなあ。
だってそもそも「戦う」ということが、向こうの得意分野なんだから。
恐怖や暴力、搾取や支配、そういうことに親しむメンタルの方が、
当然戦うということとも親和性が高い。
戦えば戦うほど、イキイキするのはダークキングダムの皆さんのほうだ。
愛が第一と思う人達は、戦うほどげんなりしてくるか、
戦いに適応して意識のレベルを落とせばダークキングダム勢に近づくことになる。
戦うなかで成長していくこともあるけど、
基本的にそういうもんではなかろうか。
何度生まれ変わっても、何度世界をやりなおしても、
何度戦っても、戦う限りは、悪が勝つよ。
正義と悪の二項対立それ自体をやめなくてはならない。
セーラームーンは、そういうところまで暗喩があるような話だったっけか?
これからよく見てみよう。
愛することは肯定すること、戦うことは否定することで、ベクトルが逆向きだ。
まぁ、愛のために戦わなくてはならない状況があるのはわかるけども。
ロジックに矛盾がある限り、伝達が滞ってどこかで力に無駄がでてるはずっていうか。
シンプルで無駄がない方が強いのは自明。
9話はリアルとカオスが混在してる感がタマランwww
動的なうさぎと静的な亜美ちゃんの対比、活躍が認知されなかったタキシード仮面とか盛りだくさんだった。
「モモ」は小学生の頃読んだっきりでおぼろげだが、くり返し読みたいと思わせる作品だった
どこか遠くて近い不思議な世界観も神秘的だし
各々見て感じてもらうのが一番いいんだろうけど量も量だし、
断片的にしか知らないけどしゃべる。
ピリアさんの言ったやつはR前半、映画R、S、スターズかな解釈次第だが
スターズが顕著だけど配信されないからな……説明するより最後の数話見てもらった方がいい気がする
エンタメ的にはバトるけど、わりと一貫してうさぎは戦いは好んでない。特にS終盤や無印終盤、スターズ。
明日配信の11話はムーンとマーズの違いがおもしろい。
ムーンは攻撃技を持ってなくて浄化技と説明される。初期マーキュリーも攻撃できず視界をくらますだけ。
攻撃はもっぱらマーズやジュピター、ウラヌスのイメージ。
作中でうさぎはいろんな人と心通わせてる上、
映画Rに「うさぎはみんなのママ」とモロ発言があるらしいので駿だったら赤毛かなwww
S36話(7/17~23)がセラムン一の神回だから、
一人でも多くの人に見てほしいし、一つでも多くの感想を聞きたい。罵詈雑言も歓迎。
でも自分も忘れそう…
違う話になるけど、うさぎがいろんな人に変装するのは女性的という気がするんだけど。
役者というか。北島マヤとか七色いんことか怪盗キッドとか、MWの結城とか。
「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」という理念を持ち、
悪人といえども懲らしめるだけで過剰に傷つけることはなく、人命は決して奪わない。
武器として2丁の自動拳銃を持っているが、もっぱら威嚇と牽制に使い、
発砲しても悪人の武器を撃ち落とすためにしか使わない。
ターバンの前面には三日月のシンボルを飾っているが、これは月の満ち欠けを人の心になぞらえ、
「今は欠けて(不完全)いても、やがて満ちる(完全体)ことを願う」という理想、
「月光は善人のみでなく、悪人をも遍く照らす」との意味が込められている。
裏向きの「27日の月」が描かれている図版があるが、誤りである。
この極めて東洋的な正義観は、原作者の川内の実家が日蓮宗の寺だったことが影響しているともいわれている。
月光仮面の発想は薬師如来の脇に侍する月光菩薩から得られたもので、
「正義の味方」という言葉自体も、「正義」そのものの神仏への脇役的位置づけを示すものであり、
「決して『正義そのもの』ではない」との意味を込めることに川内がこだわったものだった。
川内本人は「正義の助っ人」との表現を好んだという。
無印ではまだ砂か灰になって消えてた。
あれはもっと後のシリーズのお約束なのか。
殴り合ってぶつかりあって敵を武力や火力で制圧するというよりは、
舞踊的なポーズとキラキラしたエフェクトを照射して、
相手をリフレッシュさせる、浄化してスッキリさせてるっていう。
その辺の匙加減がほんとウマいと思う。
愛と正義の名のもとに、人語を解する相手をボッコボコにしてたらやっぱり矛盾を感じるからなww
武力担当のマーズやサポート担当のマーキュリーもいるけど、
メインはプリンセスがキラキラして、
ある型に則って舞ったり力ある言葉を発することで場を清め、
よろしくないものはそこにいられなくて退散するっていう感じなんだよな。
やっぱりひとつの時代を築けるだけの面白さがあると思う。
セーラームーン今後も楽しみ。
キューティーハニーの系譜じゃないかなーと思う。
セーラー戦士の仲間が増えたら、あの変身能力ほとんど使わなくなったよな。
一人の時は変身で服を変えると絵面的な華やかさが出ていいけど、
あれだけ仲間がいればそれだけで絵面は華やかになるもんな。
そうだ、昔は、なるちゃんも目覚めてセーラー戦士になる時が来ると思っていたっけ…。
まぁ、ただの友達ポジションでもない美味しい出番がくるし、いいけど。
ハンカチの準備しとかなきゃ。
ジェダイト以降、色々濃い敵幹部が出てくるのも楽しみ。
あれの原型はキューティーハニーなんだって。
男の子へのサービスで服が消えるシーンを入れたんだけど、
変身するっていうところが女の子へのウケがすごく良かったらしい。
キューティーハニーは、男の子向けのお色気モノとしてつくったはずが、
女の子に人気が出て、その後色んな美少女変身モノに派生していった。
セーラームーンの頭身の高さとかスタイルの良さとか、
キューティーハニーの影響っぽいんだよな。
最初から女の子ウケでつくると、プリキュアみたいなディフォルメ頭身になる気もするっていうか。
ソースは…、後で検索するw
当時、画期的だったのではなかろうか。
美女と野獣では、ベルがいくら本を読んで教養を身につけても、
十八世紀のフランスみたいな世界観では、女性が選んで就ける職自体がなかったわけだ。
お姫様、プリンセスっていうのは、
男性に選ばれ、男性の社会的地位の高さによって階層を上らせてもらう、いわば玉の輿なので、フェミニストはそれが気に入らないらしいが。
キューティーハニーやセーラームーンを見て育つ時代では、
女の子がお姫様以外に憧れを抱けるようになった。
スチュワーデスやタイピストやOLになって男性に頼らず自己実現していくことを是とする時代だった。
今は、女性が働くのも当たり前になって、
賃金を得るために働くことのキツさも周知のことになり、
専業主婦になりたい女性も多いらしいけどな。
今の子供は、何に憧れるのかなぁ。YouTuber?
好きなことをして、それを自己プロデュースしていくことかな。
キューティーハニーは知らなかった
いろんなとこで聞くので、機会があったら見たいかなあ…
キャラかっこかわいいし色気あるし、確かに通ずるものがある
セラムンはバブル頃か
プリキュアとか特撮って見たことないんだよな。見たら楽しめるだろうけど
そういやアイドル物なんてのもあったな。
今の女児何見てるんだろ?
6話の作画と妖魔の怖さがよかった。
うさぎが有能なこととか、ちょっと珍しい感じのする話じゃなかったか?
しかし、時間に追われて心の余裕がなくなってる問題や、
流行り廃りでペット飼う問題や、過剰なダイエットのススメ問題、
「で、一流の大学を出てその後はどうするのじゃ?」
「そこまではちょっと」「ふーん」問題、
セーラムーンの題材選びに先見性と普遍性があるというべきか、
20年も経ってるのにどれひとつ解決に至ってないことを嘆くべきか。
セーラームーンやキューティーハニーみたいに、
色んな職業、色んなアバター、
顔はほぼそのまま、服装や化粧や髪型を変えて役になりきるっていうのは、
女の子だから出来るって感じはするな。
男の子がそれをやるとなぜか、ルパン、キッド、モリアーティみたいな変装する怪盗、世を忍ぶ悪役になる。
男の子的にはそれはアンチヒーローのやることで正道ではないんだろう。
男の子の変身は、仮面ライダーやウルトラマンみたいな、ひとつのヒーロー像、かっこいい大人的なものへの変身だ。
あれこれと浮気はしない。
そうだなぁ、
女の子は、ライフステージによって自身が変化することに耐えられる生き物だ。
子供から、初潮があって女性になり、結婚すれば姓を変えて妻になり、子を産めば母になる。
どうしようもない変化を経て、以前とまるで違う生き物になってしまうこと、
アイデンティティが変容することを経験する。
男の子はなー。
うまいことイニシエーションを越えられないと、
ずーっとメンタルが小学生男子のままでも生きていけたりする。
何かを獲得していくこと、自分が自分であるまま成長していくことは快なんだけど、
自分自身が変容することには忌避感がある。
だから、セーラームーンやキューティーハニーのようにくるくる色んなものに変身するのに憧れたりは、
あんまりしないんでないかな。
西洋の民話で、王子が動物に変身させられて、その呪いを姫が解くパターンがある。
姫が動物に変身させられるという話は、寡聞にして知らない。
男の子にとって、魔法で他の生き物に変えられるのはとても恐ろしいことだが、
女の子にとっては、ある日どうしようもないことが起きて、自分が別の存在になることは、
うすうす知っていることなんだよな。
美少女戦士の変身は、その変容を肯定的なイメージにしてくれる物語だ。
11人の王子が白鳥にされる話を思い出しておきながら、
なぜそのメジャー作品を忘れるのかw
でも、白鳥の湖は、バレエ作品だと白鳥に変身させられる話だけど、
モトは、天女の羽衣と同じタイプの民話、伝承だ。
天女、白鳥、空飛ぶ女性が羽衣やヴェールを落とし、それを男に拾われてしまって、
空に帰れなくなるっていう話だ。
だいたいは、結婚して子どもつくったりしつつも羽衣を取り戻して、空に帰っていくという。
人の姿が変わる変身物語というよりは、
異種族が人と交わる異類婚姻譚なんだよな。
ギリシャ神話の主神ゼウス、ジュピター、ユピテルは、
男性神でありながら、実に色んなものに変身して女性や美少年を愛好する。
雄牛、鷲、白鳥、金の雨。
金の雨って…、人外にすら平気で変身する。わけがわからないよww
なんか、毎回現場に顔だして監督するとか、
真面目な仕事ぶりについては好感をもてると思いはじめたところでの退場で残念~。
あいつイケメンなのに女難の相がでとるなー。
女上司にプレッシャーかけられ、
女上司のお気に入りの女部下から、
懸想されつつ持ちかけられたプロジェクトで、
その部下がやられたことで、上司激おこ。
クイーンベリルは仕事については全権委任してくれるし、ちゃんと評価もしてくれてるし、
テティスがやられる件さえなければ、
もう少し時間がもらえただろうに。
唐突な女性蔑視発言は、ビジネスに余計な感情を持ち込む女連中にストレスためてたんじゃないかとかえって同情したわw
テティスにしろクイーンベリルにしろ、あれはやりにくいぞ…。
女のご機嫌伺いながら仕事すんのはほんと大変っていう、昭和のおっさんの愚痴みたいな感想が出てきてしまうww
テティスとかキュレネーとか、ちょいちょいギリシャ神話から名前とった妖魔が出てくるな。
ムードリとかは、ドリームの入れ替えだったりするけど。
昨日はEテレの君の膵臓をたべたいを見ました
小説も実写版も見ておらずアニメ版が初めてです
生と死、人との繋がりがテーマでしょうか
生きるという事は人と関わる事
荒削りで強引な展開もあったからか終わってから
実況を覗くと不評でしたが私は好きです
最近の映画ってOPの主題歌でダイジェスト版を流す
のが一般的なのでしょうか?
君の名は。で新しいなと思って見ていましたが
君の膵臓をたべたいでもそうでした
Eテレで映画は珍しいと思いました
CMは無いしエンドロールの最後まできっちり流して
くれるし民放より断然良いですね
最近のアニメ見てないけど、OPダイジェストは珍しい(新しい?)んじゃないかなあ。
ああいうの好きだなー
そいやEテレは完全ノーカットなんだっけ、嬉しいよね
>>688 そんなこと言われたら益々気になっちゃうじゃないか
今日は少年ジャンプのアプリをダウンロードして、
読んでみたかった「SPY×FAMILY」という漫画の
アップされている分を全て読みました
面白かったー!読者を飽きさせない展開と構成で
絵が上手で構図も良いしギャグ要素も満載だし
続きが楽しみです
>>688
小説版も買って読もうと思っています
でも息子に同じ作家さんの「また同じ夢を見ていた」
という小説が「16年生きて読んできた小説の中で
一番良かった」と言われたので先にそちらを読みます
>>ミュトスさん
今月に入りついに夫の職場が休業になりました
でももっと大変な事もたくさん経験してきたので
笑って乗り越えようと思います
笑う門には福来るの精神で
セーラームーンは残念ながら私は見ていないんです
その頃の私は女児向きのアニメに興味を持てなくて
息子が小さい頃にプリキュアを一緒に見て
変身物も可愛いなと思っていましたが、
アイカツは息子より私の方がドはまりしました
今ならセーラームーンも楽しく見れるのかも?
たしかに男性の変身は、いろんなものにっていうより、パワーアップみたいなところはありそう
ぶっとんだ変身や交わりはギリシャ神話あるあるだよねw
ところでピノキオ思い出したわ。Eテレで紹介してたんだけど。
ロバに変えられたピノキオを魚が人形に戻してあげ、さらに妖精が人間にしてあげる。
原作の妖精は青い蝶→青い髪の少女→お姉さん→大人と、姿を変えるんだそうだ。
ちなみに鼻が伸びるのは動揺したときなんだって。知らなかった。
小説でしかできない表現ってなんだろー。
一人称「僕」の主人公の名前が最後まで伏せられてるから、
関係性によってその都度で呼称が変わることとか?
根暗そうなクラスメイトくん、秘密を知ってるクラスメイトくん
大人しい生徒くん、仲良しくん、?????くん
それは確かに読んでて楽しいだろうな。
叙述トリックみたいで。
ピノキオかー。
怪獣の子供でググってたとき、
クジラに呑まれるのはヨブ記が元ネタとか見かけたな。
クジラの体内、胎内を通り、生まれ直すわけだ。
お人形が人間になるっていうのは、まぁ変身でもあるけど、
ゼペットじいさんとか製作者の手を離れて、様々な経験をして、
自分の心、自分の意志があることを知る、自立の物語のような気がする。
現代のピノキオといえばコレ、AIではなかろうか。
https://youtu.be/ZD7cS21uJpg
ペルソナ5ロイヤルの新キャラ、AIのソフィが製作者の命令を拒み、自立する物語。
変身でなく、もうひとつの自分、ペルソナを使えるようになるという表現方法になる。
過不足無く良く出来たシナリオで泣いた。
長ければ15分くらいあたりから見てもいい。
「与えられたものを越えて変わることができる力、…それが心だ!」
ソフィアたんマジ人の善き隣人。
AIも知性体になるのなら、やはり関係性の構築が必要になるだろう。
無体を強いてはいけないし、ナメられてもいけない。
互いに協力するメリットを提案し、共存していく。
まぁ、毒親にならず、自分の子どもを1人の独立した人格であるとして尊重する…、言うは易しだなww
絵がすごく上手い。アクションも動物もいい。
ちちのおめかしオールバックと部屋着ボサ頭の落差とかも女子ウケが良さそう。
陰鬱で緊張した時代でほのぼのしたギャグをやる落差も面白い。
流行る予感しますね。
君の膵臓を食べたい、はタイトルで食わず嫌いしてました。カニバリズムとかヤバない?
いちご同盟とか四月は君の嘘とか世界の中心で愛を叫ぶとか、
ヒロインが不治の病っていうのも、
約束されたお涙頂戴劇みたいな気がしてあんまり好きじゃないし。
ていうか恋愛主題の時点でイライラするから進んで見ない。リア充爆破しろチクショー。
しかしそんな僻みでもし名作を見逃してたら損ですよね…。
汚れた心をクリーニングして楽しめるようになりたいですw
息子さんが勧める小説の方がまだ読みやすそうかも。
住野よるもなろう出身小説家なのかー。
今、人集めてアニメもなかなか作れないし、
1人でも書ける小説は伸びる分野かもしれません。
変化する時代で、伸びる分野も淘汰される分野も出てくるけど、
でも、国際情勢が混乱しても各種業界が落ち込んでも、
太陽や空気がなくなったわけじゃなし、
日々生きて暮らしてる、そこにいる人達が消えるわけじゃない。
地に足をつけて、自分とその人達のために何ができるか、
ミニマムから、最小単位にいる自分から、
マキシマム、最上の変わらないものと共に在る。
そういうのが絶望しない心得かもしれません。
人間至る所青山在り。
米の飯とお天道様はどこにでもついてまわる。
年の割に言葉が拙いというか、
同級生と比べても舌足らずな感じだけど、
心を読む力があるっていう設定に合ってると思う。
非言語コミュニケーションに長けた子は、
言語能力の習得が遅れる、というのはアルさんのスレでもちょっと話題になってた。
テレパシーが使えるなら、
思うことの全てを過不足なく送受信できるなら、
わざわざ言語という不完全なツールに落とし込む必要なんかないもんなー。
思ってることをぴったりくる言葉にするのはなかなか難しいし、
語弊があったり、相手によっては曲解されたり
してな。
まぁアーニャは受信専門で、送信はできないぽいけど。
イチャイチャしてるのはまともに見れないから、作業しながら見にしたけど。
まずとりあえずアレだ。
星の王子様をオマージュに使うならもっとクオリティをガチれやと、
星の王子様ファンからは言いたい。
テキトーにフワッとそれっぽいとか一番やめてほしいやつ。
これくらいやってほしいものですね!
https://youtu.be/nQTAfA7n71g
セリフには時々光るものがあった気がするが、
まぁそもそもヒロインが不治の病設定っていうのが、出オチとして強力過ぎて、
ありがち以上にしづらいテーマなんじゃないかって気がした。
いちご同盟も四月は君の嘘もセカチューもそれぞれ味付けは多少違えども、読後感が一緒なんだよなー。
根暗系主人公と、先がないからはっちゃけてる振り回し系ヒロインの構図にどうしてもなっちゃう。
まあ、みんなそういうのが定期的に読みたいのかもしれないね。
メメント・モリ、死を想うためにはいいかもしれない。
あ、まさかの病以外での突然死っていうのが目新しさだったんだろうか。
ひでえww
そういうさぁ…、目新しさを優先して、作者がキャラを愛してないみたいな展開は好きじゃないな…。
これは好きになれるところがなかったな…。
母役が田中敦子だったことくらい…?
四月は君の嘘は、音楽の演出や絵のキレイさ、キャラデザのかわいさがまだ推せたんだが。
まぁ、もうちょっと考えてみよう。
病んだ部位と同じものを食べれば治るって思想は、同意同食とか、同物同治とかいいますね。
死にゆくヒロインとのお別れが物語の最大のポイントになるわけだが。
四月は君の嘘は色彩設計の幻想的な感じと、
ウユニ塩湖のような場所の昼から夕方、夜になる変化、
クラシックの曲に合わせるとか、
いくつもの要素の掛け合わせで、ありがち感を越えた表現を作ってると思う。テレビシリーズとしてはなかなかの出来だったと思う。
https://youtu.be/azFH3_ENBAo
君の膵臓を食べたい、では
ヒロインの日記を読む場面がそれに相当して、
映像表現としてはそこに星の王子様オマージュをぶっこんできたわけだが。
わけだが…
いや、発想はいいけど。
もっと頑張れただろ。
なんだあの適当な星の絵。原作リスペクトたりねーぞ。
星の王子様のポテンシャルは高いよ?原作力ハンパないよ?
世界中で聖書の次に売れてる本、時代を超えた大ベストセラーですよ?
王子様が、毒ヘビに咬まれて死ぬというラストも、
重い肉体を抜ぎ捨てて、王子様の遠い星へ帰るっていう、
抜けがらの肉体をみて悲しむことはなくて、
星を見上げたらそこで王子様が笑ってるんだよっていう、
そういう透徹した死生観があってさぁ…。
もういっそ星の王子様の話でもしようかww
あの二人の関係性が恋愛でくくれないことが重要ってマジ?
イチャイチャにしか見えなかった自分の心が汚れているのか・・・orz
星の王子様の、「僕」パイロットの主人公と王子様のような、
奇妙で繊細な心の交流ってことだったのかよ・・・、
ちなみに星の王子様も一人称の物語で、主人公に固有名詞がない。
そこもオマージュなんだろう。
主人公像はほぼサンテクジュペリ本人のようなパイロットだ。
ポルコみたいな一人乗りの複葉機に乗って、砂漠に不時着して、
そこで放浪している不思議な少年と出会う。
独力で飛行機を修理しながらのしばらくの間、彼と色んな話をするんだ。
さらに砂漠なんて非日常なシチュエーションなら、
そのちぐはぐな取り合わせだけで奇妙な友情感があるけど、
思春期の同級生の男女だと、
もうそれだけでカップルに見えちゃうのはしゃーなくない?
クラスで三番目にかわいい女の子が急接近してきたら、
その気はなくとも好きになっちゃうのが男子ってもんじゃない・・・?
まあ、そのくらいの女の子って、自分の魅力に自覚は芽生えつつ、
でも性的魅力抜きで自分をみてほしい、みたいなのがあったりするよね。
男女間で友情が成立するのかっていうテーマは、年代にもよるよなー。
性の自覚が不安定な思春期には特に際立つテーマではあるか?
くるみ割り人形とかも王子が呪いで人形にされたパターンだなー。
人形が人間に…、
コッペリアはあくまで人形か。あれもバレエ作品だな。
どこまでも遡ると、結局ギリシャ神話のピグマリオンあたりが原典というか元型ってことになるのだろうか。
ハウルの動く城では案山子のカブも王子だ。
オズの魔法使いの案山子のオマージュでもある。
オズの魔法使いの案山子は、人間にはならないけど。
頭こんがらがってきたw
人がつくったもの、被造物であるってこと、
子と親、被造物の造物主の関係性の方が主題になりがちだと思う。
ニア・オートマタ(ゲーム)とかウォーリー(ディズニー)とか、
造物主が去った後も命令に従い続ける被造物の悲哀や苦悩が見てとれる。
ピノキオの、嘘つくと鼻が伸びるっていうのは、
なんかこう、夜に口笛を吹くと蛇がくるとか、
戸をきちんと閉めないとおとないさんがくるとか、
悪い子のところにはナマハゲがくるぞとか、
そういう親が子を躾けるためにつく嘘のやつなんじゃねーのって気もするわw
悪いことしたら親に脅かされた通りのことがマジに起きるなんて思ってるうちは、
子どものメンタルですわなw
ご家庭の事情で言葉を覚えるのが遅めな男の子だったのにこの時の絵や説明の言葉は結構具体的で、先生絵もらってもいい?と聞いたら、
これは本当は見せちゃだめだから(とくに両親には見せられないらしい)と言ってすぐに丸めて捨てられてしまい…
詳しい内容は覚えていないのですが道が描いてあったことはよく覚えています。
別の日にふと生まれた時のこと覚えてる?と聞くと、目もほぼ開かず光って見えなかったけどママの声がしたことは覚えてる(要約)と話してくれてなんだか感動してしまいました。
当時はスピ的なことに全く興味がありませんでしたが、思い返してみると不思議なことってあるものですね…
龍使いのお母さんの息子さんのことを少し思い出しました。
ひょー大好物の話(゚∀゚)キター
先生ありがとうございます。
胎内記憶ってやつですね。
両親に見せちゃダメっていうのが興味深いですね~。
両親が子どもにあるはずのない記憶があることを疎んじているからなのか、
「変な子、よそでは言っちゃだめ」という空気を察しているのか。
それとも…
話してはいけない、そういうルールであるという認識をはじめから持っている子もいるらしいですね。
どっちだろー。
龍使いのお母さん宛てかな?横レスすみません。
ピリアさんありがとうございます!
へえ~パターンがあるのですね。
その子はご両親には言ったことがないようで、ここ(絵の場所)でそう決まっていたから、約束をしてから来たから、という言い方でした。だからこそ、なんで自分に教えてくれたんだろう?とも思いましたが。
よく「◯歳までは胎内記憶がある」というような話もありますが、もう今は小学生ですし覚えていないかもしれないですね…
ありがとうございます。
おおそうそう、約束してきたっていうワードが出るらしいんですよ。
誰と?っていうと神さまみたいな人?みたいな曖昧な感じになったりするとか。
いやー、なんでそういう約束なのか知りたいですね~。
そういう約束をしてこなくて、普通に話してくれる子もいるわけで。
そのへんの差がどこで決まるのかとかね!
仮説は色々妄想できますが、聞いて確かめてみたいものです。
また何か思い出しましたら是非いつでもオナシャス
コメントありがとうございます。神秘的で不思議なお話ですね
秘密を打ちあける運命だったのかな?と龍使いのお母さんと似たことを考えました
先生さんが特別なのか、男の子にとって特別な人だからなのか…
昔とかずっと前じゃなく、生まれる前という自覚があるのかな。おもしろいですね
胎内記憶、私も息子に聞いた事があります
残念ながら何て話してくれたのか忘れてしまいました
育児日記をつけていたのでどこかに書いてあるはず
一度話したら忘れてしまうと聞いた事があったので
ある程度話ができるようになるまで待ちましたw
息子を妊娠していた時にスーパーで知らない母娘と
すれ違ったのですが、その3~4歳に見える女の子が
突然私のお腹を指差して「男の子!」と言いました
その頃の私はまだ全然お腹が目立っていなくて
妊娠しているかどうか見た目では分からない頃だった
ので、えっ?えっ?何で分かったの?と驚きました
でも生まれてきた息子を見ていたら小さい子供は
みんな不思議なパワーを持っているのだろうなと
思いました
その5歳の子がご両親には言えなかった事を
話してくれたという事は信頼関係を結べていたり
出会う運命だったりと色々な事が縁となって
不思議な話を聞かせてくれたのでしょうね
素敵なお話をありがとうございます
君の膵臓を食べたいはダメでしたかw
君の名は。や天気の子も恋愛要素があったけれど
その2作はリア充感が無かったから違ったのかな?
私は多分完全に母親目線で見ていたかもしれません
あんな子供達が自分の立ち位置でそれぞれ悩んだり
傷付いたりしながら精一杯生きている・・・(涙)
みんな、頑張れ!みたいな感じでw
最後の星の王子様のオマージュ部分は終わってから
気がつきました
最初はこの場面は何なんだろう?と分からなくて
スパイファミリーのアーニャは私も何故あんなに
片言なんだろう?と思っていました
でもピリアさんの考察を読んで、なるほど!です
龍使いのお母さんありがとうございます。
いやこれは話題にならなければ絶対見なかったヤツでした、ありがとうございます。
君の名は、も劇場の時期はスルーしてました。
レンタルでも初めは作業しながら見でした。
さやちんとテッシーの自転車二人乗りですでにイライラはピークでしたww
でも、新海誠の空の表現がなにしろ唯一無二の美しさだったから、
それで引き込まれましたね~。
男女の関係性ってやつ以外にも見どころがあればいいんですけどね。
とらドラとかあの花とか、有名どころでも男女の人間関係だけに焦点のあたったアニメは苦手分野です…。
若者達のやりとりを微笑ましく眺めるには、自分は自意識過剰なんでしょーねww
自分のことのように恥ずかしくなるww共感性羞恥ww
しかしアーニャは、幼児期に親身に話しかけ、また話を聞いてくれる人、
母親の不在のせいで言葉が遅れている説も思いついてしまい鬱。
アーニャの舌足らずを作中の誰も指摘しないでいてくれる優しさが救いか…。
…、親目線といえば、
キミスイのヒロイン桜良ですが、
膵臓がんに通り魔と、確率的にはあり得ない不運のダメ押しで、
死亡確定が逃れ得ぬ感がありますが、
生命力に溢れ、まださしたる悪事も行っていないはずの若年者が、
ああまで死ぬしかないって運命がリアルにあるとしたら、
だいたいは、親の因果が子に報いってやつですよ…。
桜良の親、あるいは先祖の生き方になにかしら問題があるんじゃないのかと思ってしまいますね。
新海誠であれば、そういうオカルトっぽさも入れられたでしょう。
死が近い物語には、やはり目に見えない因果の描写もあるほうがそれっぽくて好みです。
まさかの衣装がパジャマwwwなるほどwwww
宮崎駿だってコナンとかホームズとかハイジとかアニメーターの下積みがあったわけで、
キミスイは住野よるの処女作なわけだし、
今後の伸び代、期待値コミで評価されてもいいんじゃないかな…。
誰も彼も最初から天才じゃないんだよな。当たり前だけど。
温かい目で育つのを待つことも必要だ。
キミスイの監督は…、牛島新一郎?
アニメ映画監督は初かあ。
それなりに破綻はなかったけど、今後はどうだろう。
どういうところがこの監督なりの表現だったのかなぁ。
録画してたから見てみた。
クジラは白鯨の影響を受けたディズニーの改変で、
原作では怪物とかサメだったか。それはヨブ記のリヴァイアサン的なイメージだろうか。
んー、まぁ、管的なもの、通路的なものと見做すなら、
魚でもサメでもクジラでも、まぁいい…のか?
手も足もない、水中のでっかい管。蛇と似てる象徴だ。
暗闇に飲まれた時、思い出すのは、最初に見出すのは、その人にとって一番大事なもの。
最初の願いをもって通路を通ることで生まれ変わる。
というか、割と行き当たりばったりで書いてあって、
当時の時事問題や風刺も多くて、
解釈できる余白が大きい物語なんだなこれ。
でもまあ、ラストで父ゼペットの看病をずっとするとか、労働するとか貯金するとか、
誰かに面倒みてもらう子供の立場から、
他者に責任を持つ大人の役割を果たせるようになって、
それで人形から人間に、
子供から大人になった。
ということの気もする。
ただまぁ、解説者も言ってたけど、
子どもが大人になることが必ずしも是ではなくて、
奔放で考えなしで無責任になんでも出来た子どもであることが失われたわけでもある。
解説者はピノッキオをピカレスクロマンと解釈してたから、
ダークヒーローが改心する物語ってのはちょっとイマイチなのはわかるww
悪の美学を貫いてほしいよねww
まぁ、大人と子ども、責任と無責任、維持と破壊、どちらも適度に必要なんだよな。
天気の子とかだと考え抜いてからそういう構造にしてある。
>>でももっと大変な事もたくさん経験してきたので笑って乗り越えようと思います
こんなこと言えるなんてしなやかで強いですね
聡明な息子さんの話を聞くと優しい気持ちになれる
「膵臓」の第一印象は本屋で見かけたときで、タイトルと裏腹な爽やかで優しそうな装丁に目を引かれたなあ…
本の感想を言ったり言われたりってなんかいいですね。
小さい頃から「本=読んで楽しむ個人的な趣味」だったので、感想を言い合ったりしたことは少なかったから
セーラームーンは終盤以外は娯楽色強いしストーリーが緩やかだから、どこから見ても楽しめると思います。
キャラクターがかっこかわいいし、表情や体がコロコロ動くし、音楽かっこいいし。
恋愛物をよく読んでた頃は、学生時代だったこともあって登場人物の友達や親友目線で読んでたなあ
ここ数年そういうのと疎遠だけど、読んだらたぶん親目線になってるかもしれないw
あまり嫌な経験ないからかなあ。
思春期以前は異性の友達が多かったけど、これはたぶん家庭内でのコンプレックスが原因だわ。
恋に恋してた思春期は喪だったw
それからも出会いはあったけど、恋愛なのかなんなのかよく分かんない微妙なまま終わっちゃったしw
ピノキオの紹介全部は見れなかったけど、あらすじ読むとかなりハチャメチャで、それが失われたのは自分も寂しいなあ。子供の特権かな
利かん坊が突然サラリーマンになった感w
月曜0時代に宮崎コナンやったのはビックリ
ミュトスさんありがとうございます。
未来少年コナン、まだ一話だけど懐かしいのに古びないあの舞台設定がいい…。
オープニングの草生したロケットに洗濯物がかかっているという絵がもうねw
たった一枚で、文明が自然に飲み込まれ、
それでも人間の日常が続いているってことがわかる。
世界観のある絵だ。
コナンのようなボーイミーツガールはなんの葛藤もなく見れる。
宮崎駿のボーイミーツガールはみんなそうだ。
恋愛の微妙な駆け引きに揺れる傷つきやすい心なんてものはないww
ヒロインとヒーローはかくあるべしというシンプルさしかないww
だから駿作品好きっていうのはあると思います…。
なんだろうな~。
セーラームーンでも時々見ちゃおれん場面はある。
衛をあの手この手でオトしにかかるレイも見ていられなかったw
衛はうさぎと運命のカップルだから、
レイは当て馬確定なのにあんなに頑張っててな…、
まぁ、恋愛絡みで傷つくのが嫌なんだろうね。
それは自分の中に同じ痛みがあるからだということになりそうでは…ある…。
なるほどこれはとても良かった。
サラッと読めるし、
目新しい構成も面白いし、
幸せとはなにかっていうテーマの追求もすごくいい感じだ。
なんとなく感覚がフレッシュで青少年とマッチしてそう。
西の魔女が死んだとか、僕は勉強ができないとか、つぐみとか、
そういう感じの夏休みの読書に推奨される本になりそうなw
まだネタバレはするまい。
星の王子様、ジブリ、スヌーピー、アンダーザローズ、
ちょいちょい小ネタを挟んでくるのはいいのか悪いのかw
全部考察してもいいけど、まぁ野暮ってものかな。
龍使いのお母さんと息子さんのオススメありがとう。
住野よるさんの小説は先に「よるのばけもの」を
読んでいたので2作目ですが良かったです
こうだったら良いな、と思っていたラストでした
よるのばけものは救いが無くて苦手でしたが
また、同じ夢を見ていたは伏線もキレイに回収されて
私にとっても幸せって何だろう?と考える良い機会に
なりました
君の膵臓を食べたいも小説を読もうか迷いますね
ピリアさんの考察、是非聴きたいです
しかしまあ、このうえない現実逃避で幸福には違いないw
滑らかな白い小麦粉今はそんなふうに踏み締める止まらない表面張力の無い自己顕示欲
満たされないこの壊れかけのが今を生きている
過去の記憶を楽しく生きてた今を生きている押し潰されそうだから粉になりたい
ただし綺麗に起き上がったらどんな形にでもなってまた真面目にやっても不良になっても死に急ぐ
無機質なワルツを奏で無理に歩調を合わせるな
腐った来るのは太陽光カラスの月の光に照らされて躁鬱架空世界は抗鬱閉じ込め
何もない虚無の空だんだんウォーキングデッドのようになる高所恐怖症
どれくらいいつ落ちるか不安のあまり牙を剥くそれすら無意味滑らかな粉のまま羽を手に入れたら
今は出られぬどこにいても、必ず孤立が全てなんだなと思うが適当にサイコロ降って人の運命にくる渦に飲み込まれる大地がある
暖かさをくれる太陽が見上げれば限りなく澄んだ青が星や月が煌めいてる
都会は人どこかの誰が寝ている間に玄関の靴をそろえる父
庭を昼寝を水面の光だけ思えばあの頃は見下ろせば濁った水に底知れぬ恐怖
なだらかな丘の斜面をなぞるようにゆっくりと柔らかく空の天辺までなんて行かなくていい
理屈は何でもいいと思う程に苦しむ自分
だから唇を縫い合わせ月だけいつのまにか岩にならないよう振り下ろす
そう何一つあなたのせいで寝ている間に動いてもうよく分かっているけど辛い
諦めたあの今だから変えうる未来を見ていたいだけ
高鳴る鼓動と手が快楽
その様を思い浮かべると落ち着く刺々しいばかりは疲れるから明け終わりが来ないことなんてない
いずれそれでも罵詈雑言時々擁護
ただほんの少しだけ地面から足が離れていれば小さな石を数える
私の誰かの悲しみもしれなくても己の手で掴みうるものが不確かすぎて分かってるあなたが日を振り返る
正しかった過ぎた過去は変えられそれなら未来は真面目すぎそれとも膨大さと複雑さに過去は変えて記憶の意図的な操作で生きている自分
いつもあの窓から見える小石が世界に永遠の絶望を与えた家も中だけでこのぐらい
本当に同調圧力忘れてしまったらこの世はあの世分からないもしもに逃げてばかりで現実不直視
不貞腐れてるだけ行動を起こしあの世なんてそもそもない
どこにも逃げ場は雁字搦めで息が苦しい
常に俺の行動逐一観察の夜は興味関心、無限大近い数値を弾き出した
ずっとずっと
過去は苦しめたりして暗いのか明るいのか分からないついているかもしれない
不信になった時に胡散臭い人が寄ってくる
あ、お久しぶりですありがとうございます。
なんか中盤すっごくイイ感じだったのに、
最後どうしたwwwww
暖かさをくれる太陽が見上げれば限りなく澄んだ青が星や月が煌めいてる
都会は人どこかの誰が寝ている間に玄関の靴をそろえる父
庭を昼寝を水面の光だけ思えばあの頃は見下ろせば濁った水に底知れぬ恐怖
なだらかな丘の斜面をなぞるようにゆっくりと柔らかく空の天辺までなんて行かなくていい
ここすごい好き。
スケールの振り幅がすごくて映像をイメージしながら読むとクラっとする。
詩もええな~。だんだんクセになってきた。
ちゃんとバックアップとっておいて下さいね。
表面張力のない自己顕示欲、なんて一生思いつかない文字列だわww
お話割り込んでしまいますが
昨日読んでて面白かったのでおすすめ。
ジャンプ+の「地獄楽」
自分の中の相反するものの存在を否定ではなく認めて受け入れ、
その上でそのバランスを取りながら成長する、
そんな登場人物たちの物語と私は読みました。
戦いもので残虐な描写だらけですけど
大丈夫な人はどうぞ。
まだ連載中です。
名前考え中さんありがとうございます。
地獄楽2巻まで持ってる~。ジャンプラで続き読もうかな。
男だ女だ、強さだ弱さだ、情だ理だと二つに分けず、
相反するものも、そのまま自分と受け容れる、中道。
いいですよね。武道、剣を振るなかで辿り着く境地の言葉としてシビれます。
でもちょっと殺伐としてて続きを買うのは萎えたな~。
ダークさとライトさも合わせて中道にしてほしいww
そんなのひどいよぉ…(ToT)
なんかこう、ベタなんだけどそれでも脚本と演出がうまいんだろうか。作画もいい回だし。
覚えていたし分かっていたのにそれでも泣いた…。
良かった~。
陰謀論だと奇数の11日はユダヤ教由来のなんちゃらでアレだからな。
9.11とか3.11とか。
これはとても優れた物語だ。
ピリアさん、それを書きにやってきたのでびっくり
届いていたBlu-rayをやっと今日見ました
岩の巨人も美しい馬も精霊だったのですね
見終わってからオマケ映像を見ていて知りました
何で馬はエルサを襲うんだろう?と思っていましたが
あれは自分の心との闘いだったという事でしょうか
映像は相変わらず素晴らしいしアナもエルサも
可愛いしオラフは新しい声優さんの違和感がないし
両親は何をしに船に乗って行ったんだろう?という
疑問も解決されたしとても良かったです
そして小さい頃のアナが新津ちせちゃんだったとは
なんて芸達者!
龍使いのお母さんありがとうございます。
自分もDVD届いて見たところでした。
水の精霊の馬、ケルピーのノックも、
風の精霊のゲールも、
火の精霊のサラマンダーのブルーニも、
地の精霊のアースジャイアントも、
初対面では非友好的ですよねww
エルサは第五の精霊で、彼らの仲間、あるいは主人的存在なわけですが、
人間に生まれ変わってそれをすっかり忘れている。
精霊たちにも心というか、それぞれの性格があるみたいで、
それぞれのやり方でエルサに相対します。
精霊たちの気持ちになって考えてみたら、
そりゃそうなんじゃないかな。
自分たちの主と認めていた精霊が去り、人間に生まれ変わってやってきたとなれば、
自分のことを思い出してもらおうと働きかけたり、
以前と同じ人がなのかどうか試そうとしたり、
あらためて自分の主人として相応しいか挑んでみたりするでしょう。
風の精霊ゲールは、エルサたちを竜巻に巻き込みますが、
過去の出来事を氷の彫像にするというエルサの能力を教えてくれる。
荒っぽいけど力の使い方を思い出させてくれました。わりと友好的です。
火の精霊サラマンダーは、小さいトカゲだし、なんかあまり難しいことは考えてない感じw
争いのあるところに同調して炎をあげるけど、
鎮められればかわいいトカゲになる。
多分、周りの雰囲気にノってるだけの無邪気な存在なんじゃないかと。一番妖精とか精霊らしい性格ですね。
水の馬の精霊の元ネタは、ケルピーなので、
人を水に誘って沈めるという伝承があります。
でも、過去は関係ないとして、
今の人間のエルサが自分の主人として相応しいか、試してきたんじゃないかと思います。
多分本気で殺す気で、全力で挑んできた。
生真面目な武士、騎士、武人タイプなんじゃないかと。
そういうタイプは一度忠誠を誓うと裏切らない忠臣になってくれそうです。
アースジャイアントはすべてを思い出したエルサの前に膝まづいて手を差し出す。
水の馬に乗って水面を駆けてきたエルサは、
本当に人間離れした女神か精霊のごとき美しさです。
その姿は、多分かつてと同じかそれ以上だったので、
その姿を見ただけで主人と認めちゃった感じではないかと。
精霊たちは喋らないので想像で補完する余地が多いですね。
でもビジュアルでしっかり性格付けはされてると思うので、何度か見てたらまた色々気がつくことがありそうです。
たまにゃ予備知識なしで濃いやつ見てポカーンとして、
オタにひく一般人の気持ちでも味わってみるかな…。
ところで>>730
はどういうことだ?
アナ雪2でオラフは、魔法が解けてバラけて雪に戻る、
風の精霊ゲイルがその雪を滝のあるところに運んで花を供える。
エルサが戻って「雪だるま作らない?本当良かった、水には記憶がある。」で、
またゲイルが雪を運んできて、同じ雪だるまを再生する。
ハッピーエンドなわけだが。
一度壊れてから再生する、というのは、
ダムを破壊して、王国が新しい女王を迎えて再スタートするという構図の縮図でもあると思う。
両民族の諍いを許し、新しい関係性が始まることともリンクする。
まぁ、そう。逆に言うなら、
新しく始めるためには、一度壊さないといけない。
それは、どんなものにも言えることだ。
予言というより、象徴としてそれを読み取るっていうことなら同意する。
旧いシステムは、壊れる。壊すべきだ。
どのレベルか、どの程度かは分からないが、
それは覚悟しとかないとな。
なんかこう、セーラームーンのオープニングに通ずるよな。
青い空に青い水面が映って、白い長いドレスがひらひらして透けて、金髪がサラサラなびくっていう。
そりゃ小学生女子のハートを鷲掴むわ。
なんでこうロマンチックなんだろうなこの絵面。
過去の真実、すべての記憶の眠る川の底、アートハラン、Heartの深奥、
そういう場所の、さらに底が抜けるという表現。
アカシックレコードより先、集合的無意識よりも先にあるもの。
もうそうなると、無限とか、空とか、0とか、愛とか、原初の混沌とか、そういうものってことになる。
そんなところに助けに来てくれるってことは、
もはや忠誠とかってレベルでもないっつーか。
あの水の馬はエルサ本人の分身というか、本人の力の象徴でもあるよな。
馬に手綱をつける、というのは、
自分より大きな力を御するってことで、
馬に乗ったエルサは、国を飲み込むほどの、ダムいっぱい分の水の怒涛を氷の壁で防いでみせる。
天災に匹敵する力ってことだ。
もともとエルサの力は、みるみるうちに氷の僕をつくるとか氷の城をつくるとか、
人の身には過ぎた、桁外れの力だった感あるけど。
その辺はまだ、時間と技術があれば人間でも似たことはできそうな気がする。
ロボットをつくったりビルをつくったりできる。
しかし、洪水や台風、地震などの自然災害に対抗するとなるとな…、
察知して避難するとか、備えるくらいしかできない。
天災級の力、
人の身には過ぎた力っていうのは、
人の心のままでは扱えない力ってことだ。
揺れる感情があっては制御できない力。
だから、ひとつの方法として、心と力を切り離して、そこに手綱をつけるってことなんだろう。
力と心を切り離しておけば、心おきなく泣いたり笑っり怒ったりできるわけだ。
怒りに我を忘れて、天災級の力でなにかを壊してしまって、後で悲しむなんてことがないように、そういうことをする。
まぁ、それでもアナ雪1では幼さから力を制御できず、
妹を傷つけてエルサは引き篭もってしまったわけだが。
力と、心は、レベルが合ってないといけない。
四大精霊を統べる精霊の女王が、
揺れる心をもつ人間に生まれ変わるってのがそもそもキャパオーバーっていう話なんだよな。
容量が大き過ぎて人の器に納まらないでしょっていう。
だから力と心の大部分を忘れることで、封印することで人間として成立させていた。
台風が人間に生まれ変わったようなもん。
本当は存在としてのスケール、レベルが違う。
だからエルサは疎外を感じ、苦労するんだな。
自分がどこから来た何者なのか、それを思い出す旅路の物語だ。
冒頭のイントゥジアンノウン歌うところですでに氷のイメージですべて要素が出揃ってるから、無意識ではすべてを知っていて、予感があるんだよな。
子守唄の最後はそういう歌詞だ。
ほんとうの真実を知る、という時には、
自分にとって不都合な真実だけ避けることはできない。
見たくないものを見ないまま、都合のいいことだけを知る、というのではインスピレーションにはならない。
どこかで真実が歪むか、
見てはならないものを見る葛藤や恐怖は怪物のメタファーとなり、それに飲まれる。
エルサも、一度は過去の記憶のなかで凍ってしまったな。
危険というか、知りたくないことを知ることに伴う痛みというのは、ある。
でもエルサは、自分の真実を知った。
人と自然を繋ぐ、第五の精霊であるという真実だ。
代わりに失ったすべてというのは、王国での平穏な日々だ。
アナ雪無印で、散々苦労して手に入れた暮らし、家族、女王としての役割。
積み上げてきたもの、手に入れてきたものすべて失うことになる。
イントゥジアンノウンの歌の前半では、冒険や危険、平穏を失うことを恐れている。
♪愛する人達はここにいるの、危険を冒すこと二度としないわ。
♪それでも、あの声は求めてる。
その声、魂の声、内在する希求に従えるかどうか、だ。
人は、積み上げてきたものを失うことを恐れる。
昨日と同じ今日であってほしいと思う。
築いてきた人間関係、学歴、仕事、地位、財産、信条、常識、知識、社会、システム、世界観…、色んなものを失わないように、しがみつく。
失わないように失わないようにと行動してしまう。
昨日と同じ日々、過去を再生する日々を積み重ねるうちに、
今を生きるということは錆びついていく。
失うことを、変わることを、受け入れることだ。それでこそほんとうのさいわいを感じることができる。
生きてるって何ものにも代え難い喜びがある。
魔法の森は変貌の場、
人間の国の女王は、精霊たちの女王に変貌し、
妹姫は、人間の国の女王に変貌した。
結局はそれが最善だ。
未知の旅へ踏み出さなければ、
閉ざされた森で争いは続き、いつか限界を迎えたシステムの瓦解によって王国は水没の危機になり、
エルサは内なる声を押し殺す懊悩のなかで生きなければならなかったわけだから。
ガニ股にしてしまうのか不思議です
カッコ良く美しく戦うのでは無く戦い慣れていない
感じでカッコ悪いのは敢えてそうしているのかな
まぁもちろん戦いに慣れてはいないと思いますが
あとは海に向かう時にドレスを脱いでインナーパンツの
ような衣装になったのも珍しく不思議な感じでした
走る姿自体も珍しいような印象です
あー、ねえ。
ガニ股wたしかにw
魔法はやたら強力でカッコイイのに、ポーズカッコよくないのはありますね。
なんでだろ?
フィギュアスケートみたいなスタイリッシュでも良さそうではあるよなー。
まぁ、性格がアレだからな。引きこもり気質。
引っ込み思案で自責的な性格で、戦うとか他者を攻撃するのは得意じゃない。
すーぐ「ごめんなさい、私のせいなの」って言うメンドクサイ人だ。
1のときみたいに雪の僕をつくって戦わせるほうがスタイルとしては合ってるんだろうな。
アナは氷の彫像から剣をとって構える。ファイティングスピリットがあるな。
何事も勇敢でどんどん前に出る。
アナが積極的で攻撃的、
エルサが消極的で受動的、
という対比の性格ではありそうだ。
いやまぁ、エルサが旅に出るって言い出すんだけどね。
でもだから、戦ってて映えるのはアナのほうにするために、
エルサのバトルシーンにはエレガントさが欠けてるという演出になるのかもなw
まあその、顔面格差っつーかどうしてもエルサのほうが華やかな氷のエフェクトがあるだけ目立つからなー…。
強力な魔法があるのはエルサだが、
魔法もないのに、とんでもない勇気と行動力があるのはアナのほうだ。
アナ雪は、ダブルヒロインていうか、アナもエルサも同じだけ重要なんだよな。
橋のたもとは2つあるんだ。どちらも必要で重要だ。
冒頭のピンク紫みたいなドレスは、正直エルサに全然似合ってない色だと思う。
ナイトドレスの赤紫も似合わない。
なんかこう、居心地の悪さというか、違和感というか、しっくりこない感じをあらわす服なんじゃないかと思う。
人間の国の女王であることに、平穏を感じながらも、心のどこかでこのままではいけないと感じている。
魔法の森へ向かう時の服は白と水色、よく似合う氷の女王っぽい色だ。
♪アアーアアーの内なる声の導きに従って旅に出る。自分を知ろうとしているときは、自分らしくいられる。
ダークシーを渡るとき、スカートを脱いで、髪も編み込みから1つ結びに括りなおす。
そうだな。どういう意味だろう。
ダークシーはアートハランの手前の超えていかなくてはならない試練の場所だ。
心の奥の真実に向かうとき、脱ぎ捨てるべきは、ガラクタの思考パターンだ。過去、常識、虚飾、与えられた役割…、
だからまぁ、ドレスと結い上げた髪は、人間の国の女王の姿の象徴か。
人間の国の女王であることを脱ぎ捨てて、裸に近い姿になってダークシーへ挑む。
で、水の馬に手綱をつけて乗りこなす。人馬一体の美しさは、試練を超えて大きな力を制御することができるようになっている。
髪がほどけたのはここだったっけ。
そしてアートハランだ。氷の磐座の割れ目から下へ降りていく。
胎内回帰的でもあるし、聖域への道でもあるし、潜在意識への道でもある。
そこで、四大精霊のイメージを四方に並べ、その中央、第五の精霊のあらわれるべきところに立つのはエルサだ。
エルサが、自分の前世が第五の精霊と知ったとき、新しい服があらわれる。
精霊の女王であることをあらわす、神秘的な白が基調のドレスと、結うことなくそのまま流した髪。
ということでいいんじゃないのかな。
髪を結わないというのは、髪の魔力を封じないってことでもある。自然のままにしている。精霊らしくていいんじゃないかと。
服で色んなことを表現してるのは面白いな。ハウルの時みたいw
あー、それ多分逆だな。
ラスト、水の馬に乗ってアートハランに駆けていくエルサの場面で終わるけど、
ああいう活発なのが本来の彼女なんだろう。
馬に乗ったり駆け回ったりするような、自然のなかに溶け込むような存在だった。
でも、人間の国のお姫様とか女王だから、それらしくお淑やかにしてたんじゃないか?
ありのままの姿見せるのよ、と言いつつ躾とか初期教育ってのはなかなか抜けるもんでもない。
それもまたガラクタの思考パターンと言えるかもな。
女王の象徴のドレスを脱いで、髪をほどいたか、思いのままに駆け回ることを思い出したんだろう。
アナ雪2を見てるとなんていうか、パワーバランスが偏ってるよな。
火の精霊のサラマンダーが手のひらサイズのトカゲっていう小ささなのは、
北欧っぽい寒冷地だからってことだろうか。
太陽の光が弱く、火の気に乏しい土地だから、精霊もそれに照応した姿になる。
地水火風を四方に並べたなら、中央は空とかエーテルの精霊になるはずだが、
エルサの属性が氷っていうのもな。水と属性がカブッてる。
まぁ、元ネタが雪の女王だからと言えばそれまでだが。
火山帯や灼熱の砂漠であれば、サラマンダーといわずファイヤードラゴンって感じになるのだろうか。
まぁ、サイズの大小とかいうなら、
そもそも風の精霊のゲイルにはビジュアルすらないのでそんな比較も成り立たないか。
擬人化とか、キャラクターにしないで、表情をつけないで、
風の精霊を表現するっていうのも思いきった表現で良かったな。
木の葉や雪が舞ったり、服がはためく動きとか、
笑い声みたいな効果音、あとはテーマ曲なんかで、ゲイルの存在を感じさせる。
高度な表現だよな。
城や人形や、イメージしたものをなんでもみるみる形にするというのはちょっと特殊な感じだ。
普通漫画やアニメの氷雪系能力っていうのは、
冷やすとか凍らせるとか、氷の塊をぶつける、氷の刃で攻撃する、とかそんなもんじゃないっけ。
鬼滅の童磨は氷の粒を吸わせて肺を痛めるとかそういう応用もあるけど。
氷でもあるけど、イメージを物質化させる能力って感じでもある。
氷を媒介に、精神を物質に互換する、転写すると解釈するなら、
第五元素、エーテルの精霊っぽい感じがしてくるかもな。
フィフスエレメントなんかでは、第五元素は愛だと説明された。
エーテル、愛、万物を満たす、万物の根源素。
すべてになり得るなにか、未だ形のない何か。
それは確かに、辺りを満たす霧の粒に似ている。
それは確かに、空を写す水面に似ている。
エヴァはノータッチですまん・・・。
世代なんだけどなあ。
多分行く。一度もリアルタイムで見たことないので。
じゃ、おススメされたら行こうかな・・・。
予備知識がTV放送当時のぶんしかないww
エヴァ沼はどこから手をつけたらいいんだ~。
けど新劇場版の3作観たらいいと思います
笑ったww自分も知りたいwww
鬼畜で笑ったwwけど自分も知りたいwww
という事が何年か後におこるであろう
なんだ声優の話かww
察しが悪くてスマンねww
幼女の性癖が歪むぞ…、まぁいいけど。
クンツァイトの作戦がJCのミーハーを当て込んだガバガバ作戦ばかりで笑うw
それで毎度セーラー戦士達が釣れるからいいようなもののww
ジェダイトやっぱり有能だっただろw
セーラームーンがシリアスに「戦うのやだ」って泣きだしたのは、
やっぱり画期的よな~。
戦うことに慣れない感性、戦うことに快を感じない感性っていうのは、
バトル展開のなかでは忘れられがちだ。
プリンセスの自覚やら戦士の自覚やら、悪と戦う使命やら、
前世の因縁を果たせと迫る黒猫白猫に違和感を覚えるべき。
生まれる前のことに縛られて、今生きてる自分の意志を疎かにしてはいけない。
そうならないために、すべてを忘れて生まれてくるのだから。
あの辺の違和感が、キュウべえみたいな裏切りのマスコットを生む土壌になったんじゃないのかと思う。
さて、次回配信分は伝説のトラウマ展開だ…。
なんか一時期、ああいう一人また一人と仲間が倒れるみたいなの流行ったのかね?
ウルフズレインとかもそんなんだった気がする。
薔薇が散る場面とか幾原監督みあった。ウテナへの萌芽を感じた。
ていうか最終回の声ちびうさの人で、クインベリルとルナが同じ声とか気がつかんだろ。
声優ってしゅごい。
あくまで「あなたと戦いたくないの」で通したのはすごいわ。主義を一貫したのは尊敬した。
なんかこう、動画の枚数やら色数やらエフェクトが今時より少ないぶん、
声優の演技で脳内補完する余地が大きいというか。
そういうバランスあるよなー。
絵や動きが高精細なら演技もリアル寄りの俳優系が合うけど、
まだあのくらいの絵と動きなら声は誇張気味が合うなあっていう。
しかし、クインベリルは失恋と嫉妬でああまでこじらせちゃうってどういうことなの・・・。
得られなければ世界に絶望するほど恋にのめりこめるってスゲーな。
そこまで全身全霊を懸けた恋をするっていうのが、感性が少女、感性が思春期よな~。
年増っぽくみえて意外と若いんだろうな。精神年齢的には十代なんでないの?
なるちゃんもそうだけど、
善い目にでれば身を挺する勇気にもなって悪人が改心する奇跡も起きるけど、
悪く言えば親の店から盗みを働くこともある。
一途な恋心に盲目になって、後先考える見境がなくなってしまう。
頭脳派のマーキュリーは、後先を考える見境、知性や理性が先に立つせいで恋に飛び込めない。
リスクが見えるから恋に憶病になる、そういう対比も描かれていたな・・・。
大人になるほど恋はそういう傾向になる。傷つかない予防線を張ったり、将来設計もろもろの打算が働くw
大人になれば、恋をひとつ失ったくらいで世界に絶望することはなくなる、とも言える。
恋の他にも人生において大事なものはありますww恋愛脳乙wwってなもんですww
そこでジュピターの「青春に悔いを残すよ!」はグサッときたねww
そう、その何もかえりみない、無鉄砲な情熱こそ青春の特権と言えるw
ジュピター、ゼウスの好色設定から恋多き女なんだろうけど、信念があって好色ならばそれもまた好感度高しw
マーキュリーは素直になれて良かったねw(ToT)
前世の因縁、超過去の月の王国、コールドスリープみたいなSF方向にも世界観を広げつつ、
恋愛事情が主なテーマなところが少女漫画的な感性で、少女が共感できたんだろうな。
クンツァイトの「リフレッシュなどと叫ぶものか!」は笑ったw
意地をみせたシーンで好きになったけど、
ゾイサイトと同じ次元に留まるというのは興味深いっつーかなんつーか。
リフレッシュを拒む、癒しや浄化や昇華を拒む、進化を拒む、次元上昇を拒む。
支配と被支配、恐怖と闘争と欲、二項対立の三次元に留まる。修羅道を選ぶ。
それも自由意志の選択なら、やはり尊重される。
意地張らないで、リフレッシュされていいのにな。
みんな、あえて苦しみを選ぶのはなぜなんだろう。
苦しみさえ、手放すのが惜しいってことなのなのかな・・・。
ダークキングダム勢のようなコンプレックスや悲壮がなくて気楽に見れるな~。愉快な二人だ。
無印ラストからこの気楽さは和む。
昨日天気の子のBlu-rayが届きました
週末に早速観ます
劇場でたまたま完全貸し切り状態で一人で見た日が
コロナ前でかなり昔のような気分で既に懐かしいです
セーラームーンはちょっと見たい気分になってきました
インスタでセーラームーンチャレンジというのが
あって色々な人が描く主人公が可愛かったです
貸し切りで天気子ってなにそれ羨ましい(*´∀`)
セーラームーンチャレンジ自分も見たよーいろんなのあって楽しかった
ところでアンはお気に入りだけど音痴なのは知らなかったwww
ミュトスさん、私は映画は公開終了直前の空いた頃に
観に行くようにしていて、天気の子は確か夏休みの
映画でしたが12月に行きました
平日の夕方から一人で行ったので貸し切りでした
見やすい席に勝手に移動して快適空間でしたw
自分も別作品で経験あるけど、混雑時とは別な体験が味わえるような
個人的な珍ケースは見知らぬ男児・そのおじいちゃん・私の三人で貸し切ったことかなw
しかし、なんで戦士が五人に猫が二匹なんだろうな。
月のプリンセスに黒いメス猫、金星の戦士に白いオス猫。
月にも地球にもよく似た星、鏡のシンボルの星、暁の明星、
セーラーVとして単独活動もできて、髪色が同じで時々セーラムーンと間違われる話があるヴィーナス、
ヴィーナスにアルテミスがくっついてた理由は今にしてわかるけども。
マーズには実はフォボスとディモスという火星の衛星の名前がついたカラスがいる。
多分ただのカラスで大した出番はないけどw
しかし、カラスと猫っていうと、いかにも魔女のマスコットだな。
Rで記憶を取り戻したセーラームーンが「ルナ、またおしゃべりできるね」というけど。
カラスや猫、人でないもの、喋らないはずの動物とおしゃべりするっていうのが、
魔女、魔法少女、美少女戦士のお約束なのだろうか。
女性性の神性の発揮、
聞こえないはずのものを聞き、見えないはずのものを見て、知らないはずのことを知っている。
マーズが神社の娘で巫女で、よく境内で箒を持ってたり護摩を焚いて、火のなかにヴィジョンを見ている。
まあ、女の子ってそういうところあるよな?
お人形遊びでも色んな人形の役を演じ分けてドラマを展開したりして。
赤ん坊やペットの世話をするとき、声色を変えてセリフを代弁したりする。
言葉のないものの世話をするとき、その顔色や仕草から要求を読み取ることが必要になる。
論理よりも直感、右脳的な能力、女性的な能力だ。
セーラームーン無印の序盤では、マーキュリーとルナもよくセットで描かれていた。
あるいは情報を分析していた電子手帳みたいな端末がそういうものなのかも?
おしゃべりまではしてないけど、電脳がマスコットというのは今風のアイデアだ。
ジュピターだけマスコット不在感ある。
だから必殺技の前に一人だけ「我が守護木星よ」っていうセリフが入るんだろうか。守護、護符、マスコットだ。
天気の子の予約注文してるのにDVD届かないんだけど・・・・アマゾン仕事してくれ。
もー買いに行ったほうが早いかな・・・。
時をかける少女がバズる前、単館上映のときに行ったな。
劇場では、時が止まった渋谷のスクランブル交差点で、
人込みの色んな方向から千秋の声が聞こえてくる音響が劇場ならではで面白かった。
ものすご熱心に誘ってくれた友人の先見の明に脱帽。
あれも夏が来ると見たくなる作品だ。
夏はジブリをはじめ、見たいアニメ映画が多いな。
今期はなにが流行るだろう?まだ何もチェックしてないな。
君たちはどう生きるか?鹿の王もあるんだっけ。
作画は色んな人が関わるからクオリティに幅があるけど、
今時のアニメより線が太めなぶん強弱とかクセがあって、うまい絵は一枚絵でも通用する味があると思う。
頬の柔らかさ、脚線美、髪や布のたなびき、線一本で表現できることってすごくあるんだよなあ・・・。
鏡の向こうでプリンセスがドレスをひるがえして回ってるEDは永遠に見ていられる美しさ。
ネフライト消滅回の表情とかいちいち切り抜いて保存しておきたい。
エイルとアンのツリ目デザインすき。
やっぱ面白かった。
セラムン時代から日々アニメは進歩してて、
映像の高精細、情報量の多さを、
もはやセリフなしでBGMに載せて流し込んでくる新海誠メソッドはほんと現代的な感性で快感。
そうだな~、例えるなら、
料理の腕が日々進歩して、
材料の幅が広がって、調理法も手が込んで、小鉢の数が増えて、
一汁一菜の家庭料理が、長いお品書きの懐石フルコースになって、
もう食えねえ、もう情報処理が追い付かねえってなるはずのところをお茶漬けにして流しこんでくるから、噛まずに飲みこめちゃうみたいな。
違うかwwでもそんな感覚www
567の影響を割とモロに受ける職場ですが、やっと最近は落ち着く傾向にあります。油断できませんが…
新しい日常と言いますが、
勤務形態の変化よりも、自分たちの生活がいかに多くの人、海外の人も含めて、に支えられて大切に守られてきたのかを考え直し、愛と感謝のあふれる社会になることが、新しい日常になるといいなと思います。
アナ雪の考察もある~!楽しんで読みました。
アカシックレコード的な、集合的無意識を象徴する空間の底が抜ける表現は、おぉっと思いました。この掲示板で色々な知識を学んだおかげです(笑)
今あるものを捨てて自分の使命を思い出す。そんな意味が込められていたのですね。
最近はようやくサイコパス3期を見終わり、ようやくサイコパス3劇場版に取りかかったところです。
大好きな作品ですが、大好きゆえに、心とスケジュールに余裕を持って一気に見たいので、こんなに遅くなってしまいました。。。
サイコパスについても思うところがたくさんあったのでまたぼちぼち書いていきたいなと思います。
その前にセーラームーンですね!
私がよく見て記憶に残ってるのが無印~Sまでです。天王星と海王星が好きだったので、彼らが出ないSSからほとんど見なくなりました…
彼らが再登場する回もあるので、また改めて観ようかな。
SSから私がセーラームーンから遠ざかった理由は他にもあると思います。
それはうさぎと衛の関係性でした。SSからだんだんまもちゃんが何かに浸食?洗脳?されていきますよね。
そしてネヘレニア編からは洗脳が進んで闇堕ち、スターズに至っては居なくなるからうさぎは星矢と浮気()と言っていいのか、まぁそんな感じになりますよねww
自分的には、SSからの洗脳、まもちゃんがヒロイン化?するのは無印でもう既に出てきた型だと思いました。
まもちゃんが洗脳されて敵の女王の手に落ちる、それを助ける。その繰り返しが、幼心に、もういいやと感じたのを覚えています。
うさぎと衛の関係性が一番好きなのがSの時で、
ちびうさやほたるを守るためにセーラー戦士とタキシード仮面が一致団結して同じ方向を向く、目的を共有する同志になれるからだと思います。
前にどこかで聞いた話か読んだ話ですが、恋愛の理想型として、お互いを見つめ合う恋愛より、同じ方向を向く恋愛の方が素晴らしい関係だと。
自分の少ない恋愛を振り返っても、
同じ目的のためにお互いの個性や能力を活かしながら共に共通の目的のために進むといった関係の時が一番燃えていた(笑)と思います
お互いを見つめ合いなんとなく日々を生きるのも良いですが、いつかは飽きるかなと。
うさぎと衛の関係性にも、違ったパターンの展開が欲しかったですね。
特異点さんありがとうございます。
へえ~、そういえばそうだったっけなあ。
当時の自分はテレビのチャンネル権争いに敗れたり、
見忘れたり録画失敗したりで、
全話通してどういう話だったのかの記憶が曖昧です。
今見直して色々新鮮で楽しいですが、
無料配信は無印とRとSまでで、劇場版へつながる流れらしいので、
やはり当時の人気もその初期シリーズが最高潮だったってことかな。
闇堕ちと洗脳も何回もやられると、衛さん学習してない感出てきちゃいますよねww
お前何回おんなじ手にひっかかるんだよwwってなっちゃうwww
ていうかまあ、世の少女漫画って大抵は、
時に惹かれあい時に引き裂かれる男女のカップルが成立するまでが最大の見所で、
ひとたびくっついてしまえば、あとはライバル登場で三角関係とか記憶喪失とか遠距離とか、
引き離す力を加えてカップルの強度を試す展開ばかりになりますよね~。
やることが途端にしょーもないワンパターンになるっていうか。
二人で心を合わせて困難を越えていくという、
結婚して夫婦になって家庭を築いていく、みたいなフェイズは、
少女の感性に合わないんでしょうな。
どうしても所帯じみてしまう。ロマンスでなくなってしまう。
ちびうさっていう子どもの存在まで前借りしたうさぎと衛のカップルは、
夫婦として成熟していくべきで、それが成立したのがSなのかなと思いますが、
その先をさらに描くと、少女にウケなくなる。
だから恋愛的な駆け引きを繰り返す。
制作陣のジレンマがありそうww
ま、恋愛オンチだし独身だし、知らんけど(´;ω;`)そうかもなって。
星新一のシンデレラ王妃の幸福な一生っていう短編があるけど、
王子様とお姫様が結ばれて、めでたしめでたしでフェアリーテイルは終わるけど、
登場人物の人生はその先も続く、それは日常を維持する地道な努力の日々なんだっていう語りがあったっけな。
王妃になったお姫様は、恋に恋して夢見る少女ではいられなくなる。
周囲の人間関係を調整し、夫の浮気に目を配り、家計をやりくりし、子どもの教育方針をすり合わせ、
みたいな雑務を延々と捌いていくことを要求されるっていう。
そんな話だったっけ。オチも気がきいてたなあ。
Sの二人は確かに成熟した夫婦(笑)でしたね
星新一は読んだことがありませんが、結婚して成熟した関係には少女が喜ぶ要素って本当に無いんでしょうか
新たな魅力が見つかっていつまでも飽きなくて、なんてのは夢の見過ぎかな
確かに一人の人間と結び付くわけですし生活してたら相手の嫌な部分も見えてくるのも仕方ないですが
それだけじゃない、と希望を持ちたいものです……独身ですけど(笑)
恋に恋してる状態とはこのことかなぁ
結婚して成熟した関係には少女が喜ぶ要素って本当に無いんでしょうか。
どうなんだろう…、
少なくともその企画を少女漫画雑誌に持ち込んだら他誌を紹介されそうではあるな。
ゲド戦記とか、少年が成長して、少女が成長して、二人が夫婦になって、第二世代(養子・弟子)とともに冒険する、みたいな流れを何冊、何部にもわたって描くわけだが。
連載が長期化すればそうなるのが自然ではあるよな。
登場人物が成長するなら、それに伴ってライフステージも変化する。
第1部完!で子供達に代替わりする展開っていうのも、ロードス島とかドラゴンボールとか、まぁ、ないこともないけど、
第1世代の人気を越えられない印象あるな。
そういえばうさぎと衛で子育ての疑似体験をする回があったな。よその子を一時預かりする。
あれを延々とやって少女にウケるかってことだろうか。
うーん。
赤ちゃんがいると、とにかく生活と家庭の中心がぜんぶ赤ちゃんになるからな~。
世話するだけで一大事、ひとつ成長するだけで一大事。
パワフル過ぎて、ロマンスもファンタジーも吹き飛ぶんだよなww
子育てモノといえば、赤ちゃんと僕とか?それだけでそういうジャンルになるよな。
ファンタジーもバトルも差し挟む余地がないw
メイドラゴンみたいに異種族百合カップルに幼児を参入させるとか、
子育て×ファンタジー要素は、今後ジャンル開拓の余地はあるな。
荒川弘に描いてみて欲しいw
ハガレンみたいな硬派ファンタジー描ける、肝っ玉カーチャンの漫画家とか唯一無二ww
子無し夫婦がずっと関係性を構築してるのがメインの物語ってそういえば思い当たらないな…。実写ドラマの領分な気もする。
そういえば昔、ちょー美女と野獣っていうラノベ、いやジュブナイル小説?があって、
読み切り一巻のつもりで書いて、あちこちカップル成立させて、子供もできたよっていう後日談も入れて締めたら、
人気絵師だったのもあって予想外に売れたもんで、成り行きで3人の子持ち夫婦を主人公に連載を続けたってやつがあったなぁ…、
メディアミックス展開はなかったけど、巻数はそれなりに出てたし、
魔法の設定とか結構面白かった気もする。
夫の友人のメンヘラ自罰傾向の魔法使いが、魔王になるのを止める、みたいな展開だったっけ。
子育て描写もそれなりにあったし?子供達も成長してそれなりに出番があったが。
結局カップルとしては夫婦になって子持ちになった後でも、記憶喪失、誘拐されて取り戻す、性別転換、諸々のお約束はひととおりやってたなw
まぁ、探せばあるんだろうけど、
やっぱりそれなり以上には流行らないってことだろうか?
今後流行るとしたら、どんな物語になるのか面白そうではある。
しかも今度はダイアナジョーンズをブチ切れさせるんか?
ごめん、ググってもよく分かんなかったわ
宮崎吾朗がダイアナ作品を手がけるの?
おおありがとう。
年末かあ。内容はおもしろそうだけど
>>スタジオジブリとしては、初となる全編3DCG制作の長編作品
すごいな…なんかものものしいというか、仰々しいっつーか
ゲドについては鈴木Pの陰謀とも聞くなあ…あんまよくないことにならなきゃいいが
知らなかったわ~、ありがとうございます。
吾郎に仕事をまわしてるのは鈴木Pで、
駿パパは自分のことしか考えてないんじゃね?
ジブリが原作者をキレさせるなんて
いつものことのような気もするwww
角野栄子もジブリの魔女宅の話をフると、
「あれは宮崎監督の魔女の宅急便です」って以上は
話したくないらしいし、
ル=グウィンも然りwww
ハウルは結構原作者にもウケが良かったから、
次のオファーもOKしてもらえたんだろうけど。
まあ、原作者つきのアニメではそういう問題がつきものだよな。
未来少年コナンとかセーラームーンを見てると、
昔は結構大胆に、アニメという媒体でやりやすくするための改変をしてくるよな。
キャラデザからして雰囲気がだいぶ違ったり。アニオリキャラ入れたり。
宮崎駿の原作へのスタンスはそういう時代の感性ってかんじ。
世界観とシナリオと名前だけ借りて、あとはやりたい放題ww
今は原作に忠実に、原作リスペクトがあるほうがファンからウケがいい。
で、バトル描写とか動画映えするところを盛れるだけ盛る。ぐりぐり動かす。
鬼滅とか進撃とかそうだった。実写はシラネw
アニメの技術自体が向上したのもあるだろうね。
アナ雪2とサイコパスなど、未視聴の作品解説は新たな考えや切り口があったりして楽しい。
天王星&海王星いいですよねー。きれいでかっこよくて、声も合ってた。あの青い髪の色艶に魅了されたな~。
まもちゃんは洗脳されすぎですねw何度も精神冒されて大丈夫か。
でもたしかにムーンとタキシード仮面の共同戦線って印象薄い。
「前世で実らなかった恋が今世で成就」っていうのが前提だから難しいのかな?
当初は一年で終える番組だったらしいから、長く続けるつもりだったら違う作りにしてたかもしれないけど。
あと小さい子とかは恋の成就(両思い)=結婚みたいなところもありそう
両思い→結婚の過程という概念がそもそもなかったり。ロマンスがないのもそうだし。
小さい頃の私は、恋愛物がよく分からなくて好まなかったから憶測だけどw
セーラームーンは(情報の真偽は別として)ファンがスタッフの意図を紹介してたりして、そういうのと比べても楽しい。
この演出はこういう意図らしいですよ、とかね。
星新一のシンデレラはありがちな雑事に悩まされる普通の奥さんって感じで笑ったわw
セーラームーンの演出は楽しいですよね、クンツァイトとゾイサイトとか、ネフライトがバブル期のイケメン風にしては派手すぎて子供の頃も少し引いてました(笑)
星新一みたいに短い話でいいから、外部太陽系家族の話を出して欲しかったですーはるかの浮気に悩むみちるとか、おてんばなほたるに頭抱える両親たちとかww
天王星と海王星が出てくる時の薔薇の花びらとルールーなBGMの演出も好きですww
佐藤栄作、笹川良一、児玉誉士夫、大平正芳ほか 偉大なる爺さん達
満州での麻薬ビジネスを経て 戦後の朝鮮戦争で日本を殺人兵器の販売組織とし
焼け野原からの復興を成し遂げた God grandfather
安倍晋三 美しい日本 僕の代で合法的な組織に変える 僕の代で合法的な組織になる
合法化への第一歩 法の解釈変更 殺人兵器でなく平和的機材シュレッダー等も導入する
「人を殺しても殺人はしてない」 殺人は漢字で2文字 人を殺すは平仮名を入れ4文字
殺人でなく人を殺しただけ 以上の事から殺人罪にあたらない
「募っているけど募集はしていない」同様 何の違法性もない合法的な活動である
合法的な組織への道 世界貢献 憲法99条 遵守・擁護 陸海空に軍の保持 威嚇もしない
世界貢献 集団的ヴァジラヤーナの実現 (ヴァジラヤーナに個別も集団もない)
“i /^ヽ! / !,/ -―- |,/| ハ./ ̄ fニ三三ミヽヾミミミヽ
岸信介ほか i l ハ i/ ━ ヽ. l/ /:. :. .:’ `゙’. ヾミミミミ’,
God grandfather. ヽ_ { ヽソノ/_, i :. ‘;=―一 . ‘,ミミミミ!
/ヽ! ,ィ/ よいこ木更津 `- ;’.‐’u”´,:,! ‘ 、”U”’ .Nlハ⊥
遵守擁護 / _Y オスプレイ t 、 / ._,.ノ,’ ,. }、 tf{´i, l|
合法的な組織 亠─—-;:>- 、. `´ /. ,ゝ^ :: ヽ 反社会的組織からの脱却
i’´  ̄ __ ,,.. -`<ミ} . / _J_ 美しい日本
/l ,. – ´ / ヽヽ,, l /ィ三三シ’^ 合法的な組織になる
反社会的活動からの脱却 合法的な組織になる
殺人幇助の義務化 軍の保持幇助義務化 義務の放棄・逆行は犯罪
人殺しの一員にならない者 軍の保持幇助をしない者は犯罪者
不都合な被害届は警察がブロック 不都合不受理 不都合な犯罪は検察がブロック
軽蔑はしてない
エイルとアンの嫉妬漫才おもしれえ~。
あんまり他で見ない設定で新鮮だった。
なんか当時はああいうノリあったよな。
らんまとかもそうだけど、浮気や嫉妬をコミカルに描くっていう。
魔界樹、というかあれは世界樹だったな。
世界を一本の樹木に見立てる思想は割とあるあるで好き。
ユグドラシルとか扶桑とか。
たった一本で生態系として完結してる大樹とかロマンあり過ぎだな~。
エイルが「バカな、魔界樹に知性が・・・!?」とか言ってたけど、
そうね。
地球人だって、地球に知性がある、心があるって言ったら、
「バカな。」って一笑に付す人多そうwwww
エイルとアンは、「胸にあたたかなものが・・・」っていう新しい認識、進んだ認識を得て、
魔界樹のテレパシーを受信できるようになった。
魔界樹の新芽も、エイルが愛を感じたから芽吹いたものだったんだろう。
自分が暮らす環境そのもの、自分よりはるかに大きなものに、自分と同じ心があるとは想像しにくい。
スケールが違い過ぎるからだ。
でも地球だって、動的平行を保ち続け、エントロピーの増大に抗っているからには、
なにか存在しつづけることを望む指向性があるわけで、それを心や知性と呼んでもいいのかもしれなくて、
あまりにスケールの違う心ではあるけど、
自分の意識を大きくしてみることで共振できる周波数を見つけることができるかもしれない。
「胸にあたたかなものが」という感覚を知ったエイルとアンが、
その時世界樹からのテレパシーを受信できるようになった展開はそういうことを感じられてよかった。
最後までセーラー戦士たちが一撃も当てられない強キャラだったのも良かったな~。
たった二人で恒星間を渡れる宇宙人なんて、相当の認識と力を持ってるだろうからな。
地球人を捕食対象、下等生物と呼んでたけど、そりゃ無理もないと思うわww
消化によらない純粋なエネルギーのみ摂取できるとかコスパ良すぎてうらやましい。
まだ若いんだろうけど寿命とかも相当長いんじゃないか。
アーヤと魔女、
へえ。まだキービジュアルもないのか~。
3Dで吾郎ってーと、まあ山賊の娘ローニャをやった経験があるからな。
枠も同じかな?NHK。
ローニャから次の仕事もらえたってことは、
全然見所がなかったとか儲からなかったとか、
全然ウケなかったわけでもないのか~。
まあ、ゲドもローニャも予告編くらいしか見てないけど。
吾郎も偉いな。アニメ監督しては評価してないけど、
クソオヤジと常に比べられる業界で、拗ねないで不貞腐れないで、
ちゃんと仕事してる姿勢は人間として尊敬できる気がした。
集金用の広告塔ってわけでもないのかもしれん。
アニメ監督としては評価してないけど、
今後とも絶対に評価しない、とは言わないでおこう。
宮崎駿が息子との関係性の構築に成功してるなら、
それは風立ちぬで吐露した、父と息子というテーマを越えられたってことかもしれん。
吾郎はどうでもいい(失礼)が、駿の次回作への期待値が高まった!(゚∀゚)
君達はどう生きるか、いつできるねんwwwww
映画も崖の背景が絵で描いてあるとハラハラするけどCGだとどうでもよくなるな何でだろう
わかる。セル絵はいい。
未来少年コナンもセーラームーンも普通にわくわくする。
背景の絵も美しいと感じる。
手描きの線にこもる情報ってあるんだよな。
描いた人の認識がのっている。心を動かされる。
アナ雪2は文句なしに優れた物語だけど、
天気の子のほうが何回も見たくなるのは、
手で描いた線の有無のような気がする。
まあ、コストの問題でアニメ自体が消滅するくらいなら、
3Dを受け入れてでも、何をしてでも存続を模索してほしいけど。
宝石の国とか良かったよ。3Dだからこそ出来ることを模索してた。
コクリコ坂にしてもスタッフに吾郎の進捗を聞いて「最低だな!」とか言いつつもそのまま傍観。
庵野曰く「スタッフはコマ」以前に親子としてもいびつ過ぎる。
なんにしてもルグィンを失望させたのがめちゃくちゃ残念なんだ、ファンタジーファンとしては。
ありがとうございます。
クソアニメができると、
原作ファンはそういうことになるよね・・・。
知名度だけ使いやがってってなるよね・・・。
ハリーポッターとかロードオブザリングとか、
ナルニア王国とかの有名どころがハリウッドで
実写の大作としてリリースされてた時期だったから、
日本がアニメでゲドやるってなったら期待値も上がったし、
宮崎駿だからル=グウィンもオッケーしたのにね~。
まあ、そこは確かに宮崎駿を擁護する余地ないな。普通にクズwww
風立ちぬをみれば、どーしても描けなかったんだろうな、という類推はできるけど、
ユパとアスベルのような師弟関係が、トラウマにストライクwww
吾郎も当然、マトモな父子、師弟関係なんか知るはずもなしwww
まさに約束された破綻www
ハリウッドはゲド戦記制作してあげてほしい。
デジタルもいいものはいいんだろうけど、あまり巡り会えてない感・・・
NHKのみんなのうただと、ときどきおもしろいデジタルアニメがあるかな
ミュトスさんありがとうございます。
これからデジタルネイティブ世代がアニメつくる時期だから、
アナログからデジタルに慣れるだけで精一杯だった最近より、
デジタルらしい良さのアニメがでてくるかも・・・?
いや、あまり期待はしてない。
ペンタブより、筆やペンと紙の感触のほうが確かだと思う。
・・・やっぱり自分ももうオールドタイプなのかなww
タッチが軽いんだよな。ペンタブの線って。
映像研には手を出すな!
ていうアニメが、
線画や著色過程の絵がたくさん演出に使われててわかりやすかったけど。
よく見てると線も色もすごく軽くて、あんまりおもしろみや味みたいなものがない。
日本の零細企業の工場のおっちゃんが、
どんな高度な工作機械より平らな鏡面や、コンマ以下の精度の金具をつくれるか、
それでそれをNASAが買い付けに来るかって番組を見たことがあるけど、
手の仕事も、目の精度も、
機械の読み込みでは捨象されてしまう微細な情報を織り込み、読み取ることができるんだ。
ヘタクソよりは機械のほうが信用できるけど、
本物のプロの仕事は、手作業のほうがいい。
君の名はがあまりにもめちゃくちゃだったから同じようなもんかと思ってた
レンタルに出たらみるかな
天気の子は大好きだが、
君の名は、が合わない人に勧めて楽しめるのかどうかは…?
時系列の混乱とかはないからその辺は見易いかな。
ドラゴンをスルーして姫を奪還する物語が、なぜか成立してる、
あの爽快な新しさを感じられるといいけどね。
ファンタジーの文脈からしても、新しいものを開拓してると思う。
戦わなくていい、それはなぜなのか。
そこを受け容れられるかどうかだ。
映像美としては君の名はのほうが良かったし。
主人公の好感度とかも君の名はのほうが高かろうし。
そこしか見所がないっちゃないわけでw
仲間になってくれたらパワーバランス崩壊する強さだろww
まぁ、もうエナジー集める必要さえないっちゃないからな。
餌場にいる必要がない。
どこででも、魔界樹と二人だけで生存可能だ。
魔界樹が育てばまた果実として次の世代が発生するだろうし。
マヌケのように見えるけど、それは無知だったからで、
ひとたび自分達のルーツとあるべきライフサイクルを知った後は、
生物として完成され過ぎててヤバい。
ピリアさん、ミュトスさんブログコメントもありがとうございました。お久しぶりです。
ミュトスさんも同じ世代かな?カリスマ()の二人好きとのことで、嬉しいです(笑)二人の変身シーンのBGMはどんな時でも元気が出ます。
海王星さん本当に美しいですよね…リメイク版でも変わらぬ美しさです。ため息が出るとはこの二人のことですね。
疲れが溜まっていたのか何をしてもあまり力が出なかったのですが、お酒飲んだら少し元気になりました。
いつもの店に置いてるのではなく珍しいもので、フランス産です。アルコール度数は低いけれど、炭酸入りで想像の斜め上の味でした。
いつもいつも同じような物ばかり食べたり飲んだりしていても、過去の再生というやつに陥ってしまうのかもしれないな、と思いました。
サイコパス3 、劇場版もようやく見終わりました。これはもう4期を匂わせてきてますね、回収されてない謎が多すぎます。4期はよ。笑
サイコパスの魅力は、鋭い社会観察、人間洞察、かつファンの心を掴むキャラクターが出来上がっていること。
また、情報の大洪水があること。
1期の第一話から、シビュラ社会や厚生省刑事課について、犯罪係数について、ドミネーターについて、その執行方法についてなどなど。
ピリアさんが仰るような、新海作品のように情報の海に呑まれて脳が追いつかなくなる状態ですね。現在のエンタメのトレンドなのでしょうか。
正義とは何か、刑事課の果たす正義について、などの真理に迫るテーマ。考えさせられて、そして人の命への尊敬と優しさに満ちた刑事達の正義に感動させられます。
アニメの絵についての話題も出ていますが、映像の美しさももちろん魅力です。
サイコパスの絵はセーラームーンの時代からはかなり進化して、デジタルで描かれてますね。
それでも、シビュラ社会の巨大ビル群に灯る人工の街の光の美しさ、人物の造形の美しさ、はたまた泥臭さまで繊細に伝わって来ます。
そしてBGMの魔力が半端ないです……犯人を追い詰め追いかける時などにかかるあのテーマ?が本当に素晴らしい……(語彙力)
シビュラ社会が内に孕む残酷さ、刑事達の命のやり取りの厳しさ、
そしてその中でも自らの正義を果たす揺るがない思いと、犯人の命をも救うこと、人の命への優しさなどが一気に押し寄せてくる気がします……
あ、これも洪水だ。
魅力だけでこんなに文字数を使ってしまいました。
どちらも死にかけたので、非常に心臓に悪い展開でした。でも助かった。ほっ。
梓澤にはそもそもコロす気がなかったわけで、物語的な都合で死ななかったのではないのですね。
それにしても、やはり二人はなにかどこか、護られている気がします。
二人とももしサイコパス4期?5期?が続くのなら、外部からの参加になるのでしょうか。
分析官が唐之杜さんではなくなるのは非常に寂しいです……唐之杜さんが好きでサイコパスを見始めたので。
セーラームーンの話題とも被りますが、唐之杜と六合塚の恋愛模様について。
二人は紆余曲折を経て、遂に結ばれましたね。
3期が始まり六合塚が一係にも外務省にも姿がいないのを見て、破局か亡くなったかとヒヤヒヤしました、
如月や花城というこれまた魅力的な女性たちが増えたので、破局?浮気?もあり得るのかも……と。笑
しかしそれはないなと思い直しました、六合塚主人公のスピンオフ小説を既に読んでいたのですが、この二人は別れる筈がないなと。
六合塚弥生さんにはとても共感できる部分が多く、小説を読み終えた夜は涙が止まりませんでした。
志恩さんという存在の大きさ、愛しさ。
小説のなかの弥生を通して、じんと心にしみました。この二人には末長く幸せになって欲しいと心から願います。
二人の恋愛がある意味で終着点にたどり着いたということは、これからは物語には関連してこないのではないでしょうか。
セーラームーンと同じく、恋愛という試練が終わった以上、それから先の生活は物語を見る側からすれば余り楽しい物ではないという事になるのかも。
六合塚と唐之杜の二人がとても好きで、魂レベルで思い入れも深いので、この二人の出番が減るのはとても寂しいところです……幸せになったのは嬉しいですが。
少しセーラームーンの方に話が逸れますが、外部太陽系も見事に家族になりましたね。しかしアニメでも原作でも、彼らの私生活に関してはほぼノータッチでとても残念でした。
でもその分ファンの間で活発な妄想補完が始まり、二次創作界隈が彼らの私生活の物語で溢れています。読んでいて楽しいです。笑
サイコパスに話を戻します。
もし六合塚と唐之杜がこれからも積極的に登場するなら、セーラームーンSのうさぎと衛のように共闘関係、成熟したパートナーシップの関係になっていくでしょうか。
ちびうさのように、二人の間の養子とか出てきたらそれも面白いと思います。
共闘関係といえば、今までの方がむしろ共闘関係ですね。二人は既に成熟した関係だったか。
何にしろこれからの二人の関係、物語への関わりが不安であり楽しみでもあります。分析官は唐之杜さん以外にあり得ないのでやっぱり寂しいですが……。
六合塚弥生、くにづかやよい。
弥生=古代、卑弥呼とかを連想させる。
塚=神聖な守り。
何か古代から静かにでも確かな力を持って続いてきた守り。
唐之杜志恩、からのもりしおん。
杜=やしろ、神社。やはり守り。
唐=古代、大陸、やはり昔からというイメージ。
志と恩。性的に奔放()な彼女とは一見あまり結びつかない字。
しかし素の彼女は志と恩義=一見古くさい、図太い、ある意味で男性的な硬派なものを大切にする人なのかもしれない。
そのある意味男性的な意味をもった名前だからこそ、志恩は女性的な人物なのかもしれない。
二人とも女性的で神聖な守護というイメージです。
志恩さんは分析室からサポートし弥生さんもどちらかというと被害者のケアや安全な場所への誘導などサポート的な役割の執行官でした。
4期からは、シビュラ社会の市民として外からのサポートをしてくれるのでしょうか。
塚、杜、パワースポットというイメージです。
二人とも女性ですし幸せになってもらいたい……
4期からはますます人間離れした勢力と対峙する事になりそうですし、ここからはもう弥生さんと志恩さんが直接かかわる領域ではないのかもしれません。
とうとう二人が物語から退場不可避なのかなぁ~~~~
なんだか置いていかれたような。
私にとって二人は希望で、私は今執行官適正の出る前の、施設にいる時の弥生のような状態かもしれません。
早く自分の命を使う目的を見つけ、そして弥生さんにとっての志恩さんに会えたらいいなー!と思います。
それとも、二人が表舞台には頻繁に出なくなるのなら、もう自分にとって弥生さんと志恩さんというある意味の恋愛モデル、理想モデルは、手放すべき時なのかな、とも考えました。
卒業すべきなのかなと。弥生さんには共感できる部分が多いですが、弥生さんのような蘇生モデルを辿っても、今までの自分からは抜け出せないのかも。
もう既に存在しているモデルを辿るだけ。もっと突き抜けたような、高次元の、考えもしなかったワクワクしてアツい展開、解決が待っているかもしれない。
それなら、二人のことは卒業してもいいのかもしれません。
何にしろ自分を信じよう、自分で選択しようと思います。
あのおばたちゃん()でさえ、自分で決めろ!と言ってますしね。自分で決めることが犯罪係数を下げやすくする傾向にあるのかな。
シオン、ていうとエルサレム、
故郷を失った民のいつか帰りたいと願う場所、望郷の丘、そんなイメージもありますね。
複数の宗教の聖地であり衝突点、きな臭いイメージもあります。
弥生も、縄文へ流入してきた渡来人の文明でもある。
民族紛争と、いつしかそれが交わっていく複雑な時代と場所。
六合塚さんのツリ目前髪のデザインは縄文系というより弥生系かもな~。一重でおでこが狭い。
とりとめもなくそう思いましたw
六合(くに)=天下、世界、全宇宙。
塚・杜=ともに土を盛り上げるという意味。
弥生=草が茂る
杜=おなじく木の意味もあり。
二人とも木、森、大地、自然を司りますね。この二人は付き合って当然か。笑
加えて弥生さんは元音楽をやっていて志恩さんは医者。どちらも巫女的属性。
あ、如月まおちゃんも似ていますね、弥生と如月。どちらも春の月。
弥生の方が春が進んでいて、草がもりもり生えてくる。如月は冬に近く、冬の終わり、春の始まり。
弥生さんは1期開始時点で既に執行官という自分の使命・正義、そして志恩さんという二つの生きる意味を見出していた。如月さんは色々と迷いがあったのでは。だからまだ冬の終わりの如月。
如月さんも女性なので巫女的属性なのかな?まだあまり情報が無いのでわからない…
水泳をやっていた、水=集合的無意識にダイブする、アラタに似たものがあるとか?
登場人物の属性や役割を考えるのが楽しいのですが、また今度書こうっと!
話の流れとは全くずれてしまいますが、
私がずっと引っかかって納得がいかなかった「天気の子」。
映画を見てから随分経ち、記憶も曖昧になってきて、
それでも時々思い出しては何が引っかかるのか考えてました。
昨日ピコーンと何か閃いたので、
これから映画をおさらいして、
本を読んでみて、
ピリアさんの解釈も読み直してみて、
ちゃんと言葉に落とせないかやってみたいと思います。
なんとなく近況報告でした。
名前考え中さんありがとうございます。
なんか最近賑やかだなぁ…。
天気の子について、思ったことはほぼ書いてしまったので、
新しい視点があるかもと思うと嬉しいです。
>>795
ありがとうございます。
でも期待させてしまって申し訳ない。
新しい視点や解釈ではないです。
簡単に言えば、
なぜ私が「天気の子」にすごく不満を持ったのか、
その理由がやっと分かったということです。
映画の解釈そのものはかなり遠回りしましたが
ピリアさんの解釈と同じあたりに辿り着いて自分の中でやっと納得し、
今はこの映画に不満はありません。
そういう映画だと素直に自分の中に入りました。
なぜ不満を持っていたのか。
これは私がものすごい勘違いの上に期待度を上げすぎて、
「こういうことが描かれているに違いない」
という思い込みの元に鑑賞し、
私の想像から大きく外れたものだったからでした。
映画の内容に問題があるわけではなく、
ピリアさんの解釈も今読み返せばその通りで、
それ以上でもそれ以下でもなく、
つまりは私の勝手な先入観から抜けられなかったが故の不満だったわけです。
私が抱いていた先入観について。
ピリアさんに以前ご紹介いただいたアルさんのブログ
http://allwise-song.blogspot.com/2015/04/Dimension.html
の次元についての説明より。
3次元は「自分を愛することを知ること」
4次元は「相手を愛することを知ること」
~~「自己犠牲」とは全くわけが違います。
自分を愛していることを大前提とした上で相手を愛する、ということです。
これらを曖昧に言葉上の理解だけでいたところに、
「自己犠牲からの解放」のキーワードと
ピリアさん大絶賛の映画ということから
一気にアルさんの言う4次元の世界を描いているに違いないと思い込んでしまったわけです。
と言っても3次元・4次元を理解していない私ですから、
どちらも混ぜこぜにしておりまして、
ピリアさんがあれだけ何度も3次元の「自分を愛すること」の物語だと連呼しているのに
4次元の描写は描かれていないのでは?という不満を抱いたのです。
お恥ずかしい。
先日閃いたこと。
この、自分を愛し、自己犠牲なく相手を愛することがどういう事か、
なんとなく感覚として「ああそうか」と瞬間的に閃いたんです。
そうしたら「天気の子」が自分を愛する物語だということもストンと納得し、
今まで抱えていた不満も消えました。
だからと言って私がその閃いたことを自分のものにして実践できるかというのは別問題です><
人の言葉はヒントにはなるけれども、あくまでヒントであって
自分で道を探して自分で歩いて、自分でたどり着かないと
自分のものにはならないんですよね。
というわけで、「天気の子」の解釈は
とんでもない遠回りをしてピリアさんの解釈と同じようなところに
やっとたどり着きました。
名前考え中さんありがとうございます。
なるほど~、
差し支えなければ、自己犠牲なく相手を愛する、を閃くに至ったエピソードとかあれば、
お聞きしてみたいです。
4次元5次元にイッちゃってる物語か~、
ハウルか、まどマギか、マギか、転スラか、アナ雪2か、
その辺にはそういうことを為したキャラがいるかな。自らを愛し他者を愛し、神的なもの、法的なものに成るか、それすら越える描写がある。
天気の子も、陽菜が「自分のために願う」が解って、
その上で白い龍を従える、巫女や人柱を越えて天気の神様になる、そして天と人とが和解する、というようなエンドであれば、
名前考え中さんの期待に沿う形だったのかな?
それもアリな展開ではありますな~。
新海誠はビターエンドが好みだからああなったし、その方が大衆にウケると思いますが
神を越えるとか、そこまでオカルトっぽく突き抜けても自分好みではありますww
ありがとうございます。
残念ながら披露するようなエピソード何もないです。
あえて言えばコロナとの向き合い方のいろいろを眺めていて
時々考えていたくらいかな。
自分と自分の周りと、
そして見ず知らずのあらゆる人々のことを考えて
自分は何をするかしないかを判断し、
静かに実行していた多くの人々を見ていてです。
自分を愛することは、自分の欲を満たすことではないですから。
私の期待に沿う天気の子。
私には創造力というものが無いようで、
どんな展開だと納得だったのかわからず、
だからこそどんなものが見られるのか期待がとても大きかったんです。
でも龍を従える、神様になるという展開ではないと思います。
永続的な上下関係を作るものではないのでは。
4次元的な描写はないと書きましたが、
全くないわけではないと思います。
陽菜が帰ってきて雨が降り続き水没した東京で
人々はそれなりに対応して生活しています。
その経過は描かれていません。
たぶん天災として、どうしようもないことだと受け入れたのでしょう。
この受け入れるということ、
この部分が私としては重要だと思いました。
ここまで書いて、私が見たかったのはその部分だったんだと発見。
物語的には大衆受けするものではないですね。
もう少し色々書きたいですが、まとまらないのでとりあえずここまで。
ありがとうございます。
龍を従えて神になったら、それなんてリムルテンペストw
ってことになりますしね~。
リムルは最初から友達や子分を受け容れる懐の深さ、三十代越えた男性の人間力、包容力がありますが、
陽菜は大人に心を閉ざし、社会の狭間に見捨てられたような子供なので、
ちょっとどう頑張っても一時間や二時間の筋立てでは、そこまで辿り着けないわな。
永続的な上下関係、それまさに神と人とがどう関わるかのテーゼですね。
リムルは実にフレンドリーで鷹揚な性格、崇められることなんて望まないのに、
魔王としてどこまでも祭り上げられていってしまうw
忠誠を誓われ、恐れられ、頼られる。
自立しろと突き放せば、何故その力があるのに助けてくれないのかと恨まれるでしょう。
だから、死んだフリが最善手ということになる。
だからきっと、神々も宇宙人もお隠れになったんでしょうねww
迷える仔羊とはウザいものです、いくら助けてもキリがない。
人間が、自分達の心のままに、自分達の世界があるんだと解ったとき、
神様も宇宙人もずっとそこにいたんだ、と解るのではないかと思います。
天は自ら助くる者を助く、ということはある。
天災とか、どうしようもない世界の変化を受け入れる物語ってなかったかな~と思ったけど、
あんまり思いあたらなかったw
少年少女が違う世界に放り込まれる導入の話、
少年少女の冒険の結果、世界の在り方を変える話は結構思いつくんだけどな。
でも、それはそんなに珍しいことじゃないはずだ。
自分が生きたたった数十年でも、
インターネットがあっという間に普及するのを見た。
携帯電話があっという間に進化していくのを見た。
震災、津波、原発危機の悪夢のコンボを見た。
オウム、9.11、宣戦布告のないテロリズムの台頭を見た。
もっと前の世代の人は、
田舎の大家族が都市の核家族になっていくのを経験した。
洗濯機、冷蔵庫、テレビの三種の神器が生活を変えていくのを経験した。
戦争が、敗戦が、すべてを変えてしまったのを経験した。
江戸時代、将軍が治る幕府が終わって、
西洋文化の流入や、民主主義の採用、
世界は何度でも変わってきた。
人々は、それに慣れる。
まぁ、ある程度篩にかけられて適者生存にはなるけどな…。
少々の齟齬は世代交代が飲み込んでいく。
上遠野浩平のラノベのどっかにこんな一文があった。
りぼんとかなかよしとか、連載陣の平均年齢が低い。
ずっと漫画家を続ける人は、少女の恋愛以外のテーマを描くとか、どこかのタイミングで他誌に移る。
漫画家だって人間だから、
経験してないこと、思っていないことを描くとリアリティにならないわけで。
成熟した夫婦の関係性を描くには、
その時期を持ったことのある人が描かないとってことかもな。
しかし、いい歳になるとファンタジーよりもノンフィクションぽいものを描くほうが合うんだろうし。
今、冨樫と結婚してる武内直子が漫画を描くならどういうものになるのかねぇ。
あ、庵野監督と結婚してる安野モヨコも漫画家だな。
恋愛ものが主な漫画家で、
夫と自分とか実録夫婦漫画もあった気がする。
シュガシュガルーンとか、セーラームーンと系統が近いような魔法少女モノも描いてたなー。
でもなんかあんまり合わないんだよな~。何冊か読んだけど、通して読めた作品がない。
40歳過ぎた漫画家のおっさんが、
モノカネに縛られる都会生活に嫌気がさして、
東北の山をユンボで開墾して、ログハウスつくって畑やって鶏飼って炭焼きして…、
っていう実録漫画だ。4巻あたりまで最高に面白い。
この漫画家のおっさんには、奥さんがいて、
おっさんの理想論に、相当シビアでリアルなキビしいツッコミを入れながらも、
快適な都会生活から、自給自足の山の暮らしについてきてくれて、
シメた鶏を捌いて山菜を採って料理して家計をやりくりしてパートして、と、
めたくそ有能な山暮らしのパートナーだ。
この夫婦には子供がいなくて犬を飼っている。
犬を亡くした時や、震災の時など、危機の時は精神面でも互いをフォローして、かなりいい夫婦だと思う。
おっさん目線の漫画だしロマンス要素はカケラもないが、
能力を補い合い、共に暮らすパートナーとして互いにかけがいのない相手なんだと思える。
40代~50代で読むといい漫画なんじゃないだろうか。
田舎でスローライフしたいとか、そういう憧れの生活に必要なスキルってどんなものかの参考にもw
百姓って、百の仕事ができる、百の仕事、ライフラインのすべてを自前でまかなえるってことなんだよな…。
自分の祖父も農家だったけど家の石垣を組むとか水を引くとか土木の仕事もできたんだよな…。
これはどうやっても少女にはウケんねww
地に足つけて日々生活してくって、
ひらひらドレスのプリンセスに憧れる感性と対極にあるわww
おっさん「世界は、モノカネと競争でまわってる。
どこもかしこもちっとも平和じゃない。
愛が足りない。
愛てのはきっととびきりの平和のことさ。
世界を平和にできなくたって、自分ひとりなら平和にできるだろ?
もう競争はやめた。誰ニモ負ケズ誰ニモ勝タズ
欲しいモノは自分でつくって、こりゃいいやうひひと笑っていたい。
尊敬するバカボンのパパみたく、これでいいのだと自信たっぷり胸張って立っていたい。
こころとからだを目一杯試して、シアワセを自給自足するんだ」
今までの仕事を放り出して、
開墾、整地、ログハウスを独力で組み上げて、そう表明する。
奥さんに認めてもらって一緒に暮らしたいと思っている。
奥さん「よくわかるし、いさぎよくて清くて貧しくてカッコイイ気もする。
けどあたしはフツーがいいわ!
フツーにテレビ見てフツーにパソコン睨んで、
フツーに電気節約したりして、フツーに社会のゴチャゴチャのなかで暮らしたい。
たとえどんなに疲れてもヒトはヒトやモノにもまれて暮らして
ヒトらしく生きられるのよ。
たとえ汚れていても社会そのものが真実よ。
お金もいっぱいあるほうが安心よ、
清貧なんてまやかし、きっとそのうちくたびれる!
特にトイレ!密室でこっそり済ませてスッキリさせるのは現代人の最低限の尊厳と権利よ!」
おっさんの努力と悟りは心から素晴らしいが、
たしかに水洗トイレとスマホなしに暮らせるのかと言われるとww
電気、冷蔵庫、スーパー、風呂トイレ、その他諸々。
この社会の恩恵一切なしに暮らすというのはちょっと想像し難い。
この夫婦は、ちゃんと互いの主張の落とし所を見つけて、共に暮らしていくことができる。
かなり人間ができてるよな。
話し合いができなくて別れるカップルって多いと思うわ。
記憶喪失とかライバル登場とか、そういうことじゃないリアルな困難を越えていくって、
この漫画みたいな感じだろうか。
異なる主張を折衝し、建設的な話し合いをし、
履行できる能力がないといけない。
一人で苦悩を抱え込んで、君を傷つけたくないからあえて突き放す、みたいな人がいるんですけどww
話し合えっつーのww
それって、相手を信じてないってことだからね?
相手と自分の問題解決能力を信じてないっていう事勿れ主義ですから。
まぁ、大学生男子なんてまだまだそんなもんではあるけども。
ストレスたまる展開やめちくり~
話題になって記憶に残ってるのは、
ビューティフルドリーマーと高橋留美子とか、
しろくまカフェとかテルマエ・ロマエとか?
報酬の配分とかでモメやすいのも、原作者へのインタビューとかで世に出るよな。
ヤマザキマリとかテレビでよく喋ってるし、
漫画家にも裏方に徹するタイプと、
表に出て自分自身をアイコンにするタイプがいるなー。
セーラームーンは企画から原作とアニメと連動してるって割と珍しいね。
最初からメディアミックスで展開される作品もあるけど、あんまり大成功っていう例は思い当たらないな。
ダーリンフランキスとか?見てないけど。
あ、タイガーアンドバニーは売れたな~、あれは面白かった。
桂正和原案とキャラデザで、読み切りも本人が描いたのがあったような違う人だったような?
新海誠は小説の原作も自分で書くけど。
細田守のなんかも小説同時リリースだったな。
ジャンプ漫画は売れるとすぐアニメになるけど、クソアニメも少なからずあって、
いいアニメ会社をひけるかどうかの運試し感すごいw
鬼滅はアニメブーストで爆売れしたけど、
ネウロとか未だに恨みが残るわ~。
原作ファンを怒らすと後引くし、ネットですぐ炎上するから、今時はその辺の配慮もせざるを得なくなったよな。
封神演義とか、当時売れたしアニメにもなったのが、
二度アニメ化することもあるし、
ハガレンみたいにアニオリ多めと、原作に忠実なやつとで二本あったり、
セーラームーンもクリスタルが原作に忠実なんだっけ?
あらゆる形態が模索されとるな。それでこそアニメ大国w
現実で展開されているんだと気がつきました。
映画の中では見たかったことだけど、
自分で経験しろとなるとは思いませんでした。
ソフィーは一時間やそこらで、
都会に疲れ、継母に搾取される関係から脱し、
深層意識や集合的無意識の底を抜き、
免れない死を「待ってて」で魔法以上の奇跡を行い、
天使となるのに、
それでいて人間の日常に回帰するので、
あらゆる意味で未だに一番優れた物語である、という評価は揺るぎないな。
まぁ、ちょっと詰め込み過ぎてわかりにくくはあるんだけど。
書籍版をちょっと立ち読みしてみたら、なろう版よりだいぶ設定が膨らんでるので、
アニメにするときの取捨選択が重要になってきそう。
キャラ紹介だけで二期が終わるとかやだなww
悪魔はディアボロだけ、魔王はギイとミリムだけに絞るとかして、
ダンジョン編とかはとばしてでも、
大賢者がシエルに進化して、
天使のスキルと悪魔のスキルの融合で、虚空の神のスキルができるところが見た~い。
ユウキの奥義で、時間も空間も尽き果てるところにブッ飛ばされてから、すべてを再創造するところが見た~い。
…そんなとこアニメにして、ウケるのかどうかは知らんけどw
人間のほう、ってことかな…。
リチャード・バックのイリュージョンや転スラ、マギをみてると、
飛び抜けて優れた人がいると、周囲の人は彼を慕い、敬い、畏れ、
庇護下に入って恩恵を受けようとするとか、
忠誠を誓って指示を仰ごうとしたりとか、
対等な友人のような関係ではなくて、
仰ぎみるように下につく関係を築いてしまう。
力の差がそうさせるわけではあるけど、
へりくだってしまって、その差を固定化する。
飛び抜けて優れた人は、だいたい自分の認識の高みまで至る方法を惜しみなく開示してくれるんだけど、
周囲の人は、ぶらさがって恩恵を受けようとするばかりで、
彼に並び立とう、同じ高みを目指そうっていう気持ちを持つ人はなかなか出てこない。
上下関係は固定化され、飛び抜けて優れた人は孤独になってしまう。
対等の関係を欲しているのに、誰も自分の教えを実行してくれない、同じ目線まで昇ってきてくれない、となる。
イリュージョンの救世主は、
救いを求めて群がる人々にうんざりし、
一人の友人にだけ全てを明かし、託して、この世から去ってしまった。
マギのシンドバッドは、皆を導くのが自分の責任で役割だと思い込み過ぎて、
全ての人民を洗脳し、世界を強引に自分と同じ高みにシフトアップさせようとした。クソ真面目過ぎる。
転スラだと、リムルはそこまで拗らせることがない。
祭り上げられた地位もそれはそれで利用し、、堅苦しいのに飽きれば変装して抜け出すとか、適度な息抜きができる。
全員の自由意志を尊重し、みんなの面倒を見るポジションを楽しんでいる。
人と神の間に、上下関係、圧倒的な越えられない差があると、ただ人間がそう思い込んでるだけだ。
人と神との間は、断絶でなくシームレスなグラデーションだ。
人が高次の認識を得ていいし、人が神に成っていい。
まどマギでは祈りゆえに人が神になるし、
アナ雪2だと神が使命ゆえに人間に生まれることもある。
リムルやシンドバッドやエルサ、飛び抜けて優れた人を、その優れた認識ゆえに孤独にしてはいけないと思う。
アリババやアナみたいに、対等に側にいる努力をするべきだよ。
ほむらは神の孤独を憐れんで、世界を書き換えて人に戻そうとするけど、それは努力の方向オンチだなw
カート・ヴォネガットってぇケッタイな作品を書く作家の「猫のゆりかご」つう小説の中に“アイス・ナイン”という風変わりな物が登場する。
これは“通常の気温よりも高い温度でも凍る水分子の結合パターン”てえ訳のわからないものだが、
要するに水がそのパターンに触れるとあっというまにその形に分子が組み直されてみんなアイス・ナインになっちまって、
世界が凍りついてしまう、というよくもまあこんな変なこと思いつくよなって、そういう世界の終わりの元凶だ。
実はアイス・ナインと似たものがこの世には存在している。ただし、そいつは世界を終わらせたりはしないが、しかし世界を変えてしまうものでもある。
そいつは人間の生活パターンだ。
それまでの生活は、新しくもっと効率の良い生活パターンが出てきた段階であっという間にそいつに入れ替わってしまう。
いわゆる文明の利器なんて物のほとんどはせいぜいこの百年ぐらいの間に出てきたものだが、しかし、
これは見事に世界を造り替えてしまった。そしてそのパターンとはつまるところ思想…いや、物の捉え方、とでも言った方がいいか。
要するに「ああ、あれはいいな」と思ってみんながどんどん真似していくもの、そういうヤツだ。これは人間をどう扱うか、ということにそのまま跳ね返ってくる。
道端で寝転がっている人間のことなんか都市で暮らしているヤツはなんとも思わないが、それは、
そういう生活パターンが確立しているからだ。実は人間のほとんどはこのパターン通りに生きているだけだ。
そして、それは大体モデルというものがある。「ああいうものになりたいな」と思わせるモデルがな。
そういうものは根深く変わらないようでいて、
ちょっとしたきっかけであっという間に世界中に伝播するものでもある。
便利だとか、快適だとか、美味しいとか、面白いとか、優位に立てるとか、儲かるとか、
マネする動機さえあれば、あっという間にコピーされていく。
100匹の猿現象とか言うかもな。
電化製品以前だと、タバコやトウガラシがものの五十年たらずで南米から世界中へ運ばれて愛好されるようになったエピソードとかになるだろうか。
梅毒なんかも同じルートで伝播しているのは笑えないが、そんなもんではある。
コーヒーや紅茶、スパイスを巡って戦争と植民地化が起こった。
青銅から鉄を使うようになって、手当たり次第の森林が伐りつくされた。
些細な生活の変化が、世界の在り方を変えてしまう。
それは割と頻繁に起きてることなんだと思う。
たくさんありがとうございます。
「天気の子」の話の続き。
陽菜が戻ってきて雨が再び降り始めた後、
帆高は思いの外軽い処分で済みました。
2年半後、陽菜が笑顔で高校生をしていて、帆高も進学して陽奈の元に戻ってきます。
もしもこれが
「人柱一人で狂った天気が戻るなら歓迎」する大人達が作っている世界なら、
こんなことにはなっていないでしょう。
あれだけ晴れ女として多くの人に関わったのですから
人々の記憶にも、ネット上の記憶にも残っています。
陽菜が天に昇った夢を多くの人たちが見ました。
たぶん降り続く雨が止んで欲しいと心のどこかで願っていた人たち。
そして陽菜がその願いを叶えるために人柱に立ったことを
はっきりとは認識できずとも感じていたはず。
陽菜と天気の関係を結びつけ、
人柱となることをやめた陽菜を
執拗に追い詰め責め立てただろうと思います。
でもそうはならなかった。
物語だから綺麗に終わらせたのかとも考えられますが、
私は人々が陽菜の犠牲を良しとせず、
ただ雨を受け入れたのだろうと思いたいです。
世界を変えてしまったとしょげる帆高に対して
冨美さんの「なんであんたが謝るのさ?」も
須賀さんの「んなわけねえだろ」も
おそらく事情を察しているのに責めていません。
世界の一人一人が特別な誰かの犠牲を強いることなくそれぞれに雨を受け入れた。
この雨が止まないのを誰かのせいとはせず、
また、彼らが責められないように徹底的に守った。
この世界の人々もまた他人を愛する第一歩を踏み出せているのではないかと思いました。
名前考え中さんありがとうございます。
書きながら迷子になってすみませんw
素敵な解釈ですね。
そういえば天気の子では、モブがすごく丁寧に描かれてます。
スカウトの木村に妻子がいる設定とか、
漫喫の店員、マンションの母子や中学生二人組、
出番が一瞬でもいわゆるモブ顔ではなくて、キャラデザがしっかりおこされていて存在感がある。
主人公の選択をただ受領する背景じゃなくて、
それぞれが選択する意志や個性ある存在なんだろうな、と思えます。
なんとなく気づいた人も、全く気付かなかった人もいた。
許した人も、許せなかった人もいた。
色んな人がいて、色んな想いがあって、それで良かった。
それでも総意としては、犠牲を良しとせず、雨の世界を受け容れた。
そういうことなのかなと思いました。
「どこの子供乗せてたの?」って聞いたらはあ?って反応で、誰とも喋ってないって言ってたまあいいや
キャー
キャー(歓喜)
なにそれ怖い。
簡潔さが秀逸。ありがとうございます。
洒落怖はこういうのでいいんだよ。
怪異とすれ違うゾワッと感を味わうっていう。
キャー
簡潔の美で完結してるとこ、
蛇足を訪ねて無粋で申し訳ないんですけど、
子どもと奥さんはどんなことをお喋りしてたんでしょうか…?
子どもは何才くらいの喋り方?
魅惑的な話題が続いたのでちょっと考えてましたわ。なんか浮かんだら書くかも。
梅雨入りしましたね~。我が家は数ヶ月ぶりにエアコン使い始めました
少し蒸してるそんな時期にピッタリなコメが…(・∀・*) >>813 さんありがたや。
こういう、オカルト臭の薄いビミョーな日常みたいな怪談もよいねー
といいつつ……野暮だけど、>>816がわたし、気になります!
嫁と子供?の会話というか、嫁が喋り倒しているとこに子供が笑ったり「えー」「そうなんだ」とか時々相槌うつ感じ
「そんで〇〇(俺)がいつもわけわからんしね、猫がどうしたとかね、私知らんらそんなの?」「ふふふw」
とか、いつもそうだけどまったく意味ない嫁のお喋りで、子供はたぶん小学校低学年くらい、1~2年生?でもけっこう利口そう
で仕事帰ってら嫁にまた聞いたんだ
酒飲んでるからとっ散らかっててゴメンなまた書くね
ありがとうございます。
めっちゃリロったww
久しぶりにこれ貼ろうと探しにいってたら終わってたwww
バン はよ
バン(∩`・д・) バン はよ
/ ミつ/ ̄ ̄ ̄/
 ̄ ̄\/___/
バンバンバンバンバンバンバンバンバンバン
バン バンバンバン゙ン バンバン
バン(∩`・ω・) バンバンバンバン゙ン
_/_ミつ/ ̄ ̄ ̄/
\/___/ ̄
; ’ ;
\,,(‘ ⌒`;;)
(;; (´・:;⌒)/
(;. (´⌒` ,;) ) ’
( ´・ω((´:,(’ ,; ;’),`
( ⊃ ⊃ / ̄ ̄ ̄/__
\/___/
三河弁っていうのかな?方言の再現かわいかったw
ドラレコの怪っていうのが今時だよなあ~。
煽り運転も厳罰化?になってドラレコ付けてる車増えたし、
オバケさんサイドでも時流に適応しているのだろうかww
奥さんは独り言でも喋った覚えがないというのが謎であるなあ。
会話の内容は奥さんらしいものなので、オバケの一人芝居でもなかろうに。
いつもそうだけどまったく意味ない嫁のお喋り
あー
もしもだけど、赤ちゃんに話しかけるってことなら、
内容はや意味は別に大したことなくていいんだよな。
赤ちゃんは言語をまだ習得していないので、
話しかけるときの優しいトーンとか、目を見て話しかけることそれ自体が、
赤ちゃんの脳の発達にとって重要だという。
ま、成長してから思い出して理解するってことも稀にあるらしいので、
まったく言葉に気を付けなくていいわけでもないが、
今日はお天気ね~、とか、
きれいきれいにしようね~とか、
気持ちいいね~、とか、
かわいいねえ~、とか。
内容はそんなもんでいいのだ。毎日そのリピートでも全然いい。
フリードリヒ二世とか、ルネ・スピッツの実験でググると胸糞な気持ちになれるよ。
成人男性にとっては、意味のない会話を続けるのはそれ自体が苦痛だったりするがww
それは、子育てと社交に必須な忍耐で女性の能力なので、
一応そこんとこ敬うと̚カドが立たなくていいと思うよwww
夜に嫁ドラレコ見せたら
「何これ誰と誰喋っとるん?どこの女?ああ?」「あなたでしょ。つーか俺が聞いてんのよ、これどこの子供?」「ええ〇〇(俺のこと)の話しとる、えーこれ私じゃんね何これ昨日イオン行った時?はあ?この子誰?」
と、嫁はやっぱり子供のことも会話をしたことも覚えがないらしく、
「はあ何らこれドッキリ?あっ、テレビ?絶対あんたこんなん思いつかんだら?わかった〇〇ちゃん(嫁の友達)だら、私おどろかそうとして、うわ何あんたものってんのよ、なんだそうゆうこと?」
とか言って俺に買い物行かせて(なんか家飲みす?から俺の金でスーパーで色々買ってこいって言われた)その間、その友達とかお姉さんとかと電話とかLINEしたらしい
続く
結局謎だねなんだこりゃ、ってさっきまで2人で飲んでた
夫婦仲よさそうで、お裾分けっていうかなんか癒されたよ
子供も無邪気でかわいい感じで。座敷童ぽい?
そいや最近酒飲んでないなーいいね
夢の内容のように忘れている、と思う方が納得できるが、
運転中にトランス状態になるってアブねーなww
まあ、慣れた道だと結構そんなもんではあるけど。
考え事とか捗ったり、それでイイこと思いついた!と思っても忘れたりするなwwそういえばww
名無しさんはじめまして。
仲良し夫婦いいですね~。
素直に考えると、未来のお二人のお子様ですかね。
全然的外れだったら失礼。
私に霊感はありません。
私の義妹が赤ちゃんを授かる前、
子どもが未来のお母さん(義妹)を見にきたのかな?と思った出来事がありました。
不妊で悩んでいた義妹はその出来事から幾らも経たずに妊娠。
そんなことを思い出しました。
あ、奥さんの肩あたりにいる生まれる予定の赤ちゃんの魂と会話、
それもアリですね!ほのぼのしててイイ~。
なぜか最初は肩あたりにいて、
お腹が大きくなったら中に入るらしい。
確かめようもないから知らんけどw
ちょっと待って。
子どもが未来のお母さん(義妹)を見にきたのかな?と思った出来事がありました。
うっかりスルーしてたけど、それも詳しくしていただけないでしょうか。ぜひ!
>>833
大した話ではないですよ?私がそう思ったというだけで。
私の娘のお食い初め(百日祝い)に義妹がお祝いに来てくれました。
その時に写真をたくさん撮りましたが、
義妹が娘(義妹の姪)を抱っこして二人だけで写っている写真だけ数枚に
光の玉が写っていたんです。
何かの反射かなとも思ったんですが、撮影条件の違う複数枚です。
私はその写真を見て、その光の玉は義妹を見に来た子だなと思いました。
なぜかと言うと、私が妊娠中に光の玉に突撃された経験があったからです。
その光の玉の話はここの前のスレのどこかで一度書きましたが、
もう一度書いておきますね。
1度目の妊娠中、つわりが酷くて伏せって目を閉じていた時、
遠くに光の玉がふよふよと漂っているのが見えました。
なんだろう?と思って見ていると、その光の玉も私のことに気がついたようで、
あ!とこちらを凝視(しているように感じました)。
見つけた!という感じでこちらにすごい勢いで迫ってきました。
ぶつかると思って身構えたところ、
衝撃は何もなく、通り抜けた様子もなく、私の体に入った模様。
ああ、これが赤ちゃんの魂が入った瞬間かと思いました。
そんなことも忘れた5年後に2度目の妊娠。
この時もつわりが酷くて横になっていた時に光の玉が見えました。
?と眺めていたところ、今度はすう~っと近づいて来てすぽっと体に入りました。
その瞬間に1度目の光の玉突撃事件を思い出し、
ああ今度も来たのかと。
しかし残念ながら流産。
体調の回復後にすぐ妊娠し、また光の玉が来るかなと期待してましたが今度は来ませんでした。
これは、2度目に入った光の玉がそのまま待機してたのかと自分の中で結論付けました。
そうして生まれた娘のお食い初めの席で
優しい笑顔で姪を抱っこしている義妹のそばに光の玉が写る写真を
複数枚見つけたわけです。
私にはその光の玉が「お母さん(義妹)にこんな風に抱っこされたい」と思っている子ように見えました。
ですがそんなオカルトチックなことを誰かに言うのはどうかと思ったので、
そっと胸の内にしまっておいた訳ですが、
それから暫くして義妹の妊娠報告を受け、
その写真の日から1年後の同月に赤ちゃん誕生しました。
と、ここまでですと綺麗に話がまとまっているのですが
その後に問題が一つ発生。
この数年後にまた光の玉出現。
この時は寝起きでぼけっとはしてましたが、明るい朝で目も開けていました。
そして私の頭にするっと入ったのです。
妊娠はしていません。
その後も妊娠してません。
あれは子どもの魂ではなかったのか?
そんなお話でした。
こんばんは
素敵なお話を聞かせてくださってありがとうございます
最後の光の玉は名前考え中さんをご病気から救う為に
光が守りに来てくれたのでは?と感じました
玉繋がりの話ですがそういえば夫と息子は以前は
よく両手の平で玉を作っていました
ドラゴンボールの元気玉的な玉です
(光ってはいませんでしたが)
いつか名前考え中さんとお会いして夢や光の玉の話を
してみたいです
先週末にやっと天気の子を観ました
劇場で見た時はあまり感じませんでしたが
楽しい場面の少ない話だと感じました
君の名はでは入れ替わった生活をお互いに楽しんで
いるようにも見えましたが、天気の子は誰もが
辛い思いばかりしています
姉弟は子供なのに両親がいないし可愛く飾り付けた
アパートで二人で生きていく事も許されない
帆高は殴られたりしていつも顔に傷がある
最後に雲の上に行ってもその美しい場所を見る事も
無くすぐに地上に落ちていってしまいます
楽しい場面、美しい風景の無い忙しい映画でした
そして瀧くんのおばあちゃんは何故あの髪形に
したのかずっと気になっています
優しい解釈ありがとうございます。
最後の光の玉のことは、赤ちゃんの魂じゃないのか?!という驚きの方が強くて深く考えたことがありませんでした。
龍使いのお母さんのコメントを読んで改めて考えていたら、いろいろ妄想がはかどってはかどって( ̄▽ ̄)
ちなみに、この最終光の玉事件の後、最近また新しい別の病気の診断がつきました。
生まれてこの方インフルエンザにも罹ったこともなく、お腹も極めて丈夫なのに、何故かあまりお目にかからない病気ばかり発症するので、家族からは丈夫なのか病弱なのか分からないと笑われております。
幸せなことに家族の理解もあり、生活の心配もせずに済んでいるので、のんびりだらだらと過ごしています。
瀧くんのおばあちゃんの髪型、特に違和感を感じるところがなかった…。 
前髪なくて、短くて、ちよっとハネてる、ショートカットというかおかっぱ? 
誰かに似てるわけでもないよね…? 
なにを気にされてるのか、私気になりますww 
ところで、自分は雲の上の草原を美しいと思いませんでした。 
草原の植物はCG作画のようで、なんかよく見ると奇妙な海藻のような形状をしています。 
空の魚も、美しいとは思わないんだな。 
ついでに言うと、龍もかっこよくない。 
そりゃ宮崎駿と比べるのは誰にとっても酷だろうけど、 
新海誠にはクリーチャーデザインのセンスがない。 
もし宮崎駿なら、実在でない植物を描かせても、 
腐海の植生は見てるだけで幼少期の体験をふと思い出すような懐かしさや普遍性、ワクワクがあるわけで。 
魚もな~、金魚っぽい形だけど、だからなにっていう。 
龍も、まあそれらしいけど、それ以上ではないっていうか。 
カッコイイ竜デザインといえば鳥山明とかだろうか。ポーズ、構図、骨格、ディテール、質感、どれもこれ以上ないってカッコよさだ。 
まぁ、東大随一の天才達とイチイチ比べるのも酷だし、 
新海誠は空や街の描写なら唯一無二だし? 
だから、なんとなく注目してなかったんですけど、 
しかし改めて考えてみると、 
魚ってのは水にいるもので、 
龍には鯨の鳴き声が使われている。 
だから、あの空は、海として見ることもできるんだなって。 
空が異界、精神世界は空のイメージというよりは、 
海が異界、精神世界は海のイメージというほうが、 
思想としてはポピュラーだ。 
異界は音と水の世界。 
空の魚を登場させることで、 
空と海とを上手くオーバラップさせてるんだな。 
>>839
名前考え中さん、龍使いのお母さんありがとうございます。
オーブってやつでしょうか。
写真に写ったり、ドラレコに録音されたり、
デジタルネイティブ世代の魂は新しい機器にもつよいねww情強だねww
さすがに最近TikTokとか、リモート飲み会とかのノリについていけなくて、
これも歳かのう…と思うロートルです。
未だに草生やすのやめられないし。
顔文字のチョイスも古いし。
病から救うために光の玉が来てくれたとは、実に心温まる解釈ですね。
荒んだ心では思いつかなんだ~
大変な世の中だけど、子どもは光だよなと思う。
希望とか未来とか可能性とか光る玉とか、色んな意味ぜんぶで。
彼らにどんな世界を与えてあげられるのか、
大人になったらその責任の一端を担ってるわけだが。
喜んで尽くさせて頂きますうって気持ちにさせるのが子どもの魔力よなww
お猫様に近いものがあるwwカワイイは正義wwカワイイはパワーww
誰もが、少しでも、生まれてきて良かったと思える世界にしていきたいものです。
そういえば、
確かに天気の子って映像的な楽しさには乏しいですね。
君の名はの風景はどこをとってもキレイで、それだけでわくわくしたけど。
でも心情のアンサーとしては、天気の子のラストのほうが軽やかなわけで。
雲の中を落ちながら、グランドエスケープが流れる一連のシーンの爽快感は神がかってると思う。
うーん。
まぁ、やっぱり君の名はありきの映画ではあるんだろうな。
良くも悪くもテーマに連続性がある。
それは監督の作家性と言ってもいい。
作家が物語を通してテーマを成長させていく軌跡がある。
同じ作家の作品を続けて読むファンにだけ判る醍醐味ではあるねw
個人的には、同じことを二度も三度もやる作家より、
前作の良さを惜しまず、そこから生まれた新しいテーマに進んでいく作家の方が好きだ。
ありがとうございます。
子どもは光ですが、大人だって光ですよね。
みんな自分の光の玉を曇らせないようにきちんと磨いて輝かせたいですね。
そうそう、方言かわいいは思った。どこのかは知らなかったけど。愛知県か。
あと無知でごめんなんだけど、ドラレコってのは車内は映らないもの?つまり音だけ撮れてる状態?
今主流なドライブレコーダーは、車外の前後を撮れるカメラと車内の音声録音機能付きのものですね
車内を撮影できる機種もありますが、付けている人はまだ少ないと思います
試し読みの後、紙のコミックも揃えて、
でもこれネタバレしない方が面白いやつだから
ブログの方に書き留めてたんだけど。
まあ、ペルソナとシャドー、表人格と裏人格、
憧れや抑圧、困難への一時的な対処法として、
脳は複数の人格をつくりだし保持できるスペックを備えている、
とか、そういうことを考えていたので、
相槌をうつ子どもは、奥さん自身のイマジナリーフレンド的なアレだろうか?
とも思った。
多重人格の例であれば、声色や口調はガラッと印象が変わるくらいのことはある。
奥さんがもう一人の自分、子どもの人格の声色を演じるくらいは可能の範疇だろう。
ま、実物を聞いてないからなんとも言えないし、
プライベート空間の車の中で脳内会議がダダ漏れたくらい、
別に異常というほどでもないだろう。
奥さんが全く記憶していないなら、
なんかトラウマでもあるのかとむやみに掘り起こすべき時でもないし、
オバケの可能性、未来からの通信、平行世界からの音声の混線、
その他もろもろの怪しい仮説も捨てがたい。
あるいは車に縁のある子とか
奥さんは素質がありますなwww
なんの素質か知らんけどw
そんなイイ話だったらいいねえ。和むねえ。
はて、赤ちゃんの魂が肩あたりにいるという話のソースはなんだったか・・・、
それこそオカ板で自称見える人がひとことだけ投稿したようなのを覚えてるだけか、
なんかえーと、七尾あきらの風姫とかいう小説で、
いい赤ちゃんを授かる人の肩に小さな光る花が咲いてる、霊能者にはそれが見える。
その花がある間、男親でも女親でも親になる人はいつもより少し幸運になる。
っていう本筋に関係ないどうでもいいような小話があるんだけど、
なんかすごくそれっぽいと思ったことを、今思い出した。
まあ、なんか憑いてるっていったら肩なのはお約束ではあるwww
それだけの話かもwww
単純につかまりやすい出っ張りだもんなw
テトとかジジとかルナとか、マスコットもよく肩にのってるしさww
そういうネタというより着想みたいなものがあるのかー。オーラとか守護霊に近そう
脳の近くを漂う光の花が、もうひとつの体内異界である胎内へ降りていく
胎児の旅か…駆き立てられるなあ。不思議話のあとだから特に
車内を録画できる機種なんてあるんですね、それはちょっと驚きました。
自家用車に馴染みないからか、報告者さんちの車ってどんな風なのだろうなあ…なんて
別な方向に空想を働かせてしまった。
ルネスピッツつい最近だな、数字残ってるのが生々しいな。
それから先日見かけた言葉を思い出したので張ります
>>動物でも人間でも、小さい頃に愛されなければならない大事な時期があり、それを逃すと一生捻くれる
ミュトスさんありがとうございます。
むかーし、ノンバーバルコミュニケーションの講義をとったことを思い出しました。
https://mayonez.jp/topic/4903
あくびがうつる、なんてもはや無意識の反射レベルで行われるコミュニケーションなので、
哺乳類の脳はどんだけ他者とのつながりに容量をさいてるかってなもんだ。
大脳辺縁系、哺乳類の脳の発達があって、はじめて高度な知の脳、前頭連合野も発達していける。
ノンバーバルコミュ力、大事。
アニメですらセリフによらず、仕草や目線、色彩設計なんかで感情をあらわすと洗練された表現になるわけで。
スレみたいな手書きですらない文章でやりとりできる情報は、とても限定的で抽象的なものになるよね~。
相手の受け取り方、相手の脳内で類推、再構成される部分が大きい。
詩のように、多様な解釈やイメージを想起させるトリガーとして洗練させるのが、
文章表現の本質で極致なんだろうな~。
駄文を書き散らかして、スマートさとは程遠いけどww
こんだけ書いてたからこそ、最近は詩の良さがわかるような気もしてきた。
もう一回見てみよう。
倍賞千恵子の癒し婆ボイスと、下町情緒のいえと組紐とチョコパイしか印象にない。
普通のショートカットじゃなかったか。
辺りがよく見えるようになります。
子ども達も周りがよく見えてしっかりと歩けると思います。
それはそれで発見がある。 
竜から排出された帆高には水の魚がまとわりついてて、だから落下もゆっくりになって陽菜が駆け寄る時間がある。 
草原から飛び降りて、 
雲の谷間に落ちる一瞬で、空の魚は離れていってる。 
最後に一滴、画面の中央に残る水玉がある。 
二人をサポートした水の魚は、陽菜の母だったのかなーとか、 
そんな感じだ。 
ずっと笑っていた陽菜が、やっと泣き出した霧の中は、陽菜の内面の世界でもあり、 
雲の上の草原は死者の世界であり、 
暗い雲の谷間からは、また内面の世界だ。 
「私が戻ったら天気が」という自己犠牲のマインドの表現で、 
帆高が「もういい!」で光が差し、 
「もう晴れ女なんかじゃない!」でイナズマが走り、 
暗い雲間を抜けて美しい空と大地の絵になって 
「自分のために願って」 
心情に合わせて風景が変わっていく、 
言葉と同じかそれ以上に風景が雄弁に語っている。 
いや、高度な表現だな~。 
やっぱり、空の表現はすごいよ新海誠。
ダークムーン編の面白さがいまいち良くわからんのかもな~。
コーアンとベルチェはそらもう可愛いかったけども。
何百年も先の未来を守るとか、
未来から来た娘を守るとか、
彼氏がいきなり冷たいとか、
どれも自分的には共感しにくいテーマだ。
銀水晶の万能パワーもそうだけど、
過去、未来、宇宙というSF的スケールの大きさを扱うのに、
変身戦士が空すら飛べないというレベルのちぐはぐさもなんか腑に落ちなくなってきた。
敵が移動要塞で来たなら、同じようなガジェットで対抗するのがお約束ではw
シルバーミレニアムの遺跡から戦闘機とか持ち出すような展開には、ならんのだなぁ~。
いや、そんなもんより銀水晶のほうが万能だからいらないのかw
アルティメットアイテムを最初から持ってるんだよな…。ううむ。
それはまぁ、エイルとアンにだって結局一撃も入れられないのに、
心情のやりとりで解決しちゃう、というのがセラムンの特徴ではあるのか。
武力の大小は問題じゃないんだな。
強い方が勝つんじゃない。
心のやりとりが勝敗を越えた結末を導くわけで。
どんな文明もどんな技術も、使うものの心次第ってことではあって、
心のレベルと技術のレベルは釣り合ってないといけなくて、
そこが釣り合ってない敵には付け入る隙があると。
ダークキングダム編は、過去の因縁が今を蝕もうとする筋書きで、
ダークムーン編は、未来が今に波及してくる筋書きなので、
まぁ、対になってる展開ではあるよな。
過去の敵、地下の敵は女王クインベリルで、
未来の敵、空中の敵は王子デマンド、
女性性と男性性、陰陽も対になっている。
過去編には母クインセレニティが出てきて、
未来編には娘スモールレディが出てくるわけだ。
やっぱりダークムーン編はやるべくしてやってるわけではあるな。
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